私は、凪いだ波が、風が、好きなのに。
Butterfly Effect、2
私
―― にとって、 という人間は大切な友人だ。
彼女はよく「自分なんかと友達でいてくれてありがとう」などと言うが、それは私の方こそ言いたい台詞である。
私は私という存在を、よく知っている。
気の利いたことも言えなければ、優しくもない己を、己のつまらなさを、知っている。
もちろん、最低最悪の人間だとは思っていない。
そこそこ根暗で、どこにでもいる類の人間だ。
ごちゃごちゃ考えてばかりの頭でっかち。
それが、私。
でも、だからこそ、そこまで深く関わって楽しい人間ではない。
いつも思っている。
何故、彼女は、彼は自分の友達としていてくれるのだろう、と。
話が合うから?
長年の付き合いだから?
まぁ、劇的に決裂する何かがないだけかもしれないけれど。
それでも、私たちはかれこれ人生の半数近くを友人として過ごしている。
きっかけは、なんだっただろうか。
どうしてだか私たちはよく話すようになって。
どうしてだか一緒にサイトを作るくらいの仲になっていた。
ここまで長く、ここまで深く色々話したのは、間違いなく彼女くらいのものだろう。
そして、彼女にしてもあそこまで開けっぴろげに自分の妄想やら何やらを話せるのは、私くらいのものじゃないだろうか。
まぁ、流石に私も延々知らない話をされたらうんざりするとは思うのだが。
何故だろう、 という人物に対してうんざりしただとか、苛々しただとか、そういう覚えはとんとない。
彼女が自分に気を使ってくれているという線もあるが、どうだろう。
他の人間であれば、一緒に話をしている最中に携帯を弄りだされたらムッとする。
でも、彼女であれば、特に気にすることもない。
親友の彼などは「単にはに甘いだけだ」というかもしれないが。
私にとって、彼女はそういう存在だ。
普段だと許容できないようなことでも許容できる、そんな人なのである。
それは、信頼という感情なのだと思う。
他の人はどうだか知らないけれど、私にとって『信じるに値する人』というのは、
『信じた結果、裏切られても恨まないでいられる人』に他ならない。
だから、彼女が自分に対して何か手酷いことをしても、
「彼女には彼女の理由があったんだ」と納得することだろう。
もちろん、傷つかないなんてことはないが。
哀しくて、辛くて、多分泣きたくもなるが。
それでも、多分恨むことはないんじゃないかと思う。
+ + + +
凍える手足を擦って、走馬灯のように思い出すのは、いつかの自分が思ったこと。
そして、それは間違っていなかった。
今の自分のどこを探してみても、さんに対する怒りや恨みは見当たらなかった。
今は、だけれど。
これ以上、この酷い状態が続かなければ、だけれど。
でも、今の私はこう思う。
『 は と友達であることを後悔などしていない』と。
きっと離れる機会は幾らでもあった。
疎遠になるきっかけだって幾らでもあった。
でも、それでも彼女と一緒にいて心地よいと思い、友人であり続けたのは、私の意思だ。
ハリーポッターの世界に誘われて、その手をとったのは、私なのだ。
「
――ってことがあってさぁ。本当、笑っちゃうよねぇ」
彼女は酷く酷く楽しげに、異世界を語った。
話を聞いている人がいれば、異世界トリップ物の小説の話だと思ったであろうそれは、
しかし、彼女にとっては実体験だ。
ハリーポッターの世界に赴いて、なんと大好きなルーピン先生のために世界を救ったという壮大な物語。
あらすじは、彼女を異世界に送り込んだもう一人の友人に聞いていたが、それでも彼は当事者ではない。
だから、温度を伴ったさんの話を聞くのは本当に楽しくて。
きっと、彼女のことだから、私に言っていない色々な場面でも、
面白可笑しい日常を繰り広げたことだろう。
それを想像するのは、酷く楽しいことだった。
しかも、その色々なことのあった場所に、これから案内してくれるというのだから、
それで胸を躍らせるな、という方が無茶だと思う。
そう、彼女は私を、自身が赴いて救った『ハリーポッター』の世界に連れて行ってくれると言った。
彼女自身にそんな力はないけれど、彼女を助けてくれる素敵な黒猫が、案内してくれるのだ、と。
もちろん、懸念材料はある。
他ならぬサラザール=スリザリンだとか劇的な告白をしてきた男から、
はっきりと「足手まといだ」と私は宣告されているのだから。
まぁ、確かに、魔法の使える危ない連中がその辺に隠れているというのだから、
魔法の使えない人間なんて、足手まとい以外の何者でもないとは思う。
でも、さんの「2、3日なら大丈夫」という言葉もまた、その通りだと思ってしまったのだ。
サラは案外私に対して過保護なので、敢えて厳しい言葉で突き放した可能性もある。
が、向こうに行ってさえしまえば、一瞬渋い表情をされたとしても、
大方の場合は開き直って、あちこちエスコートしてくれるだろう、という目算もあった。
それになにより。
私は魔法も見たかったし、魔法界のあれこれ不思議なところも見たかった。
あちらの人達と、おしゃべりがしたかったのだ。
「えーと、ジェームズとシリウスとリリーとは友達で?」
「うんうん。ついでにその息子のメチャかわハリーとも友達だよ!」
「スネイプ先生は友達で先生?」
「そう。からかうと面白いんだ、これが!でも陰険教授になって残念」
「ハーマイオニーとロンは?」
「ハーマイオニーはもちろん友達!」
「うん、ロンは?」
「ハーマイオニーはもちろん友達!」
「…………」
どうやら、彼女は想像通り、ロンとは仲が良くないようだった。
さんの性格と好みを考えると……。
(もちろん、皆、原作通りの性格という前提はあるけれど)
この分では、ハグリッドだとか、フィルチだとか、その辺りの存在は脳から抹消していそうである。
伊達に長年親友をしていないので、私は全力で誤魔化そうとする場の空気をそっと読み、
とりあえず、思いつくままにハリーポッターに登場するキャラクターを列挙する。
「じゃあ、双子は?結構好きだったよね」
「あー……なんかよく分かんないけど、悪戯に巻き込まれたことがあってね。
自分から行くんなら良いけど、巻き添えは面倒だなーって思った」
「へぇ、そうなんだー」
とりあえず、その世界に行く前に、
主要な人物について、彼女とどういう風につき合ってきたのかを聞き取ることにしたのだ。
なにしろ、滞在期間が短い予定だったので、誰と逢わせて貰えるかは分からなかったから。
意外だったのは、彼女がレギュラスやクィレルなどの、
原作であまり出てこない人達とも仲が良かった、ということだろうか。
ちなみに、彼女曰く、レギュラスは正統派の貴族様で、クィレルは曲者の秀才、といったところらしい。
「サラ並みの美形がごろごろいるから!楽しみにしてて良いよ!!」
「へぇ。サラ並みは凄いねぇ」
と、さんの言葉に、思わず感心の声が漏れた。
なにしろ、そこらの芸能人が裸足で逃げ出すくらい、サラは整った造作をしている。
そのサラ並みだと、面食いのさんが太鼓判を押すのなら、期待できるだろう。
(もっとも、サラを見慣れてしまっている自分は、美醜に対しての関心がかなり薄いのだが)
がしかし、自分としてはかなり声を弾ませたつもりが、
さんにはそれでは物足りなかったらしく、その後、私は美形の素晴らしさを力強く語られることとなった。
いや、それよりも個人的にはルーピン先生との馴れ初め話の方がよっぽど聞きたかったのだけれど。
気恥ずかしいのか、それともなにか差し障りでもあるのか、
さんは頑なに、ルーピン先生とラブラブになった後のエピソードばかりを披露するのだった。
私は、この時、少しばかり浮かれていたのかもしれない。
何故なら、直前まで、彼女が心底憔悴した姿を見ていたものだから。
見たこともないくらいボロボロで。
弱っていて。
でも、そんな彼女に自分はなにもしてあげられなくて。
正直、どうしたら良いのか、分からなかった自分。
自分がここまで気の利いたことの言えない人間だったなどと、知りたくもなかったのに。
でも。
その彼女が僅かな時間で立ち直り、幸せそうに声を弾ませているのだ。
安心したし、嬉しくもなるでしょう?
異世界に行けるかどうかは、いまいち信じ切れていなかったけれど。
それを補って余りあるくらい、彼女との会話は楽しかったのだ。
だから。
「え」
最初は、よく分からなかった。
自分が、宙に投げ出された、だなんて。
さんが先に眠りに落ちて。
次に、自分もいつの間にか寝てしまったらしく、
彼女の話通りの異世界に繋がる真っ白な空間に出た時は、嬉しくて。
でも、彼女と目が合った瞬間。
急に内臓が浮く感覚と共に、体は下に引っ張られた。
がくん、と足を踏み外した感じがなかったことが、唯一の救いだ。
そんなものは知覚した瞬間に、血の気を全て奪ってしまっただろうから。
嗚呼、けど、寧ろその方が良かったのかな。
そうすれば、自分が落ちていくのが分かった瞬間に、気を失えたかもしれない。
仮定の話に、意味なんてないけれど。
ひたすらに気持ちの悪い感覚と共に、親友の姿が遠ざかる。
そこに、見慣れた銀色と、見慣れぬ金色が加わって。
ああ、あれが噂の案内人君かな、なんて、妙に冷えた頭が考えた。
そして。
「っっっつ」
どさっと。
ブランコから飛び出して、着地に失敗したかのような衝撃が、体に走る。
慌てて体を起こし、次いで感じたのは、果てしない冷気。
「さむ……っ」
私は、気づけば何処かも分からない路地裏に立っていた。
空は曇天で、今にも雪が降りだしそうな濁った色をしている。
言われなくても、今が冬であることを、私は理解した。
「……暗い」
だが、それを差し引いても、辺りが酷く重苦しい雰囲気であることに、
私の中で危険アラームが点灯する。
ハリポタ世界(仮)で薄暗い不吉な路地裏??
そんなもの、嫌な予感しかしないじゃないか。
慌てて、眼鏡を探しては見たものの、
寝る前に顔から外していたせいか、それとも落ちてくる間にどこかに行ってしまったのか、
はたまた暗くてよく分からないのか、周囲にそれらしい物体は見当たらなかった。
何故か、
いつもよりは視界がクリアだが、
それでも、私は近眼なのだ。
そのせいで何かにぶつかる、ということはないし、大方の人は判別できるが、
眼鏡もコンタクトもない状態で過ごす、だなんてしばらく前からしていない。
見知らぬ場所で、感覚の8割を占める視界が不良。
しかも、独り。
とどめに、キャミソールに短パンで、素足である。冬に。
私はゾクリ、と背中に走った悪寒に、
今すぐ即、この場をあとにすべきだと判断した。
あるかないか分からない物を探して、こんなところに長時間いるよりも、
少しでも治安の良さそうで明るい場所に行くべきである。
心の底から安全な場所を求め、行くべき方向を決める。
こういう時、幸いなことに私の勘は百発百中だ。
昔から、こういう選択問題で外れを引くことはあまりない。特に真剣な時は。
ぱっと周囲を見て、私は目の前に続く道を行くことにした。
がしかし。
ほんの少ししか歩いていないというのに、
行く手に、見るからに怪しそうなローブの人物を見つけ、
選択を間違えたかと、頬が引きつる。
自動的にモザイク処理をされているかのような視界のため、
直視せずにすんだのだが、その手にあるお盆に乗っている枯れ木の枝みたいなものから、
どうしても嫌な気配ばかりがした。
枝というか……あれ、指じゃない?
が、足早に通り過ぎる、または、引き返すということは、結局出来なかった。
後ろから微かに足音が聞こえてきていたし、
そのローブの人物は私が走り出す前に、瞬間移動でもしてきたかのような素早さで詰め寄ってきたからだ。
「おやまぁ。お嬢さん、どうしなすったね?」
声からすると老婆のようだが、機敏な動きと手を掴む力が、尋常ではない。
「いえ、なんでもありません」
下手に刺激すると危険だと思い、とりあえず冷静に、相手の手を払う。
言葉が通じるのは幸いだった。
相手は日本人ではなさそうなのだが、滑らかな日本語だ。
「ちょっとした罰ゲームでこんな格好をしているだけなんですよ」
まぁ、格好が格好だけに、声をかけるのは常識的な判断かもしれない。
そうも思ったので、とりあえず、弁解だけはしておく。
どこでいじめに遭ってるんだコイツは!?となりかねないので、
もちろん、表情は余裕の笑みだ。苦笑でも可。
これで引き下がってくれるなら、単なる親切なお婆さん、で済むのだが。
「…………?」
当然、そう世の中甘くはない。
十中八九違うだろうな、という予想通り、そのお婆さんは私の言葉なんて聞こえていないかのように、
「寒そうだねぇ。困っているんだねぇ」とぶつぶつ呟き、にんまりと笑った。
や ば い
体中の毛が逆立つ感覚がし、私は体裁もなにもなく走り出したくなった。
がしかし、気が付けば老婆以外にも何人も、ローブを目深に被った人物が周囲を固め始めていて。
運動の苦手な自分では、ただその間をすり抜けるということは無理だと悟る。
そして、一度払われた手を、今度こそ逃がさないようにと私の両腕に伸ばし、
老婆は「私たちが助けてあげようねぇ」と猫なで声を出した。
「やめて下さい。放して
――っ!」
食い込む指が。
その笑みが。
声が。
こわい。
私は冷静さなんて、役に立たない物は放り出し、
老婆を引きはがそうと腕に力を籠める。
一瞬の隙を作るだけで良い。
そうすれば、一目散に逃げてやるっ!
そう決意したものの、結果は芳しい物ではなく。
彼らは私を宥めようと。誑かそうと。拐かそうと。
集団で私に手を伸ばす。
拒絶の言葉は通じず。
「嫌だ
――っ!!」
いよいよ恐怖心が破裂しそうになった、その時だった。
「オレの連れに何か用か」
まるで、傘立てから傘を取り出すかのような無造作さで。
そんなこと日常茶飯事だとでも言うかのような自然さで。
私を、そこから引きずりだしてくれた、人がいた。
凍える体が、すっぽりと、温かな布で覆われ、
私は、やはり自分の選択は間違っていなかったことを知る。
頼りがいのある声で。
体で。
私を魔の手から救い出してくれた人が、そこにいた。
ただし、その代償は、決して安くはなかったのだけれど。
「オイ、動くなよ」
「え?」
その獣のように猛々しい人に、
展開についていけていなかった私は。
凍り付いた唇を、噛みつかれた。
心に嵐が吹き荒れる。
......to be continued