八百長試合もありだと思う。
Phantom Magician、84
「じゃあ、用意は良いわね?」
すっとリリーが視線を走らせれば、僕たちは無言で唇の端を持ち上げ、それに応えた。
対峙する二人の間を、ひとすじの風が馳せる。
周囲の喧騒がまるで嘘のように、ここだけが酷く静かだ。
それは、心地よい緊張感で。
まっすぐ僕に注がれる不敵な眼差しに、嗚呼、やっぱり、と思う。
「後悔しても知らないよ?」
「僕が後悔?冗談だろう?」
やっぱり、君は面白い!
午前中の一件もそうだけれど、の行動は本当に奇想天外で。面白くて。
まぁ、多少気に食わない点もなくはないけれど、それでもやっぱり、僕は彼ともっと普通に話してみたいと思っていた。
がしかし、色々画策してみたものの、正直、あんまりうまくいかなくてどうしようかって所だったんだよね。
だから、選考会にが来ているのを見つけた時に、良い機会だと思った。
もし彼がクィディッチで選手になって、寮に貢献したら?
流石のシリウスでも、もう馬鹿みたいに手を出せなくなる。
それに、愛寮心に熱い彼のこと、グリフィンドールのために頑張るをいつまでも嫌ってはいられないに違いない。
……まぁ、もっとも、肝心のが頑なに拒否したもんだから、その企みは欠片も実現しなかったんだけど。
正直、ここまでシリウスと関係が悪化しちゃってる彼と僕が仲良くするには、
シリウスとのコンビ解消か、もしくはシリウスが関係ないところで仲良くなるしかないと思うんだよ。
で、僕はシリウスともとも仲良くしたいワケだからコンビ解消なんてありえない。
となると、シリウス抜きで、しかも彼が納得する方法で距離を縮めるしかないワケだ。
(納得のいかない形だと、僕にまで難癖つけてきそうだからね!)
で、次に考えたのが、例の賭け。
僕がこの勝負で負けたなら、なにかしらの協力って形で、
シリウスもリーマスも関係なしに、彼と仲良くすることができる。
そう、だから、彼がリーマスとの間を応援してほしいと言うのなら、応援するし。
闇の帝王のスパイだというのなら、
協力するフリをして彼をこちら側にひきずり戻す。
……ぶっちゃけ、後者はないと思うけどね。の性格上。
まさか、この僕がわざと箒での勝負に負けるだなんて、誰も思いもしないだろう?
僕だって、自分で考えておきながら、
実はわざとでも負けるってことに対してちょっっっと思うところがないでもないし。
でも。
「僕はなにがあっても後悔なんてしないって断言できるよ」
「……はぁ。
なんでそんなに僕の箒の腕を信じちゃうかなぁ。絶対後悔すると思うけど」
一瞬、心配そうに眉根を寄せたお人よしな彼と仲良くしたいって気持ちが、今は一番強いんだよね。
「本当
――」
勝負する相手に向ける視線じゃないよ、それ。
僕は知っている。
悪戯をやり返してきた後、一瞬、不安そうに顔を曇らせていることを。
僕たちをざっと一瞥して、大きな怪我がないか確かめていることを。
不敵な笑みで、ほっとした表情を隠していることも。
シリウスに言ったら「馬鹿にしてる!」とか怒りそうだから言わないだけで、僕は分かっているんだよ?。
だからさ。
もういい加減にしようよ。
「決着を、つけようか」
「……その薄ら笑いマジむかつく」
リリーは最後の念押し、とばかりに僕を睨みつけながらルールを確認した。
制限時間は五分。
まずはじめに、が飛び立ち、その十秒後、僕が彼を追いかける。
勝敗はごくごくシンプルだ。
逃げ切るか、捕まえるか。
魔法を使うのも有りだけど、直接攻撃するような類のものは一切禁止。
まぁ、飛んでる最中に魔法使うより、箒に集中した方が断然早いから、
精々、眼鏡とかに風よけをする程度かな。
本当は、追いかける方が有利だから、彼に譲ろうとしたのだが、
「そこまでハンデもらっても勝った気しないだろ」ということで、彼が逃げる側になった。
「っていうか、そうじゃないとまず勝負にならないし……」
「……へぇ?余裕だね」
本当は少し食い下がろうと思ったんだけど、
流石にここまで言われちゃあ、ねぇ?
……段々、わざとでもなんでも負けるのが嫌になってきちゃうんだけど?
と、いい加減温厚な僕でもカチンと来たことに気づいたらしく、は慌てて「いや、そうじゃなくてっ」と、
取り繕うようなことを言ったが、いまいち意味が分からない上に不明瞭な呟きだったので無視することにした。
「ところで、そろそろ始めても良いかい?ギャラリーが待ちくたびれてしまうよ」
「……いいわ。、準備は良いわね?」
「へ?え、あ、うん」
リリーがの手を握って「頑張って!」とエールを送る。
…………。
……………………。
…………やっぱり、負けるの止めようかな。
仲良くなる機会は他で作れば良いしー、なんて僕が人知れず初志をひるがえそうとしていると、
そんな僕にはまるで気づかないようで、リリーはさっと空へ向けて杖を構えた。
「それでは
――はじめ!」
バーン!と大きな音を立てて、空に真っ赤な火花が打ち上がった。
それは、彼女の燃えるような髪のようで、嗚呼、リリーは魔法も綺麗なんだなぁ、なんて一瞬見とれる。
がしかし、そんなのん気な僕の思考を切り裂くような鋭い声がその場に響いた。
「
縛れ!」
って、
縛れ!?
その言葉にとっさに自分を庇うよう腕を突き出した僕だったが、彼の魔法が狙ったのは僕ではなかった。
というか、身構えたのがバカバカしくなるくらい、瞳に飛び込んできたのは信じられない光景だった。
「えっと……?魔法に失敗したのかな??」
「ハッ!馬鹿言えっ!!」
鼻で嗤った後で、怒号を残してはようやく宙へと飛んだ。
ロープで体を箒にぐるぐる巻きつけた不自然な状態で。
……SM、じゃないよね、まさか?
正直、飛び立つ前に僕を簀巻きにして、タイムロスさせようって作戦かと思ったんだけど、
どうやらそうではないらしい。
あんな風にしたら、箒に振り落とされることはないかもしれないけど、
飛び辛くて仕方がないんじゃないかなぁ??
がしかし、僕の予想を裏切り、が乗った箒は素晴らしい加速で僕からずんずん遠ざかっていく。
それはまるで箒の尻に火がついたよう、とでも言えば良いのだろうか。
少なくとも、このボロ箒で出せる速度の限界を軽く超えているように見えた。
箒にピッタリくっつくことで、風の抵抗が少ないのかもしれない。
「なるほど。それは狙いか……。
本当に、予想の斜め上を行く行動を起こしてくれるよね」
まぁ、それでこそ、こんな勝負を持ちかける甲斐があるってもんだけどさ!
リリーの合図が待ちきれず、箒に跨って彼を視線で追いかける。
パフォーマンスのつもりなのか、それとも僕に対する挑発か、
二度、三度と宙返りをしてみせているのが、余裕たっぷりで癪に障った。
そして、じりじりと焦がれる僕に、待ちに待ったリリーからの声がかかった。
「次、はじめ!」
バーン!と再度火花が上がる。
今度は彼女の瞳のように鮮やかな翡翠の色だった。
そして、次に上がるのは勝敗を決したその瞬間だ。
「イィイイィイイヤッホォオオォオォーゥ!!」
ビュンッ!と凄まじい風の音が耳を打つ。
僕は彼女が杖を振り上げたその瞬間には、もう地面を力強く蹴っていた。
流石に彼ほどピッタリ箒にくっつくことはできないが、できるだけ姿勢を低くして、
未だ弧を描くようにして飛ぶに一直線に向かっていく。
と、僕がスタートしたことに気付いたのか、はようやく宙返りを止めて、
ジグザグとこちらを翻弄するように不規則な軌道で飛び始めた。
がしかし、追いかける側は軌道が直線であるため、そんな飛び方では、
十秒(は魔法を使っていたから、もっと短いかもしれない)のハンデなど、あってないようなものだ。
僕はただ、クアッフルに向かうようにただ彼に向かって飛べば良いのである。
そう、彼は妙な動きをしていないで、まずは距離を稼ぐべきだった。
そうしなかったの姿に、笑いと失望が浮かぶ。
なんだ、箒の腕は所詮こんなもんか、と。
徐々に縮まる距離に、これは一分もしないで決着が着きそうだ、などと僕はほんの一瞬、油断した。
ところが。
くるり。
「な……っ!?」
は唐突とも思える切り返しで180度方向転換をし。
「どけぇええぇぇぇえええぇー!!」
あろうことか、逃げるべき僕へ向かって突っ込んできたのだった。
それも、トップスピードで。
「っ!!!」
まるで体当たりをしようとでもいうようなその軌道に、慌てて体を左へ倒す。
すると、間一髪。
さきほどまで僕がいた場所を突っ切って、は地面へ向かって一直線に飛んでいった。
彼の箒の枝が、僕の頬を掠め、鋭い痛みを残して去っていく。
それに対し、
「…………」
僕は迷うことなく同じように箒の柄を地面へ向ける。
「……ははっ」
そして、僕たちは。
「やっぱり君は最高にクレイジーだっ!!!」
落下を開始した。
いや、ただの落下でない。
落下物なんて軽く追い越しかねないほどのスピードで。
箒の柄を地面にめりこませようとするかのように。
の黒い背は、どんどん地面に向かって突っ込んでいく。
まだ上がらない。
まだ上がらない。
まだ上がらない。
まだ……
――上がったっ!!
彼よりほんの一瞬遅れて、箒を立て直す。
そうする間にも、は僕より地面スレスレのところを飛び去っていた。
芝生に彼の黒いローブが擦れ、僅かに焦げ臭い匂いがする。
箒を握りしめた白い手に、僕は更に力を込めた。
視線に先にあったのはの背中と、観客席だ。
真っ直ぐ向かってくる僕たちに、観客が大きく目と口を開いているのが見えた。
そのままいけばは確実にあそこに突っ込む。
となると、直前に方向を変えるはず。
右か、左か!?
曲がろうとすれば間違いなくどちらかに傾く。
それにいちはやく反応して、最短距離を飛べれば、僕の勝ちだ!!
そして、僕はどちらに彼が動いても対応できるよう、必死で目を凝らす。
がしかし。
の体は、いつまで経ってもぶれることがなかった。
「っ!?」
まさか本気で観客席に突っ込む気か!?
と僕が耐え切れず右に箒をきろうとしたその瞬間、の箒の柄は手前に反り返った。
「上っ!?」
その予想外の進路に一瞬反応が遅れる。
は数メートル上昇した後、ロケットのようになっていた体勢を戻し、競技場の反対側へと飛んでいった。
僕も思いきり箒の柄を引き寄せ、それを追う。
つかず離れずの距離で、僕たちは飛び続けた。
がしかし、流石に、普段から箒で練習していた僕ととでは多少の違いがあったようで、
飛ぶうちに、じりじりとその距離が縮まっていく。
そして、僕はラストスパートとばかりに加速し、彼の華奢な背中に手を伸ばした。
時折、それを振り切ろうとしてかが上へ下へと体を揺らすが、それに喰らいついていく。
あと少し。
ほんの50cm……っ!
この時、僕は観客のことも、わざと負けようとしたことも、制限時間のことも。
全てが頭から吹き飛んでいた。
やがて、僕が勝利を確信したその瞬間。
僕たちのと少し離れた場所に、真紅の花火が咲いた。
バーンっ!
「え……っ?」
ほんのわずかに遅れて爆音が耳に木霊する。
その意味するところを頭が理解すると同時に、僕は箒を止めて、遥か下で赤い髪を翻す少女を見ていた。
高々と杖を掲げた、リリーの姿を。
僕はまだ、の体に触れていない。
ということは……そういうことだった。
「……あは」
まさか、この僕が本気を出して負けるとは。
「完敗だね、これは」
がしかし、悔しい思いと同時に湧き上がってきたのは、かけねなしの笑顔だった。
負けたくせに、全力を出し切ったせいだろうか、なんだか酷く清々したような気分である。
は、正々堂々、小細工なしの勝負で僕に勝ったのだ。
しかも、なんて小気味の良い勝ち方をするのだろう。
さて、ではこちらも潔く地上に戻って、負けを認めなければ。
そう思い、箒を下に向けようとした僕だったが。
ここで、違和感がひとつ。
「……?」
とっくに地上に向かっていると思ったは、いまだに空を翔けていた。
まるで。
まるでまだ、僕に追いかけられているかのように。
「!?」
まさか、合図にまだ気づいていないのだろうか!?
慌ててもう一度、今度は彼を地上に戻すべく、僕はを追いかけ始めた。
「っ!勝負はもう着いた!終わりだよっ!?」
喉が張り裂けんばかりの声を上げて、彼を制止する。
がしかし、それがまるで聞こえていないかのように、箒は縦横無尽に飛び回る。
クィディッチのゴールすれすれを通るなど、見ていて非常にはらはらする危険な飛び方のままで。
「っ!……くそっ!!」
もしかしたら、彼は集中のあまり、なにも聞こえていないのかもしれない。
その可能性に思い当り、僕はとにかく彼を捕まえるために速度を速めた。
スピードはわずかに僕が勝っている。
時間をかければ、どうにか捕まえられるだろう。
流石に、体になにか触れば、も気づくはず。
僕は、声で彼を止めることを早々に諦め、実力行使に出ることにした。
がしかし、も一筋縄ではいかない。
無茶苦茶な飛び方で、どうにか僕に捕まらないよう飛び続ける。
いつまでも膠着状態のまま、さらに数分が経過した。
「……くっ!」
ああ、もう!本当にいい加減にしてくれないかな!?
僕の負けで良いって言ってるじゃないか!!
いつまで飛んでるんだよ!気づいてよ!!
僕だって、もうそろそろ疲れてきたってば!!
それともなに、暴走してるの!?箒のコントロールぐらいピーターでもできるよ!
心の中で罵詈雑言が荒れ狂う。
何故負けた僕がいつまでもこんな風に恥をさらしていなければならないというのだろう。
これじゃ、まるで僕がしつこくを追いかけまわしてるせいで勝負が着かないみたいじゃないか!
思わず頭をかき回したくなるような衝動にかられたその時、
『……馬鹿っ!!』
ふっと。
視界の端を、黒い影が掠めた。
最初は自分たちの影だと思った僕だったが、よく目を凝らしてみると、
それは、いつもの周りをうろちょろとしている、黒猫だった。
『本っっ気で、今日という今日は怒ったからな!!』
「なっ!?」
それが、驚くことに箒と変わらないスピードで、競技場の壁を走っていた。
いや、違う。
箒以上のスピードで、だ。
黒猫は、僕を追い抜いて身構えると。
『そこに直れぇえぇえぇえええぇえぇー!!』
「うわっ!?」
ダッ!と僕の頭を踏み台にして、の箒に飛び移っていた。
そして、その瞬間。
新たに重みが加わったことでバランスを崩した箒の速度がガクッと落ちる。
「!」
とっさに彼が振り落とされないか心配した僕だったが、
その心配は見事に杞憂に終わった。
「……スティア?」
『“スティア?”じゃない!なんて無茶なことするんだ君は!!
箒にわざと好き勝手させるだなんて、もう少しで死ぬ所だったじゃないか!』
「……ごめんなさい」
猫の姿に気づいたは、ピタリと箒を止めたのだった。
そんな彼にぶつかりそうになり、僕も慌ててブレーキをかける。
『まったく!間に合ったから良いものの!!
なんだよ、このロープ!?マゾか!!』
「いや、箒にぴったりくっついてれば、なにかにぶつかることはないかなーと。
ホラ、箒もさ、壊れたくないでしょ?」
がしかし、はそんな僕に気づかず、毛を逆立てた猫と会話をしているようだった。
「ってか、え、なんか僕箒乗れてるよ?あれ?あと、マゾって酷くね?」
『僕が一緒に乗ってるんだから当然だろ!』
「え、なに、ってことは僕、スティアが一緒なら箒乗れるってこと?マジで?魔女宅効果!!?」
『煩い、この腹切りマゾ!!』
「……えーと、お取込み中のところ悪いんだけど」
早く下行かない?
真剣勝負には負けるんだけどね!
......to be continued