情報さえあれば、対抗しうると思っていた。 Phantom Magician、85 真白の空間で一度ゆっくりと目を閉じる。 そして、次の瞬間視界を覆った闇に、ふっと息を吐き出した。 「…………」 月明かりがあるといっても、今までいた空間とは比較にならないその暗さは、 しかし、僕にとって心地の良いもので。 どこまでも、都合の良いものだった。 自分の部屋とは配置も雰囲気もまるで違う、赤を基調とした部屋の中心で、まずは耳をそばだてる。 しんとした静寂の中、響くのは部屋の主――の規則正しい寝息だけだった。 それもそのはず、時刻はすでに深夜の3時を回っている。 日記によれば、今日は箒で飛び回ったとのことなので、滅多なことでは目を覚まさないに違いない。 正直、彼女の魔力で大した飛行ができるワケがないのだけれど、ね。 飛べないと思っていたのに飛べた!と彼女が大はしゃぎしていたのは、記憶に新しい。 支離滅裂に、空を飛んだ感想を書き連ねられたのは、つい先日のことだ。 そしてその時、彼女を持ち上げつつ、情報収集をしようとした僕の目論見はすっかり失敗した。 思い出すだけで忌々しいほどの大失敗である。 “――箒で飛ぶっていうのは本当に気持ち良いね! 特にあの思い通りの方向に思い通りのスピードでいける、あの感じが凄く良いよ!!” “そう、良かったね。箒から見る景色は素晴らしいだろう? 良いね、僕も久しぶりに飛んで見てみたいよ。きっと、僕がいた頃とは色々変わってしまっているのだろうね” “うん、本当に綺麗だったよ!” いや、そこは、変わってないよ、とか。 リドルのいた頃のホグワーツはどんな感じだったの?だろう。 “あ、でも……リーマスと乗った時のが綺麗だったけれど” “?誰だい??” “え、あ、ごめんなさい。気にしないで!” “くす。ひょっとして、恋人とか?” “違う違う!えっと、その……保護者、かな” “保護者、お父さんかな?のお父さんならきっと素晴らしい人だろうね。一体どんなことを……――” “先生なんだよ!凄く格好良くて頭も良いしなにより優しくてね? でも甘いものが好きとかちょっと子どもっぽいところもあってそこが可愛いっていうか。 心配性だからなにかあるとすぐ飛んできてくれるし。 あ、でも一番素敵なところは黒いところでね? 儚げなのに笑顔で人を圧倒させるとかもう素敵すぎるよね。 あと実はお茶目なところもあって、前なんかねロンを――” “…………” ……そこまで聞いてないないけど!? その後も僕が反応を返さないのにも気づかず、延々家族自慢をする。 え、なんかスイッチ入ったのか? これが俗に言う……ファザコン? っていうか黒いところが素敵ってなんだ!? “そ、そうなんだ。は本当にお父さんが好きなんだね。 きっとに似て、見た目も格好良いんだろうね” “似てないけれど。格好良いよ!というか可愛いよ! 特にくしゃって笑った時とかが最高で向かう所敵なしっていうか――“そう!うんそうだろうね!分かるよ! でも、学校にも格好良い人はいるんじゃないのかな? ホラ、目につく生徒とか、先輩とか、いっそゴーストみたいな存在でもいるんじゃない?” “え?いないよ?” “……え” “リーマスより格好良い人がこの世界にいるはずないでしょう” “…………” ダメだ、この女。 僕は、とうとう話を聞き出すことを諦めた。 どうにかあの金髪の化け物の情報を得られないかと思って、踏み込んだところまで水を向けてみたのだが。 その後も、保護者とやらの自慢話(それも抽象的すぎてよく分からない)しか彼女は話さなかった。 は僕の話を全く聞こうとしなかったのだ。 一から十まで。本っっっ気で、あの女、自分の言いたいことだけ話して寝やがった。 ……いや、本来の日記はそういうものだ。 自分の内心を、日常をただただ書き殴るだけの代物である。 だから、彼女のその行動はおかしくないといえば、おかしくないのかもしれない。 彼女を取り込もうとする僕からすれば、心をさらけ出すその行為は、好都合は好都合なのかもしれない。 でも、おかしいだろう!? この僕が!ほかならぬこの僕が日記の中に存在していることを、知っているというのに! 逢ったことのある人間を、なんでああも空気扱いできるんだ!? 言葉自体は柔らかく語彙の多さからも理知的に思えるというのに、 僕をまるでないものであるかのように振る舞う、あの無神経さとのギャップは一体何なんだ! 「…………っ」 思い出していたら、なんだか苛々してきた。 間違いなく、本人には見せることのできないご面相になっているに違いない。 まぁ、いまだに寝ている彼女がこの表情を見ることなど、ないのだが。 妙な悔しさのようなものを覚え、波打つ感情を落ち着かせるために、静かに深呼吸をする。 これから行おうとしていることを考えれば、少しでも冷静さを失うのはまずい。 僕はできるだけ音を立てないように気を付けながら、彼女のベッドに近づく。 そして、僕たちを隔てるカーテンを取り去れば、そこには小さく体を丸めて眠るがいた。 あどけないというよりは、頼りなく。 微笑ましいというよりは、滑稽に。 何も知らないがいる。 「さあ、今度こそ教えてもらおうか」 全てを。 最初は、ただ話して聞き出すのも良いかと思った。 けれど、予想外に手に入れた魔力は、僕にもう一つの選択肢を与えたのだ。 機嫌を取って?話を聞いて?少しずつ心を開く? そんなことをしなくても、ただその頭の中を覗いてしまえば良い。 そうすれば、彼女が何を好むのかも、この時代の情勢も。 全てが全て、手に取るように理解できる。 くだらない家族自慢なんてもう聞く必要はない。 魔力の消費を考慮に入れても、それをすることは魅力的だった。 だから、その無防備な額に杖を突きつける。 そこには、背徳感などというくだらない感傷は、ない。 「開心」 まず脳裏に浮かんだのは、なんの変哲もないリビングだった。 自分はテーブルに腰掛けていて、膝の上には猫が。 視界には、に雰囲気や顔立ちがどこかしら似た人間達が各々活動しているのが見える。 間違いなく彼女の家族だろう。 ということは、ここはの家、か? 見たこともない機械や調度が並び、ここが異国であることをまざまざと僕に知らせてくる。 そこに、彼女が自慢し続けてきた父親らしき影はない。 と、は家族を見るともなしに見て、そして、どこかほの温かい気持ちで緩やかに過ごしている。 自分では感じたことのない感覚に僅かな戸惑いと不快感を覚えていると、 そこに、甲高い電子音が鳴り響いた。 ピンポーン 「はーい!」 その音に、僕――は軽い足取りで部屋を出て行く。 向かう先には、玄関と思しき扉があり、そこを開けると、複数の人間が立っていた。 一瞬、外の眩しさに目がついていかない。 「いらっしゃい」 が、そんなことはお構いなしに、自然、頬が緩む。 そして、笑顔を向けられた側も嬉しげに表情を綻ばせた。 「「「おじゃまします」」」 暢気そうに笑う男と、人の良さそうな女、そしてその背後に。 「!」 自分がいた。 背丈も、顔立ちも、対峙する全てが全て同じで。 まるで、そこに鏡があるかのような。 「馬鹿な……」 けれど、その表情だけが決定的に違っていた。 自分では決して浮かべることのない穏やかで、柔らかく、どこまでも包み込むような笑み。 それだけで、その笑顔を向ける人間への愛情を感じられるような、絶対のそれ。 「一体、これは、どういう……?」 思わず声を漏らすと、記憶の中の自分もどきが、こちらを見た。 交わる視線。 そして、 「女の子の記憶を探るなんて、悪趣味だと思うな」 自分もどきは途端に邪悪極まりない微笑みを浮かべた。 「!」 その言葉に、慌てて意識を現在の自分へと向ける。 温かな玄関は視界から消え去り、僕は闇の中に戻ってくる。 と、視線の先、の枕元で、 にゃーお 金色の双眸が煌めいていた。 『まったく、夢枕に立つってのは、思った以上に気分が悪いね。 っていうか、の記憶に乱入したからか?ああ、もう嫌だなぁ。 この気分どうしてくれるの?責任取れないだろ』 甘えるような声ではなく、まるで忠告をしているかのように太い声で猫は再度鳴いた。 「……ちっ。またお前か」 『それ、僕の台詞なんだけど?』 魔法界の猫は一般的にマグルが飼うそれとは違う。 寿命が長く、人語を解し、特殊な能力を持つものも多い。 どうやら、僕の開心術を邪魔してのけたのは、目の前のこれのようだった。 この前と良い、どうやら僕がに対して持つ悪意を敏感に感じ取っているらしい。 僕は忌々しげにそれを睨みつけると、猫に杖を突きつけた。 「どけ」 『あはは、言うと思った』 短い声で命令するが、猫はどかず、それどころか体中の毛を逆立ててこちらを威嚇した。 『だが、断る』 そして、猫は一瞬体を風船のように膨らませたかと思うと、 シャッと目にも止まらぬ早さで僕の杖を弾いた。 「ちっ!この馬鹿猫が!!」 咄嗟に飛びつき、 「縛れ!」 間髪入れずに縄を放つ。 がしかし、猫はに魔法が当たるのを危惧したのか、すでにそこにはいなかった。 魔法の縄は猫を追いかけ、ぐるりと部屋の中を横断する。 と、猫はそれから逃れようと僕の足下をかけずり回った。 無駄なことをする、とせせら笑いたい気分に駆られたが、 「ハッ!」 そこで、僕はその猫の狙いにすんでで気づいた。 このままでは、足を縄に取られるっ! 「〜〜〜っ魔法よ終われ!」 『チッ……気づかれたか』 自分自身の魔法にやられるなど、滑稽に過ぎる。 即座に魔法を消すと、猫はまるで人間のように鋭い舌打ちを漏らした。 ……今のをわざと狙ったのだとしたら、この猫は頭の良さと裏腹に、性格は悪い。 と、今度は直接魔法を当てようと視線を巡らせる前に、 ざわり、と。 背後に嫌な気配を感じた。 「麻痺せよ!」 いつの間にか、猫は僕の背中を取っていた。 振り向きざまに攻撃するが、小憎らしいほどに当たらない。 そして、猫はまるでゴム鞠のように部屋の中を縦横無尽に跳ね回り、 僕の腕に、顔に、体に、かすめるような攻撃をしてくる。 油断なく構えているおかげか、いまだにまともに当たったものはないが、 このまま消耗戦となれば、その内醜い引っ掻き傷ができてしまいそうだ。 『はぁ、ちょこまかと鬱陶しいなぁ。さっさと日記に戻ってくんない? いい加減僕寝たいんだけど。こんなことに本気出すの馬鹿らしいし。 疲れた。飽きた。面倒臭い』 と、そのことを猫も感じているのだろう、 その動きはまるで鼠をいたぶるそれのように、徐々に緩急が付きだした。 そのことに、いい加減僕の苛つきはピークに達する。 と、僕は杖で狙うと見せかけ、 「畜生の分際で……調子に乗るなっ!」 「ぎゃっ!」 猫が横をすれ違おうとした際に足を振り上げた。 まさか僕が魔法でなく肉弾戦を行うなどとは思わなかったのだろう、猫は呻き声を上げつつ、床へと転がる。 がしかし、手応えが軽い。 どうやったかは知らないが、あまりダメージは与えられていないだろう。ならば、 「麻痺せよ」 「っ!」 間違いなくこのままでは起き上がってくるだろうと判断し、とどめの魔法を浴びせる。 すると、猫は電撃に打たれたようにビクリと体を跳ねさせ、そのままぐったりと動かなくなった。 「……フン。手こずらせてくれたな」 所詮はただの猫だ。 この僕に刃向かうなど、愚か極まりない。 さて、これで邪魔者もいなくなったことなので、僕はなんの気兼ねもなくに再度開心術を使おうとして。 「いーけないんだ、いけないんだ♪」 「!!!!」 振り向いた先に、金糸の輝きを見た。 「……出たな、化け物っ」 ニヤニヤと、滑稽な劇でも観ていたかのように笑うその表情に、怖気が走る。 一体、いつから観られていた!? 気配はなかった。 音もなく、前触れもなく、一体、どうやって? そもそも、どうしてここに……。 がしかし、それらの疑問に目の前の人外がそうそう答えてくれるはずもないので、 できうる限りの殺気を込めて睨み付ける。 男は、それをまるで意にもかえさず、小首を傾げてみせた。 「化け物とは酷い言い草だな」 「煩い。それよりも何の用だ」 「何の用?何の用、何の用、ね。……分からないのかい?」 「化け物の考えることなど、分かるはずがないだろう」 「くす。違うね。分からないんじゃない。考えようとしていないだけさ。 一体今、自分が何をしてしまったのかを」 「なに?」 相変わらずの勿体ぶった物言い。 が、今回、奴は珍しく僕の疑問にさっさと回答する。 考えうる限り、僕にとって最悪の答えを。 「何の用か?その質問に対する答えはシンプルだ。 君を、燃やしに来たんだよ」 男がそう言った瞬間、その場に凄まじいまでの火柱が立ち上った。 一瞬にして、空気が焼ける。 目の前を真紅が支配する。 天井にまで届くかというほど伸び上がった炎は、まるで蛇のように、男の顔を照らし出した。 「!!!!」 「残念。ゲームオーバーだ」 世界を馬鹿にしているような笑顔の中で、漆黒の瞳だけが、暗く淀んでいた。 まるで、喜びなど一度として感じたことがないように。 ふざけた口調とは裏腹に、その瞳は決して機嫌よく笑ってなど、いなかった。 その瞳を見た瞬間、口の中がからからに干上がる。 「な、なにを……っ」 舌が、うまく回らない。 『燃やす』?この僕を『燃やす』と、そう言ったのか? 年内は僕の動向を見ているはずじゃあ、なかったのか? 誰かを、殺さない限り、まだ手は出されない、はずじゃあ…… 「ま、さかっ」 と、停止しそうになる思考の中で、僕はあることに気づく。 そして、彷徨う視線はある一点に釘付けになった。 ぐったりと、まるで死んでいるかのように動かない、黒猫に。 「そう、そのまさかだよ。トム=リドル。 言っただろう?『誰かを殺したら、僕が君を殺す』と」 情報を得る前に来られたのは、単純な判断ミス。 ......to be continued
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