。二十三歳独身。 職業、フリーアルバイター。 現在地、骨董アパート3階。 現在、同じ屋根の下に暮らす美少年に笑顔で威圧されています。 君との未来は 五 里 夢 中 〜後編〜 「……いやいやいや。今ドア開く音しなかったんですけど」 「それはきっと、姉が聞き逃しただけでしょう。僕はちゃんとドアから入ってきましたよ?」 爽やかーに笑う萌太。 いつも通り笑顔だけれど、これは明らかに愉しんでいる表情だった。 恋する乙女をなめちゃいけない。 ポーカーフェイスでも、よくよく見ていれば些細な違いだって見分けられるのだ。 で、これは何か悪戯をした時によく見る表情だった。 胡散臭い。 なんだか激しく嫌な予感がして、萌太から視線を引き剥がして崩子ちゃんを見る。 ……無表情のまま頬に指を当てて首を傾けられた。 「すみません、姉さま。ですが、新しいお洋服には代えられません」 「……あははは」 その瞬間、全てを悟る。 この兄、妹を買収していやがった。 いや、買収される妹も妹なのだけれど。 どーりで、変に食い下がってくるなーと思ったよ。 ……危なかった。 これで内面について賛美を贈っていたら、私はもう恥ずかしすぎて萌太の顔を見れないところだった。 それは勿体無いと思っちゃうあたり、もう私は萌太に相当やられちゃってるんだと思う。 ふう、と密やかに溜め息を零し、この状況を作り上げた元凶――萌太を見る。 「そう睨まないで下さいよ、姉。これも愛ゆえです」 「妹をダシに使うのは止めなさい。これじゃ、崩子ちゃんとおちおち話せないじゃないのー」 「姉がそう言うのなら」 ……この嘘つきめ。 不機嫌そうに顔を顰めながら、萌太を睨みつけてみた。 が、にこにこと微笑む奴には、正直効果が見られなかった。 と、そんな殺伐とした空気の中、崩子ちゃんは「では、私は戯言遣いのお兄ちゃんにこのカレーを届けてきます」と言っていなくなった。 あまり話し込んだことはないが、その『戯言遣いのお兄ちゃん』が二人の頼れる良き隣人(?)だとは聞いている。 正直、普通に話した印象としては『つまんなそうな人』だったのだが、他の住人に聞いてみるとそうでもなさそうなので、 私と話すのがつまらないか、もしくは偶々私と話した時はつまらない気分だっただけなのだろうと思う。 ……前者だと悲しいな。後者であって欲しい。 そんなわけで、私は至極あっさり崩子ちゃんを見送った。 夜に女の子の一人歩きは危険だけれど、同じアパート内だから、その心配も必要ないのだ。 っていうか、今危険なのって寧ろ……私? 「さて、崩子も気を利かせていなくなってくれたことですし、どうぞ続きを話して下さい」 なにしろこの狭い空間に、気がつけば人の背後を取ってひっついてきている美少年と二人きりなのだから。 萌太のしなやかな腕に腰を攫われながら、私はカレーをお皿に盛り付けている。 何だろうね、この状況。 っていうか、妹いなくなった途端に、いきなり恋人モードに入るのは止めて頂きたい。 その甘い雰囲気とギャップに、年上であるにも関わらずどぎまぎしてしまうのだから。 とりあえず、今すぐ萌太への愛を語らなければならないような空気を出している背後の存在に抵抗を試みた。 「いやいやいや、私今すぐ話すなんて言ってないよね?崩子ちゃんよりは萌太に先に話すべきだとは言ったけれど」 「でも、『また今度』なのでしょう?ということは、次の機会には崩子に話す心積もりがあったということじゃあないですか。 逆説的に、その次の機会よりも前、つまりもうすぐ僕に話すということになりませんか?」 「ならないならない。っていうか、次の機会はないから。ぶっちゃけ崩子ちゃんにも話すつもりなかったから」 「おや?姉はいたいけな13歳の女の子に嘘を吐いたんですか?」 黒いなー。 全く、どうしてこのやたらと黒くて爽やかで嘘ばっかりの美少年と付き合ってるんだか、自分で自分がわからない。 おかしいな。私の好みってこんなんじゃなかったはずなんだけど。 もうちょい可愛げある方が良いんだけど。 何をどう間違ったんだろう?私。 「そうそう、嘘を吐いたんだよ。私は卑怯な大人だからねー」 「…………」 萌太は黙った。 こういう、年の差を感じさせる発言は自分で自分を切りつける諸刃の剣に等しいのだが、 萌太を相手にする時はこれくらい切れ味の鋭いものでないとまるで意味がないのだから仕方がない。 が、いつもならば、余裕を少し失って付け込みやすくなるはずの萌太は、しかし、まったく怯むことなく言葉を続けた。 それも、極上の笑顔を浮かべていること間違いなしな声色だった。 「ああ、なら純真な子どもの特権として、わがままを言わせてもらいましょう」 「え」 「姉、僕のどこが好きなのか教えて下さい。このままだと僕は気になって気になって仕方がありません」 「……………」 「僕は姉のこと、愛しちゃってるんです」 「……………」 「……それとも、姉は僕のこと、嫌いですか?」 「ダイスキデス。ゴメンナサイ」 本当、ごめんなさい。 まさかこの捻くれ者がストレートなこと言ってくるのが、こんな破壊力を秘めているとは思わなかった。 しかも、「嫌いですか?」とか耳元だし。 私が声フェチなのと、自分が良い声持ってることを自覚している、それは効果的な攻撃だった。 っていうか、いつもなら、『それとも〜』なんて言葉じゃなくて、 『気になるあまり、八つ当たりとして姉の嫌がることをしてしまうかもしれないです』とかなんとか脅しをかけてくるのが萌太のはずだ。 こんなのあたしの萌太じゃない!誰よ、この子にそんなスキル伝授した馬鹿は!! 「ありがとうございます。じゃあ、告白ついでに理由もどうぞ」 綺麗な顔に綺麗な笑みを浮かべて萌太はそうのたまった。 「……内緒の方向で」 「駄目です」 「〜〜〜〜〜〜〜っ!なんでー!?」 「姉は恥ずかしがり屋さんですからね。こういう機会に多少強引でないと話してくれないでしょう? 普段は僕が有り余るほど愛を語っているというのに、姉は一向にそれを返してくれない。 幾ら気が長くて忍耐強い僕といっても、流石にちょっと傷つきます」 「ううぅ」 そう言われると弱いんだけど。 でも、恥ずかしいんだって! 「ごめん。……でも無理ー」 「……ふぅ」 「本当に申し訳ないんだけど、でも、こういうのってもう少し雰囲気のある場所で言うとか、 不意打ちの如くさらっと言っちゃいたいの。こう、急かされれば急かされるほど言いたくなくなるっていうか……」 「天邪鬼なんですね、姉は」 「うー、自覚はあるんだけどねぇ」 こればっかりはどうにも……。ねぇ? と小さく同意を求めると、萌太は困ったように眉を寄せながら、「仕方がないですねぇ」と笑った。 こういう萌太の優しさに甘えているのは自分でもよく分かっている。 でも、分かっていてもそれを改められるかというのは別問題で。 きっと、私は萌太にこの想いを伝えるのが怖いのだ。 だって、相手は十近く年下だし。 血も凍るような美少年だし。 なにより、萌太自身、どっかにふらっと消えてしまいそうな儚い雰囲気があって。 想いを口にした途端、この夢のような時間が消えてしまいそうで。 想いは重い。 だから、私は言葉にしない。 でも。 「ね?姉……」 ――愛してますよ。 君が言葉を求めるというのなら。 「私も……」 私は。 「なんて……」 言葉以外で君に愛を。 「……言うと思う?」 笑い含みにそう言って、私は萌太の首に手を回す。 瞬く間もなく、彼をぐいっと引き寄せて。 その薄い唇と自分のそれとを重ね合わせた。 嗚呼、苦くて甘い、紫煙が香る。 それから数分後、私たちは向かい合っていた。 だって、腰捻った状態でキスって正直苦しいのよ。体勢が。 そして。 「それはもう言ってるのと同じじゃないんですか?」 くすくす、と萌太が微笑って。 「人の話は最後まで聞きなさい」 からから、と私も笑った。 「ちゃぁんと、否定してるでしょう?」 「そういうことにしておきましょうか」 「そういうことにしておいてちょうだーい」 十近く年下?――――今時そんなん普通だって。 血も凍るような美少年?――――いやいや、実際私生きてるし。 どっかにふらっと消えちゃいそう? この夢みたいな時間が? ――――なら、消えるまで思いっきり楽しんでやるわ。 さっきまでの自分の不安もどこかへやって。 素敵な彼氏との毎日を過ごしましょう。 だって、君と違って私は大人だもの。 メリハリ利かせて、余裕ぶって。 たまに本音も覗くけど。 それに振り回されて、この時間が減っちゃうのは勿体ない。 矛盾たっぷり百も承知。 けれど、それすらご愛嬌。 私は、萌太がスキです。 愛しちゃってます。 でも、こっちがベタ惚れなのは悔しいので、言わないでおきたいと思います。 ……そういうことにしておこう? にこにこと幸せそうに笑って、私は愛しい名前を呼んだ。 「もーえた」 「はい?」 「なんでもないやー」 すると、萌太は私以上に幸せそうにまた微笑う。 「……本当に、姉は可愛いですねぇ」 が、気を抜いていたせいか、その甘い甘い囁きに、くらくらと意識を持っていかれそうになった。 ので、うっかり首に腕を回し。 その唇に再度口付けをしようとしたところで。 ガチャ 「萌太くん。実は大学のクラスメイトに大量の福神漬けを貰ったから、良かったら食べない? 正直、これを単体で食べることに限界を感じていたところなんだ。人助けと思って是非。 なによりせっかくのカレーなんだし、添え物があった方が良いんじゃないか……と…………」 「「あ」」 目が合った。 その人はごくごく平凡な見た目をした青年だった。 着ている物も特に取り立てて珍しくもないTシャツにパーカーというものだったし、 身長その他特筆すべきものは何もないように見受けられる、そんな人だった。 しかし、そんな人でも印象深いものというのはあるもので。 その人の唯一の特徴。 まるで死んだ魚のように無感動で何も映していないかのような瞳が、ほんの少し驚きに見開かれる。 「えっと……お邪魔しちゃった、のかな」 バツが悪そうに福神漬け入りのタッパーを突き出してくる、青年。 崩子ちゃん曰く『戯言遣いのお兄ちゃん』。萌太曰く『いー兄』。姫ちゃん曰く『師匠』。 みい子さん曰く『いの字』。荒唐丸さん曰く『いーの』。奈波ちゃん曰く『いのすけ』。 二人の頼れる良き隣人――いーさん。 うん。ちっとも良くないわ。 「……ええ。素晴らしいタイミングでの邪魔でしたよ、いー兄」 嗚呼、この人こんな表情することもできるのね、と遠くなった思考の中で思う。 そして、私は迷うことなく淀むことなく。 タッパーを受け取る萌太といーさんを渾身の力でもってしてドアの向こうに押し出した。 そして、音速の速さでドアを閉め、尚且つカンヌキ錠を閉めた。 「……ちょっ……姉!?」 若干慌てた風な萌太の声が聞こえたが、黙殺。 「開けて下さい、姉」 「…………」 「姉」 「…………」 「姉」 「…………」 「……姉?」 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「……覚悟は良いですね?いー兄」 「落ち着くんだ萌太くん僕たちの間には何か只ならぬ誤解が生じている話し合いをしよう」 「安心して下さい。僕といー兄の間に誤解なんて微塵たりとも存在していませんから」 「……ま、待ってくれ!う、うわあああああああああああああああ!」 廊下で床が抜けるんじゃないかってほどの凄まじい音が聞こえてくるが、 今の私はそれどころじゃなかった。 顔に熱が集まって、馬鹿みたいに真っ赤になっているのが分かる。 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」 幾ら彼氏の家とはいえ。 年端もいかない妹やら何やらが同じ屋根の下にいるというのに、キスを仕掛けるなんて。 今日も私は美少年に夢中のようです。 ......to be continued
|