こんなのは、望んでなかった。
Phantom Magician、197
「
開心」
激しい痛みの中。
思考する力も根こそぎ奪われていく中、僕は遥か昔のことを思い出していた。
とはいっても、サラザールの時のことではない。
スティアと呼ばれるようになってからのことでもない。
人ではなく。
人間もどきでもなく。
それは、
もう一人の僕が四つ足で歩いていた時のことだ。
+ + +
僕は4匹兄弟の真ん中で生まれた。
他の兄弟は母によく似た毛並みだったけれど、僕だけが黒くて。
多分、父に似たのだと思う。
しかし、特段仲間外れにされるでもなく、母の愛情を受けて、すくすく育っていった。
ただ、何しろ定住できる家がある訳でもないので。
小さく生まれた弟と妹は大きくなれず。
兄は、大きな生き物に攫われて行ってしまった。
だから、母は自分に注意深くあれと言い、住む場所を転々と変えながら、僕を育てた。
そして、最後に辿り着いたのはそう、大きな生き物の気配がたくさんする、見上げるほど大きな建物の裏だった。
ここにいる生き物は、気づけばなにか食べ物をくれ、
そこそこ分別もあるから、無理に捕まえようとはしない。
母は、適度に警戒しながら、相手をしてやるようにと言って、自身も実践していた。
特によく来たのは、
ある三人組の連中だ。
『
うわぁ、ちっちゃーい!』
『
まだ子猫だねぇ』
『
よしよし……いって!』
『
うわっ、大丈夫?』
『
大丈夫だいじょうぶ。ごめんねー、ちょっとびっくりさせちゃったねー。よーしよしよし』
『
ムツゴロウになってるぞ、』
『
あたし、アナコンダに頭蓋骨絞められる趣味ない』
『
あれは趣味じゃないと思う』
一人は遠巻きに。
一人はおっかなびっくりに。
最後の一人は手慣れた様子で。
よくやって来ては、食べ物を寄こし、体を撫でてきた。
その温かい手が、僕は好きで。
決して、自分を害さないと分かって。
いつしか、来るのを待ちわびるようになった。
でも。
段々、暑くなってきたある日を境に、彼らは来なくなった。
昼日中は暑いため、自分たちも別の場所に行っているから、すれ違ったのかと思っていたけれど。
残り香すら、しなくなった。
それだけじゃない。
あれほど犇めいていた、大きな生き物の気配も、少なくなった。
そう、だから、与えられる食べ物も少なくなって。
いつもお腹がすくようになった。
母は、そのことに危機感を抱いたのだろう、餌を探しに行く時間が増えて。
ある日。
帰ってこなくなった。
もう少し経って、母が自分を遠ざける仕草があれば、まだマシだったのだと思う。
つまりは、皆が通る親離れの時期なのだから。
でも。
自分はまだ一人で食事を取って来れるほどではなくて。
母を探して鳴くことしか出来なかった。
そして、その内にはその鳴くことすら出来なくなって。
路地裏で、小さくなった。
「………みゃ……」
もう、動けない。
足はボロボロで。
気づけば蛆が湧いている。
生きながら食われる感覚は、それはもう嫌なものだ。
力が入らなくて。
寒くて。
母の柔らかい体が恋しかった。
あの、温かい手が欲しかった。
すると。
『
……嗚呼、こんなところにいたか』
聞いたことのある、低い声が自分に向けられる。
(後で知ったところによると、母はすでに車に轢かれて鬼籍に入っており、
それを知った彼らは自分を心配していたとのことだった)
一番欲しい手ではなかったけれど。
でも、その男は、自分が一番願っていたことを口にした。
まるで、心でも読めるみたいに。
「……生きたいか?」
もう、鳴く声もなかったけれど。
何故、相手の言葉が分かるのかも、理解できなかったけれど。
僕は間違いなく、その問いかけに、心から答えていた。
生きたい、と。
すると、男はすでにほとんど動かせなくなった硬い体を抱き上げ、
そこに、自分の魂を半分、注ぎ込んだ。
そう、僕の体を、
分霊箱に変えたのだ。
本来の
分霊箱であれば、他者の命を後から得ることで、実体化出来るのだが。
最初から生物を使えば、それは分身となる。
丁度、ヴォルデモートがナギニに対してそうしたように。
そして、男の魂と、猫の命と。
切なる願いが込められて、セレスティア=スリザリンは生まれた。
もう、瀕死だけれど。
「……っ……」
動かすだけで電気が流れるような感覚のする体を、無理矢理動かし、闇の帝王を見る。
奴は、どうやら僕を弱らせた所で開心術を使ったらしく、
今読み取った僕の過去に、丁度、目を見開いたところだった。
……どうせなら、リドルと同じようにサラザールの時のことを読み取れば良いものを。
そうすれば、隙だって出来ただろうに。
世の中は、ままならない。
「スリザリン、だと……!?」
そして、次の瞬間、その真紅の瞳に浮かび上がった殺意に、思わず失笑が漏れる。
奴の、絶対的なアイデンティティである、スリザリンの末裔。
そこに、もう一人、末裔どころか本人の分身が出てきたら、さぁ、どうなるだろう?
考えるまでもない。
その価値は大幅に下落する。
こういうものは、唯一無二であるからこそ、価値があるのだから。
取り込めるなら、それにこしたことはなかったのだろうけれど、
僕の心を断片的に読み取った奴は、決して、僕が自分に与することはないと気づいたのだろう。
なら、もう排除するしかない。
自分に向けられる杖を、僕はどこか他人事のように眺めていた。
おかしいな。
未来からすると、ヴォルデモートは倒せていたはずなんだけど。
腕は満足に動かず。
魔法を避けられるような手段はない。
すでに魔力の核が猫の体から、今の体に移動してしまっているので、
多分、死の呪文を浴びれば、人間もどきの僕だって死ぬことだろう。
嗚呼、そうか。
僕、死ぬのか。
やけにゆっくり流れていく時間の中で、僕は奴の杖先が緑色に輝くのを見て。
そう、思った。
そして。
「アバダ・ケダブラ!」
「!」
全ては、一瞬の出来事。
緑の閃光が僕の眼前へと迫り。
「スティアっ!」
間に飛び込んだ
何かに、弾かれた。
バーンッ!
「「!!」」
それは、
まるでハリーを庇ったリリーのように。
死の呪文を、そっくりそのまま、放った張本人へと弾き飛ばす。
僕は、それを見て、咄嗟に自分の指先だけを動かして、死の呪文を重ね掛けした。
「
――――っ!」
その瞬間、その場には凄まじいまでの光が溢れ、
ありとあらゆる物の輪郭が消失する。
その中で、ヴォルデモートであった影が、断末魔を上げながら霧と化すのを、僕は見た。
弾かれた自分の呪いが当たったのか、僕の呪いが当たったのか。
それは分からないけれど。
ヴォルデモートが。
あの、闇の帝王が。
光の中で、消えて行った。
「っ!」
そして、僕は衝撃に弾き飛ばされながら、直前に目に飛び込んできたものについて、反芻する。
僕を庇った、あの影を。
…………。
……………………。
いや、そんなはずはない。
そんなこと、あるはずがない。
「……うん。幻覚だ、きっと」
がしかし、必死に己に言い聞かせる間に、視力は回復し。
まだ白くぼやける視界に、
それが転がっているのが、見えた。
見えて、しまった。
「…………」
体の痛みも忘れて、僕は、這いずるように、
それに近づく。
「……嘘だ」
嘘だ。
うそだ。
誰か、嘘だって、言ってくれっ
震える手で、そっと
それに手を伸ばす。
それは、柔らかくて。
ほんのりと温かくて。
いつも通りのふわふわの毛をしていて。
僕を、驚愕の渦に叩き落した。
「………………くま」
……まごうことなきくま。
森のくま くっま くっま くまー♪である。It is a bear !
ものっそい、どシリアス。
空気は張り詰め、息を呑むようなやりとりの、その後。
しかし、僕の目にはくまさんしか映らない。
どっからどう見ても、くまくまくまくまくまくまくまくま。
シリアスシーンも KUMA さんに掛かってしまえばなんのその。
そう、僕とヴォルデモートの間に飛び込み。
死の呪文さえ弾き飛ばしたのは、の四次元テディベアだった。
え。
え?え??えぇー???
くま?
ここまでシリアス展開で来て、くま??
テディなベア??
コイツが、死の呪文弾いたって??
うそ、だろう??
「…………」
「…………」
「…………」
「…………えぇー」
あまりの超展開に、言葉が出ない。
がしかし、僕がその茶色い物体を凝視することしかできないでいたその時、
ガバっ!と。
僕に抱き着く人がいた。
「
――……ィアの馬鹿!」
もちろん、こんな風に人を馬鹿呼ばわりする、愛おしい存在はたった一人しかいない。
僕は丸っと、自分を守ってくれた物体については頭の隅……どころか忘却の彼方に置き去りにし、
思わず笑ってしまいそうになる頬に力を入れて、せいぜい真顔を保つことにした。
(うん。知らない知らない。くまとか、なにそれ美味しいの?)
「……反応が予想通りすぎるよ、」
「煩い!」
そして。
嗚咽を洩らしながら。
震えながら、僕を現実につなぎとめるその腕に。
心の底から安堵する。
僕は、興奮からかいつも以上に熱いその肩を、宥めるように叩いた。
「まったく。君、戻ってくるのが早すぎやしない?」
「あ、あたしをっ……のけものに……ようたってっ!そ……は、いかな……だからぁっ!!」
「はいはい。助かったたすかった。
のおかげで、ヴォルデモートを倒せましたよーっと」
「おっまえっ!棒読み、すぎ……だろっ!」
「そりゃあ、心込めてないもん。君がいなくたって、倒せたんだよ、僕は」
「……そっつきぃっ!ぴ、ピンチだった、くせにっ」
「しょうがないじゃないか。
最初の予定では、がいなくなった後は近くの教会にでも陣取って、ライフルで狙うつもりだったんだから。
流石に、ここまで近づかれるとは僕も思っていなかったんだよ。
本当に、タイミングが最悪だったね」
「……怪我、してない?」
「見れば分かるだろう?出血一つないよ」
「本当に?嘘、じゃない??」
「本当だってば。あー、ホラ。いつまでもセクハラしてないで、早くどきなよ」
「スティアの馬鹿!マジ、馬鹿!!」
よりによって、くまのぬいぐるみが敗因になってしまった奴には同情するが。
この愉快なほどにふざけた日常だけは、譲れなかった。
この展開は教えておいて欲しかったよ、未来の僕。
......to be continued