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騒がしい夏、3

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三蔵が達を連れて行った店は、都内でも有数のホテルのレストランだった。
普段であれば、大学に行くようなラフな服装で入ることなどとても出来そうにない高級店。
ただ、夏のこの時期はビアホールになっていて食事はバイキング形式。
ギャルソンによる仰々しいお出迎えも無ければ、ソムリエと話さなければならないことも無いし、日本語でない勿体つけたメニューを渡されることも無い。
所謂、食べ放題というヤツだ。
三蔵がこのレストランを選んだのは、味に煩い彼と質より何より量を優先させる悟空と、互いの希望を満たすが為である。
天井が高く、壁がガラス張りという開放的な造りのレストラン内には、スーツ姿ではあるもののいかにも会社帰りといった風な男女や、
達と同じく学生なのだろう集団も居て、よくサークル帰りに皆で寄る居酒屋の喧騒を洒落た店内に持ち込んでおり、
気後れしそうになるの気持ちを上向けてくれた。

レストランに着くと三蔵は、「席を取っておけ」とに、悟空と一緒に先に店内に入るよう促し、
彼自身は八戒を連れて出入り口にあるカウンターに歩み寄り、レジ横に立つ店員に何やら声を掛けた。
幾らバイキング形式で普段よりラフなスタイルの営業とはいえ、そこは一流ホテル。
パリっと糊の利いた真っ白なワイシャツのボタンを上まできっちりと留めて蝶ネクタイを締め、黒のベストに綺麗に折り目の入ったハイウエストの黒のパンツを隙無く着こなした店員が、客の応対をする。
その客の三蔵といえば、黒い半袖のワイシャツから伸びる白い二の腕の片方をジーンズのポケットに突っ込んでという、大学の構内でに接していたのと全く変わりない態度。
ギャルソンの正装に身を包んだ店員に比べれば、明らかに場違いな格好の三蔵が何ら見劣りしないのは、不遜なまでに堂々としている彼の存在感の為せるわざなのかもしれない。
天井から下がる幾つものシャンデリアやあちらこちらの壁に飾られたライトのふんだん過ぎる照明の灯りを弾いて、煌めく豪奢な金糸が眩しかった。


 「――?なあ、なあってばー。…!」


悟空に大きな声で呼ばれ、はハッとして同じテーブルに向かい合って座る悟空に目を向けた。
細いフレームの中で、の大きな瞳がゆっくりと瞬く。


 「あ、ごめんね。何?」
 「………」


無言でをじぃーっと見つめてくる金晴眼は、言葉よりも雄弁に悟空の感情を物語る。


 「えーっと、………ごめん」


言い訳の言葉を探してみたが、真っ直ぐすぎる金の眼差しの前では無意味に思えて、は素直に謝った。
彼女の申し訳なさそうな表情を目にして、悟空はすぐにニッと笑顔になる。


 「んじゃ、行こうぜ!」


席を立っての手を引く悟空に、は「え?」という顔をする。
途端、悟空は剥れ顔になった。


 「三蔵達待ってる間に、先に食いもん取りに行こうって言ったじゃんかよー」


ホントに俺の話し聞いてなかったんだな。
頬を膨らます悟空に、は慌てて席を立った。


 「そ、そうだよね。うん。行こうっ、悟空」


ニコッと笑顔で悟空を促し、和洋中様々な料理が並ぶ一角へと足早に向かう
悟空と並んで歩きながらも、視界の隅をよぎる目立つ金の髪に、引き寄せられる様に向いてしまう視線に、の隣で悟空が可笑しそうに笑った。


 「何でさっきからずっと三蔵のコト見てんだよ?」


揶揄うようにニヤニヤと笑う悟空の金晴眼は、悪戯っ子そのもの。


 「別に、そういうわけじゃ」


図星を差されたことより、悟空に気付かれたという事実が恥ずかしくて、は咄嗟に視線を三蔵から目の前に並ぶ料理へと移した。
悟空は料理を大皿に山盛りにしながら、横目でを眺めてやっぱりニヤニヤしている。


 「…何か、どっかで会った事があるような気がして。それだけだよ」


悟空よりも一回り小さい皿に料理を控えめに取り分けつつ、ぼそぼそと口中で呟く
我ながら、言い訳めいていると思いながらも。
すると、悟空は大きな金晴眼をまん丸くした。


 「何言ってんだよ。一回だけ会った事あんじゃん」


の言い分が当たり前だといわんばかりの悟空に、今度はがきょとんとなる。


 「え?そうだっけ?」
 「ほら、がまだ高等部に居た頃」


既に二枚目の大皿を手にして料理を盛り始める悟空にそう言われて、漸くはある出来事を思い出した。


 「ああ、そういえば………」


それはもう、二年も前の話。

が悟空と同じ、この大学の高等部に通っていた頃の事だ。
梅雨時にありがちな急な夕立に、昇降口で立ち往生していたに、悟空が声をかけた。

――なあ。アンタ、傘持ってねーの?
――え?

振り向くと、とさして身長の変わらない少年が、大きな瞳をくりくりさせてこちらを覗き込んでくる。
その双眸は、蛍光灯の無機質な灯りの下、陽光にも似た金色に輝いているように見えた。
学年を示す制服のネクタイの色は、より一つ下の一年生のえんじ色。
彼女の年頃の女子がごぞって精を出す噂話というものに、興味もなければ縁もないですら、彼の事は知っていた。

スポーツ万能、容姿端麗、珍しい金色の瞳をした、一年生の可愛い男の子――孫 悟空。

先輩のおねーさま方に騒がれるだけあって、成る程、整った顔立ちをしている。
精悍な顔立ちながら、少年っぽい幼さを残した容貌は、確かに年上にもてそうだ。

――何で…。
――わかったかって?アンタ、さっきからずっと此処に居んじゃん。
――ああ、うん。

委員会があったせいで、いつもより下校時間が遅くなったのが拙かった。
傘を借りようにも、友人達は既に皆、下校した後。
すぐに止むだろうと、昇降口に佇むこと、そろそろ一時間。
その間、ずっと見られていたのかと思うと、少々気恥ずかしいものがある。
曖昧に笑うに、彼は自分の傘をずいっと差し出した。

――はい?
――俺、車で迎えが来るからさ。傘使わねぇんだよね。
――貸してくれる、って事?
――うん。
――…いい。
――何でだ?
――もうすぐ止むよ。
――そうかぁ?

揃って見上げた空は、どこまでも灰色一色で、重く雲が垂れ込めている。
夕立は、雨足が弱まった代わりに長くなることを予感させる小雨へと変わっている。
元々、他人に借りを作ることを好まないである。
初対面の後輩に世話になるなどもってのほかだった。
頑固なまでに首を縦に振らないに、悟空は呆れたように、少し不機嫌そうに、膨れっ面になって。

――ああ、もうっ。三蔵来ちゃったじゃんよー。

意志の強そうな眉をしかめ、雨の向こうを睨むように眇めた彼の視線の先、黒い傘を差した、遠目でも長身とわかる人影がこちらに向かって歩いてきている。
その人物の顔立ちがわかるほど近付いてきた時点で、は大きく目を瞠った。

綺麗、なひとだった。

男性に使う表現としては、相応しくないことは重々承知していても、彼の第一印象はその一言に尽きた。
傍らに立つ悟空とて、平均以上の外見ではあるものの、彼に比べればインパクトというものが薄い。
派手な金糸の髪や、白皙の美貌もさることながら、が一番目を奪われたのは彼の瞳だった。

宝石の如き深く澄んだ、美しい紫暗の双眸。

人形の様に綺麗な面立ちには似つかわしくない、力強い意志の宿った鋭い眼差し。
彼は、悟空の隣に立つを、不審気に見遣った。
ただ、視線を向けられただけなのに、その射さす様な鋭さを怖いと感じた。

悟空はかなり強引な性質で、オマケに甘え上手だった。
が断り切れない状況を作り出し、なんと三蔵に車で自宅までを送らせたのである。
運悪く在宅中だった父親を筆頭に、滅多にお目にかかれない高級車で、滅多にお目にかかれない芸能人も脱帽の美青年に送られて帰宅してきたを、家族は質問攻めにした。
そのせいで、はその一連の出来事を『ろくでもない記憶』として脳味噌の奥深くに今の今まで封印してしまっていたのだ。

当然、三蔵の事も記憶の彼方である。

悟空に関しては、その後色々あって学年を超えた友人になったのだが、その頃には三蔵は海外に留学してしまい、とは一切の接点がなかった、と。

まあ、そういうわけなんである。


 「何?もしかして、今の今まで忘れてたのか!?」
 「そんなに驚かなくてもいいじゃない…」


心底驚いたような悟空の様子に、は己の素晴らしいまでの物忘れっぽさが少しだけ恨めしくなった。


 「そこまで行くと、一種の才能かもなーっ」


とっても感心している悟空だが、それはちょっと失礼なのでは?と思うである。
眉を顰めるの前で、悟空は無邪気に笑う。


 「だってさ、嫌なこととかあってもすぐに忘れられんじゃん。それってさ、イイコトなんじゃねぇ?」


どこまでも前向きな少年の台詞に、も「成る程」と笑ってしまった。
二枚の大皿一杯に料理を盛った悟空が、三枚目の大皿を取ってに手渡す。


 「持ってて」
 「うん、いいよ」


一枚しか皿を持っていなかったが二つ返事でOKすると、肉料理やら魚料理やらご飯ものやら、悟空は種類に構わずどんどんと、に持たせた大皿に盛っていく。
あっという間に山盛りになってしまった大皿の重さに、は段々腕が痛くなってきた。

――まだ、乗せるつもりなのかな…?

既にもう片方の手は自分の分の料理を乗せた皿を持っている為、悟空の大皿を両手で支えることが出来ないのだ。
それでも悟空は次々と料理を乗せてくる。
金色の瞳をキラキラさせて、実に楽しそうに。
水を得た魚、ならぬ、食べ物を得た悟空、である。
相好を崩してニコニコしている上機嫌の悟空は見ていて微笑ましいことこの上ないのだが、の腕力はそろそろ限界を訴えていた。


 「おっ、七面鳥の丸焼きだ!」
 「ええっ!?」


何でこの時期にそんなものがあるのよーっ!!
心中、大絶叫のの前に、満面の笑みで丸焼きにされたでっかい鳥の足を掴んで逆さに掲げる悟空はとても嬉しげ。


 「ソレ、ココに乗せるの、かな?」


ヒクヒクと口元を引き攣らせる
隙間なんてこれっぽっちも無い大皿を手に、思わず後ずさる。


 「おうっ。そうだぞ」


悟空は当然のように、ドンッとの手にした大皿の上にいかにも重そうな丸焼きを乗せた。
ズシッ、と見た目通りの重量が腕にかかり、支えきれずには前につんのめった。


 「きゃあっ」


右手に大皿、左手に自分の中皿。
当然、よろけた躯を支える手は、無い。


 「わっ、俺の食いもんっ」


あわや、大惨事――あくまで悟空視点である――というその瞬間。


 「何やってるんですか、貴方達は」
 「少しは静かに出来んのか、ガキ」


呆れ切った声と共に、の腕から重さが消え、つんのめった躯が受け止められた。


 「大丈夫ですか?さん」
 「あ、はい。有難うございます」


取り落としそうになった大皿を受け取ってくれた八戒に、はぺこりと三蔵の肩越しに頭を下げる。
の中皿は、三蔵が彼女を抱きとめた時に取り上げている。
は三蔵にも礼を言おうと顔を上げたが、その背後で悟空が、三蔵の発言を耳聡く聞き咎めて噛み付いた。


 「子供扱いすんなよなっ」
 「だったら限度ってもんを考えろ」


呆れた様に悟空を斜めに見下ろす紫暗の双眸。
負けじと睨み上げる金晴眼。
を挟んで再び火花を散らす二人に、は三蔵の腕の中で首を竦めた。

はぁっ。

漏らされる大きな溜息。
が視線を向けると、八戒が悟空の盛ったもう一つの大皿を手に、踵を返すところだった。
と目が合うと、彼はにっこり。


 「席、どこです?」
 「ああ、あそこです」


は三蔵の脇から顔を出して客席の一角を指し示す。


  「あの窓際の、私のカーデガンが背凭れに掛けてある席です」


すると、すかさず三蔵が不服を申し立てた。


 「禁煙席じゃねぇか」
 「いいじゃないですか。食事の時ぐらい、煙草控えたらどうです?」
 「余計なお世話だ」


眉間に皺を寄せつつも、不承不承と悟空がキープした席に向かう三蔵。
後に付いてと八戒も歩き出すと、背後から悟空が三人に釘を刺すべく叫んだ。


 「それ、俺ンだかんな!勝手に食うなよっ」
 「え?これ、皆の分じゃなかったの?」
 「そうですよ、悟空。これだけあるんですから少しぐらいいいでしょう」
 「フン。脳味噌胃袋猿が」
 「いーじゃんっ。食べ放題なんだから!」
 「はいはい。だったら、気が済むまで料理を取って下さいね」
 「これ、一人で全部食べるつもりだったんだ…」

 「…行くぞ」


悟空の食物摂取能力(?)に一様に呆れつつ、三人は料理の並ぶ一角から離れる。
「こーなったら全部食ってやるっ!」という、悟空の雄叫びを背に受けて………

結局、七面鳥の丸焼きも含め、大皿の料理の殆んどが悟空の胃袋に消えたのは言うまでもない。
どう考えても摂取量が大幅に異なるにも拘らず、三蔵を除く二人と悟空が食事を終えたのはほぼ同時だった。
三蔵はといえば、煙草が吸えないのが余程気に食わなかったようで、先にさっさと一人食べ終え、ホテルのロビーに行ってしまっていた。


 「三蔵のチェーンスモークにも困ったものですねえ」


大きなストライドでロビーに去っていく三蔵を見送って、八戒が苦笑する。
苦笑いも、この人がやると嫌味が無く、上品ですらある。
昼間の出来事や友人からの『頼まれ事』もあって、彼に対してかなり気負っていただったが、話してみると八戒という青年は意外にも物腰が柔らかく、とっつき易いタイプの人物だった。
そう言えば、初めてサークルの新歓コンパで言葉を交わした時も、話し易かった事を思い出す。


 「八戒せ…さんは煙草吸わないんですか?」


ふと感じた疑問を口にすると、八戒はやはり上品に苦笑する。


 「ええ、まあ。肺ガン一直線の友人を二人も見ていると、とてもではありませんが吸う気にはなれませんねえ」
 「そうなんですか」
 「八戒はさ。悟浄と一緒に住んでるもんな」
 「僕まで喫煙者になってしまったら、彼に禁煙を勧められませんからね」
 「言えてるーっ」


食後のジュースを豪快に一気飲みした悟空が、ニシシっと笑う。


 「じゃあ、僕達もそろそろ出ましょうか」


そう言って席を立った八戒に、は内心焦った。

――どうしよう。誤解が。手紙が。との約束がっ。

悟空の勢いや八戒の巧みな話術につい、自分が楽しんでしまって肝心な事をすっかり忘れてしまっていた。


 「あ、あのっ、八戒さん!」
 「なんですか?」


声を掛けてしまったものの、どう切り出してよいかわからない。
口篭るに、当然、八戒は怪訝そうに瞳を瞬かせる。


 「さん?」


話しを促すように優しく名を呼ばれ、は思い切って顔を上げた。


 「そのぅ、昼間、言っていた手紙の事なんですけど…」
 「ああ。あの手紙が、どうかしたんですか?」
 「玄奘先輩が持ってたんです」
 「はい」
 「え?」


何か、微妙にお互いの感覚がずれているような、ずらされているような違和感に、は釈然としない思いを抱く。


 「あの?」
 「はい?」
 「八戒さん、受け取られた、んですよね?」
 「ええ。しっかり読ませて頂きましたよ?」


そう言った八戒の翡翠の双眸が、僅かに艶を含んだものに変わったことに、は全く気付かない。


 「じゃあ、どうしてあんなことになったんでしょう?」
 「知りたいですか?」


八戒の意味深な問い掛けに答えを返したのは、ではなく、好奇心に瞳を輝かせた悟空だった。
敏感な悟空の事だ、何か八戒の態度に察する所があったのかもしれない。


 「『あんなこと』ってなんなんだ?」
 「それはですねえ――
 「あ、あああのっ、八戒さんっ」


気恥ずかしくてとてもじゃないが悟空の耳に入れたくない出来事を、なんの躊躇いも無く話そうとする八戒を、は焦って遮る。


 「水、飲みますか?」
 「あ、有難う、ございます…」


八戒がにっこりと差し出してきたコップを受け取り、は一口流し込んだ。
落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせる。
悟空は、そんなを不審気に見つめた。


 「なあ、なんなんだよーっ。教えろよ、八戒ー」


可愛らしく口を尖らせる悟空。
こういう、おねだりモードに入った悟空はとても押しが強い上に、酷く保護欲をそそる。
がいつまでたっても悟空を年の近い弟扱いしてしまう大きな要因の一つだ。
八戒は困った顔をしつつ、「どうしますか?」とに視線を流してくる。

言って欲しくないから遮ったのに。
この人はやっぱり、一筋縄ではいかない人だ。

人好きのする笑顔を浮かべる青年が、かなりの曲者であることを再認識したである。
意に添わぬ振り方をされただったが、悟空に話されるよりか遥かにマシだと思い直した。
半日の間に次々と降りかかる厄介事やら思いがけない事態に、いい加減辟易していたというのもある。


 「別に、大した事じゃないから。気にしないで?悟空」


にっこり。
この時のの笑顔が、八戒もかくやの迫力を湛えていた事を、後に悟空はこっそりと知人に漏らしたという。
大人しくこくこくと頷いた悟空にホッと胸を撫で下ろし、さあ、きちんと話さねば、と八戒に向き直っただった。
が。
八戒は既にロビーへと去って行ってしまっていた。

――い、いつの間に…

ちっとも進まない話に、本日昼下がりからの出来事を振り返るだに「私ってば、こんなに要領悪かったっけ?」と本気で悩んでしまうである。
この場合、圧倒的に相手が悪い。
一癖も二癖もある彼は、より一枚どころか二枚も三枚も、上手だ。
だが、悲しいかな。
は何事においても相手のせいに出来ない性格だった。
がっくりと肩を落したを、悟空が気遣わしげに覗き込む。


 「なあ、。俺、ちゃんと八戒に手紙渡したぞ?」


心配そうな金晴眼。
は、力無く笑い返した。


 「うん。わかってるよ」


滅多に見せないの弱気な表情に、悟空の明るい瞳も曇る。


 「ちゃんと、が友達に頼まれて書いた手紙だって言ったんだかんな」
 「………」


………………。

………………………………。

………………………………………………………………な、に?

――今、何と?

の脳裏に、図書館の司書室で三蔵が言っていた台詞がリフレインした。


『気にするな。アイツの人の悪さは生まれ付きだ』


俯き、握り締めた拳がふるふると震える。


 「かっ、揶揄われてたんだ………」


は漸く、一連の不可解だった八戒の言動の意味を悟った。
それでも理由は分からなかったが、そんなことはもうどうでもいい。
誤解が無いのなら、話は簡単だ。
後は彼に時間を作って貰いさえすればいい。
だがしかし、それは非常に困難な事の様に思える。
弱々しかった表情から一変、険しい顔付きで何やら考え込んでいるらしいに、悟空がおずおずと声を掛けた。


 「?おーい、ー」


ヒラヒラと顔の前で手を振られ、やっとは悟空の存在を思い出した。
「何?」と喉元まで出掛かった言葉を飲み込む。


 「ねえ、悟空」


ずいっ、と悟空に向かって身を乗り出す。


 「…何だ?」


いきなり迫られて、思わず悟空は身を引く。
は、悟空が引いた分だけ前にずずいっと距離を縮める。


 「八戒先輩が絶対に暇な時間ってわかる?」
 「はあっ!?」
 「ううん。絶対、誘ったら付いて来そうな、八戒先輩が好きそうなイベントとかないっ!?」
 「え"っ…」


うーん。急にそんなこと言われてもなぁ〜。
滅多に、というか初めて見るの鬼気迫る表情に、悟空は後退りながらも考える。
えーっとぉ、と腕組みをして眉根を寄せる悟空に、は期待の眼差しを向ける。
ややあって、悟空はパッと顔を上げてニッと笑った。


 「花火大会、何てどうだ?」
 「花火大会?」


オウム返しに繰り返すに、悟空は自信たっぷりに頷く。


 「おうっ。八戒ってば、意外にそうゆう季節のイベントって好きそう!」
 「そっか。悟空!」


がしっ、と悟空の手を両手で握り締め、は心から言った。


 「有難う!恩に着るねっ」
 「おっ、おうっ」


そうと決まれば善は急げ。
は、面倒臭がりで中々腰を上げないが、一旦思い立つとその行動は凄く早い性質でもあった。

が意気込んでロビーに足を踏み入れると、態々探そうとしなくとも三蔵の金糸はすぐに目に入った。
声を掛けようとしているのは正確には彼ではないのだが、ある程度近づいた所での足は止まってしまった。

三蔵の座るソファーの正面に、女性が居たのだ。

その人は、もよく知っている同じサークルの四年生。
無表情で煙草を燻らせる三蔵に、彼女はとても楽しそうに何事かを話し掛けている。
は三蔵の傍らに佇む八戒に視線を向けた。


 「あの、八戒先輩」


少し距離のあるその場から控えめに呼び掛け、手招きをする。
の呼び方が元に戻ってしまっている事に、八戒は一瞬だけ眉を顰めたが、すぐにいつもの笑顔を浮かべてに歩み寄った。


 「ああ、やっと来ましたね。三蔵が待ちくたびれてしまってますよ」


八戒の言い様は、三蔵の前に座る四年生の女子にとっては非常に聞き捨てならないものだったが、そっち方面にはとんと疎いはその事に気付かない。
素直に言葉通りに受け取って三蔵を見たの視線に、くっきりと描かれた四年生の眉が跳ね上がった。


 「あら?さん?」


わざとらしいまでの大きな声で呼ばれる。
悪意の篭った笑顔に、三蔵は不快気に眉を寄せて八戒を睨んだが、八戒は素知らぬ振りでに話しを続ける。


 「もう時間も遅いですし、早く帰りましょうね」


あくまでを誘う形を取りながら、その実、八戒がこの場から立ち去る口実をに求めているのは明らかだ。
にしてみれば、八戒の言う事は尤もだし、先程思いついた花火大会に八戒を誘うのは別にこの場でなくとも帰る道すがらで充分。
八戒の思惑通り、は何の躊躇いも無く三蔵に笑いかけた。


 「そうですね。待たせてしまってごめんなさい、玄奘先輩」


ずっと一緒に居たらしい四年生の女子にも軽く会釈をする。
だが、怖い顔で睨み返され、は驚いて目を丸くしたが、ソファーから立ち上がった三蔵に彼女の視線は遮られた。


 「ったく。遅ぇんだよ」


溜息混じりに低く言い放ち、三蔵はの傍らに立つ八戒を半ば押し退けるようにしての腕を取った。
そのままホテルの正面玄関へ向かう三蔵の背に、四年生が慌てて追い縋る。


 「ちょっと、三蔵!」


近付き、手を伸ばしてきた彼女を、三蔵は険しい眼差し一つで制した。


 「三蔵、さっき、この後用事無いって言ってたじゃない」
 「だったらどうした」


取り付く島も無い程、切り捨てる物言いに、彼女が僅かにたじろいだ。


 「私に付き合ってくれるんじゃ、なかったの?」
 「そんな約束をした覚えはねぇな」


底冷えのする物言いもその眼差しも、にとっては初めて目にする三蔵だった。
三蔵に掴まれている腕を見つめ、振り解こうと引っ張ると、逆に強い力で引き戻されてきつく握り締められた。
痛みが走るほどの力に、は並び立つ八戒に助けを求めて視線を泳がせる。


 「勝手に勘違いしてんじゃねぇよ」


翡翠の眼差しとの視線が絡んだ瞬間、三蔵が吐き捨てるように呟いた。
あんまりな台詞に、は思わず四年生の先輩を顧みた。
彼女は酷く傷ついた顔をしたが、と目が合うとキッと眦を吊り上げた。


 「…酷いわね、三蔵って」


押し殺したような小さな台詞は、一体誰に向かって投げ付けられたものなのか。
八戒と三蔵にはわかっても、そういった経験が全くないには理解できなかった。


 「あの、玄奘先輩。私なら、悟空と八戒先輩と一緒に帰りますから」


手を、離して下さい。
彼女なりに気を回したつもりなのだろう。
けれど。

それは、無知ゆえの残酷さ。

八戒は溜息を吐き、三蔵は目元を僅かに引き攣らせた。
の同情とも取れる発言に、四年生の女子はカッと頬を紅潮させた。


 「いいわよっ、もう帰るわっ!じゃあね、三蔵っ」


ツン、と顎を逸らして彼女は達を追い抜いてホテルを出て行く。
その背に、三蔵が容赦の無い一言を投げ付けた。


 「おい」
 「何よ」
 「三蔵、三蔵って、俺の名を気安く呼ぶんじゃねぇ」


彼女は大きく目を瞠り、三蔵はを引き摺る様にして彼女の脇をすり抜け、ホテルの玄関をエントランスへと出た。
立ち尽くす彼女に目を向けようとしたを、八戒が制する。


 「其処、段になってますから。よそ見してると、危ないですよ」
 「…ああ、はい」


釈然としないまでも、八戒に言われるままに視線を下向けたに、彼は微苦笑を漏らす。


 「素直なのはいいことなんですけどね、さん。さっきのアレは、少々いただけませんよ」
 「…何が、ですか?」


純粋な疑問しか浮かんでない薄茶の瞳に、八戒は複雑な顔をする。


 「彼女、相当プライドが高い人みたいですからねえ」


八戒は言葉を補ったつもりなのだろうが、やはりには良くわからず、怪訝そうに小首を傾げた。
こうまで鈍いとは。
困ってしまった八戒を、三蔵は「自業自得だ」と冷たく突き放した。


 「計算違いだったと認める事だな」
 「仰る通りです。………すみませんでしたね、さん」
 「はあ」


どうして自分が謝られるのだろうか。
どうやら、四年生の先輩は、自分に対して怒っていたように思える。

眉を顰め、考え込んでしまったの肩を、それまでずっと黙っていた悟空が、ポンっ、と叩いた。


 「いいんだよ、は。悪ぃのは八戒と三蔵とあの姉ちゃんなんだから」


悟空の金晴眼は、責める様に三蔵と八戒を順に睨み上げる。


 「八戒はあの姉ちゃんをにけしかけたんだし、三蔵は言い方がきつ過ぎんだよっ。あの姉ちゃんはそもそもに八つ当たってただけ!」
 「そ、そうなんだ」
 「そうっ!!」


きっぱりと言い切った悟空に、大人二人は何の反論もしなかった。
ならばそうなのだろう、とは悟空に頷いた。

面倒臭い事に巻き込まれた、といつもの様に思えないのはどうしてだろう?

この時、胸に刺さった小さな棘の意味を、は後々まで引き摺ることになる。
その意味を、が理解できるのは、もう少しだけ、後の話し。







 





presented by ......羽柴あおい様(2004.8/27)






―管理人のつぶやき♪―

著作権は【Night mare】の羽柴 あおい様の物です。
勝手に持ってっちゃわないで下さいね。

…………っ(声にならない悲鳴)
もう、もう、もう素敵過ぎますよね!?
キリバンを運良く踏み抜いた過去の私を、力の限り褒め称えたい!
リクエストは大まかに言えば、「ウチのサイトのヒロインで三蔵さまの夢書いてください!」っていう無謀なもの。
本当に若さって怖い……っ!
しかし、羽柴様は無理難題にも関わらず、快く引き受けて下さったばかりか、まさかの、続き物!
しかも、逆ハーが好きだとちょろっと言ったら、そのようにして下さいました☆
……本当にすみません。反省はしてます。でも後悔はない!(オイ)

個人的にあの3人と一緒のサークルって何!?とか、
スキンシップ何気にめっちゃ多いな、この人たち!とか思いました☆

こんな奴の為に、こんな素敵過ぎる夢を書いて下さって、羽柴さま!本当にありがとうございましたw
一生の宝物にします!!


Special Thanks  羽柴あおい様 (http://aoihashibanm.jog.buttobi.net/)