手を伸ばさずにはいられない。 Butterfly Effect、40 「〜〜〜〜〜っ」 声にならない悲鳴を上げながら、真っ赤な顔で視線を逸らす少女に、 なんだ、このやたらと可愛い生き物は?と思ってしまう。 特に深い考えもなにもなく、彼女の食べているサンドイッチを引き寄せてしまったが、 流石に、ここまでの反応をされるとは予想外だ。 俺はただ、半強制の「はい、あーん☆」がしたかっただけだというのに。 その恥じらう姿に、柄にもなくこっちまで照れてしまう。 といると、本当に自分が自分でなくなるような、 今まで知らなかった自分を見つけるような、 そんな風に調子が狂うのを自覚する。 いつもの自分であれば、この少し甘やかな空気があれば、 即座にその細い腰を引き寄せて、キスの一つでも仕掛けているはずだ。 なにも戸惑うことなく。 ごく自然に。 当たり前のように。 けれど、 「っ」 実際は、手を伸ばすこともできず、ただただ戸惑う彼女を見つめてしまう。 本気で惚れると、そう簡単に手が出せないということを、俺は初めて知ってしまった。 ここに来るまでだって、その華奢な腕にハラハラしたり、 偶に転びそうになった彼女を支えた時に嗅いだ香りに頭がふわふわしたりと、 まず、優雅なエスコートとはいかなかった自分がいた。 正直、なにを話したのかも覚えていないくらいだ。 どれだけこのデートに舞い上がっているんだ、俺は? そう、デート。 の恰好からすると、相手にそんなつもりは少しもないだろうが、 これは立派なデートなのだ。 しかも、初めて自分から好きになった相手との。 これは舞い上がるな、という方が無理じゃないだろうか。 ダンブルドアから森の中を確認して欲しいと言われた時には、 正直面倒な気がしたが、 こんな美味しい思いが出来るなら、今後幾らやっても良いと思う。 のうなじから覗く首や、耳まで赤いことに、 少しは自分を意識してくれただろうか、と期待を持ちながら、 俺は素知らぬ顔で、次々とサンドイッチを頬張っていく。 がしかし、彼女は汚れてしまった腕を拭った後は、 軽く頭を振って、気持ちを切り替えたらしく、 「まだまだありますから、人の物は取らないでくださいっ」と素っ気なく俺に言い渡してきた。 さっきの出来事は、どうやらなかったことにするようだ。 本当はここで余裕たっぷりに返答して、彼女の羞恥を煽るなりなんなり追い詰めるところなのだが、 俺は苦笑して、「ああ、分かった」と、ヘタレのような言葉しか返せなかった。 とても和やか、とは言えない食事が終わり、 俺は当初の目的の一つでもある一角獣の捜索を行うことにした。 具体的には、に片付けを任せ、この水場の周囲を一人で軽く見回ってくる感じだ。 ……二人でいるのが居心地が悪い、とかではなく、 寧ろ、ある意味心地よい緊張感のあると一緒にいると、 自分の理性がかなり危うかったためである。 ほんの少し手が触りそうになったり、目が合いそうになっただけで、 なんともいえない可愛らしい反応をするのだ、彼女は。 このまま一緒にいたら、襲う。間違いない。 矛盾しているようだが、簡単には手を出せなくても、 衝動的に体が動いてしまいそうになるのだ。 恐らくだが、のようなタイプに強引に迫るのは危険だろう。 と違って繊細そうな彼女を怯えさせえる可能性がかなり高い。 いっそ既成事実を作ってしまう……なんていうのは、無視するには魅力的すぎる案だが、 それで蛇蝎のごとく嫌われたらと思うと、心臓が嫌な感じに軋む。 とりあえず、今日は彼女の可愛らしい姿を見れたことで満足すべきだ。 そう心を決めると、煩悩を打ち払うべく、頭を仕事モードへ切り替える。 「それに……」 本当に一角獣がなにかに襲われてケガをしているとするならば、 それは本来、頭に花が咲いた状態で取りかかっていい案件ではないのだ。 彼女へ説明した通り、一角獣は他の生き物に後れを取るようなモノではない。 優美にして、敏速。 まともに目にする機会すら稀な、M.O.M.分類レベルWの生き物だ。 森に精通しているハグリッドからの話でなければ、 その一角獣が傷つけられているなどと、にわかには信じがたいことである。 だが、確かに、先日森の中をさまよった時にはなかった、 一角獣の血の跡が、水場の周囲の葉や枝などに点在していた。 量はそれほどではない。 それでも、水銀のように光る銀色の血は、森の中ではあまりに異質で。 どうやっても、目についてしまう。 数日前のことだが、 この禁じられた森で、傷ついた一角獣の子どもが、ハグリッドに手当てされた。 詳細は分からないが、その傷の形状からすると、 罠にかけられ、それから自力で脱出したのではないか、ということだった。 大人の一角獣は賢いため、罠などはってもまるで意味がない。 だが、子どもは別だ。 好奇心旺盛で、大人ほど注意深くもない。 よほど巧妙な罠になれば、捕まってしまうことだってあるだろう。 そこまで大きなケガではなかったため、手当てが終わった後は森に帰してやったそうだが、 森の中を点検したところ、ハグリッドは明らかに血痕が多いことに気づいたのだ。 とても、子どもの一角獣1匹の量ではない。 だが、手負いとはいえ、一角獣を魔法の使えない身で探すのは難しい……。 (表向き、ハグリッドは学校を退学して、魔法が使えないことになっているため) そこで、話を聞いたダンブルドアが、俺に詳細を調べてほしい、と持ち掛けてきたのである。 一角獣同士や、魔法生物同士で傷つけあったくらいなら良いが、 罠を使っている何者かがいる、となるとそれは闇払いの仕事の範疇だ。 「……そう簡単には、見つからないか」 一角獣も。 その襲撃者も。 そうして、一通り水場の周囲を巡り、今のところ血痕以上の異常がなかったことを確認した俺は、 の元へ戻ることにした。 とはいっても、普通に戻るのではない。 事前に彼女とは打ち合わせをしているが、ハリーに借りた透明マントで身を潜めつつ、だ。 には言わなかったが、ケガを負っているのなら、人間の前に現れる可能性は実は低い。 が、万が一に備え、女好きの一角獣なので、俺は近くにいない方が良いだろう、という判断である。 もちろん、彼女には危険が及ばないよう、離れるとはいっても、俺の魔法の射程範囲内ではあるが。 歩きにくい獣道を、できるだけ静かに移動し、 藪の隙間から、水場へ視線を向ける。 すると、は片付けの後、読書をすることにしたらしく、 レジャーシートを木の下に移動させ、幹に背中を預けながら、分厚い本を開いていた。 「……ふぅ」 今のところ、周囲に一角獣が寄ってきている気配はなく、 どころか、他の魔法生物でさえも、姿は見られなかった。 目を離している間になにもなかったようで、思わず安堵の息が漏れる。 短時間とはいえ、やはりか弱い少女を一人残したのは、心配だったのだ。 パラリぱらりと、彼女がページをめくる音ばかりが森の中に響く。 「…………」 周囲を警戒しつつ、無言でを見つめる。 笑顔の可愛らしい彼女が、物憂げな無表情でいるのは新鮮であり、 随分と印象が変わるような気がした。 可愛らしいというよりは美しく。 温かいというよりは冷たく。 羽のように軽やかなまつ毛さえ、作り物めいて見えて。 生きている人間というより、生きているかのような人形、の方がしっくりくる気さえする。 もちろん、そんなはずはないのだけれど。 なんの下心もなく見ていたはずなのに、 気づけば、俺は彼女が自分に気づいて微笑みかける様を夢想していた。 人形に血が通うように。 滑らかな頬を、薄紅色に染めて。 彼女の子猫のような焦げ茶色の瞳が、俺に向けて綻んだら、それはどんなに嬉しいことだろう? 犬の姿の時のように、柔らかい声で。 甘えるように名前を呼ばれたならば。 決して、放しはしないのに。 現実では、遠くも近くもない場所で、 一人穏やかに過ごす彼女をただ見ているだけだった。 まるで、自分たちの距離を、目で見て分かるようにしたかのようだ。 と、自分の考えに、勝手に苦い気持ちを抱いていたその時、 がさがさと、藪をかき分けるような音が、水場の右奥から聞こえてきた。 「?」 もどうやら気づいたらしく、本を閉じて、そちらへと顔を上げる。 が、どうやら自分たちは気づくのが遅すぎたようだ。 「っ!」 彼女が顔を上げたのと、ほとんど同時くらいに、白銀の光が、彼女に向かって突っ込んできた。 急すぎて、は悲鳴をあげることさえ出来ず、 俺も、杖を向けることしか出来なかった。 スローモーションのように、輝く蹄がスグリを間一髪で避けるのが見える。 だが、一角獣も、まさかそんなところに人がいると思わなかったのだろう、 避けた拍子にバランスを崩し、銀色の光を少女に振りまきながら、横倒しになる。 「「!!」」 体に銀の液体を浴びたは一瞬唖然としたが、倒れ伏す一角獣に気づくと、 ハッとしたようにクマのぬいぐるみを掴んで、一角獣の頭側へと向かう。 「……待って、やだっ、なんでっ」 四肢を投げだした一角獣は、満身創痍だった。 一度、倒れたら、もう起き上がる力がなくなるくらいに。 だが、目の力は未だ残っており、 が伸ばそうとした手を、その角を振り回すことで拒絶する。 彼女はそれに、一瞬泣きそうに表情を歪めた後、 クマから引きずり出した瓶の中身を一角獣の体にぶちまけることで応えた。 「 っ ―――…っ!!」 「ごめんっごめんねっ」 傷に当たった液体が沁みたのだろう、一角獣がその場でのた打ち回る。 は震える声で謝りつつ、一角獣の角が当たらない場所へと後ずさっていた。 おそらくは、傷薬か何かなのだろう、 薬のかかった場所から、銀色の蒸気が上がって、傷がふさがっていく。 がしかし、明らかに量が足りない。 また、傷がある程度ふさがっても、血までは増えないようで、一角獣はすぐにぐったりと動かなくなった。 特に、一角獣の脇腹にざっくりと入った傷は深く、 できるだけ早い、専門家の治療を必要とするのが、素人の自分達にもよくわかった。 縋るように、の視線が周囲を彷徨うのを見て、 俺はようやく我に返り、透明マントを脱ぎ捨てる。 「シリウスさ……っ」 そして。 彼女が、俺を見つけてほっと表情を緩めたその後ろに。 「この偽善者が――…っ」 地の底から絞り出したような声をした、ローブの男が這い蹲っていた。 「!!!」 亡者のようなボロボロのローブを揺らしながら。 皮の手袋に覆われた黒い手が、へと伸ばされる。 座り込んでいた彼女に、それを避けるような素早さはない。 「っ!」 俺は吠えるように彼女を呼びながら、その薄汚い手に向かって、 燃えるように赤い呪文を放っていた。 一角獣に気を取られていて気づかなかったが、 そうだ。あれほどのケガを最初から一角獣が負っていたということは。 それを与えた存在が、すぐ傍にいるということ。 何かに追われているかのように一角獣がいるならば、 それを追い立てる存在も、その背後にはいる。 そんな簡単なことに気づかなかった自分に、歯噛みしたくなった。 そして、その不審人物は俺の呪文を避けると、ターゲットをから、 倒れ伏していている一角獣へと変更する。 ローブでほとんど見えはしないはずなのに、 その真っ赤な口が、ユニコーンの脇腹――つまり、傷口へと迫る様を見て、背筋に悪寒が走る。 コイツ……っ生き血を啜ろうとしていやがるのかっ!? ソイツがしようとしていることに気づいてしまえば、怖気しか起こらない。 呪われてでも得られる仮初の命。 そんなものを求める存在が、まともなものであるはずがない。 必死に駆け寄って、妨害しようと腕を伸ばすが、 位置取りが悪いせいで、下手をするとに呪いが当たってしまう! と、もソイツが一角獣を害そうとしていることを感じ取ったのだろう、 ほとんど咄嗟という動作で不審者に対して腕を薙ぎ払う。 「止めてっ!!」 バチンっ と、彼女の叫びに呼応するように、マントの男が派手な音を立てて、一角獣から弾かれる。 それは、いつか見た、スネイプの奴を庇った時のそれに、よく似ていて。 俺は、相手が体勢を取り戻す前に、と奴を引き離すべく、武装解除呪文を乱射した。 流石に、の抵抗が想定外だったのだろう、男は俺の呪文を避けることもできずに、 青白い光に大きく吹き飛ばされる。 「……ぐぅっっ」 叩きつけられた木からは、激しい轟音が聞こえた。 が、それだけの勢いだったにも関わらず、男はすぐさま起き上がり、 蛇が滑るように、音もなく藪の中へと体を忍び込ませていく。 「待て……っ!」 けたたましい音を立てながら後を追うが、 鬱蒼とした木々が邪魔をして、ローブの端さえ、すぐに視界から消えてしまった。 あとには、ざわざわと衝撃の余韻で葉を鳴らす木があるばかりだった。 や傷ついた生き物を置いて深追いすることは難しい。 取り逃がした、という事実に舌打ちをしながらも、 俺は、仕方がなしに、彼女たちの元へと踵を返す。 は、遠目に見ても分かるほど、顔色を悪くしながら、そこにいた。 「っ!」 慌てて駆け寄ると、彼女は糸の切れた人形のように、 ゆっくりとその場に倒れ伏していく。 それをかろうじて抱き留めれば、焦げ茶色の瞳が俺を見た。 「すみません……」 そして、彼女は弱弱しく謝罪しながら、 ぐったりと瞼を下ろすのだった。 その肩は、怖くなるくらい細かった。 ......to be continued
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