神楽舞 「…………」 紅孩児は絶句していた。 目の前の光景に。 その舞に気圧されて。 此処は吠登城から少し離れた人の手の入らない、奥深い森。 離れているとは言うが、妖怪の根城が僅かにでも見えるような場所、しかも未開の地に人は来ないハズだ。 それなのに、よりにもよって少女がいた。 それも、ただいるだけではない。荘厳な衣装で舞っているのだ。 白い端正な横顔が目に入る。 金糸の模様が煌めく。 音無き場所で舞を舞う。 それはまるで、光の華が降り注いでいるかのように。 闇を打ち払うかのように。 其処だけが別の空間であるかのようなこの世離れした光景だった。 > そして、鮮やかな白と紅の衣装と扇がピタリと止まり、静寂が訪れた。 舞が終わってしまったのだ。 ソレを少し侘しく感じながらも、紅孩児はその少女から眼が離せないでいた。 すると、今まで舞を止めた処から微動だにしなかった彼女が、顔を上げて紅孩児をその眼で射抜いた。 「何をしておる」 訝しげに紅孩児を見やる少女に、彼はようやく自分が舞を食い入るように見つめていたコトに気付く。 自覚がなかったようで、少し慌てて彼は謝罪を口にした。 「……いや、すまない。妹を探しに来たんだが、あまりに舞が見事だったもので」 「……ふむ。嘘ではなさそうじゃな。言葉を返す、か……」 紅孩児の素直な意見に少女は値踏みするかのような様子だったが、ひとまず何かを納得したらしい。 口元に当てていた扇を勢いよく閉じ、年齢にそぐわない――だが口調には良く合う微笑を浮かべた。 「神の舞を見るとは稀な事。そなた、中々に面白き星の下に生まれたようじゃのう。名は何と申す?」 随分と時代錯誤な言葉遣いだと思いながら、少女を見ていた紅孩児だったが、最初に聞こえた単語に少し警戒の色を見せた。 「……神、と言ったか」 「左様。わらわは神の眷属、土地神じゃ。ヒトに逢うたのは久方ぶりの事よ」 「何故その神がこんな処で舞っている……?」 慎重に言葉を選びながら、紅孩児は神の様子を探る。 彼は五百年前、闘神と色々な因縁めいたモノを持ってしまった。 自分たちの現在行っている事を考えれば、神に攻撃される事も考慮に入れなければならない。 まァ、まさかこんな少女が刺客ではないと思うが、何しろ、五百年前の闘神は幼い少年の姿をしていたのだ。 彼の警戒は決して的外れではない。 待ち伏せされてもおかしくない位の身の上なのだから。 がしかし、そんな彼の様子には全く気付かないようで、神はあっけらかんと言い放った。 「めでたき日じゃから舞っておる」 「何かあるのか?」 「めでたき日はめでたき日じゃ。ソレ以上でも以下でもないわ」 堂々としたその態度に、紅孩児は彼女が何も語る気がないのを悟るが、此処で敵かもしれない人物に背を向ける訳にもいかない。 すると、彼女は舞殿の代わりにしていた岩の上から音もなく降り、紅孩児の傍まで寄ってきた。 当然だ、音などハズがない。彼女は空中に浮かんでいたのだから。 「それより、わらわはそなたの名を訊いておるのじゃ。呪詛を掛けたりはせぬから名乗るがいい」 「……紅孩児だ」 ほんの少し偽名を使うか迷ったが、本名を名乗ってしまった。 けれど、彼女は別段気にした風でもなくまた扇を開いて言った。 「……ふむ。ならば紅孩児、わらわは今日、格別に気分が良い。そなたの妹御を探してやろうぞ」 「何?」 「どのような娘御じゃ?何でも良いから話せ」 「そのようなコトをして貰う謂れはない」 やはり自分達を探っているのかと勘ぐった彼は、神と少し距離を置きながら、何時相手が攻撃してきても言いように身構えた。 きっぱりとした拒絶を告げたからには相手は本性を現すだろう、という考えだったが、彼女はキョトンと不思議そうな表情だった。 「何故断る?」 「お前には関係ないだろう」 「ほんに頑なな男じゃのう、紅孩児は。親切は黙って受け取るモノではないか。それとも妹御をわらわに見られて困る事でもあるのか?」 「…………」 「それほどの醜女なのか?」 「そんなはずがないだろうっ!」 「ならば良いではないか。魂寄せには話をせねばならぬ。こうしている間に妹御が怪我でもしたり迷って泣いておったらどうする気なのじゃ」 「……っ」 その、彼よりも数段上手な言葉に、紅孩児は沈黙する他なかった。 李厘に限って言えば、確かに丈夫だし泣いたりなどしないと思うが、こうまではっきりと言われてしまえば断言などできなかった。 良く言えば妹思い、悪く言えば過保護な彼には効果的な物言いだったようだ。 すると、そんな彼の様子に神は笑みを零した。 「話すが良いぞ」 「……いた」 そして、結局、李厘の容姿や性格などを洗いざらい言わされてしまった処で、話し始めてから眼を閉じていた神が眼を開けた。 ある一点の方向を扇で示し、迷いない様子で紅孩児に笑いかけた。 「此処から少し離れておるが、そう遠くはない。連れて行こう、来るが良い」 ふわりと地面から少し浮いた形で前を進む少女。 どうも、本当に敵意がないようだが、紅孩児の訝しさは消えなかった。 例え、刺客でないにしても、彼女にこんなコトをされる謂れは全くないのだから。 どうしようもない位気になった彼は、それから数分して、ついにその疑問を口にした。 「何故神が俺に協力する」 「……」 「答えろ、神」 と、その言葉に彼女は後ろを振り返った。 少しうんざりしたかのような表情で、溜め息を吐きながら言う。 「……神、神こだわるのう。紅孩児は神に厭な思いでもさせられたか?」 紅孩児は、答えない。 沈黙を肯定と取った彼女は、また方向を変えて先程まで向かっていた方向をまた見据えた。 「恐らく、やったのは天界の神共であろう」 そして、彼女は険しい山道の上を漂いながら、また進み始めた。 窺い知れない表情は、どのような感情を浮かべていたのか。 紅孩児には分からなかっただろう。 「わらわから見れば矮小な者ばかりじゃ。人間も神も妖怪も、何故ああも生き急ぎ死に急ぐのか……」 「……お前も神だと言っただろう」 「土地神と天界の神は似て非なる者。そうじゃのう、わらわ達は精霊のようなモノだと考えれば良い。 奴等は細かき事に心血を注ぐのじゃ。世界を忘れ、己が身を支配者だと考えておるのがわらわには理解できぬ。 ……わらわにとっての至高とは、この地を滞らせぬ事じゃからのう」 滞れば穢れてしまう。 滞れば淀んでしまう。 ソレがこの世で一番我慢のならない事なのだ。 彼女はそう語り、遠くを見つめた。 「お前は何者だ」 「わらわは土地神じゃ。ソレ以上でも以下でもない。名など必要ない」 と、其処まで言い切った処で、彼女は少し声色を変えた。 「……だが、近頃は少々わらわの手に余るようじゃ。皆が怯え滞っておるからのう」 「それは……」 「妖怪が自我を失い暴走していると聞く」 「紅孩児は違うようだがの」と付け加えて、彼女はひたすら前に進んでいた。 ソレに障害物の多い地面に足を着けている紅孩児が付いて行くには、幾ばくかの体力を必要とし、現に多少の疲れを見せている。 がしかし、今までソレを見せずきちんと後ろにいた紅孩児は不意に足を止めた。 「?どうした、紅孩……」 「…………もし……」 「ん?」 コレは、彼にとっての懺悔だったのかもしれない。 「もし、ソレを起こしているのが俺だと言ったら……どうする?」 「……紅孩児が、か?」 流石に後ろを振り返り、神は彼の顔を覗き込みながら尋ねた。 少しだけ、訝しげだった。 「正確には違う。だが、俺は守るべき者の為に罪のない者を虐げている……」 最初は隠そうとした事実を、紅孩児は自ら口にしたのだった。 ソレは彼女が神の味方ではないと分かったからではない。 李厘を探してくれたからでももちろんない。 ただ、彼女が本当の善悪を知っていて、何かしらの意見をくれると、思ったからだ……。 すると、彼女は一瞬その瞳を細め、険しい眼差しになった。 「牛魔王蘇生実験の事か……」 「……知って、いたのか」 自分がその息子であるコトを。 「紅孩児などと言う名前は他にはあるまい。皆が偶にそなたの噂をするしの。『良い男、しかも愚かな男』じゃと」 神は鈴の転がるような可愛らしい声を上げて笑い、そして彼に向かった。 「確かにそのようじゃ」 「何だと……?」 「妙な事で悩むヒトの中でも、更にそうらしいのう」 「俺は人間ではない」 「妖怪はヒトじゃ。わらわには理解できぬ、摩訶不思議な生き物達じゃ」 そして、彼女は閉じた扇を紅孩児に突きつけた。 何故、己が望みに迷う? 何故、他者を気に掛ける? 何故、良心などというモノを持つのだ? 「確かにわらわはこの地が滞る事は承服しかねる。だが、ソレはそなたの心にはなんら関わりのない小さき事ではないか。 もしそうなれば、それはそうであるべき事なのじゃ。結果は必然じゃ。 例えわらわに何があろうと滅びようと、牛魔王が蘇ろうと、決して。この世界は決して滞らぬ」 そう言うと、彼女はふと口調を和らげた。 「……時折、そなたのような者がおる」 いつの間にか俯きがちだった紅孩児の頭を包み込むように、彼女は腕を広げた。 まるで哀れむような、羨ましがるような、そんな表情で。 「自らの願いを変える事も諦める事もできず、またその為に引き起こす事物を割り切る事もできない。 ほんに、生き辛い、頑なな者よ」 その言葉に紅孩児は顔を上げて、彼女と視線を交えた。 その口元に浮かんでいたのは、自嘲の笑み。 「……俺は、頑なか」 神は頷いた。 「思い定めた道を突き進む事に疑問があるのだろう?」 「他者を虐げる事が厭で堪らないのだろう?」 「心のままに生きれば楽な事を知りながら、心に縛られているそなたが頑なでなくて何だと言うのじゃ。 二兎を追う者は一兎も得られぬと心得よ。 その代わり、一兎を追う者は強いぞ。生き物は『生』しか追わぬからヒトよりも強いのじゃ」 その言葉が、ふと敵であるハズの奴等を思い出させた。 自由も。 自信も。 自我も。 『生』を追うから、輝くのか。 だとしたら、奴等のように悪足掻きする奴にこそ、相応しい。 「ああ、知っている……」 ―――けれど、俺には、望めない。 ソレをしたら俺は……。 俺 で な く な る 。 奴等と同じ強さは、望めない。 だが、負けるワケにもいかないんだ。 紅孩児は、そう思った。 自分が自分である理由を、初めて想った。 すると、そんな彼に慈愛に満ちた表情を向ける神は言った。 「わらわにはヒトという生き物が分からぬ。そなた達はあまりに複雑じゃ。だがのう、紅孩児」 彼女は、言った。 「ソレが甘さか優しさか、弱さか強さかは分からぬ。分からぬが、ソレはヒトであるが故の想いじゃ。 安心しろ、紅孩児。そなたは悪鬼ではない。化け物ではないのじゃ」 「そう、言えるだろうか……」 「ああ。惑うのはヒトである証ではないか。そもそも、善悪などという概念は人間だけのモノじゃ。生き物にも土地神にも存在せぬ。 わらわ達は生きる為に、種として反映する為の本能として必要な事をしているだけだからのう」 そして一瞬、彼女は哀しげに笑った。 「唯一の正解などない。存分に考えるが良い。わらわにはやりたくともできぬ事じゃ」 その初めて見る負の言葉と表情から受け取れるのは、深い憧憬。 その容姿との格差が、一層ソレを引き立てた。 「……お前は、それをしたいのか?」 彼女は数十秒ほど沈黙した。 「……それも、分からぬ」 思案した結果出た答えは、こうだった。 「ただ、他の生き物と同じく理解したいとは思うておる。だから、時折こうしてヒトの姿で舞うのじゃ。 だが、やはり分からぬ。わらわは何処までいってもヒトではないからのう……」 「お前は今、ヒトに見える」 「そうか?されど、ヒトにはなれぬ」 少し拗ねたように言う彼女は、紅孩児にはやはり可愛らしい歳相応の少女にしか見えない。 欲しい物を持つ者に対して『ソレができれば苦労はない』と、言っているかのようで。 けれど、彼女自身が否定する限り、彼女はヒトにはなれないのは確かなのだ……。 と、其処で彼は不意にある考えを思いついた。 「それは、お前に名がないからだろう」 「何?」 「名がなければヒトとは言えない。逆に、名があればヒトじゃないのか?」 すると、彼女は鳩が豆鉄砲をくらったかのように驚き、首を傾げた。 「確かに、名は呪の一種だが……」 そんなコトは今まで考えもしなかったという表情だった。 そして、ソレは次の瞬間、心底困った時のモノへと変わった。 「だが、名など思いつかぬっ。紅孩児が付けてくれ」 「いや、しかし……」 「言い出したのはそなたではないか。責任を取れっ」 「……なら、『』というのはどうだ?お前を見て、最初に浮かんだ言葉だ」 先程までの尊大な様子が欠片もなくなった少女に、抑えた笑みが零れた。 すると、彼女は紅孩児が告げた名前を何度も小さく呟いていたが、突然弾けるような笑みを浮かべた。 「良き名じゃ。わらわはこれよりそう名乗るとしよう」 「もっとも、そんな事は度々ないと思うがの」そう付け加える少女に、紅孩児は今度こそ抑えるコトなく笑った。 そんな会話の約十分後、は急にその場に静止した。 「……妹御が此処より百歩ほど行った処で眠っておる。行くが良い」 「は来ないのか?」 李厘も彼女のコトなら気に入るだろう、と思ったから出た言葉だったが、はもちろん不機嫌な表情になった。 心底心外だと思っていそうな様子である。 「土地神はそう気軽にヒトに姿を見せぬモノだ。しかも、ヒトの姿だぞ? 紅孩児でなければこのように、此処まで案内したりはせぬ」 「?」 最後の方は段々と小さくなって聞き取りにくかったが、聞き取れた処で意味が通じていない紅孩児であった。 と、いつまでも紅孩児が李厘の方へ行かないのを見て、は表情を改めた。 そして、逢った時と同じ、いやソレ以上に荘厳な口調で、彼女は導く。 「紅孩児、そなたは己が心の導くままに進め。惑っても良いが立ち止まってはならぬ。足を止めてはならぬ。 そなたの道はそなただけのモノじゃ。他者の言葉によって定まったモノであってもそなたが決めた事を貫き通せ」 ―――其処に、善悪などないのだから。 彼女はそう言うと、ふわりと小柄な身体を浮かせて、紅孩児に口付けた。 「ヒトは愛しい者にこうするのであろう?」 にっこりと邪気なく笑うその表情が酷くヒトそのものであったコトは言うまでもない。 少し呆気に取られている紅孩児の姿を見て、は笑った。 今日、いや、恐らく今までで一番晴れやかな笑みを。 汝に幸いの在らんことを。
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