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騒がしい夏、5

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落ち着かない――

花火大会当日。
待ち合わせ場所で、と共に八戒と悟空を探しながら、顔に手をやりかけては思い留まる、を繰り返していた。
ふと目を遣ったショーウインドーに映る浴衣姿の自分が、所在なさげにを見返している。

いつもしている眼鏡はなく、長い髪を結い上げ、薄く化粧を施された顔は自分であって自分ではないようだ。

他人の顔を見ている様で、落ち着かない。
は、の言いつけ通り、集合場所へ行く前に彼女の家に寄ったことを後悔していた。
化粧も髪型も、全てはの仕業だ。
彼女曰く、『力作』。
仕上がったの姿に、自分の事のように嬉しそうなの笑顔を見せられては、は出かかった文句を飲み込むしかなかった。
そして今は、自分以上にそわそわと落ち着きのないに、やはり文句を言えないなんである。


 「彼、来るかしらね?」
 「うん…」
 「来てくれるかしら?」
 「うん…」


先程から、もう、何度も繰り返された遣り取り。
『彼』とは、言うまでもなくの想い人・猪 八戒である。
は、今日の為にこの間購入した、白と黒の二色に染め分けられた生地に大柄の藤の花を所々にあしらった浴衣を着ている。
基本的には地味な色合いだが、藤の花の紫と葉の緑がアクセントになっていて落ち着いた中にも華やかさがある。
着ている本人の大人びた雰囲気に良く似合っていた。
帯は浴衣の生地と揃いの白と黒のもので、背の高い彼女は片花流しに結んでいる。
長い黒髪はと同じ様に高くきりっと結い上げ、化粧もばっちり。
ほんのりと上気した頬は、花火大会の熱気によるものだけではないだろう。

――やっぱ綺麗だなぁ、は。

履き慣れない草履が、二人が身じろぐたびにカタカタと音を立てる。
花火大会の会場への道筋には屋台が軒を並べ、宵闇迫る辺りをぼんやりと裸電球の橙色の灯りが優しく照らしている。
色取り取りの提灯の灯りもまた、薄闇の中に浮かび上がり、祭り独特の何処か郷愁を誘うような風景を演出していた。
既に周囲は花火の見物客で大いに賑わっている。
ムッとするような人いきれ。
夏の夕方、河を渡る風は、いつもなら暑さを和らげてくれるのだろうに、今夜は人の多さにそれも適わない。
生温い風が、の露になった首筋を撫でて後れ毛を揺らす。

――早く来てくれないかなぁ。

張り切るに釣られ、待ち合わせ時間より早く来てしまったのは自分達の方なのに、そんな事を思う。
友人の緊張が手に取るようにわかり、だから余計に落ち着かない。
巾着に入れている携帯を取り出し、時間を確認する。
20分前。
まだまだ、待ち人は来そうにない。
周囲を見回してみるが、自分達と同じく浴衣姿も多い人々の流れの中に、それらしき人影は見つからない。


 「ねえ、。喉渇かない?」
 「うん」
 「じゃあ、私飲み物買って来るね」
 「うん」
 「は何がいい?」
 「うん」
 「…?」
 「うん…」
 「飲み物…」
 「うん………」


心、此処に在らず。
どうやら条件反射で生返事をしているだけのようだ。

――うーん、ダメだこりゃ。

との会話を諦め、取り敢えず此処から見える範囲の屋台で適当に二人分の缶ジュースを調達することにした。
一応、行ってくるね、と声をかけておいたが、返って来た返事は「うん」。
今からこんな調子で、本人を目の前にしたら一体どうなってしまうのだろうかと、他人事ながら心配になる。
屋台に向かいながら、彼女を気にして幾度となく振り返りながら歩く。


どんっ。


 「ぶっ」
 「てっ」


前方不注意。
前から来る人に思いっきりぶつかった。


 「ごめんさいっ」


ぶつけた鼻を押さえてがペコリと頭を下げると、顔を上げたを見た浴衣姿の青年はにこりと笑った。


 「いいよ、別に」
 「すみません」
 「いいって。君の方こそ大丈夫だった?」
 「はいっ。私は大丈夫です」
 「じゃあ、良かった」


どうもすみませんでした、とまたペコリと頭を下げて青年の横を擦り抜けたの腕を、青年の手が掴んだ。


 「あの…?」


何だろう、と小首を傾げて青年を見上げる。
怪訝そうな視線を向けると、にこり、と微笑まれた。


 「キミ、花火見に来たの?」
 「…はい」
 「ふうん。一人で?」
 「いえ、友達と一緒です」


にこにこ、にこにこ。
人の良さそうな笑顔を浮かべた青年は、会話をしながら人ごみを避けて道端へ寄る。
腕を掴まれたままのも、連れられるようにして道端へ。


 「へぇ。それって男?」


会話の流れで質問する青年の眼差しが一瞬、探る様に鋭くなったのをは全く気付かなかった。


 「違いますよー。女の子です」


にっこりと笑う


 「じゃあ、私、友達を待たせているので失礼しますねっ」


そのまま歩き出そうとしたの腕を、青年は離してはくれない。


 「あの、何でしょう?」


自分の腕を掴む青年の腕と、好青年然とした青年の顔を交互に見遣る。
暗に離して欲しいと訴えるの眼差しに、青年はニコニコと笑うのみで気付く様子はない。


 「あのさ。俺も連れが居たんだけど、はぐれちゃって」
 「ああ、この人ごみですからねー」


それは大変ですね、とが小首を傾げて気の毒そうな顔をすると、青年は何故か嬉しそうに笑った。


 「うん。大変なんだ。コレだけ人が多いと携帯とかも全然繋がらなくってさぁ」
 「そうでしょうねぇ」
 「だから、困ってたんだ」
 「はあ」


ニコニコと話しかけてくる青年は、未だの腕を掴んだまま。
それが引っ掛かるも、青年に同情してしまったは、置いてきたを気にしつつも一緒になって何かイイ方法はないかと考える。
青年の視線が、うーんと小さく唸りながら首を捻るを、値踏みでもするかのように頭の天辺から爪先まで舐めた。


 「確か、会場の方に行けば大会本部のテントかなにかがあって、頼めば其処で呼び出しのアナウンスをしてくれると思いますよ?」


見上げたと目が合うと、青年はすぐにまた人の良さそうな笑顔を彼女に向けた。


 「有難う。そうする」
 「じゃあ、私はこれで。お友達、見つかるといいですね!」


そう言って立ち去ろうとするが、青年は手を離さない。
今更の様に漠然とした不安を覚え、は腕を引き戻そうと引っ張るが、男の力には適わずびくともしない。


 「あの、私、もう行かないと――
 「その本部ってトコが何処にあるか知ってる?俺さあ、こういうトコ来んの初めてで良くわからないんだ」
 「え?えっと――
 「悪いんだけど案内してくれない?」


口篭るに、畳み掛けるように青年は言葉を重ねる。
笑顔の印象を裏切る強引さと腕を掴む手の力の強さに、の中で不安が明確な形をとった。


 「ごめんなさい。私、友達を待たせてるんで、もう行かないと」


きっぱりと断り、青年の腕に手をかける。
離して下さい、とが言う前に、青年が手に力を込めた。
ぎりっ、と締め付けられて痛みが走り、出かかった言葉ごと息を呑んだ。


 「じゃあ、その彼女も一緒に行けばいいよ」


相変わらず青年は笑っている。
は強張った表情で視線を逸らし、あらぬ方へと泳がせた。
折り悪く、が今居る場所は、が居る待ち合わせ場所とは道を挟んで反対側。
女性として然程小柄な部類ではないだが、人の流れの向こう側を見渡せるほどの身長はない。
縋る様な視線を周囲に彷徨わすの正面に青年が回りこむ。


 「ね?そうしよう?」


確認の形をとった断定。
さり気無さを装ってしっかりとの視界を躯で遮った青年は、そのままの肩に腕を回し、背を押して河岸の土手へ降りようとする。
流石に慌てたが声を荒げた。


 「ちょっ、そっちは違います!!」
 「いいから、いいから」
 「良くないですっ!!」


足を踏ん張ってその場に留まろうとするが、慣れない草履のせいで上手く足に力が入らない。
ずるずると引き摺られ、おまけに土手の斜面に足を取られて思いっきり前につんのめった。


 「きゃっ…!!」


宙に投げ出される感覚に悲鳴を上げて目を瞑ったの躯を、力強い腕が受け止めた。


 「おっと」


青年のものより、ずっと低い男の声。
驚いて眼を開けたの視界に飛び込んできたのは、深紅の髪。


 「だいじょーぶかい?」


覗き込んでくる笑みを含んだ切れ長の双眸もまた、髪と同様の深い紅。
黒地に龍の絵柄という派手な浴衣を粋に着こなすその男を、は良く知っていた。
正確には知人というわけではなく、大学構内で見かけた事があるだけで、噂などでの方が一方的に知っているだけだったのだが。

――こんな所で会うなんて。

思わず状況も忘れて、ただただ呆然と彼を見つめるの耳に、例の青年の硬い声が届いた。


 「…誰?知り合い?」


咎める様な響きを孕んだ声に、はハッとして身を硬くした。
腕はまだ、しっかりと掴まれたままなのだ。
綺麗に薄化粧を施された顔を強張らせるをチラリと深紅の双眸が見遣り、クッと薄い唇の端が吊りあがった。


 「そ。知り合い。つーかコイビトってやつ?」


形のいい唇から飛び出した台詞に、は目を白黒させる。


 「えっ、ええ――


の叫びは、大きな手で後頭部を抱え込まれて彼の浴衣の胸元へと吸い込まれた。
フワリと鼻を擽った甘く重たい香り。
香りに混じる煙っぽさに、それが煙草の匂いであると気付く。

三蔵とは違う、三蔵の煙草よりも強い香り。

逃れるように頭を左右に振って何とか顔を上げて見上げると、の眼差しに答えて深紅の片目がパチンと瞑られる。
その仕草の意味はわからないものの、茶目っ気たっぷりな精悍な横顔はかなり色っぽくて、直視できずに思わず逞しい胸元に逆戻りしてしまった。
そんなの態度をどう受け取ったのか、青年が声を荒げる。


 「そんなわけないだろ!?彼女は――
 「俺のコイビトよ?」


彼が先程の台詞を繰り返し苛立たしげな青年を遮ると同時に、の腕が解放された。
やっと自由になった腕を胸に抱き込みながらが視線だけを恐る恐る青年に向けると、青年は彼に手首を掴み上げられていた。


 「だから、汚い手で触んないでくんねぇ?」
 「なっ、なんだと!?」


突然乱入してきた男に折角の戦利品を奪われ、しかもそれが当然だとばかりの態度を取られて暴言のオマケつき。
一見、人の良さそうな青年の表情が険しくなる。
ギラギラとした眼で長身の彼を睨み上げる青年には、最早先程までの好青年然とした雰囲気など欠片もなかった。


 「だぁっからー、ヒトの女に手ぇ出すんじゃねぇっつってんの」


何度も同じコト言わせんじゃねーって。
彼は飄々とした態度を全く崩さず、面倒臭そうに言い捨て、
尚も何か言おうと口を開いた青年の、掴んだままの手首を乱暴に自分の方へ引き寄せた。
に抵抗を許さなかった青年が、彼に引っ張られてあっけないほど簡単によろける。


 「よっく言うだろぉ?他人の恋路を邪魔するヤツは、馬に蹴られて死んじまえってな」
 「うっ、煩いっ」


手首を拘束する彼の腕に手をかけ、頬を歪めて引き剥がそうともがく青年に、深紅の青年はぐっと上半身を折り曲げて顔を近付けた。


 「それとも、俺に蹴られてソコの河に沈んでみっか?」


至近距離で青年を覗き込んだ双眸が、底光りした。
戯けた口調とは裏腹に、見据える切れ長の瞳の冷え冷えとした鋭さに、青年が言葉を失って青ざめる。


 「…は、離せ…っ」


漸く絞り出した声に力はなく、「ほらよ」とおざなりに突き放されて、青年はまたよろけて後退った。
そのまま逃げるようにして立ち去り、青年の姿が見えなくなるとはホッと息を吐いた。


 「助かったぁ………」


ずっと強張っていた全身の力が抜け、その場にへたり込みそうになったを、彼の腕が支える。


 「こんなトコに座ったら、折角の浴衣が台無しよ?」


揶揄うようにうそぶいて笑んだ切れ長の深紅が、再びを赤面させた。
頬を薄っすらと染めて長い睫毛を伏せ、両手はぎゅっと男の浴衣の袷を握り締める。
俯いて彼の眼に晒された、奥襟から覗くうなじまでもがほんのりと赤い。


 「かっわいーな、ちゃんは」


クックと笑われて、は言おうとしていたお礼の代わりに耳まで赤くなって怒鳴った。


 「かっ、揶揄わないで下さいっ」


猫を思わせる吊り気味の大きな瞳を怒らせて睨み上げる。
先程までの恐怖の余韻かそれとも別の理由でか、潤んだ瞳で睨んでみても迫力なんてあったもんじゃない。
余裕で真正面から見つめ返されて、自身の状態に全く無自覚なは、まだ神経が高ぶっていたこともあったのだろう。
彼女にしては珍しく腹立たしさのままに噛み付くように言を継ぐ。


 「助けて下さってどーも有り難うございましたっ」


何故彼が此処に現れたのか、自分の事を助けてくれたのか、そんな疑問はとうに吹っ飛んでいた。
彼が自分の名前を口にしていたことにすら気付いてはいない。


 「ふーん」


深紅の双眸がを見つめて少しだけ眇められた。


 「何ですかっ」


意味ありげな眼差しを向けてくる男に、は食って掛かる。


 「じゃあ、さ。お礼してくんねぇ?」
 「はっ!?お礼なら、今言ったばかりじゃないですかっ」


彼の浴衣を握ったままブンブンと両手を振る
精悍な面立ちに苦笑が浮かんで、頑是無い子供を宥める様にの両手を上から握った。
すっぽりと、簡単にの手を収めてしまった大きな手。
決して強引ではない力での手を自分の浴衣から離させる。
見た目の逞しさからは意外な丁寧さで手を取った男に、触れた手の包み込むような暖かさに、は一瞬だけ怒りを忘れて目の前の深紅の瞳を見つめた。
顰められた形のいい眉に、は首を傾げる。


 「あの…?」
どうかしましたか――


言い掛けたを遮って低い囁くような呟きが漏れた。


 「痕、残っちまってるな」


ゾクリとした。
何が、と聞こうとした問いが宙に浮く。
彼の眼差しはの手首に向けられていた。
ほっそりとした華奢な腕にくっきりと付いた痛々しい赤い痣。
の手をくるみ込んだ大きな手が軽く腕を引き寄せ、引き締まった薄い唇が赤い痣に押し当てられた。


 「!!!な、なっ、なっ…!??」


何してるんですかーっ!!!


大絶叫、である。
間近で大音声の直撃を鼓膜に受け、流石の彼も目を白黒させて引いた。

『火の無い所に煙は立たぬ』

学内で三蔵と八戒と並ぶ人気を誇る彼についての噂は、その九割方が女性絡みだ。
忘れっぽいでさえ覚えているほどに囁かれている噂の信憑性を、身をもって実感したである。


 「もうっ!離して下さいよっ、悟浄先輩!」


その人気と同時に女っ誑しと有名な彼――沙 悟浄の両手を振り払い、涙目で肩を怒らせる
だが、どんなにが怒りを露にしても、悟浄は可笑しそうに笑うばかりだ。


 「悪ぃ悪ぃ。ま、お礼っつーコトで」


な?
と悪戯っぽくニヤリと笑んだ深紅の双眸。

――うーっ。この眼つき、苦手!

が出来たことと言えば、精々剥れてそっぽを向くぐらいだった。
すっかりご機嫌斜めになってしまったに、悟浄は困ったようにがしがしと紅い頭を掻く。


 「そんな怒んなって」


まるで子供にするようにポンポンと軽く頭を撫でられた。


 「…何ですか?」


逸らした視界に入ってきた差し出された手と悟浄とを見比べて、僅かに身を引く
思いっきり警戒されて、ちょっと揶揄い過ぎたか、と悟浄は苦笑する。


 「別に獲って食いやしねぇって」


俺、女の子にはやさしーのよ?
もしも声に味があるのなら、きっと飛びっきり甘いに違いない、と思わせる悟浄の声。

男の人を色っぽいなどと思ったのは初めてだ。

男性に対して使う一般的な形容詞では無いと思うのだが…と、そこで唐突にの脳裏にもう一人、
一般的でない形容詞がこの上なく当て嵌まる男の顔が思い浮かんだ。

――そう言えば玄奘先輩も、男にしておくには勿体無いくらい綺麗なんだよなぁ。

伊達に女性陣に人気が有るわけではない、というところか。
好みは別として、三蔵や悟浄の容姿を頭ごなしに貶す女性は居ないだろうと思う。

――勿体無いと言えば、玄奘先輩だって少しは悟浄先輩みたいに笑えばいいのに。

折角、二枚目俳優も裸足で逃げ出しそうな美貌の持ち主なのだから。

――あー、でも、そうなったらトップ3じゃなくて、ダントツで人気出そうかも。

『悟浄のように色っぽく笑う三蔵』

ボンッ、と想像したの顔が真っ赤になった。
心臓に思いっきり悪い。
三蔵はやっぱり、三蔵のままが一番だ。
などと自分で自分に言い聞かせ、スーハーと深呼吸をする


 「――ゃん。ちゃん。おーい!」


自分を呼ぶ声に、ハッとして顔を上げたの真ん前、深紅の切れ長が至近距離からを覗き込んでいた。


 「っ!!」


反射的に仰け反ったを、悟浄は呆れ顔で見下ろす。


 「なぁによ?」
 「いっ、いえっ。何でもないです!」


まさか脳内で展開していたアレコレを言うわけにもいかず、ユデダコ状態ではあたふたと両手を顔の前で振った。


 「そ?んじゃなんで一人で百面相してんの」
 「うっ…」


言葉に詰まる。
どうやらしっかり顔に出ていたらしい。


 「…どうして、悟浄先輩は私の名前知ってるんですか?」


苦し紛れに、漸く気付いた疑問を口にすると、悟浄は「ん?」と器用に片眉を上げた。


 「 ちゃん?」
 「はい」
 「そっか。んじゃ、せーかいだったワケね」
 「は?」


思わず、素っ頓狂な声を上げてしまう
悟浄は重ねて聞いてくる。


 「ちゃんでいんだろ?」
 「何がですか?」
 「名前」


悟浄はニヤリと笑う。
どうしてそこで笑うのかわからず、の顔に「?」が浮かぶ。


 「あの、答えになってないと思うんですけど…」


言いながらはそっと深紅の青年から視線を逸らす。
彼に見つめられのはどうも苦手だ。
頭一つ以上、上から苦笑する気配が伝わってきたが、は目線を戻すことが出来ない。


 「…まっ、一緒に来りゃわかるさ」


悟浄に手を引かれて、はビクっと身を竦ませた。
先程、見ず知らずの青年にどこぞに連れ去られそうになったことを思い出した。
パシン、と乱暴に悟浄の手を振り払う。


 「ちゃ――
 「私!友達待たせてるんで!」


失礼します!!
驚愕に眼を瞠る悟浄に見向きもせず、は頭を下げて走り出した。


 「おいっ、待てって!!」


突然、やっと見つけた目的の少女に逃げ出されて焦った悟浄だったが、すぐに追いついての前に回りこんだ。


 「待てって」
 「嫌です!!」


は正面に立ち塞がる悟浄を避けて尚も逃げようとする。
兎に角、早くの元へ行きたかった。


 「話し聞けって!!」


方向転換しようとするの肩を、焦れた悟浄が掴み上げる。


 「いったぁーいっ!!」
 「!――っと。…悪ぃ」


わざと大げさな悲鳴を上げたの反応に、悟浄は慌てて手の力を緩めた。
確かに悲鳴はわざとだったが、流石に涙目までは嘘でもわざとでもない。
バツの悪そうな顔で、悟浄はの頭をポンポンと優しく叩いた。


 「…そのオトモダチのちゃんに頼まれて、ちゃんの事探してたんだわ」


思い掛けない事を聞いて、は目一杯潤んだ瞳を見開いた。


 「嘘…」
 「嘘じゃねーって。ホレ、見てみ」


悟浄が顎をしゃくった先に目を向けるが、生憎、人ごみが邪魔で道の向こうは見えない。
が何とか見ようと精一杯背伸びする様が可愛くて、つい悟浄の悪戯心が頭を擡げた。


 「なんなら、おんぶか肩車でもしてやろーか?」


わざと彼女の視界に入るように顔を出すと、案の定顔を赤らめる
ククッと肩を震わせて笑い出す悟浄に、は本日二度目の大声を――


 「エロ河童!!から離れろ!!」

 「え?」
 「あぁン?」


自分よりも先に上がった叫びに。
聞き捨てならない暴言に。

同時にと悟浄は声の主を探して視線を彷徨わせた。


 「てめぇ、猿!!」
 「あ、八戒先輩」


身長の違いから、二人はそれぞれ別の人間の名を口にした。
長身で視界の利く悟浄は、目聡く年齢にしては背の低い少年を見つけ。
女性として相応の身長しかないは、人ごみから頭一つ飛び出ている笑顔を見つけ。


 「猿じゃねぇっ、クソ河童!!」
 「ああ、良かった。悟浄と会えたんですね」
 「きゃんきゃん咆えてんじゃねーよっ、バカ猿っ」
 「セクハラ河童!」
 「大丈夫でしたか?」
 「まぁだ何にもしてねーだろうがよっ」
 「まだって何だよ!?するつもりだったんじゃんっ。あっぶねーな!」
 「小猿ちゃんが来ンのがおっせーんだよっ」
 「何だとっ!?」
 「あぁっ!?」

 「ちょっと、離れましょうかね」
 「はい」


疑問は山ほどあり、それこそ尽きないであったが、笑顔の八戒に一も二も無く頷いた。
漸く知己に出会えて、本当の意味でホッとしたである。


 「あの、それでは…?」


八戒に軽く背を押されて姦しい男どもから離れたは、姿の見えない友人の事を真っ先に口にした。


 「三蔵と向こうに居ますよ」


八戒が指差すのはやはり人ごみの向こう。
だが、はそちらに目を向けることをせず、八戒に問い返す。


 「玄奘先輩、ですか?」
 「ええ。どうやら悟空が引っ張り出したようですよ」


花火大会には屋台が付き物ですからねえ。
にっこりと爽やかに皮肉を口にする男である。
皮肉を皮肉と取らない、些か鈍いところのあるだが、悟空がこの間同様、お財布宜しく三蔵を連れ出したのはわかった。

――ちょっと可哀想、かも。

悟空の底無し胃袋を良く知るとしては、多額の出費を余儀なくされるだろう三蔵に同情を禁じ得ない。
そんな想いが顔に出ていたのだろう。
八戒がクスリと笑った。


 「まあ、彼は悟空の保護者のようなものですからね。悟空にお強請りされると中々嫌とは言えないんです」


ああ見えて、あの人は悟空には甘いんですよ。
八戒は、本人の前では到底口に出せない事をこっそりとに漏らす。


 「そうなんですかー」


何だか想像できない。
悟空が天涯孤独な身の上で、尚且つ三蔵と同居していることも知っていたが、悟空の後見人が三蔵だとは思わなかった。
と言うか、正直、三蔵がそんな面倒事を進んで引き受けるようにはとても思えない。
意外だ。
物凄く意外だ。

――案外、面倒見のいい優しい人だったりするのかな。

常の表情、言動、態度、そのどれをとってもとてもじゃないがそんな風には見受けられないのだが。


 「それにしても、悟浄。良く彼女がさんだとわかりましたねえ」


が三蔵について考え込む傍らで、いつの間にか悟空との喧嘩と言うか怒鳴り合いがじゃれ合いに変わっている悟浄に、
八戒がのんびりと声を掛ける。


 「ん?あぁ…」
 「触覚?」
 「バァ〜カ。ちげーよ」


失礼極まりない突込みを入れて悟浄の紅い前髪を一房引っ張った悟空を、彼が笑って軽く小突く。


 「じゃあ、どうしてなんですか?コレだけ写真と印象が違うと、幾ら貴方でも難しかったんじゃありません?」


悟空の突っ込みを咎めるでなく、寧ろ肯定するような口振りの八戒。
途端に悟浄は面白く無さそうな顔をした。


 「その帯だよ」
 「そっかー」
 「成る程」


男達の視線が一斉にに向き、何やら納得している。
しかも、揃って面白く無さそうに。
の頭の中を「?」が飛び交う。

――印象、は確かにいつもと全然違うと思うんだけど…。

何せ、自分自身で鏡を見て驚いたぐらいなのだ。
写真は恐らく、自分と面識の無い悟浄の為にが見せたんだろうが、浴衣を着て化粧をしてないものだったら八戒の言う通り、良くわかったものだと思う。

――あ。だからさっき『せーかいだった』って言ってたんだ。

と、言うことは、彼は確信の無いままにそれでもを助けてくれたことになる。
軽薄そうに見えて、実はそんな事は無いのかもしれない、と少しだけは悟浄を見直しかけた。


 「ま、そんくらいの化粧なら、さんぞーサマの帯が無くても素顔知ってりゃあ一発で見抜けっけど」


ちっとばかし見つけた場所が薄暗かったからよぉ。
などとのたまってくれた。

前言撤回。


 「それもそうですね」
 「さっすがエロ河童!」


さもありなん、とあっさりと納得する八戒と悟空の態度に、何やら助けられた有り難味も、態々探してくれた労力を労う気も薄れてしまったである。

――何か…悟浄先輩って、女好きっぽい…。

天然とか朴念仁とか言われるだが、女の勘はしっかりとあるらしい。
或いは、女性として本能的に危険を察したと言うべきなのか。


 「それにしても、アノ三蔵がさんの帯を選んであげたって言うのは本当だったんですねえ」
 「だよなぁ。俺も小猿ちゃんから聞いただけじゃ半信半疑だったンだけどよぉ」
 「猿じゃねえっつーの…」


悟浄の言い草に、耳聡く反応して悟空がボソリ。


 「まっさか、さんぞーサマが女の買い物に付き合うたぁなぁ」
 「一体、どうやって口説き堕としたんです?悟空」


悟空のぼやきには耳を貸さず、大人二人はしきりに首を捻る。
余程、三蔵の行動が珍しかったらしい。
二人の顔には『好奇心』と書いてあった。


 「べっつにぃ。ただ、とその友達と出掛けるから、三蔵も暇なんだから付き合えっつっただけー」


相手にされず不貞腐れる悟空は、頭の後ろで両腕を組んで億劫そうに口を動かす。


 「それだけかよ!?」
 「それだけなんですか!?」


何故か酷く驚く八戒と悟浄の視線は、真っ直ぐに。
居心地の悪さに、は少しだけ身じろいだ。


 「おいっ、お前ら。いつまで待たせりゃ気が済むんだっ」


噂をすれば、何とやら。
メインイベントの前に、どっと疲れを感じるの耳に、不機嫌を凝縮した三蔵のひっく〜い声が飛び込んできた。

そして。
悟空が先程の不完全燃焼をぶつけるかの如く彼に言い返し、悟浄が面白がって悪乗りしてその揚げ足を取り。
八戒が止めに入るまで三人の男達の怒声が当たり構わず飛び交ったのは言うまでもない。

未だ分からない事だらけ――聞いてみたところで、そもそもまともな答えが返ってこない――だったが、
取り敢えずこの四人の男達が顔見知りで、とっても親しい間柄らしい、という事だけは辛うじて理解した。





 





presented by ......羽柴あおい様(2004.10/9)