。二十三歳独身。 職業、フリーアルバイター。 現在地、バイト先の飲み会が行われている『ブラックブランデー(略してぶらぶら)』。 現在、目の前で調子こいてる若造に軽い殺意を抱いています。 君との毎日 五 里 夢 中 「……萌太が足りない」 ボソリとした呟きに、友人は「ん?」と眉を片方上げた。 自分でも驚くくらい低い声だったので、そのせいかもしれない。 さっきまでは宜しかった私のご機嫌は、今は下降の一途を辿っている。 それもこれも、ちょっと離れたところで惚気話に興じる、先輩アルバイター(年下)のせいである。 視線の先で、 「俺って彼女想いだから、彼女が海行きたい〜とか言ったら連れてってやりたくなる訳ですよ。 だから、幾らバイトしても全然貯まらなくてぇ。マジ生活やばいんですよぉ」 とか言っている奴だ。 自分で彼女想いとか言うな。 っていうか、貯まらないのは計画性のせいだ。彼女のせいにすんな。 チャラチャラしたアクセサリー買うくらいなら貯蓄しろ。 親の脛齧ってる分際で生活やばいとか、どの口がほざくのか。 「ちゃん、顔怖い」 「……元々よ」 「っていうか、どうしたのー?さっきまで生ビールジョッキで飲むくらい絶好調だったのにー」 「酔った?」と顔を覗き込んでくる精悍な顔の彼女は、私と同い年だ。 パートとして、同じスーパーに勤めている。 初めての業務に戸惑っていた私に、レジの打ち方からクレーマー処理、 果てはスーパー内のどろどろした人間関係まで教えてくれた、バイト先で最も仲の良い友人である。 趣味は携帯いじりで、よく話が盛り上がるから、きっと属性が似ているんだろう。 違う点といえば、その左手に輝く銀色の指輪あたりが筆頭かな。 「酔ってないー」 「ああ、酔ってるね。顔赤くないのに酔ってるね。分かりづらいなぁ、もう」 「酔ってなーいの」 「妙にたどたどしい口調で何言ってんだか……」 ぽすぽすと頭に手を当てて宥められる。 正直に言えば心外以外のなにものでもなかったが、その手が気持ち良いので黙っておく。 嗚呼、これぞ大人の余裕……。 「で、さっきなんて言ったの?」 と、そんな風に思考があっちの方に飛んでいたせいで、私はその言葉が何を示すものなのかさっぱり分からなかった。 気がつけばぽすぽすはぐりぐりに変わって、私は頭を鷲掴みにされていた。 ……あれ?笑顔が怖いぞ? 「萌えた云々かんぬんって聞こえたんだけど?」 「萌えたじゃないよ萌太だよ。発音には気をつけてくれる?」 萌えたでも間違いじゃない気がするんだけどね。 でも、やっぱりそこは間違っちゃいけないところなのできっちり訂正しておく。 本人にバレたら後も怖いしねぇ。くわばらくわばら。 「萌太?何それ名前?」 「他に何に聞こえるってのよー」 「知らないわよ。でもすっごい奇抜な名前ね。親の素晴らしきセンスを疑うわ」 「何、喧嘩売ってんの?」 それは、そのすっごい奇抜な名前の彼氏を持つ私に対する遠まわしな挑戦か。 そう思って、友人を睨みつけてみると、彼女は心外そうに「ちゃんには売ってないでしょ。それとも何、ちゃんが名付け親なの?」と言った。 それに対して、んな訳あるか私は萌太の親戚でも何でもないし第一、十歳かそこらの子どもに大事な子どもの名前付けさせる親ってなんだ、と思う。 っていうか、言おうとした。 が、言ってる内に何だか訳が分からなくなってきたので止めた。 「……結局何が言いたかったんだっけ?」 「とりあえず、萌太くんの名前を馬鹿にすんじゃねぇって気迫だけは伝わってきたけど」 「うん。じゃあ、それで」 適当な友人のフォローに素直に頷いた。 それにしても話が脱線しまくりだなぁ、と我ながら思う。 よく萌太にもやんわりと注意されるのだが、私はこういう風に話があちこちに跳ぶ癖があるのだ。 特に酒が入るともう訳分からん。 本人の頭の中ではちゃんと筋道があるんだけれど、周りから見たら脈絡が全くないらしい。 そこはフィーリングで察して欲しいものだが、それはご都合主義というものだろうか。 「で、その萌太くんがどうしたって?」 「は?何が??」 そして、話を戻そうする友人を尻目に、私はすでに最初の話題を忘れていた。 「だーかーらぁ!最初に萌太くんが云々かんぬんって呟いたでしょ!?それが、どうしたのって訊いてんの!」 「んー?萌太?えーと……何だっけー?」 腕を組んで、自分の言った言葉を思い出そうとする。 あー、とかうー、とか唸りながら、2分ほど経って私は自分の呟きを思い出した。 「うーんと、萌太がね?」 「うん」 「足りないの」 「……は?」 「だからー、萌太が足りないのよ。萌太不足ー萌太寄越せー」 頬を膨らませながらそう宣言すると、視線の先では友人はもの凄く微妙な表情をしていた。 普段、知的で冷静な彼女のそんな表情を見たのは、店長の鬘を新人さんがうっかり笑っているところに本人が登場して以来である。 が、そのレアな表情は、彼女がすぐに己を取り戻したために掻き消えた。 「うーん。それは下ネタ的な意味ではないのよね?」 「んな訳あるか!」 「えーと、萌太くんって彼氏よね?最近逢ってないの??」 「……逢ってないー」 なんかね?萌太のところのね?バイト先の人が一人事故ったらしいのよ。 別に誰がどこで事故ろうが、私に関係なけりゃどうでも良いんだけど。 でもね?そのせいでただでさえ、忙しい萌太のシフトが破滅的なものになっちゃった。 萌太自身は、時間をやりくりしてくれようとしたんだけど。 でも、幾ら若いっていっても、そんな忙しくちゃ、死んじゃうじゃない? っていうか、ヘロヘロの萌太に無理させるなんて私が無理。耐えられない。 「かれこれ3週間逢ってないー」 具体的な数字出したら、気分が更に落ち込んでしまう。 3週間っていったら、昼ドラとかでものすごい展開変わっちゃってなにがなんだか分かんなくなっちゃう位の期間よ? 下手したら、人間の気持ちなんかも変わっちゃう位の長さで。 どうしよう。 「萌太がバイト先のお姉さんに誘惑されてたらどうしようー……うぇ……」 「ちょっとちょっと!いきなり泣かないで!」 「あっれ?さん、どうしたんすか〜?泣き上戸ぉ?」 「黙れ万年春男。……飲みすぎたんだよ。もう帰りな?ね?」 優しく背中をさすってくれる友人に、しかし私はいやいやと首を振る。 帰ったら、萌太に逢いたくなっちゃうもん。 迷惑かけたくないんだもん。 「やーだー。帰らないー」 思いっきり友人に抱きついて、その場から動かんとする。 そして、そんな私に見えない所で、私の携帯はどっかの万年春男にさらわれていったのだった。 「あ、もしもし〜?すいません、萌太さんですかぁ?実はですねぇ……」 「萌太はね?妹思いなのよー。妹の為に働いて生活費稼いでるの。頑張ってるの」 「へぇ。今時珍しいわね」 「でしょう!?でも、お金かかる煙草は止めないのよねぇ。どうしたら禁煙するのかなー」 「んー、嫌だから止めてって言ってみたら?彼女の悩みなら聞いてくれるんじゃない?」 「えー、今更ー。それに萌太の煙草の匂い嫌いじゃないー」 「……あのね。だったらなんで止めさせたいのよ」 「知らないの?煙草はお金と健康の無駄遣いなのよ?」 ある程度気持ちの高ぶりが収まってきたら、ただ友人にぐだぐだと萌太自慢を始める。 正直、すでに彼氏の話として言ったことのある話題を繰り返してる気がするけど、まぁ良いや。 聞くの私じゃないし。 と、梅酒をぐいっとあおったところで、なにやら入り口の方が騒がしくなった。 ったく。酔っ払いが煩いわねー。耳痛いじゃない。 こっちは静かに飲みたいのよ。高い金払ってるんだから、店員ちょっとどうにかしてこ……い…… と、それはそれは極悪な視線を入り口の方へ向けた私は、その騒ぎの中心を見つけた。 「姉」 即ち、極上の笑顔を浮かべる愛しい彼氏。 割合近くから黄色い声が上がったけど、それは無視の方向で。 え、ちょっと待って待って。 今一瞬、酔いふっとんだんだけど。 え、なんでいんの?私、今日飲み会だって言った?言ってないよね? え、ストーカー?盗聴器? 私、それで「愛されてる〜w」なんて言わないよ?普通に怖いよ? と、ぽかんと間抜けのように口を開けていた私に、万年春男がどや顔で近づいてきた。 「俺がお迎え呼んどきましたよ〜。もう流石に帰った方が良さそうですしぃ。 やー、それにしても彼氏若いですねぇ。年下なんて意外っす」 余計なことしやがって。 本来なら、そう言うところなのだが、目の前に待ち焦がれた萌太がいたので、奴のことは頭から吹っ飛んでしまった。 目の前に綺麗なお月様が出てる状態で、目の前のすっぽん注視するか?答えは否。 「萌太だー……」 人当たりよく、私の友人やらなにやらに挨拶をする萌太から、目が離せない。 忙しいからか、ちょっと痩せた気がしなくもない。 でも、やっぱりさらさらの髪を靡かせて歩く姿は格好良くて。 泣きたい位に愛しくて。 逢いたくて。 「萌太だー」 「はい。お待たせしました、姉」 気がつけば私は萌太に満面の笑みで抱きついていた。 「えへへー!もえたー!」 「……また随分飲んだんですね。さ、もう帰りましょう」 「では失礼します」そう言って、私の荷物をひょいひょい担ぎ上げた萌太は、まるで先を急ぐかのように歩き出した。 なんでそんなに急ぐのか分からなかったけど、萌太にくっついたままの私はそのままついていく。 背後で、友人が苦笑しながら手を振っていたので、とりあえず振り返しておいた。 「ごちそうさまでしたー」 「えー、自分の分くらい自分で払ってよー」 「……そうじゃねぇ。ったく。後で話聞かせなさいよー」 「ういー」 煌く星を見上げながら、月を背にふらふらと夜道を歩く。 これで、猫でも歩いていたら完璧だったんだけど、流石にそれはない。 まぁ、良いや。 後ろから極上の『お月さま』がついてくるから。 「……大丈夫ですか?姉」 『お月さま』が語る。 「だーいじょーび!」 「じゃないですね……」 ふうと聞こえるように溜め息を吐いた萌太は、私を軽く手招きした。 もちろん、私はそれにてってってと寄っていく。 ……捕まった。 「まったく。こんな姿、他の男に見せるなんて……。大体、あの男は何なんですか……」 「なにー?萌太なんて言ったー?」 暖かい萌太の腕の中でまどろんでいたら、萌太の一言を聞き逃した。 なので、聞き返すと、萌太はいつもの胡散臭い笑みで笑った。 ……胡散臭くても、萌太の笑顔が見れてちょっと幸せだったりする。 「……寂しかったって言ったんですよ」 「え」 「最近、逢ってくれないから、嫌われたのかと思いました」 「そんなことあるはずない!」 淡い笑みに、力の限り頭を振って応える。 寧ろそれこっちのセリフだし! 勝手に、『バイト先の綺麗のお姉さん』を想像(創造?)して凹んでたし! 「……嘘ですよ。姉が僕のことスキなのはちゃんと分かってますから」 「またそういう恥ずかしいことを」 思わず、呆れ顔で萌太を凝視する。 その自信はどっからくるんだ、とも思うけど口にはしない。 だって、萌太は基本、楽観的なことを口にしてはいても、それを信じちゃいないのだ。 いつだって、日常が壊れることを覚悟していて。 私が今、萌太をスキでも、明日はそうじゃなくなる可能性を常に頭の片隅に置いている。 だから、今の言葉だって、本気だけど本気じゃない。 つっこんだって、無駄すぎる。 信じてもらえない自分が、悲しくて切ない。 でも、それを払拭するくらい、萌太との今が幸せだから。 「幾らだって言いますよ。そんなことで姉が繋ぎとめられるのならば」 「いやいやいや。言わなくても逃げたりしないって」 「それはどうでしょう。姉はモテますからね」 そのことには目を瞑って、萌太との毎日を楽しもう。 「いつどこで誰がモテたんだよー。……それより」 そう、思った。 細かい事とか、今起きてない先の事とか。 考えたって仕方ないじゃない? でも。 でもね? 「それより萌太のが心配じゃんかー」 時々、不安でおかしくなりそう。 「僕は姉にぞっこんですよ?」 「とか何とか言いながら、さらっと『別れましょう』とか何とか言い出しそうなんだもんー。 なんていうの?他にスキな人ができましたーとかじゃなくて一身上の都合とかで」 だから思わず、酒のせいで本音が漏れる。 こんな風に、萌太に対して不安を訴えてしまったのは初めてだった。 日常の愚痴は馬鹿みたいにたくさん言ってきたけれど。 萌太に対する不安なんて、口にもしたくなかったから。 でも、零れてしまった言葉はもう取り戻せない。 自己嫌悪で眩暈がしてきて、私は萌太の顔がまともに見れなくなってしまった。 正直、俯く他にできることがない。 すると、そんな私に返ってきたのは、予想外の一言だった。 「それはまぁ……ないとは言えませんね」 「……言えないんだ」 「ええ。だって僕は……」 「僕は?」 そこは言っとけよ、と思いながらも。 珍しく言い淀んだ萌太に不思議さが募って、さっきとはうって変わって、その顔を下から覗き込む。 しかし、萌太は続きを言う代わりに、困ったような笑みで別の話題を振ってきた。 「……ねぇ、姉。もし、もし僕が人間じゃないって言ったら、信じますか?」 「……は?人間じゃない?」 意味が分からなさ過ぎて、思わず聞き返しちゃった私。 ……おかしいなー。萌太は酒入ってないはずなんだけど。 そう思いはしたけれど、酒で判断力が鈍っていたのだろう、私は首を捻りながらも先を促した。 「なに、萌太悪魔なの?」 「……えーと。まず連想するのが悪魔なんですか?」 「うん。だって美形って言ったら悪魔じゃん」 「それはかなりの偏見だと思いますけど。……いいえ。悪魔じゃなくて、死神です」 「……死神?って鎌持ってる奴?」 「はい」 「人殺して連れてっちゃうあれ?それともデス○ート的な?」 「いえ、デスノー○の方じゃなくて。 ……正確には、運命で死んでしまった人を連れていく存在ですけど、おおまかにそういう認識で良いですよ」 苦笑しながら、突然そんな話を始めた萌太に、私の頭の中は疑問符で一杯だ。 だけど、まぁ、きっと何かの例え話なのだろう。 そう結論付けて、私は口を開いた。 「んー、萌太が死神?で、どうするかって?」 「ええ。まぁ、今は違うんですけど」 「……えー、違うの?ややこしいなー。え、つまり萌太が元死神で、どう思うかなの?じゃあ」 「まぁ、そんなところです」 萌太が死神、ねぇ? まぁ、見た目人間離れしてるし。そんなに違和感ないんだけど。 萌太が割合真剣なのを受けて、とりあえず想像してみながら、私は口を開く。 「んー。そうだなぁ」 死神なんていったら不吉な感じで、萌太の優しいイメージとは結びつかないのだけれど。 でも、無理矢理に想像するとするならば。 「私の大事な人連れてっちゃうなら、死神だろうがなんだろうが願い下げなんだけど」 ――自分を迎えに来てくれるのなら、萌太が良いなぁ。 そう言えば、萌太は面白いくらい目を見開いて驚いていた。 ほんの少し、私を抱く腕が緊張で強張る。 「僕が、ですか?」 「うん。最後に逢えるのが萌太なら、嬉しいし人生悔いなさそうー」 「……それ、最高の殺し文句ですよ。姉」 「そう?」と首を傾げれば。 「そうですよ」と微笑む萌太がいた。 「逢えないのはやっぱり寂しいもんね」 「……ええ。そうですね」 そして、私は淡く微笑む萌太の左手を掴む。 しっかりと。霞のように消えてしまわない内に。 まぁ、俗に言う恋人つなぎ? その滅多にない行動に対して萌太はその綺麗な瞳をもう一度見開いたけれど、「まぁ、良いじゃん」と返しておく。 なによ。私がたまに素直に甘えたぐらいでびっくりしないで頂戴。 私だってねぇ。 たまにはお酒のせいにして、本音出したいのよ。 もう、一回出しちゃったから、毒を食らわば皿までって感じ。 悪い? 絶対そんな事を萌太が言わないのを分かっていながら、そんな風に思う。 気がつけば、私達は二人、歩き出していた。 「帰ろ」 「はい」 やっぱり、我慢はよくないよね。 そう言えば、萌太は幸せそうに頷いた。 そのまま帰路についた私達の手は、萌太たちの部屋に着いてもしばらくは繋がれたままだった。 ......to be continued
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