幼馴染。
とても都合が良くて、とても都合の悪い言葉。
人間関係には、壁がある。
例え、それが親だろうと恋人だろうと、その人自身ではないのだから、壁が生まれるのは必然だ。
もちろん、幼馴染にだって、ある。
相手は幼馴染。
けれど、とても大切にしたい人。
君が好きです。
すきなきみ
それはある日の放課後のお話。
僕はいつも通り、可愛らしい少女を迎えに、隣の教室に向かった。
彼女の名前は 。
いつも笑顔で、少し鈍い幼馴染。
そして、僕の片想いの相手。
恋愛関係には疎い彼女だから、告白はまだしていない。
でも、彼女の教室に着いた時に、聞こえてきてしまった言葉に、僕は一時立ち尽くした。
「――もう、すっごくカッワイーのv」
「いい加減惚気るの止めてよねー」
「えへvごめんね、一足先に幸せになっちゃって」
「まったく、ずるいよね。さっさと告白しちゃうしさー。私一人片想いじゃない」
「あ、そっか。はスキな人いないんだよね?」
「えっと、うん……まぁ」
「何、その煮え切らない態度。ひょっとしてスキな人できたとか!?」
「できたっていうか……」
「いるの!?誰ダレ!?」
「ひ、みつ……です」
恥ずかしそうに頬を染めているのがありありと分かる、その声色。
いつも傍で聞いていたはずのそれが、酷く虚ろな響きを持つ。
待って下さい。
そんな話、僕は聞いていない。
そんな素振りだって気付かなかった。
なのに嘘、でしょう?
その声は、如実に事実を語っていた。
だから、一瞬にして目の前が真っ暗になった気がした。
その後、どうやってに声を掛けたのかは分からない。
きっといつも通り気持ちを押し殺して、貼り付けた笑みで誘ったのだろうと、思う。
ただ、殺した気持ちはいつもの『愛しい』ではなく『恐怖』。
「八戒が来てくれて良かったv二人に問い詰められてたんだよー」
君は僕から離れていかないと、錯覚していた。
「おや?何を問い詰められてたんでしょうね?」
「えっ……。えっと、色々、かな」
「『スキな人』ですか?」
「っ!?」
は驚いたように大きく目を見開き、僕を凝視した。
そして彼女は僕が少し意地悪く微笑むと、ごまかしても無駄だと悟ったのか、恥ずかしそうに口を開く。
「……聞いてたの?」
「まぁ、あれだけ大きな声でしたから」
「……そうかもしれないけど」
可愛らしい、と普段の僕なら思うのだろう。
柔らかそうな唇を少し突き出して、どこか不満そうにしているその表情を。
けれど、今はそんな風に余裕を持つコトなんてできなくて。
「誰、なんですか?」
気付けばそう口にしていた。
すると、は驚いたように不思議そうに小首を傾げて、僕を見た。
「どうして八戒がそんなコトを訊いてくるんだろう」とでも思っていそうな程、キョトンと。
それは、僕をなんとも思っていない証。
「スキな人なんて、いないよ」
「そうなんですか?」
「うん。だってそういうコトよく分からないから」
ずっと前にも聞いたコトがある台詞。
でも、その時はまっすぐ僕の目を見て、笑っていた。
嘘を吐く時、君は僕の目を見ない。
「……嘘を吐く子には昨日作った特製プリンあげませんよ?」
「嘘なんか……」
「僕に通用するはずがないでしょう」
だけをずっと見てきたんです。
気付かないはずがないでしょう。
――貴女のスキな人は誰ですか?
「いるんでしょう?」
「そ、そういうコトは秘密にする主義なのっ」
「だったら、もうプリンは二度と食べられませんね」
「食べ物でなんかつられません!」
「……そうですか」
僕はそう呟くと、目の前で困ったように首を振っているを腕の中に閉じ込めた。
「っ!!?は、はっか……っ」
小さくて。
柔らかくて。
温かくて。
その束の間の感触が、悲しかった。
「何やって……っ!?」
「がちゃんと話してくれたら、僕も放してあげますよ」
「や、やだ……こんなの、ずるっ……!恥ずかし……」
「」
微かな抵抗など簡単に封じて。
真っ赤な耳を掠めるようにして、僕は彼女の名前を呼んだ。
ビクリと、小動物のように一度大きく身体を震わせて、は僕を見る。
大きな潤んだ瞳には僕しか映っていなくて。
僕だけが映っていて。
時間が止まれば良いのに、とガラにもなくそう思った。
「」
もう一度、彼女を呼ぶ。
すると、はもういい加減耐えられなくなったのか、俯いてしまった。
声も肩も、羞恥の為か僅かに震える。
「は、なすから……放してっ」
彼女は恥ずかしがり屋で。
こんなコトをすれば、当然こう言われるのは予想がついていたけれど。
『放して』
その言葉が小さく突き刺さる。
僕は無言で腕を緩めると、はすぐさま身体を離し、一、二歩後退りしてしまった。
その表情は今まで見たコトがない位、複雑そうなモノだった。
その様子を見て躊躇いも生まれたが、僕はそれを無視してにっこりと笑みを作る。
「はい、良くできました」
「……は、八戒の馬鹿ぁー!あんな、あんなコトっ」
「昔はよくやったでしょう?の方から」
「覚えてません!」
「それより、……」
暗に話すように急かしてみる。
すると、はどうしようかと迷っている風だったが、やがて決心したのかまっすぐな視線を僕に寄越した。
「絶対、内緒だからね?」
「ええ、もちろんですよ」
「……バイト先の、悟浄先輩」
「え?」
一瞬、我が耳を疑った。
『悟浄』というのは、近所のコンビニで働く僕のクラスメートの名前だ。
いや、クラスメートというにはもう少し腐れ縁のようなモノがあるが。
とにかく、信じられなかった。
言っては悪いけれど、悟浄は割と軽薄での苦手なタイプだから。
「悟浄、ですか?」
「どうしてそんな意外そうな表情なの?」
「いえ、ですが……」
言い淀む僕に、は柔らかく微笑んだ。
「すっごく良い人だよ、悟浄先輩」
そんな表情で。
「なんか、お人よしな感じもするんだけど、優しくて、ちょっと可愛くて」
そんな声で。
「素敵だと、思うなぁ」
君は僕を苦しめるんですか?
心の底からの言葉であろうそれに、僕はどう反応すれば良いのか分からない。
本当に相手を想っているのが伝わってきて。
僕なんかじゃおよびもつかない。
「……頑張って下さいね」
嗚呼、君に贈った言葉はなんて空々しいモノだったんだろう。
僕は部屋に一人閉じ篭り。
振り続ける雨を窓越しに見つめる。
と別れた直後から降り出したそれは、まるで僕の心を代弁するかのようで。
濡れているコトも忘れて、僕は呆然としていた。
そして、ようやく我に返った時には全身ずぶ濡れだった。
そのまま家に帰れば襲ってくるのは自己嫌悪。
「馬鹿みたい、ですよね」
彼女が恋愛に疎いからと言い訳をして。
この幼馴染という場所を失くしてしまうのが怖くて。
一緒にいたいからと臆病になって。
ずっと、想いを隠してきた罰がこれなんて。
「酷すぎますよ……」
ベッドをぐちょぐちょに濡らしたまま、僕はその瞳を閉じた。
「はっかーい、見舞い来てやったぞー」
「悟浄……」
の告白を聞いてから丸一日程経った夕方。
暢気な声と共に悟浄が僕の部屋にやってきた。
間抜けにも雨に打たれて風邪をひいた僕の様子を見に来たらしい。
遠慮も何もないその様子がいつも通りすぎて、思わず目を逸らしたくなった。
「ったく。風邪なんてひいてんじゃねぇっつの」
「……すみません、悟浄」
「あぁ?」
「今すぐ帰って頂けませんか」
顔を、見たくなかった。
けれど、そんな僕の心の中を彼が知るはずがなく、酷く不思議そうな表情をした後、すねたような様子になった。
こういう姿が、きっとの気に入ったのだろう。
「何だよ、人が折角来てやったってのに」
「頼んでいませんから」
「なーんで、んンな不機嫌な訳?」
「別に貴方には関係ないでしょう」
本当は関係があるのだけれど。
それを言うのは嫌だった。
しかし、それで向こうが納得するはずもなく、「チャン絡みか?」とからかい混じりの声がした。
……否定などできなかった。
「貴方は、のコトどう思いますか?」
「ンだよ、突然」
当然の問い掛けにも応えない。
「は……今時珍しい位良い子なんですよ。
真っ白で。綺麗で。
何処か危なっかしくて。
放っておけなくて。
……いつも笑っていて欲しいんです」
でも、手放したくない。
一緒にいたい。
僕だけを見て欲しい。
「僕の可愛い、幼馴染ですから」
どろどろした独占欲を断ち切る為に、僕は敢えてそう口にした。
「スキな人が出来たらしいんですよ、彼女」
「……ふーん」
それが悟浄だなんて、今は口にしないが。
いつも通りの口調を心がけながら、僕は悟浄を見た。
すると、悟浄はその視線に気付いたのか、静かに外を見ながら煙草を銜えた。
綺麗な夕焼けだった。
「悟浄、僕の部屋では吸わないようにってあれほど……」
「お前さー、もう告っちまえば?」
「……は?」
僕を遮ったその言葉の意味がよく汲み取れず、僕は間の抜けた声で聞き返した。
「突然何を言ってるんですか、貴方は。は僕の可愛い幼馴染だって言ってるでしょう?」
「隠すな隠すな。そんなモンじゃねぇだろ」
「…………」
「お前さ、自分自身にセーブかけてんじゃねぇの?」
半ば睨むようにして僕は彼の言葉を聞いた。
「スキならスキって言っちまえ。鬱陶しい」
「……言えるものなら、とっくの昔に言ってますよ」
「嘘だね。お前は何時だって言えたはずだろ」
幼馴染だと、それに拘っていたのはお前で。
スキだと自覚しても、幼馴染ってコトを忘れられなかったのもお前で。
曖昧な感情を吹っ切れなかったのもお前だろ?
悟浄の言葉は一つ一つが胸を抉った。
「お前自身がチャンを女としてスキなのか、幼馴染として好きなのか分かんなくしてたんじゃねぇ?」
「そんなコト……」
否定しようと口から出た言葉は、しかし後に続かなかった。
僕が、を?
ずっと、大切にしたくて。
でも、怖くて。
傷つくのも傷つけるのも嫌で。
「もっと早く気付けよ。
お前はチャンがスキで。
でも、それがどういう『すき』なのかイマイチ確信が持てなくて。
うじうじ悩んでる内に、チャンを逃がしそうなんだろうが」
心持ち口の端を上げて、悟浄はシニカルに笑った。
――まだ逃がしてねぇんなら、さっさとつかまえてこい。
その様子を見て、僕は敵わないと思った。
この、悪友とも言える、不思議なほど格好の良い男の事を。
「無理、ですよ」
「あん?手前ぇまだそんなコト……」
「がスキなのは貴方なんです」
だから、僕が幾らスキだと言っても、を困らせるだけなんです。
もう、手遅れなんですよ……。
「そうでもねぇよ」
「え……?」
それがどういうコトか問いただそうとした僕の耳に、お世辞にも落ち着いているとは言い難い足音が届いた。
「八戒っ!」
「八戒!風邪ひいたなんて聞いてないよ!!」
「……。どうして此処に……」
聞いていないのは当然だ。
彼女の性格だから、きっと今日は恥ずかしがって僕と逢うのを避けただろうし、クラスも違うのだから。
なのに、どうして……。
どうしてこんなに泣きそうな彼女が此処にいるんだろう。
「んじゃま、あと頼んだワ。チャン」
ヒラヒラと振り返らずに手を振って出て行く悟浄。
嗚呼、この男が知らせたのか。
「大丈夫?熱は?薬飲んだ??」
がしかし、そんな悟浄に構うコトなく、は僕の顔を気遣わしげに覗きこんだ。
本当に心配してくれている様子に胸が波打つ。
「……」
「食欲ある?私何か作ってくるよ?」
「それより、悟浄が……」
「え?」
――悟浄が行ってしまっても良いんですか?
「何言ってるの?今は八戒のコトでしょう?」
「僕なら大丈夫ですよ」
「大丈夫な声も顔もしてないよ、八戒」
そう言って、は僕の額に手を伸ばした。
冷たい手が酷く心地良い。
「……やっぱり熱いね」
そっと離そうとした彼女の腕を、僕は無意識に掴んでいた。
女性にしたって細くて折れそうな、その腕を。
「八戒?」
不安そうに眉をしかめる。
僕の耳には、先程の悟浄との会話が蘇っていた。
「八戒、大丈夫?」
そして、再度が僕を呼んだ時、僕の中で何かが溢れた。
「お医者さん呼んだ方が良……」
「」
「え?」
の綺麗な瞳を見て想う。
「スキです」
握った手首をしっかりと離さないように。
想いを込めて。
「僕はのコトがスキです。幼馴染だからじゃなくて、一人の女性として」
「はっかい……?」
「だから、一緒にいて下さい」
我侭だと、分かっているけれど。
誰よりも君が大切だから。
一緒にいて下さい。
その言葉に、は酷く戸惑った表情を一瞬浮かべた。
けれど、俯いて発せられた言葉は、
「はい」
私も八戒が……スキです。
―作者のざれごと♪―
休止終了後に書いた旧サイト後期作品、。リハビリのつもりで書いた奴ですね。
余裕のない八戒さんが書きたかったようです。
サイトに八戒さんの夢がないことに気づき、慌ててアップ。
以上、『すきなきみ』でした。
ちなみにヒロインさん視点もあります。実は。書かないと矛盾だらけになるので。興味ある方は↓からどうぞv