チル散ル満チル、9
名前を問われて、子どもはぼんやりと悟空を見た。
そんな言葉をかけられたのは初めて、とでも言いそうな、それは不思議そうな表情だった。
だが、答えてもらえないと、悟空としても非常に困る。
何しろ、子どもの生い立ちなどは聞いたが、その名前に関しては完全に抹消されてしまっていたのだ。
これでは、これからこの子を何と呼べば良いのか全く分からない。
一応、この子どもは立ち位置的に自分達の替え玉に当たる。
もし自分達に何かがあれば即座にその穴を埋める、予備人員だ。
何しろ、何があるか分からないような職業(?)なので、基本は後釜が控えているものなのである。
がしかし、今の今まで自分たちにはそれがいなかったので、丁度良いとばかりに子どもを据えてしまったのだ。
(ちなみに、子どもの前任者には道元という青年がいたのだが、
彼は四人一組に入れなかったことに性格がねじ曲がって色々やらかしたので、自分達が処理した)
それを?まさかニイのように『うさぎちゃん』?
絶対に呼べない。気色悪くて。
「なぁ!名前!」
「…………」
仕方がなしにもう一度問う。
がしかし、子どもはやはり答えない。
それどころか、先ほどから八戒の名前を呼ぶことしかしていなかった。
ひょっとして自分はこの子どもに認識されていないんじゃ……、と悟空が余計な心配をしだしたところで、
八戒は困り出した彼に助け船を出した。
「彼は貴方と仲良くなりたいんですよ。名前を教えてあげてくれませんか?」
「なまえ……」
「はい。ちなみに、僕は八戒で、彼が悟空。あっちの髪の紅い人が悟浄で、目の前の不機嫌そうな人が三蔵です」
一人ひとり、分かりやすいように指さしながらの説明だった。
それを何度か行うと、子どもは承知したようで、八戒に合わせて彼らを指さす。
「はっかい」
「はい」
「ごくー?」
「はい」
「ごじょ」
「ええ」
「さんぞ?」
「そうです。じゃあ、貴方は?」
八戒は子どもを指さす。
子どもは、そこでぱちぱちと瞬きをし、次の瞬間には眉を寄せた。
名前は、あった。
けれど、それはとうの昔に呼ばれなくなって。
正直な話、自分のことなのに忘れてしまった。
だから、問われて初めて、どう答えれば良いか困ってしまったのだ。
今まではそんなこと、訊かれなかったから気付かなかったけれど。
仕方がなしに、子どもは今まで自分が呼ばれていた言葉を口の端にのせた。
「rabbit……」
「却下だ」
が、それに対する反応はにべもない。
八戒も、即行で子どもの言葉を遮る三蔵に苦笑しつつも、その言葉を否定はしなかった。
だが、却下されてしまった子どもとしては、どうすれば良いのか分からない。
どうしたものか、とぼんやりと周囲を囲む人間を見回す。
ちなみに、子どもの中には、今のところ彼らに飛びかかっていくという選択肢は存在していない。
飛びかかっていっても返り討ちにされることは分かり切っているし、
何より彼らは自分が何かしなければ、こうして会話が成り立つ貴重な相手なのだ。
勝手に手が動くのでもない限り、子どもには彼らを害す気は皆無である。
まぁ、もっとも。
実を言えば、今までもほとんど全ての人間を害すつもりなどなかったのだけれど。
黙りこんでしまった子どもに、今まで成り行きを見守っていた悟浄が口を開く。
「ソイツ、ひょっとして名前なんてねぇんじゃねぇの?」
「何言ってんだよ、悟浄。ねぇわけねぇじゃん」
「つっても本名は抹消されてんだろ?んで、ニイのところにずっといたワケだ。
秘密兵器だなんて呼ばれてるくらいだから、コードネームもねぇだろうし?
別になくたっておかしくねぇだろーよ」
「な?」と、少しだけ鬱屈とした様子で子どもに同意を求める。
意味ははっきり分からなくとも、そのニュアンスを感じ取った子どもは、とりあえずこっくりと頷いておいた。
すると、それを見ていた悟空が大げさなくらい目を丸くして子どもを見る。
「えー!」
おかしな表情、などと子どもが思っている前で、悟空は急に慌てだす。
が、テンションはうなぎ昇りだった。
「じゃあ、コイツの名前決めるところからじゃん!」
「え?」
戸惑う子どもなどそっちのけで、悟空は「うわー、どんなのが良いんだろ」と悩みだす。
その様子を見ていた大人組は、ペットじゃないんだが、と思ったとか思わないとか。
嗚呼、だが、悟空の中ではペットも子どももあまり変わりがないのかもしれない。
そして、悟空が「目が青いからセイ?いや、それよりも……」などと呟いていることに危機感が募る。
妙な名前を付けることは看過できても、結局それを呼ぶのは自分たちもである。
幾らなんでも、犬猫につけるように安易に名前なんてつけられない。
ので、
「よし!じゃあ、やっぱりセ……」
と正に安直な名前を発表しようとしていた悟空を悟浄が取り押さえ、八戒がその口を塞いだ。
「んーんんんんー!?」
「はいはい、ちょーっと小猿ちゃんは黙ってましょうねぇ〜」
「すぐ済みますからねー」
「んんんんんー!!」
そして、全てはリーダーに任せて、二人はだんまりを決め込んだ。
その意図があまりに明らかなため、仕方がなしに三蔵も目の前の子どもを見つめる。
すぐに浮かんだ名前はあった。
が、若干単純な気がしなくもない。
安直だなんだと後で言われるのは面倒だ。
とはいえ、先ほどのセイよりはマシだろうと思い直し、その名を告げる。
「」
「……?」
「だ」
いっそ冷たいとも言えるほどそっけない態度だった。
だが、子どもは特にそれに対して不満を表すことなく、告げられた名前を口の中で転がす。
簡潔だが、良い響きだ。
覚えやすいし、なにより……。
「ああ、それは良いですね。よく似合ってます」
そう、それは子どもに誂えた名前だったから。
「でもよー、いくらなんでもピッタリすぎねぇ?
もうちょい考えてやったらどうなんだよ?」
「んーっ!ぼはっ!そうだよ!それだったらセイの方が……」
「「それはない」」
「えぇーっ!?」
騒ぎ出す男たちを尻目に、子どもはぶつぶつと自身の名前を呟く。
「、、……」
それにどのような意味が込められているか、子どもは知らない。
けれど、どうやらその名前が気に入ったようで、やがて、自分を指さしつつ「?」と三蔵に問いかけた。
それを横目で確認した三蔵は、「ああ」と肯定してやった。
「、今日からそれがお前の名だ」
その言葉に、ほんのり。
ほんのりと子どもは目元を弛める。
そのことに、4人は気づけど口を開くことはなかった。
......to be continued