問いにうまく答えられない。 Phantom Magician、86 馬鹿な、と思う。 まさか、まさか、あの程度で? ただ、一度蹴られて、失神呪文を浴びた程度で、死?死、死……? そんな、そんな馬鹿なばかなバカナ馬鹿なバカナばかなっ! 「信じられないのか?トム=リドル。 生き物が簡単に死ぬことが」 「っ!」 とてもではないが、化け物の方へと目を向けることができすにいると、 それを見透かしたかのように奴は声をかけてきた。 ビクリ、と意図せずして体が震える。 己の心情を当てられたから、ではない。 寧ろ、僕の考えが読めているくせに、それをわざと言わない男に、全身がくまなく緊張していた。 生き物とは存外しぶとくて。それでいてあっさりと死ぬ。 そう、僕が殺した女生徒のように。 僕は、それを知っていた。 「それとも、信じたくないのかな? それが死んでいる、ということを」 「…………」 化け物はそう言って、優雅に杖を振るう。 と、その杖の先にいた黒猫は相変わらずぴくりとも動かないまま浮き上がり、 「確かめてみると良い」 僕めがけて投げつけられた。 思わず、それを両手で掴む。 「う…………っ」 そして、その瞬間、嫌でもそれが空っぽであることに気づいてしまった。 空っぽ。 魔力も、命も、意志もない、ただの肉の塊。 どうしようもなく、生命活動を停止しているもの。 それは、さきほどまで僕に向かってきていた黒猫の残骸だった。 その、ゆっくりと温度を失っていく体に、戦慄する。 「さて、確認ができたところで……覚悟はできた?」 「覚悟だとっ!?あれは、あれは人間のことじゃあ……っ」 「誰がそんなことを言った?」 「なっ!?」 「考えてもみるが良い。スリザリンの継承者」 「己で思考し、感情を持ち、我々と同程度の知識を有する存在と、我々」 「その命に一体どんな違いがある?」 「!!?」 「お前にできないことができる存在に対して、何故お前は自分の存在を誇れる? 己より優れたものを持つ者を何故卑下する」 「……たかが猫だ!」 「ああそうだな。そして、お前はたかが記憶だ」 「っ」 取りつく島もない言葉と視線に、息が詰まる。 殺される、そう思った。 どれほど自分が訴えたとしても、男は揺さぶられることなどない。 今、そうであるように。 やぶれかぶれで攻撃を仕掛けてみるか? いや、それは無駄に終わる公算の方がよほど高い。 ならば、自分に残された道は、化け物の意識を逸らせた隙に、逃走することか。 それも、やはり無謀な印象が強いが、黙って燃やされるよりはよほど…… めまぐるしく、この状態から逃れる術を頭の中で模索していると、 ……ぷっ、くすくすくす。 不意に、絶対的な冷たさを湛えていた瞳が柔らかく細まった。 「なんてね。まぁ、今のは冗談なのだけれど」 「!!!?」 「あはは、うん。その表情!それが見たかったんだ、ふふ」 そして、男は弄んでいた杖を下ろし、本格的に愉快そうに笑みを零した。 その姿は。 「くつくつ。まぁ、誤解をさせちゃったのなら、こちらも悪いしね。 殺すのは人間に限らず、動植物もだ。これは厳密なルール。だって同じことだからね。 大丈夫、大丈夫。この程度ならまだ生き返らせることができるさ。 だから、今日のところはおまけしてあげるよ。はは」 「っ」 寧ろ、先ほど以上の狂気を僕に感じさせる。 おまけに、生き返らせる、だと? 命を生み出す魔法など、そんなものがそう簡単に行えるはずもないのに。 たかが猫相手に。 こんな、くだらない経緯で死んだ者に。 あっさりと、行使するなど。 「……狂っている」 「ふふ。酷いな。こっちは君の尻拭いをしてやろうっていうのにね」 「そんなこと、頼んでいない」 「勘違いしないでほしいな。こっちだってやりたいワケじゃない。 ただ、君はそんな体のくせにまだ命の重みが分かっていないらしい。 そんな餓鬼のために、取り返しのつかないことになったら、ことだろう?」 「餓鬼、だと!?」 「そう。君はまだ子どもなんだよ。この僕にすら及ばないほどに。 無知は罪ではないけれど、害悪になることもある。君のように」 「〜〜〜っ」 未だかつて。 日記となる前の僕であったとしても、一度としてこんな、愚かな子どもだなどと言われたことはない。 ましてや、こんな、こんな呆れたように、仕方がない、とでもいうように扱われるなどっ。 そう、気持ちの悪いことに、今この男は、僕に対してなんの悪意も持っていない。 寧ろ、その視線からは厚意のような、同情のような、そんなものすら感じる。 そんなことがあるはずがないのに。 「違うというなら、君はまず僕に感謝するところなんだよ? なにしろ、僕が出てこなければその猫は生き返ることもなく、 確実にそこで寝ている彼女は……心を病んでしまうからね」 「な、に……?」 と、この男のせいですっかり頭から抜け落ちていたのことを持ち出され、面食らう。 猫が死ぬと、が病む? たかが、使い魔が一匹いなくなる程度のことで? と、僕がまったく納得していないことに気づいたのだろう、男は謳うように口を開いた。 「君は知らないだろうけれど。 そこの猫はにとって、そこそこ重要な位置を占めているんだよ。 もちろん、唯一無二の存在などではない。決して一番などではない。 けれど、彼女の過去を知り、手助けをするという点で、今のところそれに勝る者はいない。 いわば彼女にとって、それは精神安定剤のようなものなんだ」 「……貴様の言うことはいちいち要領をえないな。 だが、僕がの記憶の中で見た猫は……これじゃなかったが?」 「それはそうさ。君が見た記憶の時点では、これは生まれてすらいなかったのだから」 すらすらと、まるで淀みなくや猫のことを語る化け物。 その姿に、妙な違和感を感じる。 何故、ただのグリフィンドールの小娘のことに、これほど精通している? それに、僕が先ほど見たの記憶のことなど、当事者でもなければ分かるはずは…… 「不思議そうだね。トム=リドル」 「!」 「君はもっとポーカーフェイスが得意だと思っていたんだが。 これなら、わざわざ開心術など使う必要もなかったかな?」 「なっ!」 開心術、だと!? それは先ほど自分が=に行使したもので。 相手にそうと分かられず頭の中を探るなど、寝ている間でもなければできるはずはない。 それなのに、この僕に使った?一体いつ?どうやって!? 「?嗚呼、言っておくけれど、君には使っていないよ」 「……は?」 「実を言えば、相手に悟らせずに心を開く、なんて簡単なのだけれどね。 正直苦痛以外の何物でもないからあまりやりたくないんだ。 特に君の心とか絶対気分悪くなるし。だから、安心していいよ」 「…………」 あくまでも、僕の心を覗くのは嫌だと言う化け物に、なんだろう、凄まじく馬鹿にされた気分になる。 が、その失礼な物言いに一瞬心が冷えたためか、冷静にその言葉を吟味することができた。 僕には、ということは、僕以外には使った、という意味にとれる。 そしてこの場には僕だけでなくも、今は死んでいるが猫もいる。 おそらくはそのどちらかの心を開き、情報を収集したのだろう。(おそらくはの方だと思うが) 「さて、少し話が脱線したけれど、理解できたかな? たとえ、動物を殺すことがルールとしてOKであっても、 結果としてそのせいで一人の少女の心が壊れたら、君を殺すところだったんだよ」 「…………」 「まだ始まったばかりだというのに、こんなすぐゲームオーバーなんて興ざめすぎる。 だから僕がわざわざ出てきてあげたんだ。Do you underastand? 次からは、もう少し、引き起こす影響をきちんと考えてから行動してほしいね」 諭すように、からかうように紡がれる言葉。 つまりこれは、警告だ。 僕が、まるで意図せずして命を奪ったことに対する、警告。 もし仮に僕が絶対的な意思でもって生き物を殺したとしたら、化け物は一切の猶予も与えず僕を燃やしていただろう。 だが、今回のこれは、いわば事故のようなもの。 僕にあの猫を殺す気などこれっぽっちもなかった。 だから、警告で済ませた。 言外に「次はない」と滲ませながら。 「……つまり、貴様は僕にこう言いたいワケだな。 たとえ動植物であったとしても、それが死んだ場合には人間の心を殺す可能性がある。 ゆえに、動植物を殺すこともルール違反だと」 「……まぁ、そんなところかな。ルールの確認は大切だからね」 にこり、と穢れのない笑みを浮かべて首肯する男に、よほど許されざる呪文を使いたいところだったが、 そこはぐっと抑えて睨みつける。 とりあえず、今日のところは助かった。 ならば、ここは事を荒立てず、さっさと退出させるに限る。 狡猾なるスリザリン。この程度の屈辱、目的の達成のためなら押し殺してみせるっ! 「……僕としてもこんなことでいちいち出張って来られるのは迷惑だ。 フン。面倒だが、一応そのルールとやらは守ってやる」 「はいはい。それじゃあ、おやすみ?」 案の定、男は僕が素直(?)に約束をすると、満足そうな笑みと共に消え失せた。 闇に溶けるようなその様子は、姿くらましではない。 ますます、あの化け物の得体の知れなさが増す中、僕はそこではっと、いまだに抱いたままだった猫を見る。 生き返らせる、とかなんとか言いつつ、あの男、それを忘れていなくなったなっ!? 奴の話が本当だとすると、猫がこんな状態になっているのをが見たらまずい。 今度こそルールとやらに触れることになるだろう。 「まさか、やっぱり僕を許す気なんてなかったんじゃないだろうな、あの男!」 ギリッと歯噛みする思いで宙を睨みつける。 するとその時。 『……いつまで気安く抱いてんの?』 「!」 低く低く、心の底から不機嫌そうな猫の鳴き声が下から聞こえた。 慌てて視線を向ければ、金色の瞳が煌めく。 『とっとと離せ!このマールヴォロがっ!!』 「つっ!!」 そして、まるで警戒していなかった頬に、焼け付くような痛みが走った。 生暖かい液体が顎を伝って地面に落ちる。 と、猫は僕が怯んだその隙に僕の腕から逃れ、一目散にのベッドへと駆け上がった。 『あー、まったく。色々気分最悪なんだけど。体もふしぶし痛いし。 よくもやりやがったな、この野郎』 それはデジャブ。 を守るように立ちはだかる猫に、僕はもしまたに開心術を使えば、先ほどの二の舞になることを知った。 あくまでもの傍にいようとするこれは、おそらくは死ぬまで僕に向かってくるに違いない。 そして、僕にこれを殺すことはできないのである。 嗚呼、まったく。なんて茶番。 「……ちっ」 『だから舌打ちしたいのはこっちだって言ってんだろ、マールヴォロ。 ボウロみたいな名前しやがって。この僕を足蹴にするとか何様のつもりだ。 そんなひっかき傷程度じゃ少しもこっちは気が収まらないんだけど。 こんな幼気な猫に失神呪文使うとか、万が一にもないけどうっかり死んだらどうしてくれるんだ、ド阿呆がっ!』 と、猫はにゃごにゃごとどうやら未だに杖を向ける僕に抗議をしているらしく、 やたら喧しく鳴き続けていた。 まぁ、一度殺されるような目に合っているのだから当然だろう。 ……そういえば、この猫はと話ができるのだったか? だとすれば、まずい。 折角品行方正な優等生を演じているというのに、に僕に対する悪評を吹き込まれてしまう。 ならば、ここは忘却呪文か? 猫にそんなものを使うことに若干の虚しさを感じるが、背に腹は変えられない。 僕は慎重に狙いをつけ…… 「オブリビ――「だぁ!もう、さっきからドンパチうるさーい!! 今何時だと思ってんだ、あたしを寝不足にして殺す気か!!」 「ぶっ」 「ぎゃふ!」 顔面に枕の一撃を受けた。 「…………」 『…………』 生まれて初めての衝撃に、とっさに動くことができない。 見れば、猫も振り回された枕が当たったのか、ベッドの下にべしゃっと潰れて落ちている。 「…………って、あれ?リドル??」 そんな中、きょとん、と目を丸くしているの呑気な声が響くのだった。 「あははは。ごめんごめん。ちょっと寝ぼけちゃって」 「…………」 『…………』 「……え、えーと、うん。本当にごめんね?」 猫と共に、それは白けた視線を向ける。 するとはバツが悪いのか、ぽりぽりと頬をかいていた。 『体を張ってリドルの魔手から守ってあげてたのにこの仕打ち。ありえない』 「だからごめんって!」 「……いや、夜中に煩くしていた僕たちにも非はあるから」 『は?悪いのは全面的にお前――もごっ』 一瞬、素になって批難の視線を送ってしまったが、 一応優等生の仮面を取り繕ってに話しかける。 もちろん、その際不利なことを言いそうな猫の口をしっかり塞ぐことも忘れない。 と、その若干不自然な態度に、はようやく僕を直視し、ぎょっと目を見開いた。 「っていうか、リドル怪我してるじゃん!」 「え?」 いまいち彼女の言う言葉の意味が分からず、珍しく呆けたような表情になる。 怪我、ああ、そういえばさっきこの馬鹿猫に引っかかれて……。 と、僕が自分の頬に手を当てようとすると、気づけば顔を青くしたががしっと僕の腕を掴んだ。 「いやいや、なんで触ろうとするかな!?触ったら痛いでしょうが!」 「え、いや、別にそこまで痛くは……」 「痛いよ!っていうか見てるこっちが痛いよ!来い。ハナハッカのエキス!」 「!!!」 そして、は魔法で自身の枕元から小瓶を呼び寄せた。 ハナハッカのエキスは確かに、このように引き裂かれた傷の修復には最適だ。 がしかし、僕が驚いたのは、彼女がまともに魔法を扱ったというその一点である。 どうも授業の実技で困っていないらしい彼女に違和感はあったのだが。 こうして、実際に目の前で魔法を使われると、その印象は増すばかりだった。 こんな魔力で、まともな魔法など使えるはずがないのに。 彼女の手には、しっかりと飛んできた小瓶が収まる……。 まるで、ちぐはぐ。 彼女の態度と、彼女の言葉のように。 と、僕がそんなことを思考しているとは夢にも思わないであろうは、 眉を八の字にしながら、べっちょりと僕の頬にエキスを塗りたくる。 「うわーうわー。スティア、マジなにしてんの? こんな綺麗な顔傷つけるとか、神に対する冒涜だよ、ちょっと」 『……君、見た目が良ければそんなんでも良いの?』 「それはそれ、これはこれだよ。美しさは正義だよ」 『よし、分かった。なら僕は絶対的な正義だね?』 「猫のくせしてなにを言う」 『いや、だから僕猫じゃないってば』 「…………」 …………。 ……………………。 なんだろう、彼女の不自然さを勘ぐる僕が馬鹿らしく思えるくらい、 なんだか阿呆な会話をしている気がしてならないんだが。 というか、日記で接するのと、実際の彼女は随分と印象が違う。 前はそれどころではなかったので気づかなかったが……。 と、僕がまじまじと見つめていると、不意にと目が合う。 「ん?」 「……ありがとう、は優しいね」 仕方がないので、条件反射のように、にっこりと笑顔で礼を言った。 我ながら良い笑顔だったと思うが、はそれを見て頬を染めるどころか、 心の底から不思議そうに顔をしかめる。 納得のいかないことを目の当たりにしてしまったかのように。 そして、彼女はその表情のまま、困ったようにこう言った。 「あのさ……」 「うん?なんだい?」 「疲れない?それ」 がしかし、問われる意味が分からない。 『それ』とは……なんだ? 「?」 「……なんでもない」 と、僕がその問いの意味を訊き返す前に、はさっと口を噤んだ。 「さて、じゃあ、紅茶でも飲んで寝ようか!」 『寝る前にカフェイン摂取するとか、おかしくない?』 「大丈夫、あたしの眠気に勝るものなんてないから」 『うん、身に染みて知ってる』 その後、僕が幾ら問い返しても、彼女がその話題を口にすることはなく。 ただ、頬に、ジンとした痛みだけが響いていた。 前はこんなことなかったのに。 ......to be continued
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