。二十三歳独身。
職業、フリーアルバイター。
現在地、千本中立売骨董アパートへ帰る道すがら。
現在、病院へ向かう道すがら、美少年との相合傘を満喫しています。





君との別れは 五 里 夢 





今日は珍しく、萌太のバイト終了時刻と、私のバイト終了時刻が被った。しかも早い時間で。
なので、バイト先も結構近い距離にある事だし、示し合わせて二人で病院にいく事にした。
天気予報を見ていなかった萌太を傘に入れた、いわゆる相合傘で。

何で二人とも元気なのに病院に行くのかって言えば、いわゆるお見舞いって奴。
うん。産婦人科に行きますvなんてオチじゃなくて。
普段健康なみい子さんが突然入院してしまった上に、しかもそれに続いていーさんまでが重体で病院に運ばれてしまったからだ。

みい子さんは、酷い風邪か何かで免疫力が下がっているとかなんとかで。
いーさんはどこぞの通り魔にでも刺されたらしい。
みい子さんの事はともかく、刺されたというのは随分穏やかじゃない話だ。
最近・・、骨董アパートではそういう嫌な事が続くから。
その話を聞いた時には、随分肝を冷やした。

でも、一瞬で青褪めた私に対して、萌太は言った。



みー姉もいー兄も、大丈夫ですよ。と。



それは、どんな精神安定剤よりも、効果のある一言だった。
萌太は優しくて。気ぃ遣いで。
誰かを守る為に平気で嘘を吐くけれど。
すぐにその希望が消えてしまうような、そんな安い気休めは言わないから。

だから、私はいつも通りバイトに行って、こうして二人のお見舞いに向かえたのだ。
いつもはバイト終わりの時間を見計らって萌太が来てくれるので、待ち合わせっぽい感じが結構楽しい。

あ、来てくれるっていっても、私のバイト先に萌太が来る訳じゃないのよ?
バイト先から絶妙に見えない位置にある和菓子屋さんの前に来てくれるの。
いや、年下の彼氏ってバレたら気恥ずかしいじゃない?
(もっとも、この間盛大にバレちゃったんだけど。でも、やっぱり大々的に言い触らしたい事でもない)
萌太はそういうところちゃんと分かってくれてて、でも、女の人一人で細い道歩いたりは危ないからって来てくれるのよ。
どーよ、この素晴らしき気遣い!
そこらの同世代だってこんな細やかな配慮できないわよ。
だから、萌太が一際格好良く見えるのよ。爪の垢でも煎じて呑みやがれ。

と、こんな感じで、私は声に出さないまま萌太を絶賛する。
お見舞いに行く道すがら、こんな事考えてるのはちょっと不謹慎だし。
本人に言わないのは卑怯な気がするのだけれど。
ちょっとした事でちょこちょこ惚れ直していたりするなんて、面と向かって言えるかー!っ感じ。


「今日のバイトはどうでしたか?姉」


そして、惚れ直されているなんて思ってもいないであろう萌太は、そう言って穏やかに微笑んだ。
こうして、萌太は私の愚痴を聞いていつだって私の気分を晴れやかにしてくれるのだ。
状況が状況だけに、快晴とまでは言わないけれど。
そうね。晴れ時々曇り位にはなるかな。
……うん。まぁ。天気は雨だけど。
でも、萌太と相合傘ができるなら、雨も良いかなって思う。
恋する女は現金だ。

雨の午後。
君と二人で、街歩き。
見上げた空はどんよりと暗くて。
気分さえ沈みがちになるけれど。
気付けばお互い繋いでいた手の平は温かくて。


「今日はばっちりよ!レジのミスもなかったし、クレーマーも来なかったし、店長いなかったし!」
「……姉、よっぽど店長さん嫌いなんですね」
「だってむかつくのよー、あのハゲチョビン。この前だって、自分の失敗私に擦り付けやがるしー」
「言葉遣いが荒れてますよ、姉」
「あら嫌だ、私とした事が。忘れといてー」
「くす。分かりました」


こういう、萌太との何でもない時間が好き。

今日あったできごとの話をして。
夕飯どうしようか、明日は何しようかって話をして。
偶にはキスもして。
ただ傍にいる。

そんなん当たり前じゃん、っていう馬鹿もいるけれど。
日常を大切にできない奴に、非日常を謳歌する事なんてできるのかな、って思う。


「萌太の方はどうだったの?バイト」
「そうですねぇ。人手不足も解消されましたし、いつも通りでしたよ」
「そっか。バイト先の人治ったんだっけ?良かったねぇ。これで萌太も少し休めるねー」


そう言って、今までの萌太の苦労を労うと、萌太は少し照れたようにはにかんだ。
……うん。可愛い。


「その節はご迷惑をおかけしました」
「迷惑はかけられてないけど、ストレスは与えられたので、その謝罪は素直に受け取っておくー」
「……今の素直になんですか?」
「素直でしょ」
「まぁ、そういう事にしておきましょうか」


病院まではまだ少し距離がある。
なので、喉の渇いた私は、萌太を誘ってタバコ屋さんの軒先に入り込んだ。
そして、そこにあった飲み物の自販機で、カフェオレを一つ購入。


「萌太は何にするー?」
「ああ、僕は良いですよ。それより、煙草を吸っても良いですか?」
「良いよー」


一言言ってから煙草を取り出す萌太に、あっさりと許可を出す。
別に萌太に弱いとかじゃなくて、ちゃんと一言言ってくれる人には、気持ち良く返事ができるじゃない?そんなんよ。

こうして、私達はほんの少しまったりと休みを取ると、病院へ向けてまた歩き出した。
花とかそういうものは用意していないけど。
早く治って欲しいという願いを持って。

……その願いが無残にも打ち砕かれるなんて、思ってもみなかったのに。







病院を出ると、雨はいまだにしつこく、しとしとと道を濡らしていた。
その事に、若干以上うんざりしつつも、パンッと勢い良く傘を開く。
お見舞いを終えて、私は萌太と帰路に着いたのだった。

病室に辿り着いた私は、正直絶句した。
だって、話には聞いていたけれど、やっぱり自分の目で見てみると印象がまるで違っていたから。
みい子さんは、苦しそうで。
音々さんは、気丈に振舞っていたけど、でもやっぱり辛そうで。
かけられる言葉が見つからなかった自分がいた。
いーさんは、集中治療室らしく、逢う事すらままならない。
本当に大丈夫なのかな、と思わなくもなかったけれど。



でも、私は萌太の言葉を信じている。



だから、私にできる事は。
普段と変わらず、いつも通りの日常を過ごし。
皆が帰ってくるのをあの骨董アパートで待つ事なのだろう。

そう納得し、私はアパートに萌太と帰る。
いーさんが倒れていたあたりの掃除は、この雨がやってくるだろうから良いとして。
そうだな。
普段やらない共同の炊事場とトイレ掃除を徹底的にやっちゃおうか。
えーと、今日何日だっけ?
29日?
じゃあ、あれだ。どうにかなりそう。
明日から三日間はバイトも入ってないしね。

と、そんな風に無言で今後の予定を立てていた私に対して。
同じく言葉のなかった萌太はポツリ、と私の名前を呼んだ。


姉」


それは。


「んー?」


驚くほどに平坦で。
温度のない声だった。



「別れて下さい」



あまりに唐突に。
あまりに突然に発せられた、別離の言葉。
並んで歩く彼氏からのそれに対して私の応えは。


「はぁ?」


これだった。

いや、だってそれも当然じゃない?
そんな気配今まで微塵もしてなかったんだよ?
さっきまで、今晩のおかずどうしようとか。
バイト先のハゲチャビン、マジむかつくとか。
みい子さんもいーさんも早く良くなると良いねー、とか話してたんだよ?
なのに、いきなり別れ話?
しかも、萌太は相変わらずの綺麗な笑顔?
……こんなん真に受けろって方が無茶でしょう。じゃない?

と、私の至極まともな反応に対し、萌太はいっそ穏やかとも言えた笑顔から、苦笑へと表情を切り替えた。


「そんな、心底馬鹿にしたような表情カオをしなくても良いんじゃないですか?」
「心底馬鹿にしてんだから当然でしょう。何?新手のいやがらせ?
萌太。あんまり洒落にならないこと言うと泣くわよマジで」


まんざら冗談でもない怒りを滲ませながらそう言うと、萌太は素直に頭を下げた。
でも、それは。


「すみません、姉。どうも言い方が悪かったみたいですね」


いやがらせをしたことに対する謝罪などではなかった。


「……姉のことが嫌いになったとか、そういうことじゃないんです」


そうであれば。


「でも、けじめとして。別れてもらいたいんです」



どれだけ私は救われていたのだろう。







イマイチ分かりづらい萌太の言葉に、しかし、私は口を挟むことなく耳を傾けた。
それは、これが冗談でもなんでもないのだろう、ということが分かってしまったから。
というか、冗談でだって、あの萌太が私に「別れて欲しい」なんて言うわけがないのだ。
だから、これは悪質なジョークじゃない。
夢でもない。
泣きたくなる位、リアルな現実。
泣きたいのは、私だけじゃないかもしれないけど。
そうであれば、良いのだけど。

気付けば止まっていた歩み。
ああ、Gパンの裾ビショビショだな、なんて頭の隅で思う。


「少し前に、アパートで色々ゴタゴタしていたでしょう?」


ぼんやりとしたその言葉に、しかし思い出されるのは小さな体躯の愛らしい少女。


「あの時から、いー兄は変な人に目を付けられてしまったらしくて」


気付けばいなくなっていた、萌太の『家族』。


「今回、みー姉がああなったのも、元はと言えばその人のせいらしいんです。だから……」


そこまで聞いて、とうとう私は黙っていられなくなった。


「だから、萌太も姫ちゃんみたいになるとでも言うの?」


紫木 一姫。
黄色いリボンがトレードマークの、可愛い女の子。
……死んでしまったのだと、聞いた。
詳しいことは知らない。
詳しいことは教えてもらっていない。
知りたくても、教えてもらいたくても、それは触れられないことだと思ったから、訊くことができなかったのだ。
いーさんが、もう彼女は戻ってこないのだ、と言った。
突然のその報告に、訳が分からなくて。
戸惑いながらも、その理由を尋ねて。
しかし、病院のベッドの上の絶望を宿したその空虚な瞳に、答えを求めることを止めた。
みい子さんや、奈波ちゃんはそもそも疑問を口にすることすらなかった。

でも。
本当は、私には納得なんてできなかった。
だって何日か前には笑ってたもの。
すぐ近くで。
同じ空気を吸って。
普段と変わらず、笑ってたから。
いきなり、その存在が消えてしまうなんて、誰も思ってもみない。
納得なんてできるはずもなく、納得できるだけの理由もない。

そう、姫ちゃんがどうして、どのようにいなくなったのか、誰も私に教えてくれなかった。
どうして、みい子さんは納得できるの?
人ひとりがいなくなってしまったのに、どうして皆、その理由を知ろうともしないの?
その問いがいーさんを傷つけることは、考えるまでもなく分かった。
でも、それと姫ちゃんがいない事実は秤にかけられるような事柄じゃなかったのに。
大人の表情カオをして、納得したフリをして。
周りに合わせて、姫ちゃんの不在について考えないようにする自分が酷く。酷く、醜いものに思えて。
きっと、私は知るべきじゃないことなんだと思う。
でも、それでも私は知りたかった。


「……いいえ。違います。そうじゃあ、ないんです」
「そうじゃないなら、何?」


普通である私への気遣いなら、欲しくなかった。


「ただ、僕はいー兄とみー姉を助けに行こうと思うんです」
「それでどうして別れ話になるの?」


それは、死にゆく人間が身辺を整理するのと何が違うのか。
言外にそれを含んだその問いに、萌太は淡く微笑んだ。
あまりに美しく。
儚げで。
夢のように綺麗な笑みだった。


「きっと姉は心配するだろうな、と思って」


彼氏が、得体の知れない男のところへ。
妹と、隣人と、そんな頼りのない面々で、『家族』を助けるために向かうことになったら。
きっと、わたしは心配するから。
だから、『彼氏』でなくなろうとした、と。

大人びた、しかし、少年はそう言った。
馬鹿げた考えだと思う。
肩書きがほんのちょっと変わったくらいで、心配しなくなるはずがないのに。
肩書きがほんのちょっと変わったくらいで、心が変わってしまうはずがないのに。
そんなことで、私を守ろうとする、その姿が。


「萌太って、意外と馬鹿だったんだね」


あまりに愚かしくて。
あまりに哀しくて。
あまりに愛しくて。

だから。
私は。


「……分かった」


その幼い提案にのることにした。







ふと、視界に青い空がひらめく。
気付けば、空には雲の切れ間ができていた。
いまだに霧雨が降ってはいたけれど、この分だと、すぐに止んでこの傘は必要のないものになるだろう。

仰いでいた顔を下げて、前を見ると、そこにはちょっと情けない表情カオをした萌太がいた。
これは、ちょっとレアな表情だ。カメラでも持ってれば良かった。


「分かった。萌太と別れてあげる」
「……ありがとうございます」


ちっとも嬉しそうじゃない、その姿に、ほんの少しだけ気分が浮上する。
ねぇ、萌太。
自分から言い出しておいて、後悔してる?
私と別れるの、嫌?
私と離れるの、嫌?
私は嫌。
だから。


「だから、早く帰っておいで」
「え?」
「さっさとその変な人やっつけて、帰ってきてよ。そうしたら、今度は私から告白してあげるからさー」


別れたのなら、また付き合えば良い。
だって、気持ちは変わってないんだもの。
何の問題もないでしょう?

そう言えば、萌太は一瞬だけ大きく目を瞠って。
しかし、とても幸せそうに笑みを浮かべた。


「ああ。それなら早く帰ってこなくちゃいけませんねぇ」
「うん。早くしないと、他の男見つけちゃうんだから」
「……それは流石に酷くないですか、姉?」
「うん?だって私今からフリーだものー。どこで誰とどうなろうが私の勝手でしょ」


手放した君が悪いんだよー、と口の端を歪めて嘯いた。


「意地でも帰ってきます」
「そう?じゃあ、適当に待ってるよ」


君のその言葉を信じて。
さらっとした表情で迎えてあげる。
そんな事で少しでも君の負担が軽くなるというのなら。
私は泣き顔も見せずに君を手放そう。


「あ、帰ってきたら、とりあえずぶん殴るからねー。良い?」
姉の気がそれで晴れるのなら、どうぞご随意に」
「馬鹿ねー。そんなもんで晴れるわけないじゃない。15歳に振られたのよ?私」
「あはは。それもそうですねぇ」
「『あはは』じゃないの。ふん。良いもーん。後で後悔させてやる」
「楽しみにしてますよ」







傘越しに見上げた空は明るくて。
繋いだ手は温かくて。
だから、心のどこかで思ってた。

また、こんな風に二人で歩く日が、すぐに戻ってくるのだと。
また、こんな風に二人で笑う日が、すぐに戻ってくるのだと。

だからだろうか。



「萌太くんは死にました」



その言葉に。
いきなり、目の前が真っ白になったのは。
それはその一言が予想外だったからではない。
衝撃的であったからでもなく、信じられなかったからですらない。
ただ。


「……はい?」


ただ。


「急にどうしたんですか?いーさん。今日はエイプリルフールじゃありませんよ?」
さん……」


衝撃を受けるほど予想外ではなく想定内であり信じるに足るだけの根拠があるが。


「萌太がそんな簡単に死ぬ訳ないじゃないですかー」


認めたくない、だけなのだ。





......to be continued


 





―作者のつぶやき♪―

五里夢中シリーズ第4弾。
前の話がほのぼのしてたんですけど、今回ちょっとしんみりですね。
いや、原作を読んでらっしゃる方には今後の展開読めると思いますけど、こっから先甘い展開はございませんから。
そこのところだけ肝に銘じて頂きたいなーと思います。
もう少しお付き合い頂ければ幸いです。

以上、『君との別れは 五 里 夢 中』でした!