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貴方と見上げた空は此処にはなく。
ただ、蒼穹が広がるだけ。









     Life Is Wonderful?、33







本社からの帰りで、日の光眩しい道を一人歩く。



 「ん~……」



大きく伸びをして見上げた空は綺麗な水色で、何だか少し嬉しくなった。
この間までは忘れていた感覚。
気にするコトもできなかった感覚。

それは、開放感とでも呼ぶのが正しいのだろう。

悟浄から離れて約三週間が経った。
私にとって吹っ切るには、充分すぎる時間。
元々、気持ちを引きずるのは嫌い。
俯いている自分は嫌い。



 「別れて正解、かな」



周りを見渡して楽しめない自分は、嫌い。



 「どうしてるかなぁ……」



なるべく悟浄の顔を思い浮かべないようにしながら、友達のコトを考える。
行き先も何も言わないでいなくなってしまったから。
心配をかけてしまったはずの、あの人達に逢いたい。

でも、自分のいる場所が万が一にも悟浄に伝わる可能性を消しておきたいから、自分からは絶対に逢えない。
だって、何時か伝わって来てくれるかもしれないと思ってしまう。
そんな痛い期待はいらない。
それに、悟浄と逢って平静でいられる自信はまだなかった。
笑って逢えるようになるまで、悟浄に逢いたくない。


そんな風に考えながら、私は新しく勤め始めた会社の玄関をくぐる。
支社とはいえ、此処はかなり大きめのビルだ。
そして、私はここの本社にこの前まで勤めていた。

役柄は、社長秘書という輝かしいモノ。
社長の観世音菩薩さんは、かなりいい加減且つ気まぐれな人だったので、秘書の数は多かった。
でも、私は何が気に入られたのか、その中でも入ったばかりの頃から色々と目をかけて貰っていて。
今回の事だって、事情を説明したらすんなりと異動を認めてくれた。



 『そういう事なら仕方がねぇだろ』



そんな、簡素な一言で。

もっとも、その時彼女が手がけていたプロジェクトが中途半端にしか終わっていなかったので、しばらく辞められなかったのだけれど。
夏に決心したはずの離婚は、気がつけば梅雨間際にまで一年近く遅れてしまった。
まぁ、おかげで出て行く準備はゆっくりとできたから良いか。



 「あの人には感謝してもし足りないかな……」



そして、にっこりと自然に緩む頬を自覚しながら、エレベーターを待っていると。



 「すずー!」



飼い主に駆け寄る子犬のように元気一杯の声がエントランスに響いた。
最初は驚いていたけど、今では慣れたモノ。
私は満面の笑みでそれを迎えた。



 「悟空、怒鳴っちゃ駄目だよー」
 「別に良いじゃん!だって誰も気にしてねぇし」



彼の名前は孫 悟空くん。
「行く当てがないなら、社宅にしているマンションに住め」と観世音菩薩さんに言われ、この街にやってきた、あの日。
途中気分が悪くなって蹲っていた私を、本気で心配してくれ助けてくれた少年だ。



 「いや、良くはないと思うんだけど……」
 「そうか?……まぁ良いや。すず今から飯?」
 「え、あ、うん。書類を社長室に届けたら、多分休憩に入れると思う」
 「じゃあ、一緒に飯食いに行こうぜ!」



明るくて元気な悟空といると、こっちまで楽しくなってくる。
こういう所は、素直に凄いな、と思う。



 「そうだね。何処に行こうか?社員食堂で食べる?」
 「うーん。それも良いかも。ここのカニクリームコロッケ、マジで美味いんだ!」
 「そうなんだ。それは食べた事なかったかも」
 「え、それマジで?すず、人生の半分損してるって!」
 「あはは。半分は流石に言いすぎだと思うんだけど」



悟空の声が多少大きいかもしれないが、二人で楽しく談笑を繰り広げる。
一体、何処で仕入れてくるのか、彼の食事に関する情報は目を見張るものがあったりするから。

と、そんな調子で大切な事を忘れていると、そこに容赦のない怒号が飛んできた。



 「社内で何くっちゃべってんだ、この馬鹿猿がー!!」



ビクリと二人仲良く肩を震わせて、後方を振り返ると、そこには遠くからでも怒っているのが分かる上司の姿があった。
上司、という事は私の役職から考えて、支社長。
観世音社長のご親戚で、でも、七光りで入ったんじゃないっていう実力を見せ付けてくれる人だ。
こっちに異動してから、随分とお世話になっているので、いつかお礼をしなきゃいけないな、と思っている。

と、他の社員の人達は、『触らぬ神に祟りなし』といった感じで、私達を無視しはじめた。
……こういう時、我に返って酷く恥ずかしい気持ちになる。
やがて、罰の悪そうな表情の悟空と、恐縮している私のところに支社長――玄奘 三蔵さんがやってきた。
そして、大きく振りかぶって拳骨を一つ。



 「いっでぇ!!」
 「あれ程、勝手に入ってくんじゃねぇっつっといただろうが!大体、大学はどうした、大学は!!」



ちなみに、支社長は悟空の後見人をつとめていたりもする。
この可愛らしい男の子と食事をしたりするようになったのも、それが色々関係している。



 「休講になってたんだからしょうがねぇじゃんかー」
 「何が『しょうがない』んだ!だったらさっさと帰りゃ良いだろうが!」
 「だぁって~……。すずが会社入んの見かけちまったんだもん」



こっちを見ながら言い募る悟空に、私は心の中で悲鳴をあげた。
『だもん』じゃない……っ。

どうにか、私の存在を忘れ去ってくれないだろうか、という淡い期待は悟空の一言で水泡に帰した。
じろり、と鋭い紫暗の瞳が私を捉える。



 「で?如月」
 「……はい」
 「手前ぇは届けるべき書類を届けもせず、此処でこの馬鹿と話してやがった、そういう事だな?」
 「三蔵!そんな言い方……」
 「手前ぇは黙ってろ」

 「はい、申し訳ございません……」



言い訳もできず書類を手渡して、ただ俯いたまま叱責の言葉を待つ。
私が本社の方から貰ってきたのは、観世音社長に『ファックスでは送れないほどの重要書類』とまで言われたものだ。
そんな大切なものをいつまでも届けなかったら、戒める程度の言葉じゃ済まされない。
……どんな風に叱られるんだろう。
確か、支社長の機嫌を損ねた女子社員は、地獄を見たと言っていたような……。
泣くどころの騒ぎじゃないとか。
クビにされたら、私はどうしたら……。

さっきまでの楽しかった気分は、一気に萎んで消えてしまった。
そして、私は死刑執行前の囚人のように、支社長の言葉を待つ。



 「…………」
 「…………」
 「……如月」
 「……はい」
 「次からは気をつけろ」
 「はい……って、え?」



予想を裏切る、簡素な一言に、思わず顔を上げた。
すると、青筋を浮かべているに違いないと思っていたのに、支社長はただ呆れたような眼差しをしているだけだった。
……えーと、これはどういう事だろう?



 「何だ」
 「ええと、あの、いえ……」
 「馬鹿猿みたいに殴られるとでも思ったのか」
 「いえ!ですが、あの、重要な書類をすぐに届けもせず……」
 「で?」
 「もっと叱責を受けるのではないかと……思っていたんです、けど……」



自分が間違った事を言っている気がしてきて、語尾がどんどんと小さくなる。
けれど、これはどこからどう考えてみても、怒られる類のものだと思う。
だから、支社長の言葉が不思議でしょうがなかった。



 「元はと言えば悪いのはこの馬鹿猿と菩薩の野郎だからな」
 「はい?」



悟空は、まだ分かるけど……どうして観世音社長?



 「これは別に重要書類なんかじゃねぇんだよ」
 「……は?」
 「ったく。一人っきゃいねぇ秘書を引っ張り出しやがって。あのクソババァ」



不機嫌そうな支社長の言葉に首を傾げる。
重要書類じゃない……とは一体どういう事なのだろうか。
そして、菩薩さんの愉しそうな表情と、目の前にある秀麗な仏頂面を比べてみて、
おそらくは支社長の言葉の方が正しいんだろうな、と漠然と思ってしまった。



 「あの……どういう……?」
 「あのババァの考える嫌がらせが俺に理解できるワケないだろうが」



組織の長とは思えない乱暴な物言いで、彼は謎の書類の入った封筒を開けた。
さっと目を通す。が、次の瞬間。



ぐしゃっ。


 「え」



眉間の皺を深く刻んで、支社長は書類を握りつぶしてしまった。
何が書いてあったかは……知らぬが仏といったところか。



 「如月」
 「は、はいっ」
 「さっさとカード切ってこい。飯に行くぞ」



強引に今日の昼食をお相伴することが決定する。
これが、最近の私の日常だ。










貴方がいなくても。
空は蒼く美しい。









......to be continued