手を差し伸べてしまったのは、ただの気まぐれ。
Butterfly Effect、3
「
やめて下さい。放して――っ!」
オレがその少女を見つけたのは、ごくごく偶然のなせる技という奴だった。
闇払いとしての仕事中、視界の隅で。
恐怖に引きつる声の主が、必死に暴れているのが、目に入ったのだ。
「
やめて下さい。放して――っ!」
「お嬢ちゃん。迷子なんだろう?」
「そうだそうだ。そうに違いない」
「おいで。こっちだよ。こっちにくれば安全だ。お嬢ちゃんの行きたい場所に行けるよ」
「
違います!迷子なんかじゃっ!」
「嗚呼、言葉が分からないんだねぇ。なんて好都合な」
「
うそっ!?だって、普通に……!?」
「おいで」
「おいで」
「おいで」
「
嫌だ――っ!!」
少女のむき出しの肌に、枯れた腕が幾重にも絡みつく。
それは、
夜の闇横丁でよく見られる光景。
迷い込んだ子どもを、マグルを、引きずりこもうとする、彼らの日常。
「……チッ」
網を張っていた場所で繰り広げられるその場面に、思わず舌打ちが漏れる。
本来なら仕事中の身だ。
こんな面倒事に関わっている余裕はない。
けれど。
「オレの連れに何か用か」
「「「!?」」」
それでも、怯える少女の腕を自分に引き寄せてしまった自分がいた。
理由なら、幾らでも考え付く。
人として。
闇払いとして。
勇猛果敢で知られるグリフィンドール生として。
こんな状況を捨て置くのは、心情的にどうかと思う、とか、まぁ、色々。
けれど、一番の理由は。
「
誰……?」
茫然と自分を見上げてくる少女が、東洋系のマグルだったからに、他ならない。
そう、『彼女』と同じ、東洋の。
十年近く行方不明になっていたかと思えば、つい先だって、ひょっこりと年齢詐称までして戻ってきやがった『彼女』。
いつだって何でもかんでも分かったような顔をして、破天荒なことばかりやらかして。
色々なことを引っかき回すだけ引っかき回して、最終的には世界まで救った、変な仲間。
姿を消した理由は知らない。
追及しても、のらりくらりとかわされてしまったから。
そんな、オレにとってもある意味特別な女である『彼女』
――=の同郷人かもしれない少女を、放っておけなかったというのが真実だ。
「ちょいと、そのお嬢さんがアンタの連れだとかいう保証はあるのかい?」
「っ!」
少女を自身のローブの中にすっぽり匿って、さっさとこの場をあとにしようとしたオレに、
しかし、意地汚い
夜の闇横丁の住人はなおも追いすがる。
さっさと実力差に慄いて逃げだせば良いものを。
よっぽど、上玉の獲物を横取りされたくないとみえる。
がしかし、オレはそのババァに獰猛な笑みをひらめかせ、震える少女を抱く腕に力を込めた。
「……オイ、動くなよ」
「
え?」
そして、事情のよく分かっていない少女の細い顎を捉え、噛みつくようにキスをした。
「
――――っ!」
――ビシ
もちろん、視線は
夜の闇横丁の連中に向けたままだ。
そして、牽制の意味も込めて、杖を突きつけることも忘れない。
少女は、驚愕に目を見開いていたが、まだ飲み込めていないのか抵抗らしい抵抗をせずに、されるがままになっていた。
まぁ、いきなり舌が侵入してきたことに驚いて、がっちりオレの舌に噛みついてきやがったが。
いきなり広がった血の味に、思わず一瞬だけ顔を顰める。
……っつ、この女。
噛みちぎる気か。
非難の眼差しを少女に向けるが、少女はオレを見ているようで、まるで見ていなかった。
ただ、自分を襲う理不尽に絶望したような。
ただ、見えない何かに懸命に願うような。
そんな、茫洋とした瞳。
涙さえ浮かぶ少女に、自分が極悪人になったような気さえした。
「っ」
仕方なしに、舌は引っ込めて、深く口づけているフリだけを続ける。
どうして自分がこんな面倒なことをしなくちゃならないのか、と不満もあったが、もう乗りかかった船だ。
手っ取り早く連中に関係性を主張するには、これが一番だというのを経験上知っている。
諦めて、口づけたまま十数秒が経過した時だろうか。
「
――――」
――ビシ ビシ ビシ ガッシャーンッ
「!」
「「「ひっ」」」
オレと、
夜の闇横丁の連中の間に、ガラスの破片が無数に降り注いだ。
流石のオレもその光景には目を見張り、少女の頭をローブの中に引っ込める。
とっさに上を見上げてみると、どうやら隣りの建物の二階にはまっていた窓ガラスが盛大に割れたらしい。
まぁ、よくよく見てみれば、この周囲の建物の窓ガラスにはことごとく罅が入っていた。
何かの拍子にそれが割れたとしても、不思議ではないだろう。
がしかし、こんなに
タイミングよく割れてくれたものを利用しない手はない。
オレは驚きを瞬時に引っ込めて、不敵な笑みを浮かべた。
「野暮なことは訊くなよ、バァさん。でないと、次はアンタの頭が割れるが?」
「あ、ああ……悪かったね」
怪我をさせられた八つ当たりも込めて睨みつけると、それでようやく連中も怖気づいたらしい。
名残惜しげに、恨めしげにこっちを見ているが、足早に歩きだしたオレたちを追いかけてまではこなかった。
そして、オレはそのまま、路地を縫うようにダイアゴン横丁を目指して進んだ。
少女は、さっきまでのやり取りで憔悴してしまったらしく、力ない足取りでついてきていた。
まぁ、オレがしっかり腕を掴んでいるのだから、逃げようもないだろうが。
色を失くした顔の中で、赤く染まった唇がやけに鮮やかだった。
ルージュのようなそれはなんのことはない、オレの鮮血だ。
「…………」
もう良い頃だろうか、とオレはダイアゴン横丁に入る寸前に、自身のローブをひっぺがし、
見るからに寒々しい少女に押し付けた。
「着ろ」
「…………」
彼女は億劫そうにこちらを見上げると、もたもたと非常に歯痒い動作でローブに袖を通した。
通常よりも肉の薄い、十代半ばの、それも東洋人の少女が着るには、オレのローブはいささか以上大きかったが、
さっきまでの格好でいるよりはマシだろう。
少女は、肌が覆われたことで安心したのか、ほんのすこしだけ表情を緩めた。
「
ありがとう、ございます」
「……チッ」
「っ」
少女は未だ青ざめた顔をこちらに向けて、何事か呟いた。
おそらくは礼の言葉だろうが、オレにはあいにくそれが何語なのかすら分からなかった。
基本的に、東洋の人間をここ
夜の闇横丁はもとよりダイアゴン横丁でも見かけることはほぼない。
いても精々がハーフやクオーターといったところだ。
それも、数としてはかなり稀少だ。
そんな東洋の人間が、何の伝手もなしに、こんなところをこんな無防備にふらふらしているはずがない。
ならば、考えられるのはみっつ。
ひとつは、そのまま、自身が魔法使い・魔女であること。
(が、少女の服装、雰囲気、その他の様子からその可能性はない)
ふたつめは、稀少な東洋の魔法使いが知り合いにいるがはぐれた。
(その割には、格好があまりにも軽装すぎるので、これもないだろう)
みっつめは、マグルがうっかり迷い込んだ、だ。
オレとしてはこの可能性が一番高いと思っている。
なぜなら、少女の服装はおよそ真冬の外出に向いているとはとても言えなかったからだ。
上は肩から先がむき出しのキャミソールで、下はハーフパンツ。
足元などは素足だ。
今は隠してやったが、その露出の多さといったら、目のやり場に困る。
が、基本的に東洋の人間は肌の露出を嫌う傾向にあったはずだ。
となると、さっきの格好はせいぜいが部屋着といったところだろう。
「まず服屋だな……」
マグルが迷い込んだ時は、役所に連れて行くのが基本だ。
がしかし、そうなるとこのままオレのローブを着て、ということになる。
それは非常に困るし、迷惑だ。仕事中にローブがないのは流石に辛い。
と、なれば、少女にはとにかくなんでも良いから服を与える必要がある。
役所に行けばあるのかもしれないが、なかった時が困る。
ので、オレはさっさと行きつけの店で服を買い与えて、役所に連れて行くのが最善だと判断した。
(服代?そんなものは経費ででも落とせるし、
いざとなったら自腹でも大した金額じゃない。俺はなにしろ高給取りだ)
幸いにも、ここから服屋は徒歩で行っても大した距離じゃない。
本当なら姿現わしをするのが手っ取り早いのだが、言葉を通じない少女をこれ以上混乱させるのは避けた方が賢明だろう。
と、さっそく向かおうと少女の腕を掴もうとすると、
「…………!」
少女は探るような眼差しでオレの手から逃れた。
……まぁ、当然といえば当然の反応か。
夜の闇横丁の連中から助けたとはいえ、オレはこの少女にとっては同じく得体の知れない男だ。
おまけに無理矢理キスまでしてきたのだから、心証としては良くないに決まっている。
がしかし、だ。
せっかく仕事の時間を割いてまで親切にしてやっているというのに、
こんな態度を取られて鷹揚に構えていられる程、オレは気が長くなかった。
苛々と少女を睨みつけ、通じないとは知りつつも思わず悪態が飛び出る。
「いい加減にしろ!いつまでもこんなところにそんな格好でいて、また絡まれたいのか!
偶々オレが通りかかったから良かったようなものの、
そうじゃなかったらお前なんて今頃生爪剥がされて売られてたんだぞ。
東洋人なんて珍しいからな。さぞ高値で物好きの金持ちに売れただろうよ」
「っ!!」
がしかし、少女はその言葉に、弾かれたように肩を震わせ、ただでさえ色のなかった顔を蒼白に染め上げた。
未だ倒れずにいることが不思議なくらいの顔色だ。
と、オレは少女が自分の言葉にきちんとした反応をすることに対して、ここで初めて気付いた。
しゃべることは、どうもできないようだが……。
「……なんだ。お前ひょっとしてオレが何を言っているか分かるのか?」
ヒアリングは無理でも、リスニングならある程度できる。
まぁ、珍しいと言えば珍しいが、そういう奴がいないワケではない。
そして案の定、少女はその言葉にコクン、と一度だけ頷いた。
「……まったくコミュニケーションがとれないってことはないワケか」
コクン。
「見たところ、東洋人だな。
中国人か?」
ふるふる。
「なら、
日本人か?」
コクン。
難しい文法や単語はなるべく使わないようにしながら、会話を試みる。
すると、少女はオレの質問に迷いなく仕草で応えていった。
日本人、ということはやはり、彼女と同郷人か。
つまり彼女がいれば話は早いのだが、こういう肝心な時に限っていないのがという女だ。
奴は今、帰郷しているとかなんとかで、イギリスにはいない。はずだ。
(この間、久しぶりに戻ってきたくせに、リーマスが怖いから一旦地元に帰るつもりだとかなんとか言っていた)
もうしばらくすれば戻ってくるだろうが、現状頼ることは難しい。
まったく、役に立たない奴だ。
が、いないものはどうしようもないので、オレは仕方がなしに、少女に質問をし続ける。
と、しかしそこで、少女は奇妙なことを言い出した。
「お前はここがどこだか分かっているか?」
コクン。
「……なに?」
いや、言い出したというと語弊があるか。
どう見てもマグルが不意に迷い込んだようにしか見えないというのに、彼女は自分のいる場所が分かると応えたのだ。
ここがダイアゴン横丁だということが分かっているならば、少女はマグルではない。
……いや、もしくは魔法使いの身内がいる、のか?
それならば、分からなくもないし、役所に行く手間がはぶけるが……。
いや、それでもこんな格好で?という疑問が残る。
試しに連れがいるのかと問えば、頷きがひとつ返ってきた。
が、なら、あの格好はなんだと問えば、沈黙が返ってくる。
……ワケが分からない。
が、考え込むのも時間の無駄に思えてきたので、
オレは当初の計画通り、少女をさっさと着替えさせて役所に連れて行くことにした。
迷い込んだマグルだろうが、はぐれたマグルだろうが、どうにかするのはオレの仕事じゃない。
闇払いの仕事は、あくまでも保護ではなく取締りなのだから。
+ + +
この時、オレは気づいていなかった。
目の前の彼女が、オレの行動によって受けた衝撃も、
その衝撃によって、タガを外してしまったことも、なにも。
気づくのはごく一部。
この後、世界が震えるほどの魔力の放出を感知できた、ごく僅かな魔法使いだけ。
そして、ダイアゴン横丁に残されるその痕跡が、
ホグワーツを事件に巻き込んでいくのを、誰も止めることはできないのだった。
気まぐれが、この後自分を変えるだなんて、思わなかった。
......to be continued