帰りたい。かえりたい。 Butterfly Effect、42 「ごきげんよう、」 ぱちり、と瞬きした瞬間に、私は目の前に蒼い瞳の賢者が佇んでいることに気づいた。 『目の前』なのに今『気づいた』というのがなんともおかしな表現だが、 それ以外言いようがないのだから仕方がない。 さっきまで別の場所にいたような気もするし、 ずっと、この芝生の上にいたような気もする。 ただ、目の前の人物がここに来たのはたった今だという確信だけがあった。 私はじっと、相手を見つめて、「こんにちは、ダンブルドア先生」と応える。 すると、彼はぐるりと周囲を見回した後、柔らかく目を細めて微笑んだ。 「よいところじゃの、ここは」 「そうですか?ありがとうございます」 ……?何故、私がお礼なんて言っているのだろう。 目覚めの縁にいる私が首を傾げるが、『ここ』の私は悠然と真っすぐ立っているだけだった。 ただ、校長先生は私の答えに変なところなど何一つとしてないように、 穏やかそうな表情で頷いた。 まぁ、その瞳はちっとも穏やかそうではなかったのだけれど。 「あそこに入りたいんじゃが……入れてはくれんかね?」 そう言って、私の背後を指さす先生。 きっとその眼には、ガラス細工の城が映っているのだろう。 それに対し、私は少しばかり首を傾げる。 「入れる人なら、入れますよ?」 許可なんて取らなくても。 寧ろ、入れる人なら、スタート地点が城の中になるだろう。 『ここ』はそういう場所だ。 だから、この芝生にいる時点で、 この人が私にとってどういう存在なのか、もう自身にもわかっているはずだった。 案の定、私の答えに、先生は苦笑する。 「では、入れない者はどうしたら良いのかね? あまりに見事な閉心術すぎて、まるでとっかかりもないようじゃ」 「入れないなら、入らなければ良いですよ」 なにを当たり前のことを言うのだろう、と疑問を通り越してただただ呆れる。 入れないなら、入らなければ良いだけだ。 何故入りたいのかは分からないけれど、 ここにこの人の望む物など、一つだってありはしないのだから。 ただ、ここまで来て手ぶらというのも、大人的に都合が悪いのだろう。 私だって、大人の一人なのだから、そのくらいは分かる。 「でも、どうしても入りたいっていうのなら、そうですね……」 「おや?入れてくれるのかの?」 私が軽く先生の立場に理解を示すと、 先生の顔がわずかに興味深そうに輝く。 なので、私は無表情で、彼の背後を指で示した。 「あの家に入れてくれるのなら、良いですよ?」 「!!?」 バッと、弾かれたように、先生は背後を振り返る。 普段ゆったりとした動作の多い先生なので、その勢いは凄まじく見えた。 限界まで見開いた瞳に、その家は映る。 「なっ!?」 牧歌的、というのが丁度よい、こじんまりとした家だ。 煙突からは煙が上がり、その家の暖炉が温かく燃えているのが伝わってきた。 何人か子供がいるのだろう、少し小さめのワンピースやシャツなどが、 洗濯紐にブラ下がって、風を受ける帆のように広がる。 そして、なにより。 声が。 明るい笑い声が、聞こえる。 高く、か細い、子供の声が。 「アリ……――っ」 女の子の声だ。 もう二度と先生が聞くことのない、妹の声。 見れば分かる。 あそこは、先生にとって何より柔らかい部分で。 大切で。 でも、遠い場所。 誰にも触れられたくない、血の止まらない傷口だ。 あそこに、先生は行けないのだろう。 だからこそ、私は言う。 「あそこに入れてくれるのなら、私の中にも入って良いですよ」 明確な、拒絶を胸に。 私の弱みが知りたいならば、まずはそっちが弱みを見せるべきだ。 そんな覚悟も資格もないくせに。 土足で入り込めると思うな。 目には目を。 歯には歯を。 心には心を示せ。 「ただし、中身に触らないとは約束しませんけどね?」 「……お主は」 未だかつて向けられたことのない、敵意と警戒心に満ちた表情。 それに私は、敢えてにこやかに笑う。 「お主は、何がしたい?」 「何も」 「お主は、何を望む?」 「平穏を」 「お主は、何故ここにいる?」 「ただの事故ですよ?」 「お主は……」 やがて、先生は質問が尽きたのでもないくせに、言い淀む。 最後の最後に、どうしても訊きたくて。 でも、訊くのに躊躇したかのように。 だが、私はもう十二分に付き合ったと思うのだ。 そもそも、答える義務もないし。 だから、最後の問いには、答えなかった。 「お主は、何じゃ?」 「さようなら」 手を振る。 そうすれば、次の瞬きの間には、もう目の前から人は消えていた。 弾き出された後になにを思うのか、それが少し憂鬱だ。 ふぅ、と面倒くさいため息が漏れる。 「なんで、そんなどうでも良いこと気にするんだろうね。みんな」 + + + ふっと、額にかかる髪を払われる感触に、目を開ける。 「おはよう、」 「……おはよう」 とても、「おはよう」という爽やかな挨拶が似合わなそうな、薄暮れの室内で、 ゆるゆると微笑む銀髪の美少年に、私はとりあえず掠れた声で挨拶を返した。 が、なんだかひたすらに長い夢を見ていたようで。 細切れの夢を立て続けに見ていたようで。 はっきり言って、あまりご機嫌は麗しくない。 全然覚えてはいないが、気分の悪い夢だったのは確かだろう。 なんともいえない後味の悪さのようなものに、そう思う。 ベッドに転がったままの状態で、私は胡乱な表情をサラへと向けた。 彼の背後には、白いカーテンがわずかに揺れていて、 ここが気絶した医務室のベッドであることを示している。 他に動く人の気配はないので、この部屋の主は不在なのだろう。 現状について、安心して文句が言えるというものである。 「……とりあえず訊くんだけど、人の寝顔どれだけ眺めてたの?」 「どれだけでも見つめられそうだったから、つい?」 「へぇ。で?つい、でどのくらい?」 「大丈夫、他の奴にはそれほど見せていない」 「サラは一回、『大丈夫』の定義について勉強し直した方が良いと思うな」 そして、返答しない、と。この野郎。 後でマヨネーズたっぷりのポテトサラダを作ってやろう。そうしよう。 とりあえず追及を諦めて、体を起こしてみれば、若干気怠いものの、 特に動くのに支障がありそうな何かはない。 寧ろ、酷い頭痛もさっぱりと消えていて、清々しいくらいだった。 「今、何時?」 「大体夕方の5時といったところだ。 ちなみに、がここに運び込まれたのは昨日だな」 「つまり丸一日以上寝てたってこと?」 道理でお腹がぺったんこな訳だ。 意識したら、急激にお腹が空いてきた。音が鳴ったらどうしよう。 「ちなみに、が助けた一角獣は今校舎内で保護されていて、 後で様子を見に来て欲しいそうだ。夕食後にでも一緒に行こう」 「あ、一角獣!大丈夫だったの?」 自分が意識を失う前のあれこれを思い出し、 呑気に食事の心配をしている場合じゃなかった、と反省する。 だが、話題を振ってきたわりには、サラはあまり一角獣に興味がないらしく、 肩を竦めて私の顔色を覗き込んできた。 「見に行けるくらいなのだから、問題ないだろう。 こそ大丈夫か?気分は……あまり良くはないだろうな。無理もない。 呼んでもいない来客ほど、迷惑なものはないからな」 「そうだね。具合は良いけど、気分はよくない、かな?」 「頭痛だの、打ち身だの、どこか痛いところは?」 「んー……ないね」 そう、どこも痛くはない。 吐き気もない。 だが、それはおかしい。 今まで何度か、無理矢理魔法を行使した(?)時には、私はそれはもう醜態を晒していたはずだ。 何日かは、寝込んでこそなかったものの、目玉を抉り出したくなるような痛みが常に残っていた。 実際、一角獣を動かそうと思った瞬間は、死にそうなくらい頭が痛かった。 だというのに、一日寝たくらいで全快? まぁ、それだけマダム ポンフリーの腕が良いということなのかもしれないけれど。 その違和感を頼れる創設者様に問えば、 彼は至極当然とでも言うように口を開いた。 「抑えるのを止めたのだから、痛くなるはずもないさ」 「うん?ごめん、ちょっと意味が分からない」 「そうだな。最初から説明するのが一番分かりやすいか……」 そうして、親友が語るところ、こうだった。 まず、私は魔力がある。(魔法使えてるしね) で、魔力には二種類あり、自分のそれと、周囲にある自然のそれ。 魔法というのは、自分の魔力で周囲の魔力に干渉することによって引き起こされる。 ただ、私たちのいた世界は周囲の魔力が滅茶苦茶少ない。 そんな中で魔法を使おうとすると、自分の魔力を必要以上使うから、疲れるというか、下手したら命に関わるらしい。 なので、魔法使いとして目覚めそうになった人間(つまり、私みたいなの)は、 魔力を自分の中に抑え込んで出さないようにしてしまうのだそう。 まぁ、抑え込んだ分の魔力は勘の良さだとか運動能力だとか、色んなところに振られるので、 それ自体がなにか問題を起こす訳ではないそうなのだけれど。 ただ、感情と魔力はリンクしているので、何かがあると魔法は暴発することがある。 つまり、出ようとする魔力と、それを抑えようとする無意識は時々ぶつかってしまうのだ。 で、ぶつかった結果、体にダメージが行って、頭痛が起こる、と。 (まさか、異世界に来て長年苦しめられてきた頭痛の原因を知るとは思わなかった) (そして、出ようとする魔力をサラに回収されて利用されてたとかも、知らなかったっ!) (快適生活はもちろん、さんをこっちに送り込むために使われてたとか、どういうこと!?) (頭痛収めるために仕方なく……って言われても微妙に納得いかない気がするんですが!?) 急に色々言われて、情報が頭の中を錯綜する私だったが、 その声なき声をさくっと無視する方向で、サラは淡々と解説を続行する。 「さて、ここで考えてほしい。 周囲の魔力が少ない世界では、己を抑える必要があった。 が、この周囲に魔力が溢れている世界で、魔法を抑え込む意味があるか?」 つまり、ここは魔法を使っても、体に問題のない世界。 それなら、無理に魔法を抑え込む必要なんてなくなるのである。 だから、私の無意識はピンチの時に、遠慮なく魔法をぶっ放していた、と。 ただ、長年の習慣で、抑え自体は残っていた。 それなのに、無理矢理使ったため、不均衡が起こって、私は毎度毎度吐いていたそうだ。 で、それを複数回繰り返した結果、ガタが来ていた抑えを、 私はこの度、自分の意志で完全に壊した、ということらしい。 「おかげで、今は精孔が開きっぱなしに近い状態だな」 「え、なに迸ってるの?やばいじゃん。ウイングさん呼んで。ビスケ様でも良い」 「いや、ゴン達は自力解決しただろう、自然体で」 「そんな、一千万人に一人の才能の持ち主と比較されましても……」 分かりやすいものの、狩人×狩人について知らない人には分かりにくい説明である。 というか、それだとこんな呑気に話していて良い状態じゃないだろうに、 サラに焦った様子は欠片も見受けられない。 「っていうか、迸ってるの見えませんけど?」 「あくまで近いだけだからな。 魔力の流れを掴む訓練をしていない人間には分からないだろう。 敏感な魔法生物には、流石にバレバレだろうが」 「いきなり魔力探知は難しい、と。まぁ、私、リムル様じゃないし」 「普通は意識しないと魔法は使えないんだが、 無意識でも使える状態になっているようだな。 まぁ、しばらく抑えていた反動が出ているんだろう。少しすれば収まるはずだ」 見えない、感じない何かが迸っている、っていうのは微妙だけれど、 まぁ、その辺の人には分からないということなので、少しほっとする。 流石に、スーパーなサイ〇人みたいな状態で学校に通う度胸は、私にはない。 丸一日も寝ていたのは、どうやら魔力の使い過ぎらしい。 杖を使えばそこまで疲れなかったらしいけど、そんな余裕はあの時の私にはなかったわけで。 結果、術を最適、最小の負荷にしてくれる杖なしで行った魔法行使に、魔力は激減した、と。 なにしろ、リアルホラーなローブ男が迫ってきたしね。 一角獣運ぶのに必死だったしね。 と、不気味な動きで迫ってきた相手を思い出し、 私は今更ながらにぶるり、と体を震わせた。 顔は見えなかったが、感じ取れたその悪意は本物で。 こうして今、自分が温かなベッドの上にいられるということが、信じられない。 「……サラ。闇の帝王に会っちゃったよ、私」 「ああ。災難だったな」 「もう嫌だ、ほんと……」 思わず、べッドの上で膝を抱えて丸くなる。 気持ち悪くて。 気持ち悪くて。 ひたすら怖くて。 「帰りたい……」 もうハリポタ世界は十分堪能したから。 もう、いい加減に安全でなんの変哲もない日常に帰りたい。 これ以上、私が私でなくなる前に。 今ならまだきっと、戻れるから。 がしかし、心の底からの嘆きに、サラは少し困ったように眉根を寄せるだけだった。 「すまない。そうしたいのは山々だが……『世界の架け橋』の復旧がまるで進んでいなくてな。 それと、抑えが完全になくなってしまったをそのまま戻すわけにもいかないから、 抑えになるような魔法具を作らなければならないんだ」 元の世界に帰っても、馴染むまではこの世界で体が覚えてしまった魔法を封じる必要があるのだ、と。 魔法に精通した創設者さまは、そう語る。 想像以上の長滞在に、思わぬ副作用があったらしい。 お願いする立場の私としては、くれぐれもよろしく、と言う他にはなにもできず、 うんざりと大きめ溜め息を吐くしかなかった。 ただ、この時。 みっともなくも帰りたいのだと騒いでさわいで騒ぎつくしていれば、 未来はまるで違うものになったのかもしれない。 けれど。 そうしなかった私は。 罪と罰をこの身に背負うこととなるのだった。 もう、かえれない。 ......to be continued
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