チル散ル満チル、11 「うわぁ……似合わねぇー」 出先から戻り、の部屋に手土産持参でやってきた悟空&三蔵ペアだったが。 絵本を片手にに対して読み聞かせをしていた悟浄の姿を目撃するにあたり、 開口一番、悟空から思わず本音がダダ漏れになってしまった。 同じく違和感たっぷりな彼に胡乱な視線を向けていた三蔵だったが、 悟空が先に心情を代弁してくれたために、とりあえず無言を貫く。 すると、お約束の展開で悟浄は聞き捨てならないことを言ってきた悟空に対して、悪態をつき始めた。 ちなみにその耳は思わぬところを見られたせいで、髪に負けず劣らず真っ赤である。 「るっせぇ、クソ猿!手前ぇのぬいぐるみのがよっぽど似合わねぇっつの!」 「俺のじゃねぇよ!」 「ったりめーだ!」 八戒などは案外客観的に見て休日のパパ的なその姿も悟浄には似合っているなぁ、なんて思っていたのだが、 悟空にしてみれば、「普段イケてるお姉ちゃん〜」だのなんだのと嘯く彼を知っているだけに、凄まじい違和感だったらしい。 「……どうでも良いが、こいつらは静かにするってことができねぇのか」 「おや?どうでも良いんですか?いつも止め入るからてっきり気にしているのかと」 「世間体はどうでも良い。ただ耳障りなだけだ」 「なるほど」 自称頭脳派な二人は、ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を尻目に、そんな呑気ともとれる会話を繰り広げる。 実際、いつもいつもそれを制止していたらキリがないからだ。 がしかし、今回の争いは、意外な終末を迎えた。 「ごじょ。青い鳥、どうなったの」 大きくも、小さくもない、ただの問いかけ。 それを聞いた瞬間、ぴたり、と二人の動きが止まった。 よくよく見れば、が手にしているのは世界的な名作童話で、まだまだ話は終わりそうにないページだ。 にしてみれば、折角読み聞かせをしてもらっていたというのに、とんだ邪魔が入ったというものである。 不満そう、というほど表情がいつもと違う訳ではないが、 自分をじっと見つめるその青い瞳に悟空は何故か自分が非難されているような気がした。 「あ〜、先に進みゃ分かるよ」 「さき……」 ぽつり、とそう言ったきり、名残惜しそうに絵本に視線を戻す。 その、明らかに興味を引かれている様子に、悟浄は不思議な気持ちになる。 子どもと言えば絵本だろう、という八戒の言もあってこうして購入してきたものの、 実は彼は、が大人しく絵本を読むだなんてこれっぽっちも思っていなかったのである。 まぁ、確かにこの子どもは単語も怪しいくらいなので、自分で読むことはできなかった。 けれど、絵本自体はどうやら気に入ったようなのだ。 放っておけば、内容もよく分からないくせに、ひたすら絵だけを眺めている。 『絵本』というくらいなのだから、それも正しい鑑賞方法ではある。 がしかし、そうして見ている子どもをただ眺めるというのも、味気ない。 そのため、見かねて悟浄が読んでやったところ、あのガラス玉のような瞳が僅かに輝いた。 最近では、むやみやたらと手を出すことも減り、 少しずつだが喜怒哀楽も出てきている。 その変化とも言えないくらいの変化がこうも嬉しいだなんて、最初は思いもしなかった。 「あ、じゃあじゃあ!俺が読んでやるよ!」 「ばーか。小猿ちゃんは読み聞かせされる側だろ? なぁ、おと〜さん?たまにはやってやったら良いんでない?ちったぁ言葉も覚えるだろ」 「なにお!?」 「誰がするか」 「お父さんは否定しないんですねぇ」 「そうなると、お前が母になるぞ。絶対」 「うーん。残念ながら僕の器量ではとても面倒見切れそうにない一家です」 「俺がやるー!!」 トレーニングなどで誰かがいないことも多い一行だが、揃えばやはりいつも通り喧しい。 それを、は不思議そうにしながらも、見ているのが嫌いではなかった。 自分の周りにいたのは、いつも重苦しい静寂か断末魔ばかりだったから。 こんな風に、他愛もない騒ぎは、物珍しくも好ましい。 「えーと、『チルチルとミチルは、つぎに病気や戦争など、いやなものがいっぱいある『夜のごてん』に行きました』 ……ごてんってなんだ?飯の親戚??」 「御殿は身分の高い人が住む大きなお屋敷のことですよ」 「へぇー」 「ほれ、お前じゃつっかえまくるから、がよく分かんなくなっちまうだろ」 滑らかな舌の持ち主である悟浄は、そう言って悟空から絵本をひったくる。 もちろん、それに黙っている悟空ではなく、気づけば取っ組み合いの喧嘩が勃発していた。 そして、そんな喧噪が続けば当然、三蔵が煩いと言ってキレだし。 ちゃっかりと避難した八戒が、次の語り部を務めたりする。 それは、どこか穏やかな一幕だった。 「あー!!ちょいタンマ!今の見た!?」 「あぁ?逃げようったってそうはいかねぇぞ、この馬鹿猿!」 「ちげぇって!今!今、がちょこっと笑った!!」 はもう覚えていないけれど、それはまるで家族が共にいるかのようで。 本当に、はここが好きだった。 「はぁ?笑ってねぇじゃねぇか」 「笑ってたんだって!マジマジ!」 「どっちでも良いがな……いい加減静かにしねぇか!この馬鹿共が!!」 「「ぎゃぁあぁあぁー!!」」 ずっとずっと、浸っていたくなるほどの生ぬるい日常だった。 そんなもの、にはないと、分かっていたのに。 油断していた、というのが一番正しい言い訳なのだろう。 少しずつが三蔵達に危害を加えることが減り、 その代わりか、読み聞かせと八戒のきめ細かい世話のおかげで劇的に語彙が増えた頃、平穏は崩れた。 それは、体力も回復し。 子どもが施設内を歩くことが増えたのが、原因の一つ。 もちろん、寂れた区画の、ある極小の範囲でしかなかったけれど。 基本は八戒と。 時には、悟空に手を引かれ。 子どもは、彼ら以外の人間とすれ違うことがあった。 でも、その時もは物珍しそうに彼ら、彼女らを見るだけだったから。 「が、職員を一人殺しました」 「「「!!」」」 この不始末の原因は、他ならぬ自分たち。 殺戮症候群という恐るべき性質を、 表面上でしか理解できていなかった自分たちの、責任だった。 それは、が施設にやってきて一か月半も経った時のことだった。 聞き分けの良いは、勝手に部屋を出る、などということはしない。 この日も大人しく、買い与えられた絵本を眺めながら、自分なりにそれを口にしていた。 「おおかみは…おばあさんをた……べて、しま……した」 一生懸命文字を追う姿はいっそ微笑ましいと言っても良い位で、 子どもの食事を用意していた八戒ですら、その成長ぶりに胸を撫で下ろしていたのだ。 この分なら、町に出ることもそう遠くはないかもしれない。 腕の骨折もギプスが外れたし、本格的に色々なことを教えて行こうか、と。 そして、彼は、子どもが絵本を読み終わしたところで、言ってしまった。 「もうすぐ、悟空が来るから『入口』まで迎えに行ってはどうですか?」と。 「むかえ?」 「ええ。いつもここに引き返してくる赤い線があるでしょう? あそこで待っていれば、すぐに悟空が来ますよ」 「……、待ってる、です」 素直な子どもはこっくり頷くと、大切そうに絵本をしまい、 八戒の示した『赤い線』へ向かって、なにも持たずにてくてくと歩きだした。 それは、這うように、という程遅くはないが、決して颯爽とした歩みではない。 ごくごくゆっくりと、しかし、確実なそれだった。 こうして歩かせるのもリハビリの一貫なのである。 ただ歩くよりも、目的があった方が良いのは当然のことだ。 また、そろそろ自立心も芽生えて来るであろうの自尊心を高めるためにも、 この2、3日はこうしてごくごく簡単な口実をつけ、歩かせることがあった。 『赤い線』は、そんなにも行動範囲が分かりやすいようにつけた、いわば目印である。 八戒は自分もすぐに追いかけるつもりでいた。 実際、彼がを一人にした時間は5分もない。 そんな彼を責めるのは、酷というものだろう。 けれど。 は八戒がやってくるまでの、ほんの僅かな時間に、出会ってしまったのだ。 「あら?どうしてこんなところに子どもが……」 簡単に殺せそうな、女性職員に。 その顔を、声を、は知らない。 恨みがあるどころか、面識さえない。 ただ、子どもに分かったのは、目の前の女性が三蔵達と違ってすぐ殺せそう、というただ一点。 そして、それが分かった時には、もう遅かった。 はさっきまでの足取りが嘘のように地を蹴り。 女性を押し倒し。 呆気にとられる彼女の見開かれた大きな目に、その棒のような指を突き刺していた。 「ぎゃあぁぁぁぁあぁぁ!!」 彼女にとって不幸だったのは、も彼女も人を即死させられる凶器を手にしていなかったことだろう。 結果、彼女は死にもの狂いで暴れ、力尽きるまで。 小さな殺戮者が己の目玉を潰す音や感覚、痛みと恐怖を味わい尽くす羽目になったのだから。 八戒が、その叫びを聞きつけて駆け付けたその時、は血みどろでただ、そこに座り込んでいた。 女性が暴れた際、殴ったのだろう、折角治ったばかりの綺麗な顔は、そこにはなかった。 その口元は赤く染まり、じきに鬱血してくるに違いない。 けれど、その蒼い瞳はなにも映さず、ただぼんやりと宙を見つめ続ける。 痛みを感じるだとか、罪悪感を感じるだとか。 そんなことを子どもに求めることこそ、大きな間違いであるかのように。 嗚呼、またきっとあの暗い眠りに連れて行かれるんだろうな。 それが、怖い表情をした八戒を前にしたの感想だった。 八戒は、一目で事態を悟るや否や、を片手で拘束し、内線で現場の封鎖と遺体の処理を手配した。 そして、人気のない廊下でも気になるのか、さっきまでいた部屋に子どもを引き立て、 彼にしてはありえない程乱暴に、を部屋に中に押し込む。 華奢な子どもが床に不自由な体勢で転がっても、数瞬の迷いもなく、八戒は刺すような眼差しをに向けた。 「どうして、彼女を殺したんですか」 「…………」 その言葉に、は先ほど派手に血飛沫をあげて倒れた女性を思い浮かべる。 顔は思い出せない。 そもそも見てすらいなかったから。 ただ、 「なんと、なく?」 「…………」 別に理由があった訳ではない。 はごく普通に、施設の中で彼女とすれ違っただけだ。 彼女と出会ってすらおらず、彼女はに何一つ影響を与えなかった。 が、しかし。 は間違いなく彼女を殺した。 何も思わず、何も感じず。 ただただ、気がつけばは己の持てる凶器でもって、彼女を殺傷せしめていたのである。 理由はない。 というか、そもそもには、人を殺す理由など最初からないのだ。 あるのは寧ろ、殺せない理由。 三蔵も、悟浄も、悟空も、八戒も。 殺す素振りが減ったのは、単純にの力量が足りず、彼らを殺せないのだと学習しただけのこと。 殺人を厭うた訳でも、彼らに情が湧いたためでもない。 条件さえ整えば、は今だって、八戒を殺しにかかるだろう。 そんなこと、八戒には分かっていたはずなのに。 「なんとなく、で人を殺したんですか」 「うん」 「殴られたからではなく?」 「うん」 素直に頷くに八戒は一度目を見開き。 ぱしん、と乾いた音を立てて頬を叩いた。 「……痛い」 「殺された人は痛いとすら思えなくなったんですよ」 「?八戒?」 いつも優しい笑みを浮かべている男の、苦渋に満ちた表情を、はぼんやりと見つめる。 これは、怒られているのだろうか、と頭の片隅が思考するものの、そこに確信はない。 とりあえず、今すぐ眠らされて以前のような生活に戻ることはなさそうだと思いながら、 は八戒の苦渋に満ちた瞳をただただ見上げるだけだった。 「、今まで人を殺さなければ自分が殺されていた状況なら分かります。 でも、貴方を傷つける人間はこの施設内にはいません。だから、殺さなくて、良いんです」 「殺さなくて、いい?」 「ええ」 「殺しちゃ駄目って、こと?」 「…………ええ。むやみやたらと人を殺してはいけません」 「どうして?」 どこまでも純粋に疑問符を浮かべているに、八戒は思わず押し黙る。 そして、気付いた。 は今まで物心ついた位から、人を殺すことを強要されてきた。 それを拒否するには、まだまだ幼すぎる時分から。 寧ろ、殺さないことがにとっては異常なことだったのだ。 その状態で、果たして人殺しを否とする倫理観が、果たして培われただろうか? もちろん、答えは決まりきっている。 「どうして、人を殺しちゃいけないです?」 「それは……」 なんと答えて良いか、迷う。 この一言が、の倫理観の根本となってしまう可能性があるから、なおさらに。 「八戒」 「……命は、尊いものだからです」 結局、八戒に返せたのは、そんな当たり障りのない答えだった。 「とおとい?」 「そうです。命は一人にたったひとつしか与えられません。 なくなってしまえば、もう二度と取り戻すことのできないものなんです」 「…………」 「だから、理由もなく、殺してはいけません」 「……理由、があったら、いいです?」 「基本的には駄目です。 でも、相手を殺さなければ自分が殺されてしまう場合には仕方がありません。 相手の自業自得です」 一般的な基準から言えば、冷淡ともとれる八戒の言葉。 がしかし、裏の世界で生きてきた彼から、 これからも同じ世界に生きることが決まっている子どもに言えるのは、そんな本音だった。 すると、それが難しかったのか、の細い眉の間に、三蔵のような皺が刻まれる。 そして、子どもは画期的に増えた言葉を駆使しながら、なんとか自分の疑問を口にしてみた。 「……じゃあ、自分が死んじゃう時は?」 「?さっきも言ったように、その場合は自業自得で……」 「ううん。違うよ、八戒。違う」 「?」 「、誰か殺さないと頭、痛い。死にそうな位、痛い、です」 困ったように眉を寄せる。 その答えは八戒の予想を遥かに超えるもので、またもや八戒は目を見開くことになった。 「頭が……?」 「うん」 「殺さないと痛いんですか?」 「うん。殺すと楽になる。だから、殺す」 がらんどうの瞳の奥。 それは混沌としていて、それでいて何一つ存在しておらず。 八戒はこのとき、目の前の子どもが人として大切な何かを喪失していることに気付いた。 すでに、は人ではなく。 人を踏み外した存在だった。 「それでも――……」 だから、彼は願うだけだった。 ささやかな、けれどどうしようもなく途方もない、その願いを。 「誰かに殺されそうになった時か任務の時以外は、人を殺さないで下さい」 嗚呼、どうか。 どうかこの哀れな子どもを、誰か。 「……ころさない」 救って欲しい。 ......to be continued
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