かーごのなーかのとーりーは。





Butterfly Effect、45





ガラスの城の中は、気づけば隅々まで銀色の蝶が居座っていた。
とはいえ、この前までは、いっそ気持ち悪くなるレベルで蠢いていたので、 各部屋に1匹2匹いるくらいなら可愛いものだろう。

自分以外、誰もいないその城で、私はぼんやりと天井を見上げていた。


「…………」


その天井は、透明のはずなのに透明ではなかった。
ばきばきと、音がしないのが不思議なくらいに、縦横無尽に亀裂が入っていて。
そのひび割れで、空は見えない。

ただ、この天井が、現状落ちたりはしないことを、私は知っている。
やがて、天井を見るのにも飽き、私は城の中をそぞろ歩いた。
そして、終着点は、いつも同じ。

錠のついた扉の前だ。
すでに、その前にあった卵はなくなっているけれど、ここにはかなりの蝶が留まっていた。
きらきらと光を反射するそれは、ある種幻想的な空気を生み出している。
それらの鱗粉で輝く扉は、今のところ開く気配がない。
でも、開いていないことを確認せずにはいられなかったのだ。
錠が外れていないかどうか。
扉が壊れていないかどうか。
確認して、ようやく私は安心してその場に背を向けられる。


――本当に?


ばっと、声のした方向へ目を向ける。
閉じているはずの扉が、軋む音が聞こえた気がした。







ぱちり、と。
階段から落ちる夢を見たかのように、唐突に意識が覚醒する。


「…………?」


何故だか心臓が、激しく脈打って痛い。
喉が干上がったような感覚がする。


「……嫌な夢でも見たかな?」


少しも覚えていない夢に、自身の変調の理由を押し付け、 私は軽くベッドの中で伸びをしながら体を解す。
子供の体なので特にはないが、 本来の体だったなら、試験勉強で凝り固まった体からは、ぱきぱきとあちこち音がするだろう。
若いを通り越して幼い体万歳である。

布団の外の空気の冷たさに首を竦めながら、 できるだけ早くセーターなどを着て、着膨れる。
制服は選ぶ手間がないけれど、スカートで足が冷えるのだけはいただけない。
ユ〇クロの極暖が欲しいなー、と切に願いながら、 できるだけ厚いタイツを履いて、私は鏡の前に移動した。

少し前までは、鏡の方が私の方に飛んできたりしたものだが、 今ではきちんとあるべき場所にいてくれることに、ちょっと嬉しくなる。

……いや、だって考えても見てほしい。
普通動かない物が動くのだ。
動いた場所には埃だって溜まっているし、なんだったらGの死骸だって転がっている。
そんなものを朝、起き抜けに見たくはないだろう。誰だって。


「これも、スティア君サマサマだよね」


今でもちょっと気を抜くと危険な気配はするが、 頻繁に魔法が暴発することはない。
それもこれも、親友の案内人である黒猫くんが余分な魔力を吸収してくれるおかげである。

魔法の暴発は防げるし、黒いもふもふを堪能できるし、良いこと尽くめだ。
そして、私はそんな癒しの時間を迎えるべく、さっさと身支度を整えると、大広間へと向かった。


さん、おはよー」
「んぁ?あ、ぐり。おはよー」


朝、ちょっと眠そうなさんへ挨拶すると、へにゃりと彼女が笑った。
低血圧気味なのか、ぼんやりした感じがとても可愛い。

と、私がさんだけ名前を呼んだのが不満なのか、 すかさず、サラも「おはよう、」と無駄に爽やかな笑みを向けてくる。


「うん。サラもおはよー」
「今日は合同授業がないな。そっちは妖精の呪文か?」
「そうだね。あとは魔法史?グリフィンドールは今日なにするの?」
「飛行術のプチテストー。ちゃんと箒に指示出しして、言うこと聞くかどうかだって。 スティアいなかったら、落ちる予感しかしないw」
「それ、物理的な話?それともテストの話?」
「怖っ!リドル、頼むから、そんな恐ろしいこと冗談でも言わないでくれる?」
「だって、君、昔も箒の乗り方で愚痴ってただろう?」
「……記憶にございません」


流石に私の存在に周囲も慣れてきたようで、しれっとグリフィンドールのテーブルに着く私に、 反応する生徒はほとんどいなくなった。
あのリドル君でさえ、ちらっと見るに留めるくらいだ。
まぁ、同じ空間に居ても、リドル君と直接話すとか、ほぼないのだけれど。
それでも、邪険にされないだけ、凄い進歩だと思う。

と、私が席に着くと同時に、 さんは特になにを言うでもなく、私に黒いもふもふを手渡してくる。
私も最近は慣れたもので、ありがとう、とお礼を言うと、 ナチュラルにその温かな体を、自分の膝へと移動させた。


「嗚呼、あったかい……」


感覚としては膝の上に柔らか湯たんぽを乗せたのに近い。
夏は微妙だけど、冬はなんて有難いことなのか!にゃんこ最高!!と快哉を挙げたのは記憶に新しい。

その幸せな温度ににっこにこしながら、私は自分の朝食を取り分ける。
と、そんな笑み崩れる私の顔が見苦しいレベルに達していたようで、 親友から、ちょいちょいと脇に肘が入る。


「ぐりさん、ちょっと自重しようか。なんか朝から息の根止まりそうなのが若干いるから」
「え、そう?そんなに??」
「うん。多分、予想してないところで、直撃したんだと思う。 そういう可愛い表情カオはあれだ。あたし達だけの場所でしよう?」
「ごめん。あんまりもふもふが嬉しくて、つい……」


昔から私は小動物が好きだし、犬も猫も好きだ。
目にすれば可愛いな、触りたいな、と表情をほころばせる位に好きだ。
でも、家であまり飼っていなかったせいだろうか、実はそんな小動物でも怖い、という感情が付随する。
ハムスターだって、怒れば牙を剥くのが分かっているので、手が中々出せないのである。

その点、スティアくんは見た目猫でも中身はとりあえず、人間に近しいらしいので、 ひっかかれたり噛まれたりは心配しなくても良い。
これはもう、安心して撫でられるというものである。

その喜びがうっかり爆発して顔面崩壊していた私をそっと窘めてくれたさんに感謝しつつ、 私は目の前の朝食に集中することにした。
おお、綺麗な黄色の出汁巻き卵さんだ。凄いね、しもべ妖精の皆さん。日々進化が見られるよ!


「いやぁ、やだわー。この子無自覚なんだもの。
ということで、サラさん、そのおっかない殺気仕舞おうか?」
「この間まで『スリザリン生が〜』云々と言っていた奴に、 の笑顔を記憶する頭は必要はないだろう?」
「怖ぇよ。記憶じゃなくて頭を抹消する気だよ、コイツ。
ちょっと、リドルさん。一言言ってやってちょうだい!」
「あぁ?……やるなら、証拠は残すなよ。僕に迷惑がかかるだろう」
「違うんだよ!あたしが求めてるのは静止の一言だったんだよ!」



と、私がうまうまと朝食を食べている間にも、さんは何か気がかりなことがあるのか、 いつの間にやら頭を抱えていた。
が、大丈夫?と訊いても彼女は、なんとも言えない表情で「だいじょぶ。だいじょばないけど、だいじょぶ」と答えていた。
(それ、絶対大丈夫じゃない奴じゃないですか??)
気遣いをしすぎるところのある彼女なので、なんとも心配である。

なので、私は同じ寮のサラにちゃんとフォローを入れるよう促し、 食後、後ろ髪を引かれるような気がしつつも、授業へと向かった。







授業は、途中一度だけうっかり魔法が暴走してしまって、転寝したものの、
(消しゴムを落としたせいで、皆の筆記用具が宙に浮かんだ)
(最終的に先生が起こしたポルタ―ガイスト説で落ち着いた)
元々、みんな寝ることの多い魔法史の授業だったため、大して周囲にバレることはなかった。
妖精の魔法の授業中みたいな実技の時に寝たりすると、やっぱりちょっと危ないので、 座学の時で本当に良かったと思う。

この間までは、本当に、他の人にも迷惑をかけてしまっていたので、申し訳なかった。
魔力を暴走させてやらかしているのが私だとは、奇跡的にバレていないのだが、 なにか変なことが起こって少しすると、私が急に短い時間眠ってしまうので、 周囲からはトラブルに驚いて気絶する、神経の細い子だと認識されてしまったらしい。
意外に面倒見の良いドラコくんはもちろん、あのパンジーちゃんにまで遠回しに心配されたのには驚いたものだ。

違うんです。やらかしてるのは私なんです。
本当にごめんなさい。でも止められないので勘弁してくださいっ

心優しき少年少女に、成人した、いい歳の大人は冷や汗ものである。
本当に、スティアくんに魔力を吸い取ってもらえるようになって良かった。

ということで、授業後に食事まで時間があった私は、 解決策を提示してくれたゴドリックさんにお礼を言うべく、必要の部屋を目指していた。
(え、一角獣ユニコーンは良いのかって? 幸い、野生は回復が早いのか、凄い速さで回復してきたので、もうそろそろ森に帰す準備中です)
(寧ろ、人に慣れちゃうから、そろそろ行かない方が良いとか、色んな人に言われました)
(ちなみに、この間一瞬現れた狐男くんは、その後一度も現れません。 まぁ、きっとあの口説きもその場のノリだったんでしょう)

トロールと人のタペストリーの前で、私は一人、 『サラザールの部屋に行きたい』『創始者の人達と話したい』と念じながら、 うろうろと歩き回ってみる。
すると、すでに何度か見た通り、壁が動き出して扉を形作る。

一応、サラには最初に許可をもらったので、幾らサラザールの部屋でも、不法侵入ではない。
でも、中には創始者の人たちの絵がある(いる?)ので、 礼儀として軽くノックをした後に、入室した。


「お邪魔しまーす」
「やぁ、。こんにちは」


来たのが私だとわかるや否や、ゴドリックさんが嬉し気に目尻を下げる。
どちらかというと男らしい精悍な印象の顔立ちだが、そうした表情をすると途端に人懐っこい印象になった。


「?ロウェナさんとヘルガさんはいらっしゃらないんですか??」
「ああ。今日は奥に引っ込んでいるみたいだよ」


足りない人影に疑問を述べれば、にこやかに彼は絵の世界について少し教えてくれる。
この額縁の前は外界につながっていて、誰かが来た時のために、 基本的に創始者の誰かがここにいることになっている、ということ。
自分の番でさえなかったら、別の絵にお邪魔しても良いし、絵の奥の、 なんとも形容しがたい空間にいても良い、ということらしい。
(なんとも形容しがたい空間は、絵の住人である彼らでさえよく分からないそうだ。つまり謎空間)


「つまり、ゴドリックさんは留守番、みたいな認識で良いですか?」
「そうだね。その方が分かりやすいかもしれない」
「良かった!実は今日は、ゴドリックさんにお礼を言いに来たんです」


偶々だろうが、私が来た時には創始者が勢ぞろいしていることが多かったので、 まさか、いない時があるとは思っていなかった。
お礼を言う相手がいない!ということにならなくて、運が良かったと思う。


「お礼?ああ、ひょっとして、魔力漏れの件かい?」
「はい。お陰様でスティア君にも協力してもらえることになったので、 無事に日常生活を送れそうです」
「そう?それは良かった。可愛い女の子が頻繁に倒れるなんて危ないからね」
「あはは。可愛くなくても危ないですよ、それは」


寧ろ、可愛い子の方が助けてもらえるから危なくないかもしれない。
そんなことを思うが、どうやらゴドリックさんの目には私は変に美化されて映っているようで、


「いやいや。もちろん、倒れること自体も危ないんだけれどね。 道端にみたいな可愛い子が倒れていたら、攫われてしまうだろう?」


などと、過剰な心配を頂いた。
まぁ、もしかしたら、中世の治安の悪さ、などが関係しているのかもしれないけれど。
とりあえず、彼らの誇るホグワーツ内でそんなことはないだろう、と返しておく。
中には奇特な趣味だの、女であれば何でも良い!という人がいるのはもちろん、私だって知っているが。
自分は今、色気も何もないお子様状態だし。



この状態で構ってくるのは、精々シリウスさんくらいである。



……まぁ、あれは私をからかっている、とか悪ふざけの一環、とかだろうけれど。
そう思うと、なんというか、胸の奥の方がもやもやするというか、 ムカムカするというか……。
なんだろう、とにかく嫌な感じがする。
いい加減、良い大人なんだから、ああいうのは止めてくれないだろうか。
悪ふざけも大概にして欲しい。


――……?」
「!あ、すみません、ちょっとぼーっとしてました」


と、どうやら思考に沈んでしまった私に話しかけてくれていたと思しき、 ゴドリックさんの声が、私の名前を呼ぶ。

慌てて謝罪をするが、そんな私に何か思うところがあったのだろう、 ゴドリックさんは、今まで見た中で一番艶やかな笑みで、微笑みかけた。


「ひょっとして恋煩いかな?妬けるね」
「それはないですね(きぱっ)」


が、私はその甘い声音を、言葉の刃でもって叩き伏せる。
我ながら、雷の呼吸もかくや、という速さだった。

外見年齢に騙されているのかもしれないが、 いい大人がそうそう、恋愛話で盛り上げると思わないで欲しい。
ティーンエイジャーじゃないんですよ、私。
(いや、ティーンエイジャーの時も盛り上がる人間だったかっていうと、違うけど)

が、ゴドリックさんはなおもしつこく、その話題を掘り下げようとする。


「何故ないんだい?」
「それはもちろん、恋でもなんでもないからですよ。 ただ、ちょっと面倒くさい人を思い浮かべていただけですから。 すみません、お話し中に」
「面倒な人、ね?ふふっ、その誰かがサラザールということはないのかな?」
「……ないですねー。サラも面倒なタイプですけど」
「確かに、サラザールは面倒だよね。 分かりにくいようで分かりやすく、複雑なようでいて、根は案外単純だったりする。 恋人にしたら、間違いなく相手を縛り付ける男だよ、彼は」
「……そうですか?」


その言葉には、思わず首を傾げざるを得ない。

友人である私やさんでさえ、かなり甘やかしてくる彼は、 基本的には相手の好きにさせているように思う。
メールやらLINEやらのやり取りだって、筆不精な私たちは、 下手をすると1週間返事がない、なんてこともザラにあるのだが、 そのことで彼に文句を言われたり、怒られた覚えもなかった。


その様子だと気づいていないのかな?
「はい?」
「……サラザールはね、自分の望みの方向に持っていくのがとても上手いんだよ。 あまりに上手すぎて、誘導される側がそれと気づかないくらいにね」
「はぁ。そうなんですね」


個人的には、相手がそれで満足ならばそれで良いような気がするのだけれど。
あれだろうか?ゴドリックさんは「どんな場合でも相手の意思を曲げることは悪だ!」とでも言うような、 ちょっと面倒臭……ごほごほ、正義感たっぷりな人なのだろうか?
残念ながら、私はそれに同調は出来なさそうである。

偽善でも、最後まで貫けばそれは善だし。
付け焼刃だって、何度も叩けば真剣になる。
つまり、終わり良ければ、全て良し!としてしまうのが私という人間なのだから。

まぁ、もちろん。
自分のアイデンティティーに関わるような何かを、 踏みにじられたら、話は別だけれど。

と、あまり反応の良くない私に、ゴドリックさんは、その後、 ホグワーツであったトラブルやらなにやらを、サラが華麗に(笑)解決した時の話などを、 しばらくしてくれるのだった。







サラでありながらサラでない、『サラザール=スリザリン』の時の話は、 ハリポタファンとしては、楽しい限りである。
ただ、やはり本人がいないところであまり話をするのもどうかとは思うので、 私は区切りが良いところで、ゴドリックさんとの話を切り上げることにした。

丁度、今から大広間に向かえば、いつも夕食に行っている位の時間になりそうだ。


「すみません、ゴドリックさん。そろそろお暇させていただきます」
「おや、もうそんな時間かい?楽しい時間は矢のように過ぎるね」
「そうですねぇ。じゃあ、失礼します」
「ああ。また、いつでもおいで?」


にこにこと、出迎えてくれた時と同じ朗らかさで、見送られる。
絵の住人はやはり、現実を生きている訳ではないのでかなり退屈らしく、 行けば大体、大歓迎で色々な話を聞かせてくれた。
おかげで、ここに来ることが、私も結構楽しみなのだ。
次は、ヘルガさんの武勇伝が聞きたいな、と思いながら、私は手を振って扉をくぐっていった。

そして、ここを出た時の私は。
まさかこのすぐ後、 朗らかとは程遠い感情を抱くことになるとは、思いもしていなかった。
まぁ、分かっていたって。
それを回避できるとは、限らないのだけれど。

それは、部屋を出て、5分ほど校内を歩いた時だっただろうか。


ぞわりっ


「…………っ」


と、唐突に、首筋の毛が残らず逆立つような、嫌な感覚が背中から頭の天辺まで襲ってきたのだ。
それは、思わず背後を振り返りたくなるような、そんな悪寒。
だが、同時に、決してそれをしてはいけない、とも第六感が警鐘を鳴らしていた。



私が気づいていることを、相手に気づかれてはいけない。



それは、幽霊と遭遇した時のような、そんな対処法だ。

逃げよう。

まだ、走ってもいないのにバクバクと自己主張をし始めた心臓に、 そう決意する。
例え、これがただの気のせいだったとしても、 今の自分にとっては直面している脅威そのものだ。

私は、自身の手首を、まるで腕時計を確かめるように顔の前に持ってくると、 小さな声で「あ、もうこんな時間」と空々しくも呟き、 ジョギングのような、軽い足取りで走り出す。


「…………」


が、気配は、未だ背中から離れない。
足音はなくとも。
何かが、私を見ているのを、感じるっ

全力疾走したい気持ちを宥め、廊下の端まで行って、角を曲がる。
そして、次の瞬間に、


だっ


と、持てる全ての力を足に込めて、走り出した。
頭の中で描いた地図通り、目の前に出現した階段を、一足飛ばしにする勢いで駆け降りる。
以前、シリウスさんとした鬼ごっこの時よりも幼い体は、 足の長さこそ違うけれど、軽さがまるで違った。
風を切るように、いやむしろ風そのもののように、
私は少しでも人の多い場所へ向かうべく、体を跳ねさせる。

が、なにしろ、体育では万年2を取り続けた私だ。
背後の何かを完全に置き去りにできるほどの速さはない。
その為、ひたすらに追いつかれる恐怖と戦いながら、 私は走り続けた。

と、背後ばかり気にして、廊下を疾走する。
そんな子供がどうなるか?

私は、何度目か分からない角を曲がった瞬間、身を持ってその答えを知った。


「うぉっ!!?」「痛っ!!」


ガツン、と、頭に鈍器で殴られたような衝撃が走り、 走っていた勢いそのままに後ろにひっくり返る。
が、私が感じたのは、咄嗟についた手首の痛みよりも、 床の冷たさよりも。
全身で浴びたブランデーの酒臭さだった。


「お前さん、だいじょうぶか!?」
「……ハグ、リッド、さん?」


衝突の衝撃で床に投げ出された私と違い、びくともしていない巨大な体の持ち主は、 驚きに目を丸くしたまま、ぼたぼたと前髪からブランデーを垂らす私と、 そのブランデーが入っていた大きなバケツが転がるさまを見つめていた。

と、私が呆然としているのを見かねたのか、その大きな手で脇の下に手を入れ、 強制的に立ち上がらせてくれる。


「危ねぇだろうが?え?そんなに慌ててどうした??」
「……〜〜〜っ」


その、温かな手が。
声が。
今の私には、とても嬉しくて。
気づけば、背後の恐ろしい気配はもう、どこにもなくて。

私は、くしゃりと、表情を歪める。


「!な、泣くな!わしは怒っとりゃーせん! そりゃあ、ちっとばかし、お前さんより体もデカイし声もデカイから、怖いかもしれんがっ」
「ちがっ……ご、ごめ…なさ……っ」


眦から、茶色い涙が零れ落ちる。
それは、ブランデーが目やら口やらに入ったせいだとか、 ぶつかって痛かったからだ、とか、そういう言い訳がまるで通用しないくらいのもので。

しゃっくりをあげてしまいそうになるくらい、涙が止まらない。

おろおろと、ハグリッドさんが現状に困り果てているのが分かりながらも、 私はなんと言っていいものか考えあぐねて、泣き続ける。
すると、そんな混沌としたところに、


「!これは……もちろん、状況をご説明願えるでしょうな?」
「す、スネイプ先生!あ、いや、これは、だな……」


更に私を泣かせる、素敵な大人が来たから、堪らなかった。





いついつ出会う?





......to be continued