誰でも、思い出すときは多少の憧憬を持つものだ。
Phantom Magician、134
「
――悪戯完了っと!」
乙女の敵に対して怒れる正義の鉄槌を下し。
今頃、医務室で唸っているであろう眼鏡男から強奪した地図に杖を当てると、
ぽんっと、それはとても軽い音を立てて、ただの羊皮紙の切れっ端に化ける。
そのことに満足し、あたしはそっとポケットにそれを忍ばせた。
そして、散々寝っ転がっていたせいで残る、微妙な肩の気だるさを伸ばそうとして、
「いぐっ……〜〜〜〜〜〜」
左腕を襲う鈍い痛みにあたしは呻き声を上げた。
思わず腕で押さえて、また、呻いて。
真新しい包帯がその存在を主張しているそこに、恨みがましい視線は留まるところを知らない。
もう、ひたすら痛いというその現実に、運命だとか神だとかそういうものに対する殺意さえ湧いてくる。
あれだけの怪我だったのだ。
目覚めたら全部元通りでした、だなんてことはないらしい。
「けど、流石に、こんな大怪我は史上初かも……」
こうして歩く振動でさえ、偶に傷に響く。
石の廊下で痛みに悶える美少女(少年?)が一人。
どこの漫画だ、今畜生。
はぁ、と溜め息を吐くのにも、ぴりっと傷口に電撃が走るような心地がした。
あっちこっちに痛がゆいような感覚が疼いていることから、
体中、擦り傷、切り傷、打撲のオンパレードに違いない。
っていうか、その腕を撫でた手のひらも包帯まみれだった。
ああ、そういえば、ガラスで切ってたなぁ、なんて我ながら呑気に思う。
と、同時に、先ほどまでの友人達の大げさな態度になるほどと、そこで得心がいった。
こんなズタボロだったら、セブセブもジェームズも情けない表情するよねぇ。
「…………」
…………。
……………………。
っていうか、ズタボロにも程があるんじゃね?
花の乙女が3日も風呂に入らないで、血塗れの服の着た切り雀だし!
思い当たった恐ろしい考えに、バッと頭に手をやる。
思い出すのは数ヶ月前の、魔法薬学大好き少年である。
シャンプーが泡立たないという、それはそれはヒロインとしてあるまじき事態を危惧しての行動だった。
がしかし、
「……あれ?」
えっと、うん、と、丸3日寝込んでた割には、べたつかないな。
ついでとばかりに恐る恐る体の匂いも嗅いでみて……爽やかな石けんの香りに驚いた。
……ここってハートの国だったっけ?
いやぁ、知らなかったよ。穴に落っこちたワケでもないのにいつの間に来てたんだろう?
ってことは城は城でもここはハートの城だな?
うんうん、そっかぁ。ホグワーツ城に似てると思ってたけど気のせいだったんだね☆
って。
んなわけあるかぁああぁぁぁあぁい!
(※ ツッコミ役不在という久しぶりの状況のため、テンション高めになっています。ご了承下さい)
勝手に服やらなにやらがきれいになるなんてゲームの中だけに決まってんだろ、馬鹿野郎!
え、でも。
ってことは、誰か寝てるあたしの頭洗ってたの!?
マダムだったら良いけど、っていうか、普通はマダムだと思うけど!
そうじゃなかったら、軽く恥ずかし死にできるんですけど!?
いや、植物状態の方に対してだったら分からなくもないけど、短期の入院でそこまでしてくれるの?
普通、濡れタオルで拭くレベルじゃねぇ!?
っていうか、流石に幾らあたしでも、頭洗われたり体拭かれたりしたら気がつくと思うんだけど!
しかも、頭洗って体も綺麗にしたくせに、またこのボロボロになったローブ着せるとか意味分かんねぇよ!
リーマスの爪跡ばっちりだよ!そこまでしたのなら着替えさせろよ!
え、それとも、ヒロインはどんなに薄汚れてても良い匂いであれ!っていう編集の陰謀?
「って、編集って誰やねんっ!?目の前連れてこいよ!菓子折持ってご挨拶するわ!」
「……あの」
混乱のあまり、ワケ分かんない事を口走っていたその時、
視界の端を緑と銀のタイがかすめた。
「!」
すわ、どこぞのトカゲ男か!?と条件反射のように身構えたあたしだったが、
そこにいたのは、艶やかな黒髪の人物で……、
「え、あ、レギュ……?」
「先輩。とりあえず、授業中に雄叫びは如何なものかと」
「!!!!」
心持ち引いたその表情に、心が折れるかと思った。
「ぎぃやああぁぁぁぁぁああぁー!や、あの、違う、違うの、これはっ!」
「新手の健康法ですか?」
「そうそう、大声出すのってストレス発散になるらしいし……って違ぇよ!」
寧ろ、必死になって食い下がることによって、レギュのドン引き度が急上昇中なことにも気づかず、
あたしはあわあわと言い訳しようとしたり、頭を抱えたりと忙しい。
って、はっ!あたし、よりにもよってレギュラスにノリツッコミを!!?
うぉ!寝起きの変なテンションのせいだ!もしくはさっきまで相手にしてた変態のせいだ!!
くっそ、ジェームズの分際であたしとレギュの仲を裂こうだなんてっ!
あたしの数少ない癒しスポットが!貴重な白属性が!!
このせいでぎくしゃくしたら……アイツマジ許すまじ☆
と、あたしが密か(?)に拳を握ったところで、
「……くす」
小さく小さく、吹き出すような、声がした。
「へ?」
「くすくすくす。その様子なら、怪我の方は大丈夫みたいですね」
「……ごふっ!」
天使キター!
やべぇ、百万ドルの笑顔だ。スマイル0円とかマジ比較ならねぇ神キタコレ。
「げぇっっほ、ガハゴホッ!!」
「……先輩?」
「ご、ごめっ。ちょっ、……唾が、唾がね!上手く飲み込めなくて!」
あまりの天使っぷりに、思わず奇声を上げそうになって咽せ混んだとはまさか言えない。
ので、不審者宜しく、あたしは必死になって適当な言い訳を咳と共に吐き出した。
(しかし、何故あたしはレギュラスにいつもいつも咳き込まされてるんだ?)
もちろん、妙な後ろめたさのためにその目はバタフライかってくらいに泳ぎまくっている。
純粋そうな瞳でこっちをワンコちゃんのごとく見てくる後輩の視線に堪えられなかった先輩。
ええ、あたしのことですが、それがなにか!?
心の中では絶叫しつつも、それをレギュラスにぶつけるわけにはいかないので、
あたしはどうにかこうにか話題を逸らそうと声を絞り出す。
「あ、あの、レギュラスこそ、授業大丈夫なの?今。授業中でしょ??」
「ああ。僕は今空き時間ですから」
サラッとそう言って手にしていた分厚い本を持ち上げるレギュ。
あー、図書館行ってたんだわね。納得。
そして、図書室で眼鏡なレギュとか最高じゃね?とか妄想の翼が羽ばたきそうになったあたしだったが、
レギュラスはそのことに全く気づくことなく、酷く自然な動作で頭を垂れていた。
それが、あまりに滑らかだったために、対処が遅れる。
「愚兄が、大変失礼しました」
「うぇっ!?」
「なんとお詫びを言って良いのか……」
そして、悔恨に充ち満ちたレギュの言葉に、一気に血の気が下りた。
「あ、あ、あ、兄がどうしたって……?」
『怪我の方は大丈夫みたいですね』って言葉からすると、
あたしの怪我はスリザリンの下級生にまで轟く程のニュースだったらしい。
が、それは百歩譲って良いとしても、え、そのニュースってどっからどこまで、伝わってるんだ?
仕入れた情報からすると、揃いも揃って結構な怪我だったらしいので、そりゃあ噂にくらいなるだろう。
でも、一体なにが原因かってことは……どうなってる?
シリウスが操られて、起こった事件。
そこまで伝わってて……、
リーマスの秘密は、どうなった?
栄養の巡っていない体は、辿り着いた想像に一気に震えだし、悲鳴を上げる。
いや、でもリーマスはまだ学校にいて。
ああ、でも、部屋に引きこもってるってことで。
それなら。
出て行く間際ってことも。
ありえなく、ない?
「〜〜〜〜〜〜〜」
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっっ
そんなことになるくらいなら。
いっそ、いっそ。
ホ グ ワ ー ツ 中 の 人 の 記 憶 を 消 し て で も ……!
こみ上げたのは、衝動。
あたしは、目の前の彼が頭を下げているのを良いことに、その形良い頭目掛けて杖を突きつけ、
「まさか、先輩に喧嘩をふっかけて、返り討ちになるなんて。
我が兄ながら情けのない……」
魔法を仕掛ける直前で、思考を停止した。
「……は?」
「昔から短気ではありましたが、挑発した挙げ句に先輩に怪我まで負わせて。
なにが原因かは知りませんが、どうせ、また兄がなにか言うかやるかしたのでしょう?
本当に、先輩やミネコさんには申し開きのしようもありません」
「…………」
…………。
……………………。
すみません、それどこ情報?
よっぽどそう言ってやりたかったが、とりあえず。
頭を下げ続けるレギュラスが頭上の杖に気づかない内に、そっとそれを引っ込める。
予想外のその話の成り行きになんとも言えず、
あたしは頬をかきながら、うーんと体の痛みも忘れて首を捻った。
が、まぁ、思考するよりも訊いた方が遙かに早いと思い直し、ごほんと咳払いを一つ。
「レギュラスは、さ?」
「はい?」
「今回のこと、なんて聞いてるの……?」
「?兄が談話室で先輩を挑発して殴られた挙げ句、
それを仲裁しようとしたポッター先輩を押し退けて禁断の森まで追い込み、
決闘でお互いを攻撃し合って倒れたところでポッター先輩に助けられた、のでは??」
「…………」
後に、世間にそんなデマを流しまくったのは、完全良いとこ取りの眼鏡男だったと判明した。
この時点ですでに予想ついてたが。
ちなみに、件のジェームズ君は、現在医務室で身動きの取れない状態での放置プレイである。
なにしろ、病み上がり(?)のあたしがベッドにいないとなれば医務室の主が黙ってるはずもなく。
これからラフメイカーの如く突撃訪問をかけようというあたしには身代わりが必要だったワケで。
適当に目くらましの魔法をかけて、猿ぐつわを噛ました奴をベッドにくくりつけてきたのだった。
あたしが戻らなければトイレもいけない状態な上、万が一バレた時には共犯扱い確定なのだが、
まぁ、プライベート空間を覗いてやがった相手に対して寛大な処置と言えよう。
「……普通だったら、逆さづりパンツさらしの刑だよね、うん」
「?」
ぼそり、と漏らした物騒な呟きは幸いにしてレギュラスには聞こえなかったらしかった。
今にも首を傾げそうな彼になんでもない、と応え、
今回の件の世間的な扱いも分かったところで、あたしは先を急ぐことにする。
さっき場所を確認した『彼』が移動してしまっては、移動距離が伸びて体力的にもきついのだ。
がしかし、あたしもミネコも詫びなんてしなくて大丈夫というあたしの言葉に、
レギュラスは全然納得がいっていないらしく、彼にしては珍しく困ったように眉根を寄せた。
「しかし……」
「しかしも案山子もないの!あのねぇ、レギュが謝るのって筋違いなんだよ?
駄目だよ、あの傲慢兄貴の謝る機会取っちゃ!」
「兄の謝る機会、ですか?」
「そう!兄が弟のこと謝るのはまだ監督責任とかであるかもしれないけど、逆はおかしいから!
っていうか、兄が謝ることも個人的にはおかしいと思うけど!
こういう当人同士で終わる話はそこで終わらせるべきなの。
親だの何だの第三者が出てくるとこじれるの。おわかり?」
「……はぁ」
どうやら、自分達のことに親が関わるべきでない、という話は大貴族の彼にはピンとこないらしく、
レギュラスの表情は晴れなかった。
ので、もうこうなったら仕方がない。
ここは伝家の宝刀を抜かせて頂こう。
「大丈夫。ちゃんとミネコにはレギュラスには一切の非がないって伝えとくから!」
「それなら良いです(きぱっ)」
自分で言っておきながら、あまりの効果に目が遠くなる。
「…………」
ラブなのかライクなのかはいまいち分からないが、
レギュラスはあたしが思っている以上にミネコのことを気に入っているらしかった。
……顔以外は似てない兄弟だと思ってたけど、実はそんなこともないのかもしれない。
レギュラス、意外と単純。
まぁ、兄より断然可愛げがあるから良いや。
と、あたしは思考を放棄して、今度こそ、レギュにさよならを告げようとした。
がしかし、そこでふと思い直し、杖で空中に文字を書き出す。
「ねぇねぇ、レギュラス君や。これってなんて読むか分かる?」
踊ったのは、幾つかのアルファベット。
「?どこかの地名かなにかですか??」
「んー、まぁ、そんなとこ?」
「自信はありませんが、おそらく
――」
地名ではないのだが、はっきり言及しないあたしに、
レギュラスはあっさりと素晴らしいクイーンズイングリッシュでその言葉を発音してみせてくれた。
「
――でしょうか?ちなみに、似た単語なら僕も知っていますよ。
celestialという奴です」
「へぇ。セレスチャル?どういう意味?」
「『天上の』、もしくは『神の』という意味です」
「……そっか」
思い出したのは、『彼』に助けられた時のこと。
あの時の意味不明な言葉が、今頃その意味を成した。
レギュラスの言葉に、思った以上の収穫を得て、あたしは目的地へ向けて今度こそ足を踏み出した。
足音もあまりしないくらいゆっくりと。
しかし、確実にあたしは天上ではなく、地上へ向けて、石造りの廊下を進む。
本当は、真っ先に行きたかったのは天高いグリフィンドール寮なのだと思う。
自分のことなのになんだか曖昧な表現になって申し訳ないが、しかし、確信はないのだから仕方がない。
あたしがリーマスを部屋から引っ張り出すキーパーソンなのだろう。
ジェームズは明に暗に、自分達の部屋へ向かってくれ、と言っていた。
正直、この前までまともな会話すらできなかった自分にどれだけの影響力があるか甚だ疑問なのだが、
あたしに怪我をさせたということで、彼がどん底まで落ち込んでいるのであれば。
そりゃあ、元気な姿を見せるというのが礼儀というものである。
「狼にもならなかったし、ねぇ」
途中、乱入者が現れたために、あたしは彼に咬まれることなく、ここにいる。
だから、リーマスが気に病むほどのことなんて、なにもないのだ。
それが、幸運なのか、それとも残念なのか、いまいち分からないけれど。
「薄情、だな。あたし」
あれほど、皆が心配してくれていたのに。
幸運だと。
人狼にならなくて良かった、と言い切れない自分は最低だ。
でも。
「分かりたかった、だけなんだよ」
人は、自分にない物は理解できない。
例えば、箒で空を飛んだことのない人間に、その爽快さが理解できないように。
例えば、箒から真っ逆さまに落下したことのない人間に、その恐怖が理解できないように。
人狼でない自分には、リーマスの苦しみが、結局のところ分からないのだ。
できてもせいぜいが想像だけ。
そして、想像ごときでは、リアルと比べられるはずもない。
きっと、あたしは今後もその不理解によって、リーマスを苦しめることになるのだろう。
だから、あの時、あたしは抵抗を止めた。
後先考えない行動だったのではなく。
後先を考えたからこその、行動だった。
――それは裏切りだ!!
不意に、あたしの思考を非難する声が聞こえた気がした。
「うん。そうだね……」
その声なき声に、あたしはそっと答える。
その通りだ、と。
あたしは裏切り者で。
薄情者で。
我が儘で。
残念ながら立派なヒロインって奴ではない。
十人に訊けば、十人が頷いてくれることだろう。
平々凡々どころか、若干マイナス寄りなんじゃないかと、自分では自分をそう思う。
それなのに。
「
なんで、君はあたしを護ってくれるんだろうね」
あたしは、しばらく歩いて辿り着いた、目映いほどに光に満ちた中庭を見て。
噴水の縁であたしを待つ人を見て。
確信はないまでも、そこに確かに満ちた覚悟に従うことにした。
心の中で、名前を呼ぶ。
すると、彼は膝の上の黒猫に向けていた目を上げた。
その綺麗な瞳が芝生を、あたしの足を、体を、表情を映す。
「やぁ」
そして、眩しい物でも見るように。
漆黒の瞳が細まって、ふわりと緩んだ。
後悔も憎しみも恨みも、愛情さえも、全てが込められた笑顔だった。
「遅いお目覚めだね、。
そろそろ来るんじゃないかとは思っていたけれど」
いつも何匹かいるはずの猫は、姿を隠し。
不思議な静寂の満ちるそこに、金色の髪を翻した青年は存在していた。
「……おそよう」
で、その爽やかな挨拶に対してあたしが言えたのは、こんな緊迫感に欠けた言葉だった。
本当は、彼の顔を見た瞬間平静でいられるかが、なによりも心配だったのだが。
何故だろう、穏やかに笑う彼を見た瞬間に、なんだか気が抜けてしまった。
自分を鼓舞するために阿呆なことを叫んでいたというのに、その緊迫感はすでに過去の物になっていた。
残念ながら、あの夜から丸三日が経った、なんて言われても、あたしの記憶だと数時間前のことなのだ。
彼が取り乱したのも、血塗れになったのも。
感覚的にはついさっきとなんら変わらない。
「…………」
自然、あたしの視線は彼を観察するようなそれになっていた。
噴水の縁に座る彼は、見たところ凄まじい怪我をしているようには見えない。
いたって優雅に空き時間に休憩をしていました、な感じである。
暖かな日差しも相まって、一枚の絵画かなにかのように座っている姿さえ素晴らしく様になっていた。
がしかし、彼はなにしろ、彼なのだ。
例えあたし以上に身体中が痛くても、それを悟らせるような様子は見せないだろう……。
そして、彼は実際その通りで、ごくごく当たり前の会話をするように首を傾げる。
「よく僕がここにいるって分かったね?」
「忍びの地図でちょっとね」
隠したところで、心が読める彼にはまるで意味がないので、
ポケットの上からそれを叩きつつ、あっさりと白状する。
と、彼はそれが示す事実にちょっと苦笑を漏らしてみせた。
「なるほど、ね……」
「お互い、おとぼけはもう無理ってことかな」と、珍しくもおどけたように言う彼に、
嗚呼、自分はもう引き返せない場所にいる、と今更ながらに悟った。
今もあたしの心の天秤は揺れに揺れていた。
でも、それでも。
行かなければいけなかったのは、ここだった。
そう、彼をその名前で呼ぶことは、一つの終わりを示している。
でも、ここまで知ってしまったら、止まることはできない。
推理小説で犯人を知ってしまったら、確認しないではいられないのと同じように。
「まずは、この間も言ったけど、ごめん。それから、助けてくれてありがとう」
「それが君の用件?」
「理由としては半分、かな。
よくよく考えたらあたし、今までお礼ほとんど言ってないなと思って」
「別にお礼が欲しくてやっていたことじゃないからね」
「でも、大事なことだよ」
「…………」
「大事なことだ」、と。
あたしはなによりも自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
彼が、誰であってもなくても。
彼がしてくれたことは、本当だ。
たとえ、そこに、どんな思惑があったとしても。
と、不穏なその内心に、青年の黒い瞳が細まった。
そして、彼は明瞭な声で「酷いな」と呟く。
「君は僕を信じていないんだね、」
穏やかな表情とは裏腹に、寂しそうな、声だった。
本当に寂しそうな、声だった。
きっと、リドルならこんな声、下手な演技だと鼻で笑うのだろうけれど。
リドルではないその人は、あくまでも柔らかな笑みを口に称えて、言った。
「僕が君を利用している、とでも言うのかな?」
「言わないよ、そんなこと」
言うとするならば、それはお前だろう?
心の中で、問いかける。
いつだって、目を閉じれば思い浮かべられるシルエットに。
問いかけずには、いられなかった。
「でも、正直な話、どうしてあんな風にあたしを助けてくれるのか、あたしには分からない」
「…………」
思えば、初めて逢った時から、この人はあたしの味方だった。
嫌そうな表情をされたこともある。
面と向かって嫌いだと、言われたことだってある。
それなのに、目の前の彼はいつだってそんなあたしを護って。
まるで宝物を見るような優しい瞳を向けてくれるのだ。
「どうして?」
「…………」
「どうして、あたしの為に色々やってくれるの?」
――ねぇ、スティア?
「それとも、セレスティア=スリザリンって呼んだ方が良いのかな」
ざぁっ
と、城全体を震わせるような大風が、あたしと目の前の彼の髪を巻き上げた。
もう戻れない、あの場所に。
......to be continued