彼女を気に入ったのは。
深く踏み込まなかったからだと思った。
Life Is Wonderful?、12
「何です?ニヤニヤして気持ち悪いですねぇ」
チャンとお茶をしてから数日後。
オレが携帯をいじくっていると、隣にやってきた八戒がそんなバリ失礼なコトを言った。
しかも笑顔と一緒に、だ。
ヒトの神経を逆撫でるのがこれほど上手い男をオレは見た事がない。
「お前ね……」
「また新しいお相手でも見つけたんですか?それにしては随分穏やかな表情でしたけど」
呆れた調子の声を出すオレをさらりと流して、奴は興味深そうにオレの黒い携帯を見ていた。
コイツはこの前の出来事――つまりオレがフラレた経緯やら何やらを知っている唯一の人間だ。
恐らく、オレより正確にオレの恋愛遍歴を覚えているに違いない。
まぁ、ンなどうでも良いコトはひとまず置いておいて、オレは携帯にまた目を落とした。
「『新しいお相手』なんかじゃねぇっつーの」
そこには、つい数日前に加わった複雑なアドレスが表示され。
打った人間の人柄を表すような、絵文字の一切ないシンプルな言葉が連なっている。曰く、
“次の土曜日ですね?分かりました。何処でお待ちすれば良いですか?”
チャンらっすぃー。
「でも、男性じゃありませんよね?」
「まぁな」
それに対して、こっちはカラフルな絵文字を使って返答する。
メーカーが同じだというのはこういう時に便利だ。
“この前逢ったトコってどうよ?あのブティックの前のv”
さっさと返信し、オレは一度顔を上げて黒板の所を見た。
実は、今は授業開始1分前。
しかし、教師の姿は未だ見えず、安堵してまた携帯を見つめた。
画面表示は『返信しました』という簡素な一言。
携帯を持ち歩いているというか、常に気にしている感じじゃなかったから、返ってくるのはしばらくかかるかもしれない。
「ああ。じゃあ、今落とそうとしている女性ですか」
突然、八戒はそう言った。
そして、ぽんっと手を打って絵に描いたような得心しましたっつー表情をしているソイツに、オレはずっこけた。
いや、正確に言えば、顎を乗せていた手の肘が、机からずり落ちたんだが。
確かに、普段の素行を見ている奴からすれば当然の発想だ。
でもよ。とりあえずチャンに関しちゃそういう感じじゃねぇんだっつの。
落とすとか。落とされるとか。
だったら、どんな感じかって訊かれると困るが。
何つーかこう……頭撫でて、甘やかしたりからかったりして遊びたい感じ?
「なぁ〜んでいちいちソッチに話が行くワケ?」
「え……まさか違うんですか?」
「チャンはーだからだなーそのー……兄妹みてぇなお付き合い?」
敢えて失礼を承知で言うなら、そんな認識。
と言っても、まだ一度喫茶店でケーキ食った位しかしてないんだけどよ。
そう言うと、八戒はあからさまに呆れた表情をした。
「なんですかソレ……って『』?何処かで聞いたお名前ですね」
「そりゃ知ってるだろ。お前逢ったコトあんだから」
「いつです?」
「一年くらい前の合コン。いっちばーん地味でぇー目立たなくてぇー癒し系な娘ぉー」
彼女を表す言葉を適当に言ってみる。
すると、しばらく考えこんだ八戒は、やがて「ああ、彼女ですか」と言った。
おっそろしー記憶力だな、お前。
「悟浄と全く全然毛一筋ほども接点のなさそうな彼女ですよね?」
「嫌味かよ……」
「どうしてそんな彼女と今頃メールしてるんです?」
「この前偶々逢ったんだよ、街で」
と、この前のチャンの納得の言っていない表情をふと思い出して、思わず笑みが零れた。
この前は最後の最後、お会計の時にちょっとした揉め事があった。
と言っても大したコトじゃねぇ。
単に、どっちが奢るかっつーちょっとした、マジでちょっとした言い争い。
オレが当然のように会計しようとしたら、チャンに止められた。
『自分の分は払いますから』
『なぁ〜に言ってんの、チャン?こういうのは男が払うもんでしょうが』
『いえ、でも……』
『お世話になったお礼がしたいって言わなかったっけ?』
『私もお詫びしなきゃいけないんですから、おあいこだと思います』
『いんや。オレが払う』
『『…………』』
チャンは、相手に借りを作るのが嫌らしかった。
今時めっずらしくねぇ?
奢ってくれるっつってんだから、素直に奢られときゃ良いのによ。
ほんっと今まで相手にしてた女とは反応がいちいち違くて面白い。
ま、結局、何だかんだ言ってオレが払ったんだが。
『よーし。ンじゃあ、こうしよう』
『え?』
『今回はオレが奢る。ンで、次はチャンが奢る、と』
『えっと、それは……』
『そ。もっかい一緒にお茶してくんねぇ?って意味。嫌?』
『……お茶を飲まなくて良いのなら』
チャンと話してるのは心地良かった。
無理をしなくても続く会話。
程よい空気。
ま、ようは、彼女と普通にお付き合いしてみたくなったワケだ。
……男女のお付き合いじゃねぇゾ。
あーいうタイプに手ぇ出すほど、オレは落ちぶれちゃいねぇ。
おともだちだよ。 お と も だ ち 。
我ながらその言葉が嘘臭いとは思うが、他に表現しようがないんだから仕方がない。
そんな風に思っていると、予期せず携帯が震えた。
小さな小窓が示している名前は、当然のように『チャン』。
その速さに微かな喜びと。
絵文字(つまりハート)に対してどういう反応が返ってきたのか、と少し期待を持ちながらメールを開く。すると、
“分かりました。じゃあ、また今度”
黒字。
色なんて完璧に排除した黒字。
寧ろ、記号すら丸と点しか使われてない黒字。
「…………」
簡潔すぎる淡白な反応に、人知れず落胆していると。
八戒は隣で心底奇異なモノを見る目をしていた。
きっと、長く付き合ったとしても。
深く踏み込まないだろうと思っていたんだ。
......to be continued