チル散ル満チル、3 悟浄は言葉がなかった。 その予想もしなかった殺気の持ち主に。 間違いなく彼の感覚器は、いまだに子どもから殺気を感じ取っている。 しかし、その視覚から得られる情報を、脳が拒否していた。 ありえない。 こんな子どもが。 こんなプレッシャーを待つなどと。 そんな事が許されて良いはずがないのだ。 後方で八戒も絶句する気配を感じて、悟浄ははっと意識を集中する。 危うく、持っていかれるところだった。 「……あー。なんなワケ?コレ」 首を傾げる子どもを見て、傾げたいのはこっちだと思う。 やたらと細い子どもだった。 悟浄たちが着ているのと同じ、特殊繊維で織られた漆黒の服で。 首に銀色に光る輪を嵌め。 突然現れた闖入者をためつ眇めつしている。 その左頬は尋問でも受けたのか、禍々しい色に変色し変形していた。 その格好から、かろうじてその子どもが自分達の陣営である事。 状況からしてどうやら目的とする秘密兵器それそのものである事。 それらが導き出されたが。 それならそうと、何故『組織』は明かさなかったのかという疑問が残る。 『組織』の人間なら人間だと、そう言えば済む話だ。 子どもだろうが何だろうが、『組織』の不利益となりそうであれば迷いなく消す。 今までもそうだったし、これからもそうなのだろうから。 気分は悪いが、ここには殺す相手の年齢だけで任務を放棄する人間などいない。 所詮、人の身よりも我が身が可愛いという奴だ。 命令無視はそのまま『死』に繋がっている。 最初は応援で寄越された人間かとも思ったが、自分達よりも深部にいる時点でその可能性は却下される。 なにより、自分たちへの応援が見たことも聞いたこともない子どもでは、まるで納得がいかない。 そして、独白のような響きの悟浄の言葉に、しかし、子どもは反応を示した。 「また、来た」 言うや否や、子どもは走り出した。 真っ直ぐ。 何の戸惑いも持たずに悟浄の元へ。 膨大にすぎる殺意をそのままに。 「っ!!」 咄嗟に悟浄は半身をずらし、その攻撃をかわしていた。 首の皮一枚のところを、無骨なナイフが通り過ぎる。 しかし、投擲されたそれを上手くかわしたところで、一息吐く間もなく次の一撃が飛んできた。 「ちっ!」 それはただのボードだった。書き物をする時に使用するような、文房具である。 それが、ブーメランのように回転しながら悟浄の首筋目掛けて飛来していた。 本来なら避けるまでもなく受ける程度のものだっただろう。 いかに首筋が人体の急所とは言っても、子どもの腕力で投げた程度のもので傷めるような易い鍛え方はしていない。 が、しかし。 ぞわり。 と。悟浄の本能がそれを許さなかった。 思わずそのボードを叩き落とすと、その下から、鋭利に尖った鉛筆が転がり出てきた。 よほど神経質な人間が削ったのだろう、細すぎることもなく、太すぎることもなく。 人の首筋を掻き切れる程度の強度を保ったその鉛筆が、仕込まれていた。 「悟浄!」 と、鉛筆に気を取られたその一瞬。 その一瞬の間に、子どもは悟浄の背後を取っていた。 小さな手に余るナイフの柄を正眼に構えて。 両手で迷う事もなく心臓を狙って。 それは、近くにいた八戒ですら助けに入る暇もないほどの速度だった。 そして、反射的に振り返った悟浄だったが、すぐにそれを後悔する事となる。 それは子どもの瞳と直接向かい合ってしまったから。 絶望も希望もない、がらんどうで虚無の瞳と相見えてしまったからだ。 好意はない。 悪意はない。 他意はない。 私意はない。 あるのはただ、殺意だけ。 自身を守ろうとする意思も、状況を打開しようとする意志もない、がらんどうの、瞳。 それは、人として確実に失格してしまっている類のものだった。 ……いや、そもそも、人間であろうとした事があったのかも甚だ怪しい。 失格するには試験なり何なりを受験をしなければならないが。 仮にそんな試験があるとして、子どもはおそらくそんなもの、受験もしていないに違いない。 あ、オレ死ぬかも。 それが、悟浄がその時抱いた思いの全てだった。 数え切れないほどの人の命を、老若男女問わず奪ってきたにしては実にあっけない最後である。 と、そこへ。 「……何やってんだ。馬鹿どもが」 響く銃声。 遅れての罵声。 八戒の遥か後方、そこに憎たらしいほど颯爽と現れた影がある。 確かに、弾速ならば間に合っただろう。 己の足を掠めた弾丸を思いながら、八戒はそんな風に思う。 彼の目の前では、悟浄を狙っていた子どもが、足から血を流して倒れ伏していた。 そして、動かない。 ピクリとも、動かない。 まさかこの程度で死んでしまったはずはないと思うが、ショックで気絶くらいはしてくれたらしい。 「……助かりましたね、悟浄」 「……ああ」 言葉とは裏腹に、悟浄の声は低い。 見た事もないほど奇妙な表情をして、彼は自分の足元――己を狙った子どもを見ていた。 それは何と言ったら良いのだろう。 恐怖の対象を見るような。それでいて同情しているような。 理不尽な何かに対して憤っているような、そんな表情だった。 「……悟浄?」 その妙な様子を訝しがりながら思わず声をかけるが、そんな八戒を遮る声があった。 「悟浄、だっせぇのー!んなちっこい子に何ピンチになってんだよ!?」 それは、三蔵と同じく後方から駆けつけた少年――悟空のものだった。 場に流れる奇妙な空気に気付いていないらしく、彼は八戒を追い越して悟浄の元へ駆けていく。 即ち、子どものごく近くへ。 そして、悟浄を窮地に陥れた存在に興味があったのだろう、その子どもに顔を近づけた瞬間。 「んの馬鹿っ!」 悟空は悟浄によって後方へ投げ捨てられていた。 「っ何すんだよ!?」 思わず激昂する悟空だったが、即座にそれが筋違いである事を悟る。 彼の眼球があったそこを、ボールペンが刺し貫いていた。 そして、空振りして隙だらけとなった子どものその細腕を、間髪入れず悟浄は力任せに床に叩き付けた。 子どもの細い体と顎が床に激突する。 ぽきり、と。軽い枝が折れるような音が辺りに響いた。 しかし、それでも悟浄は安心できなかったのか、残された方の腕も背中に捻りあげる。 子どもにするにはそれは過剰防衛もいいところだったが、ここにそれを止める人間はいない。 いようはずもない。 それほどに子どもは異常で、異端だった。 「……ありえねぇっつの」 一体、どこの世界に足を打ち抜かれても、平気の沙汰で人を殺そうとする子どもがいるだろう。 それもボールペンで。 動けないふりで相手が油断するのを待ち受けて。 「……それが、獲物か」 なるほど、これを『人間』と呼ぶのは憚られる。 確かに、そこにあったのは人の形をした『兵器』だった。 ......to be continued
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