床にはバージンロードのように赤い筋が走っている。その先端、私の目の前にはひとりの男だったもの。這いずってここまで来たのに、伸ばした手が私の足首を掴む前に力尽きた。眼鏡がよく似合った理知的な顔が今は醜く歪んでしまっている。最期に彼を支配したのは苦痛か恐怖か、それとも怒りだろうか。



「鬼」



唇を尖らせ、頬杖をついたまま、赤い道の逆先端に立つ殺人鬼達を見る。針金細工と女子高生を中心に、麦藁帽子、音楽家が並んでいる。何を今更、と彼らは三者三様──否、四者四様の笑みを浮かべた。 うふふ。うふふ。きひひ。悪くない。 はて、足元に転がる男はどんな風に笑う人間だったか。手首に光るロレックスばかり見ていたせいだろうか。思い出せない。今やそれも血濡れで、質屋が受け取ってくれそうにもない無残な姿を呈していた。ああ、勿体ない。結構な値になりそうだったのに。有望株がまた死んだ。



「ねぇ、私が嫁き遅れたらどうしてくれるの?」
「私の内ポケットにはいつでも記名済みの婚姻届が入っているよ、ちゃん!」
「妹に何の期待してるのよ、双識兄さん」
もわからねー奴っちゃな。鬼が人間と結婚出来ると思うちゃか?」
「失礼ね、軋識兄さんったら。今回だって実際結構いい所まで漕ぎ着けていたわ」
──ならば、僕が養うのも悪くない」
「私は他人と大恋愛の末に結婚したいのよ。未だにどこぞの赤を想ってる曲識とは嫌」
「うふふ。お姉ちゃん、モテモテですねぇ」
「舞織にはまだわからないかもね。この歳になると家族じゃなくて男に愛されたいの」



そう、彼らと私は家族だ。十数年前、何の前触れもなく兄弟が20人も増え、苗字が変わってしまった。両親の離婚もなければ養子に出された訳でも、ましてや結婚した訳でもないのに。むしろ何とか結婚しようと焦っている側だ。それなのに、零崎姓の意味を知らない男を掴まえ、そろそろプロポーズされようかという頃に彼らはこうして邪魔しに来る。殺された恋人も30人目を超えた頃から数えるのをやめた。慕ってくれるのは嬉しいがシスコンもいい加減にして欲しい。



「毎回毎回、私がどれだけ頑張ってると思ってるのよ…」



彼好みのメイクを覚えて、彼好みの服を身に着けて、彼好みのプロポーションを維持して。彼の好みの味付けを覚えて、彼の趣味に手を出して、彼好みの女を演じて。恋人の女を殺して、近付く女を殺して、年老いた両親を殺して、頼れる上司を殺して、親友の男を殺して、彼の心の拠り所を私だけにして。非効率な方法でも健気に頑張って確実にモノにしてきたと言うのに。毎度最後に肝心の恋人を殺されたら非生産どころの話じゃない。溜息と肩を落とすと、ぎゅうっと後ろから抱き締められた。かはは、と耳元で笑うのは、今回私の恋人を仕留めた顔面刺青だ。



「じゃあ俺と恋愛しようぜ、のねーちゃん」
「冗談。人識のレンアイって解体でしょう」
「遠慮すんなって。骨の髄まで愛してやるよ」
「骨髄なんて血液の源泉じゃない。愛して当たり前だわ」



恋愛なめてんの? ギロリと睨むと弟は「傑作だ」と愉快そうに笑った。この子はいつも笑っている。小学生の頃からあまり変わっていない幼い笑顔はとても愛らしい。零識父さんと機織母さんが羨ましい。私もこういう可愛い子を産みたいのに。初めて出来た妹の舞織も可愛らしいし、末弟の問識も可愛い。笑いながら鮮血の川を歩いてくる兄弟達も性格に問題こそあれど美形ばかり。氏神家とのコネクションを持つ双識兄さん。何をしているのか知らないけれどやたら貯金のある軋識兄さん。こちらも何をしているのか知らないけれど表向きの事業をしているらしい曲識。それこそ兄弟でさえなかったらこの場で婚姻届に拇印でもキスマークでも何でも押すのに。お兄ちゃんと呼んだっていいし、インターネットばかりの引き篭もりになったって許すし、連弾を弾けるようにピアノを練習してもいい。兄弟でさえなかったら。そう思うのだが、思った所で結局兄弟に変わりないので名残惜しいが諦める。私も零崎である以上、近親相姦になってしまう。それは嫌だ。ついでに言えば人識は論外だ。ニートなんて全く食指が動かない。



「お姉ちゃん、『骨の髄まで』は慣用句ですよ!」
「知らないわよ。舞織達みたいに高学歴じゃないんだから」
「やっぱりのねーちゃんだな。んじゃ爪の先まで?それとも髪の毛一筋までか?」
「生温い。爪の垢までとか抜け落ちた毛までとか言えないの?」
「何だ。その程度でいいのかい?よし、ちゃん、この兄に任せてくれたまえ」
「僕にはただの変態に思えるのだが…がそう言うのならそうなのだろう。悪くない」
「悪くない事あるか!!適当な事吹き込むんじゃねぇっちゃ!」
「何よ。軋識兄さんの馬鹿」



自分はちゃっかり好きな女の子作っているくせに人の恋路を邪魔するなんて、どういう神経をしているのか。直接聞いた事はないが、兄に恋い慕う相手がいる事くらいはわかる。十数年付き合ってきた妹の、女の勘をなめないで欲しい。どうせその女の子が同じ事を言ったら全肯定するくせに。恋する男はそれほどまでに盲目的で愚かで可愛い。その内の1人を自分のものにしたいと思うのは間違っていないはずだ。曲識には初恋の赤がいるし、双識兄さんには仲良くしていた女子高生がいるし、人識にはよくつるんでいた匂宮がいる。私には腐敗していく屍ばかり。こっちは一度も邪魔した事などないのに彼らはどうしてこうまでも私の恋愛を邪魔するのだろう。いい加減にして欲しい。おかげで苗字が変わる日がまた遠のいた。



「舞織、頑張りなさいね。あなたもなかなか結婚出来ないわよ」
「困りましたねー。でも私、お姉ちゃんとお兄ちゃんがたくさんで結構幸せですよ」
「んは、いい子。でもそれもあと何年言っていられるか」



ニット帽の上から末妹の頭を撫でる。元女子高生は幸せそうに満面の笑みを浮かべた。せっかく最新にして女の零崎が生まれたのだから、彼らのシスコンっぷりは彼女に向かって欲しい。その間に私は高収入の美形を掴まえて大恋愛の末に結婚するのだ。尖ったパンプスの爪先で死体の顎を持ち上げる。口の端からだらりと舌が覗き、それを伝って赤い唾液が床と糸を引いていた。いい男が台無し。あとで貰おうと思っていたポールスミスの眼鏡も割れていて残念だった。さようなら、愛していたわ。そう囁いて足をずらすと、ガツリ、と顎から地に落ちた。鼻と一緒に眼鏡のフレームが曲がったのが見えた。憂いの溜息を漏らすと、兄弟から声が掛かる。 ちゃん。のねーちゃん。お姉ちゃん。 差し伸べられた手を取って、立ち上がる。右手を兄の1人に。左手を弟の1人に取られ、飯事の様にお姫様気分を味わった。恋人だった男の血で敷かれた赤い道を歩く。愛する家族以外でない誰かを愛し、本当のバージンロードを歩く日はいつ来てくれるのだろう。



「次は邪魔しないでね、皆」



うふふ。きひひ。悪くない。かはは。うふふ。 五者四様の返事に、んは、と笑い返した。多くは望んでいないはずなのに、やっぱり当分願いは叶えられそうにない。他人の幸せを奪った殺人鬼が幸せを見られる日は来ないのだろうか。彼らと同じ苗字を得るのならば、こんな形であってほしくはなかった。私はただ人間のように恋をしたかっただけなのだ。そう。私はただ、







恋愛結婚がしたかったのよ

(貴方達と違う形で愛し合えたら、きっともっと幸せだったわ)