Your mark? その日、某大学のサークル内には激震が走った。 「……マジかよ、オイ」 「とうとう……ですか?」 「でも、昨日ってさー……」 視線の先には、一人の少女。 名前を という。 男たちのアイドルである。 この場に居ない、とある仏頂面の幼馴染にして彼女ではあるが、そんなものはなんのその。 その愛らしい容姿。 若干世間慣れしていない仕草。 それに何より、その心優しく初々しい性格。 あの、天上天下唯我独尊男が本人の預かり知らぬ所で必死に害虫駆除をしていただけのことはあるというものだ。 彼女は、逢ったその場で男たちの心を鷲掴みにした。 そのが、少し離れた場所で友人と話をしている。 その表情は明るく、話に夢中になっているのか、こちらに視線を向けることはない。 普段であれば、微笑ましい気持ちで彼女を見守るなり声をかけるなりするところだ。 が、しかし、今日だけはそうできない理由があった。 「確か、昨日普通に帰ってたよな?」 「おう。バイトがあるーって」 「……でも、あれは」 「「「キスマークだよな(ですよね)」」」 そう、彼女が動くたびに、長い髪の毛からのぞく鎖骨に見える紅い痣。 それが全ての原因である。 ここで、あれを唯の虫刺されと思うような世間知らずはここにはいない。 が、同時に。 彼女に面と向かって、「それどうしたの?」などと聞ける勇気のある者もいなかった。 なぜなら、の彼氏であるところの三蔵は昨日、自分達と飲んでいたのである。 まさか深夜の1時2時を回ってから彼女の家を三蔵が襲撃でもしない限り、 あれを付けたのは別人ということになってしまう。 流石の三蔵も、夜中に彼女の家を訪ねたりはしないだろう。 それも、一人暮らしではなく家族と同居している家に。 「昨日はありませんでしたよね……」 「んー、なかったと思うけど……」 「いんや。『けど』じゃなくてなかったっつーの」 「何で断言できるんだよ?」 「俺様を誰だと思ってんだよ?女のことに関して見落としなんざありえねぇ」 思わず、三人は楽しく談笑する少女の様子を伺い見てしまう。 いつもと変わらない。変わりなく見える……が。 「どーよ?」 「でも、他のものに見えませんよねぇ」 「たださー……なんだよな」 「ですよね」 「そこが問題だよな……」 そこらの女子であれば、少々失礼であることを知りつつも、浮気を疑ってしまう。 三蔵が何しろあの性格なので、ついていけなくなったとしても不思議はないからだ。 が、しかし。 はその三蔵と生まれた時から一緒なのだ。 今更、ついていけない云々もない。 それに、先ほども挙げた通り、彼女は世間慣れしていない。 三蔵のせいで、ぶっちゃけ恋愛経験も皆無だ。 その彼女が? 三蔵以外の人間と? 三蔵でさえ、まだ手を出せていない状況なのに? キス以上の行為? 「……無理じゃね?」 「だな」 「ですねー」 一応、三人とも想像してみようとしたが、 めちゃくちゃに恥かしがる図か、怯えて真っ青になっている図かしか思い浮かべる事はできなかった。 と、が真っ青になっている図を思い浮かべて、悟空は二人にひっそりと自身の見解を述べる。 「もしかしてさ、誰かに無理矢理アレ付けられたとかは?」 「……お前、そんなことされてチャンが翌日あんな笑ってられっと思うか?」 「思わねぇけど。でも、他に考えらんねぇじゃん」 「……実は虫刺されってオチはねぇよな」 「……知らねぇよー」 段々考えるのが嫌になってきた悟空と悟浄。 すると、そんな二人に、顎に手を当てて考え込んでいた八戒が口を開いた。 「……もしかしたら、自身気付いていないのかもしれません」 「はぁ?」 「八戒、それどういう意味だよ?」 「ですから、が気付かない内に、誰かにつけられたってことですよ。 少し考えにくいことではありますが、転寝をしていた時とか……」 自分でも言っていて自信がないのだろう、その語尾は大変小さなものだった。 しかし、言われた悟浄たちからすると、それはなるほどと思ってしまう意見だった。 よくよく見てみれば、は寝不足なのか目の下にうっすらと隈を作っていた。 時折、欠伸をかみ殺しているようだし、空き時間にうとうととしてしまっても不思議はない。 それが一番ありそうだ、と三人は結論付けた。 つまり、どれほど頭を捻ってみても、他の選択肢が考えられなかったのである。 が堂々と浮気をするとも思えないし、かといってあの三蔵の彼女に無理矢理というのも現実的ではない。 それだったら、に想いを寄せる男子Aがこっそりという方がまだ考えられなくもない。多分。 が、そうなるとまた別の問題が発生してくる。 「……誰かって?」 即ち、犯人は誰かということに。 基本的には三蔵ががっちりガードしているため、そういった輩が直接にアプローチしてくることは少ない。 がしかし、障害があれば燃えるタイプもいるわけで。 実は、いまだにに恋する男たちは影にわらわらいたりする。 三蔵に見つかれば命はないが、バレなければ想うのも自由というわけだ。 「……まぁ、少なくとも僕じゃありませんねぇ」 「俺も違ぇかんな!のことは好きだけど、そういうんじゃねぇし!」 「……で、何で俺を見んだよ!」 「……いえ、別にv」 「悟浄ならやりそうだなーとか思ったわけじゃねぇって」 「それ思ってんだろが!」 あらぬ疑いをかけられて、悟浄は力の限り首を振った。 そんな妙な話がちらりとでも三蔵の耳に入ったら溜まったものではない。 確かに、は可愛い。 可愛い可愛い後輩である。 が、人の彼女に手を出すほど落ちぶれた覚えもないし、そんなことをしたら嫌われること必至。 そんなのはごめんだった。 「…あー、もう!どこのどいつだよ、あんなことしやがったの」 三対の視線の先で、何も知らずに少女は笑っていた。 「ホント、昨日のマンチカン可愛かったー!ニャンコ!ニャンコらぶ!!」 「うん。すっごく可愛かったねー。猫飼いたくなっちゃったなぁ」 ニコニコと、昨日のテレビの話題で盛り上がる。 サークルと言っても、全体の話し合いや活動がなければそれは談笑の場にしかならない。 いつもであれば、悟空やら悟浄やらが話しかけてきたり、自分から話しかけに行ったりもするのだが、 今日は話が弾んでいることもあって、軽い会釈で留めていた。 どうにも、幼馴染である三蔵の姿は見当たらない。 きっと講義が長引いているか、一服してからくるつもりなのだろう。 キャンパス内は分煙が徹底されていて、このラウンジでは喫煙厳禁なのだ。 と、そんな風に思っていたらいつも通りの仏頂面で、三蔵がやってきた。 が、あれは標準装備なので、別に機嫌が悪いということではない。 誤解されやすいが、三蔵は常に怒っていたりするわけではないのだ。 せっかく綺麗な顔をしてるのに、もったいないなーとは思う。 まぁ、でも、それで少しでもライバルが減るのならそれも良いか、と不謹慎にも考えてしまうこともあるが。 すると、の視線が三蔵に向いたのを悟った友人は、そこで話をお開きにした。 三蔵がいるのにを独占していると、明らかに奴の機嫌が悪くなるからだ。 怖いとかではなく、それは単純に面倒臭いらしい。 そして、はその促しに素直に従い、小さく友人にお礼を言って三蔵の方へぱたぱたと駆け寄った。 「おはよう三ちゃん。昨日大丈夫だった?飲みすぎてない??」 「……とっくにおはようって時間じゃねぇだろ」 「だって、三ちゃんと逢うの今日初めてだもん。最初にあったらおはようって言っちゃわない?」 「……げ」 はそう言って小首を傾げた。 すると、途端に三蔵の目付きが鋭くなり、一気に威圧感が増す。 もちろん、その視線は今の仕草でいっそう露わになったの鎖骨付近にしっかりと固定されている。 遠くで、赤毛の青年が小さく声を上げた。 「……オイ、」 「うん?なぁに?三ちゃん」 は急に機嫌の悪くなった三蔵に、疑問符を飛ばす。 当人だけが、張り詰めた空気の原因に思い当たらないようだ。 「どこぞの虫にでも喰われたのか」 「?虫??どこか刺されてる??」 三蔵の視線を追って、自分の胸元をキョロキョロと見やるだったが、それが顔に近いせいでよく見えないらしい。 訝しげな様子はますます色濃くなるばかりだった。 そして、それを見て、三蔵は目を細める。 もちろん、が浮気をするなんて考えてもいないが、心当たりもないらしいその姿に、怒気は募っていく。 矛先はではない。 どこぞの虫に対してである。 あらゆる情報網を駆使してその虫を特定し、あらゆる意味で完全抹殺をしてくれるっ。 そう心に決め、三蔵は無表情で問題の箇所を指差した。 と、はそこを取り出した手鏡で確認し。 「あ、ホントだ……でも痒くないんだよ?なんだろ?? …………あ」 予想外にも、何か思い当たる節を発見したらしかった。 しかも、その上、はそれに思い当たると同時に、一気に頬を紅く染め上げる。 ……三蔵の声が一段と低くなった。 「えーと、あの、これは……とりあえず大丈夫なんだけど……」 「どこの虫だ……。俺がじきじきに駆除してやる。言え」 その言葉は、端で聞く者があれば震え上がるか凍りつくかするほどドスの利いたものであり。 面と向かって言われたは顔色を失くすかと思われたが。 「……ええ!?三ちゃんどこまで知ってるのっ!?」 彼女は素っ頓狂な声を上げると、紅い顔のまま目を丸く見開いた。 「三ちゃんの部屋からは見えないはずだし……。 あ、まさか、三ちゃん昨日早く帰った!?それで家に来たりした!?」 「なに……?」 「あれ?違うの?じゃあ……お母さんに聞いたんでしょ!もう、恥かしいから言わないでって言ったのに!!」 「オイ。ちょっと待て」 話の流れが若干おかしいことに気付いたのだろう、三蔵がそこで待ったをかけた。 見えない?聞いた? それが何を意味するのか皆目見当がつかず、三蔵はそこでを問いただす。 「何の話だ」 「え?だから、虫の話でしょ?」 「…………」 長年の付き合いだ。 その反応から、三蔵はある結論を導き出した。 「……最初から順を追って話せ。虫がどうした」 即ち、の言う『虫』と三蔵の言う『虫』は別物である、と。 まぁ、ようは。 「だからね?昨日私の部屋にゴキが出たの!」 が言う虫はそのまま虫なのだ。 「……あぁ?赤ゴキが出たのか」 「違うよ!本物のゴキ!黒くてでっかくて、ツヤツヤのゴキ親分だったの!」 ゴキ親分って何だ。 遠くで耳ダンボ状態の面々はそう思った。 がしかし、当の本人たちはそんな些細なことは軽くスルーし話を続ける。 「……で?」 「で、急いで殺虫剤一階に取りに行ったんだけど、そうしたら、ゴキ親分は天井と壁の境まで行っててね? 適当に辞書積んだりして足場にして、殺虫剤吹きかけたの。 そうしたら!ゴキ親分がこっち目掛けて飛んできたんだよ!」 その時の事がどれほどの衝撃だったのか、身振り手振りで一生懸命語る。 そこに嘘を語っているような雰囲気はどこにもない。 そして、その仕草によって、三蔵の周りを漂っていた怒気が薄れていく。 ……誤解が晴れたということもあるが。 何よりそのの様子が可愛かったからだと、彼を良く知る三人は悟っていた。 「もう、すっごく怖くてね?」 「……で、バランスを崩してすっ転んだのか」 「う……。あの、その、ね?びっくりしたから……」 は、自身の失敗に恥かしそうに頬を染める。 それだけで、もう三蔵の周りにはデレッデレの空気が溢れていることに、彼女だけが気付かない。 そして、ニヤける自分を必死に押し殺し、格好良い幼馴染兼彼氏を装っているであろう男は、 問題の箇所に指先だけで触れる。 若干、その手が怪しすぎると思ったのは、恐らく一人や二人ではないだろう。 「で、これもその時の産物か」 「んー、多分。辞書の角当たったし。 本当に、あちこちぶつけて痣になるし、ゴキ親分は見失うしで散々だったんだよー」 「ほぅ……。それで俺にそいつを退治しろと?」 「え、駆除してくれるってそういう意味じゃないの?」 「?」と疑問符を浮かべながら、はもう一度首を傾げた。 しかし、その白い首筋が露わになっても、三蔵が威圧感を増すことはない。 どころか。 「……ククッ。じゃあ、今日行ってやるよ」 「本当?良かったー。もう、昨日寝るとき怖くて寝不足になっちゃって困ってたの」 それはそれは嬉しそうに三蔵に礼を言う。 そのどこか裏のありそうな三蔵の笑みに、彼女が気づく事は終ぞなかった。 「……オイ、アイツチャン家乗り込む気だぞ」 「っていうか、三蔵メチャメチャ嬉しそうなんだけど。の家とか今更じゃねぇ?」 「大方、あの痣が虫除けになって良いとか考えてるんじゃないですか。 何しろ、傍から見たら、誰がどうつけたかなんて邪推するしかないですし」 「「「……独占欲強すぎだよなぁ(ですよねぇ)」」」 おそらく、三蔵の今までの所業を知ったら軽く引く。絶対引く。っていうか、ドン引き。 そう思いながらも、が自分のことには若干鈍いことに感謝せずにはいられない三人であった。
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