共にある日の代償 「君は間違っているよ。双識くん」 「うん?またその話かい、」 開口一番、唐突とも言えるタイミングで言われた言葉に、しかし私はいつも通りに応じる。 苦笑交じりに見つめる先には、玄関で私を迎え入れる愛しい彼女――の姿があった。 一賊でちょっと出かけなければならなかった用事を片付けて、久々の訪問だというのに、 彼女はあくまでも眉間に皺を寄せたご面相だった。 は家賊ではない。家族にはなりたいと思うけれど。 あくまでも、彼女は一般人で。 どこまでも普通な彼女は、しかし普通でない殺人鬼に対して、異常なまでに倫理を説く。 『君は間違っている』それが、彼女の口癖だ。 「だって一度じゃ言ってもきかないでしょう。なら、きくまで私は言い続けるよ。 こんなに血の匂いをさせて、隠す気もなかったんじゃない」 「まったく。君はいつまで経っても聖人のようだね。そこが私が愛しいと思うところなのだけれど」 「上がっても良いかい?」そう尋ねれば、彼女は身体を避けて私が通れる道を作った。 私は彼女を愛している。 流石に家賊に紹介まではしたことがないが、声を大にして自慢して回りたいくらい素晴らしい女性だ。 それは少し幼さを残した顔立ちはもちろん、意外とグラマラスな身体もそうだし、なによりその性格が最高なのだ。 彼女はどこまでも正しい。 愛すべき正しさを所持している。 目の前に殺人鬼がいたら、それを「間違っている」と諭すほどに。 「また人を殺してきたんでしょう?」 「ああ、もちろんだよ。私の家賊を守るためだったから容赦などしなかったさ。 えーと、何人かは数えていないけれど、それなりの人数だったと思うよ。 一応、即死だったから苦しみはしなかったと思うが、どうだろう。もしかしたら一部の連中は少し苦しんだのかな? 死に逝く人間がどう感じてるかなんて、結局のところはよく分からないというのが本音だね」 だから、その正しさに敬意を表して。 私は彼女の問いには誠心誠意答えることにしている。 たとえ、それがどれほど一般人の精神を蝕むほどの惨事であったとしても、だ。 それが彼女の望みであり、私はそれを叶えられるだけの度量を持っていた。 そして、彼女は指折り人数を数えようとしてあっさり放棄する私を見ながら、 まるで幼子に諭すかのようにゆっくりと口を開く。 「私が問題にしてるのは人数でも苦しみの度合いでもないの。はぐらかさないで」 「うふふ。ごめんごめん。でも、はぐらかしたつもりはなかったんだよ? 知っての通り、私は持って回った言い方が癖なんだ。ほら、急がば回れとも言うじゃないか」 「それはこういう時に使う言葉じゃないと思うよ」 「うん?そうかい?そうだったかもしれないね」 特にこだわる所でもなかったので、そこはあっさりと頷いておく。 言葉なんてものは所詮記号で、慣用句やらことわざやらの正しい使い方など知らなくても生きてはいける。 言葉に拘泥するような男はきっと、よっぽど神経質で友だちもいないような、メイド好きに違いない。 「ちょっと、双識くん。ちゃんと人の話は聞きなさい」 「……聞いているよ?」 若干の怪しい間に、は酷く胡散臭そうに私を見たが、しかし諦めたのか「だからね」と話を戻した。 こういう時、この子は本当に真面目だなぁ、と感心させられる。 まぁ、だからと言って、私まで真面目になるとは限らないのだけれど。 だって、私まで神妙にしていたらまるでお通夜じゃないか。 それに。 「苦しもうが苦しむまいが、殺してしまったら死んでしまったらその死は等価だもの。 死んだらそれまで。何一つ生産性のあるものは残らない。 残るのは、周りの悲しみと恨みと嘆きだけ。 だから、君には誰も殺して欲しくなんかないのに」 もう、この話題、正直耳タコなんだよなぁ。 彼女は犯罪を嫌う。 彼女は背徳を恨む。 彼女は殺人を憎む。 だから、私にそれは間違っていると諭し続ける。 「止めろ」と言うのではない。 「止められない」という私に、彼女は一度だって「止めろ」とは言わなかった。 「止めて欲しい」の一言も、ない。 あるのはただ、「止められるはずだ」という、彼女の中の常識。 もちろん、彼女は世の中には自身の知らない常識だってあることを知っているし、それを受け入れることも吝かではない。 しかし、こと殺人に対しては、決して己の主張を曲げるつもりがないのだ。 それは、あってはならないことだから。 殺人をしないではいられない人間がいるということが、そんな間違ったことが、あって良いはずがないから。 彼女の譲れない、一線だからだ。 そう。それだから、私は私の譲れない一線で、彼女と相対するしかない。 それは決して交わる事のない、平行線のような主張だった。 「それは無理な相談だね。私たちは殺人鬼だ。人を殺さずにはいられないのだよ」 苦笑しながらそう言えば、しかし、あまりにも真っ直ぐであまりにも正しい彼女の視線に射抜かれた。 「その前提がまずおかしいんだよ。『人を殺さずにいられない』なんてことはありえない」 「目の前にそんな人間がいるのに全否定だね、」 「だって、ありえないんだから仕方がないじゃない。現に私は生きているでしょう」 殺人鬼と時折共に生活しているのに。 理由もなく人を殺してしまう人の傍に居るのに。 そう言外に告げて、は私に「違う?」と首を傾げた。 その露わになった白い首筋がなんとも魅力的だと告げたら、彼女はなんと言うだろう。 ……うーん。殴られるだろうね。確実に。 「双識くん。その妙に鬱陶しい視線は止めてくれない?鳥肌が立つから」 「おや、手厳しいね。彼氏に見つめられた彼女の反応としては少し寂しいところだ。 そこは『そんなに見つめないでっ!恥ずかしいからっ』くらいの初々しさが欲しいところなんだが」 「初々しい彼女が双識くんの彼女であるはずがないじゃない」 「うん?は十分初々しいよ?」 「そう?ならこれ以上は求めないでくれる?」 呆れを多分に含んだ彼女の様子に、私はうふふと笑みを返しておいた。 そして、彼女はそれ以上この話題が続く事に耐えられなかったのか、最初の時点に話を戻す。 「とにかく、人を殺さないと生きられないなんて嘘だよ。 それは君の、君達の努力が足りないだけ。忍耐力の問題だよ」 「……努力と言われてもね。実際問題、私たちの前には殺さないという選択肢は存在しないんだよ」 「じゃあ、何故私は生きているの?」 「それこそ努力の賜物だね」と嘯けば、彼女は酷く不機嫌そうに私を睨んだ。 冗談のつもりはなかったのだけれど、彼女にはそう聞こえてしまったらしい。 「……が死んでいないのは、私が君を常に『後で殺す』と思っているからだよ」 零崎にあるのは、『今殺す』か『後で殺す』かの二択だけ。 殺さないという選択肢は存在しない。 嗚呼、例外として一人、菜食主義者を謳う音楽家がいるが。 あれこそ、素晴らしき努力の賜物であり、自分が尊敬してやまない存在だ。 流石に全く殺していないということはないが、私にはとても無理だ。 あんな、生き地獄を延々と歩き続けるような真似はできない。 二十番目の地獄が生き地獄を恐れるなんて、とんだお笑い種ではあるけれど。 「殺さない保障はない」 だから、いつでも君は私から逃げて良いんだ。 君は、文句なしに満点で花丸付きの合格なのだから。 しかし、彼女はそう言っても、決して私から逃げ出すことをしないだろう。 そう。彼女は決して私から目を背けることなく、いつだってそこに存在していた。 殺人を間違っていると言い、殺人鬼をおかしいと言うくせに。 どれだけ双識が人を殺しても、彼女は双識から逃げ出さない。 だから時々、勘違いしてしまいそうになる。 自分にも、いつか。 一般人のような、『普通』が手に入るのではないかと。 今このとき、自分がただ一人の人間になれたのではないかと。 ……まぁ、それは錯覚に過ぎないと、分かっているのだけれど。 「私はいつか君を殺してしまうかもしれないよ?」 「……そうだね。でもそれは私も一緒。いつ嫉妬に狂って双識くんを刺さないとも限らない。 だって私たちは人間だもの。いつだってお互いに傷つけあう可能性があるんだよ」 「それはまた、熱烈な愛の告白だね」 「でも、私は双識くんを刺したりなんかしない。だって、それは間違っていることだから。 私達は人間なんだよ。 だから、そんな暴力で済まさないで、言葉とかの非暴力で解決できる問題の方が多いはずなんだ」 「……ふむ。しかし、君の言葉を借りるなら、人間は間違うものだよ」 「そうだよ。間違うものなんだよ。でも、間違いに気付いたらそれを直せるのも、人間なんだ」 「私は鬼なんだよ、。それは分かってくれているかい?」 「違うよ。君達は人間だ。私と同じ、人間なんだよ」 真っ直ぐに向けられる何の打算もない言葉に、いつも胸打たれる。 本当に、君と出会えて良かったと思えるほどに。 この時だけ、鬼も人になれたのではないかと錯覚するほどに。 だから。 だからね、。 君はずっと変わらずにいて? 君のその変わらぬ正しさで、私を諭し続けて欲しい。 そうであれば、私はどれほど息苦しかろうと殺せると思っても体調が悪くなったとしてさえ、君を殺さないよう努力しよう。 「『後で殺す』ことが選べるのなら、それをずっと選び続けていれば良い。 そうすれば、誰も殺さない。そうは、思わない?」 「普段の殺人ならそれもあるいは可能なのかもしれないけれどね。 私達は家賊のためには誰だって殺す。殺さなければ、家賊が守れないのだよ。 だから、決して零崎が人を殺さなくなることはない」 呼吸するように人を殺し、息を殺すように君を生かそう。 「見解の相違だね」 「その通りだね」 たとえ、それが君のためにはならなくとも。 うふふ。我ながら悪い男だとは思うけれどね。 仕方がないじゃないか。だって君を手放すのは、私には我慢できそうにないのだから。 と、そこでふと疑問が湧いて、戯れに問いかけてみる気になった。 自分は我慢できない。 なら、は? 愛すべき彼女が自分を愛してくれているであろう事は理解しているが。 それでも、それは殺人を看過できるほどのものなのだろうか。 ならば、それは一体、何を以てしてそのような結論に至ったのだろうか。 ……嗚呼、ツンデレな返答が返ってきたら最高なんだけどなぁ。 「ねぇ、。君は人が死ぬのは嫌なんだろう?」 「そうだよ。人であろうが犬であろうが植物であろうが、何かが死ぬのは嫌い。大嫌い」 「じゃあ、何故私と一緒にいてくれるんだい?」 そう問えば、君はもちろん呆れたようにこう言った。 「だって君は間違っているもの。間違っているって教える人が必要じゃない」 「うふふ。そこは好きだからとか言ってはくれないのかい?」 「じゃあ、まぁ惚れた弱みってことにしておこうか」 君はそこでようやく笑みを浮かべた。 それは少し苦笑染みていたけれど。 それはそれは魅力的なそれだった。 「ねぇ、」 ふと。 双識はそんな風に彼女に呼びかけた。 は答えない。 「私なりに、努力はしていたのだよ」 答えよう、はずがない。 「何しろ、私は君が知っている通り、一賊でもっとも平和を愛する男だ」 なぜなら。 「けれどね。言ったじゃないか。『私は君をいつか殺す』と」 声を発すべき喉はすでになく。 彼女の頭部は大鋏を手にした男の膝に、ぽつんと鎮座していたのだから。 その身体は、双識の視界の端だ。 は双識の手によって二つに分断されていた。 すっぱりと。ばっさりと。きっかりと。 まるで元々そういう形のオブジェであったかのように。 きっかけはごくごく些細なものだった。 けれど、何かタイミングというか、双識の気が抜けていたのが悪かったのだろう、 気付けば彼女は死ぬしかないというような状態だった。 全てが手遅れで、無意味だった。 元々、薄氷を踏んでいるような危うい関係だったのだと、思い知らされる。 元々、鬼と人が一緒にいるべきではなかったのだと、見せ付けられた。 これ以上ないという形で。 ズタズタの肢体という形で。 「なのに、どうして」 鮮血の海の中、双識は涙もなく泣いていた。 誰かの返り血など一切浴びることのない男が浴びた、その愛しい者の赤はまるで涙のように彼の頬を彩っていた。 「君は最後まで私から逃げなかったんだい」 逃げてくれ、と何度も思った。 けれど、決して逃げなかった彼女に、安堵していたのも事実で。 ズルズルと関係を続けてしまっていた。 その結果がこの様だ。 「まさか、私が最後に間違いに気付いて君を殺すのを止めるとでも? 私と一緒にいれば、殺されることなど起こらないとでも思っていたのかい? いやいや、聡明な君の事だ。そんなことはないと気付いていたはずだろう」 では、何故か、と問われても双識には答えを返せない。 まさか、自分だけは大丈夫だなんて高を括っていたわけではあるまい。 だって、彼女は。 血まみれの男が近づいてきても、取り乱すことなく対峙していた。 自殺志願を持って自分に近づく双識に気付いても、彼女は驚き一つその瞳に浮かべなかった。 ただ、ありのままを見て。 いつものように正しすぎる視線でもって、双識を迎えた。 「 」 僅かに開かれた口から零れ落ちた言葉は、生憎双識まで届かなかった。 けれど、分かることがあるのだ。 「本当に、反則だよね……」 彼女は、罪を憎んでも双識を憎みはしなかった。 なぜなら、いつだって彼女は血の匂いをさせた双識を迎え入れて。 最後には必ず笑うのだ。 「ったく。あんな笑い見せつけられたらなー」 もう他の彼女なんて見つけられないじゃないか。 うふふ。仕方がないなぁ。この鬱憤は、妹でも見つけて晴らすしかないよ。 穏やかに瞳を閉じる、小さな頭に口付けを一つ落とし、双識はその場を立ち去った。 後に残されたのは、投げ出された女性の身体と。 二度と聞くことのない、正しさだった。 ――さあ、零崎を始めよう。
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