出番がないことを祈ってはいる。
しかし。





Butterfly Effect、37





「まさか、セブルスまで懐柔されるとはのぅ……」


ふっ、と軽く吐いたつもりの溜息が、思った以上の重みを帯びていることに気づき、 内心、困ったことになったな、とひとりごちる。

窓の外――視線の先には、和やかに日向ぼっこをしていると思しき、 1年生の少年少女がいた。
明るい髪色が多い生徒の中で、濃い色の髪は見つけやすい。
しかも、それが複数固まっているとなると、彼らだと検討を付けるのは容易かった。

そして、その中でも、一番小柄な少女に目を向けてみる。
何分遠い上に、遥かな高みから見下ろしているため、表情などはまるで読めない。
がしかし、おそらく穏やかな笑みを浮かべているであろう、と予想はついた。


……」


『名もなき魔法使い』の親友にして、 創設者を自称する少年の想い人。

人当たりはよく、成績は優秀。
誰もが受け入れる、穏やかな笑みの可愛らしい優等生。

これだけ聞けば、どんな出来た人間だろうと思うが、 そこにはスリザリン生であることが間違っているかのように、不思議なほど嫌みがない。

……が、そういった良い面ばかりが並べられると、どうしても脳裏に一人の青年の姿が甦る。
漆黒の髪に、血のように赤い瞳。
最後に会った時には、元の美貌などほとんど残っていないほどに変貌していた、かつての教え子だ。
の存在は、どうしても彼を――ヴォルデモート卿を思い起こさせる。

もちろん、からはトムのように邪悪な気配は、初対面から感じなかった。
ただただ礼儀正しく、思わぬ事態に巻き込まれて戸惑っているだけの弱者にしか見えなかった。



だが、それこそが、自分の中で引っかかっている。



あの『名もなき魔法使い』が。
かの創設者が。
そんな、ただの弱者を重んじるだろうか、と。

彼女がホグワーツに来てからの様子も、 周囲と軋轢を生じさせないように、 危険がないように立ち回る臆病者のそれだ。
それは、ホグワーツ中の絵画やゴーストからの報告で分かっている。

マグルでいう所の、防犯カメラのような役割を果たす彼らの目を盗むのは、至難の業だ。
しかも、この防犯カメラは生きている。
ただ決められた通りに録画をするのではなく、ゴーストなどは自分で動くこともできてしまう。
城から屋外に出れば、多少目の届かない場所もあるが、 それでも、城の内部では、そうそう見失うことはない。
(とはいえ、創設者の少年と、トムに生き写しの少年は、よく見失うらしいが)

だから、彼女の素の姿を、自分は知っているはずだ。
本当に、ただ弱いだけなのだと、わかっているはずなのだ。


「それなのに、の」


彼女を見るのは、酷く落ち着かない気分がする。

彼女の魔力が不安定なせいか?
いや、だが、それも魔法を使うようになって、少しずつ安定してきているはずだ。
ならば何故?

気のせいであれば良いのだが、しかし、 自分の使い魔でもあるフォークスや、生徒のペット達、屋敷しもべ妖精の彼女への態度を見ていると、 あながち間違いでもないような気がする。

本人はおそらく気づいていないだろうが、 彼女には、猫をはじめとした使い魔が近寄りたがらない。
基本的に人間のパートナーとして訓練され、人を恐れることのない彼らが、だ。
つまり、人間より遥かに敏感な魔法生物が、少女を忌避しているということになる。

それには、セブルスを守った時のような強大な力が関係していると考えられる。
実技の成績はほどぱっとしないが、それは何故か出力を抑えているせいだろう。
意識して実力を隠しているのかどうなのかは、判然としないが。

これが、彼女を警戒する理由の一つ。
そしてもう一つが、彼女の二面性だ。

大方の報告で、大人しく優しい優等生でしかない彼女であるが、 ただ一人、寮付きのゴーストだけが「そうだろうか」と、呟いていた。


『……なにか気になることがあるのかね?男爵』
『校長。あの娘は、私を脅迫してきたのだ』
『脅迫じゃと?穏やかならぬ言葉じゃの。して、何をするように言われたのかね?』
『道化を近づけるな、とだけ』
『ほぅ?ピーブズを?』


元々、ピーブズは血みどろ男爵の言うことしか聞かない。
だから、彼が見守るスリザリンの生徒のことは基本的に襲わないものの、 スリザリンのゴーストではないから寮監であるセブルスの命令に従いはしないし、 スリザリンの生徒だと知らなかったという体で、誰彼構わず悪戯を仕掛けてくることも多い。
そのため、昔から、血みどろ男爵と懇意になって、安心、安全な学校生活を送るために ピーブズを抑えてもらおうとする生徒はいる。

だが、流石に脅迫までしてくる生徒はいなかったはずだ。
基本的に、体も命もないゴーストに脅しなどというものは効かないのだから。


『其方を脅すというのは豪気じゃの。なにで脅しをかけてきたのかね?』
『……個人的な事情のため、黙秘する』
『ふむ?』


しかも、あの様子ではその脅しはかなり有効だったようだ。
元から麗しい表情ではなかった男爵が、それはそれは難しい表情になっていた。







ちなみに、後で絵画に裏付け調査をしたところ、こんな感じの様子だったそうだ。


『あの、すみません。男爵様』
『…………?』


それは、彼女が来てまだそれほど日が経っていない頃。
消灯前の、人気のない廊下で、血みどろ男爵を少女が呼び止める。
生徒から呼びかけられることも、ましてや尊称で呼ばれることもない男爵は、最初酷く戸惑っていたという。
だが、振り返った先の人影の小ささに、尊大な態度でもって返していた。


『新しい編入生か。何用だ』
『はい。あの、実は折り入ってお願いがありまして、来ました』


少女はあくまでも低姿勢に、ピーブズの恐ろしさを語り、 自分に関わってほしくないという希望を述べた。
恐らく、ここですんなり男爵が頷いていれば、彼女はその先の行動を決して取らなかっただろう。
だが、最下級生の言うことをすんなり聞くことなど、 プライドの高い男爵がする訳もなく。
あっさりと、彼女の願いは却下された。


『断る。何故吾輩が、お前如きの願いを聞き入れねばならぬ?
どうしてもというならば、お人よしのポーピントン卿にでも頼むが良かろう』
『サー ニコラスの言うことはピーブズが聞かないじゃないですか』
『……其方、ポーピントン卿と仲が良いのか?
スリザリン生があやつをそのように呼ぶのは初めて聞いた』
『特別仲が良いわけではありませんけど、ご本人の希望ですから。
それに、目上の方に敬意を表すのは、寮に関係なく当然です』


そして、穏やかに、再度彼女は血みどろ男爵へお願いをした。
(自分だったら、とうにOKを出していた!とその絵画は言っていた)
だが、やはり男爵は首を縦に振らない。
多少その言葉に好感度が上がっても、やはり厚かましいという思いがあったのだろう。

すると、問答の無意味さを感じたのか、少女は困ったように眉根を寄せた。


『どうしても、駄目ですか?』
『断る、と言ったはずだ』
『……そうですか。残念です。でも、そうなると――…… 灰色の淑女レディに不利益が出るかもしれませんね


少女が声を潜めてしまったため、肝心の部分を絵画は聞き取れなかったようだ。
だがしかし、その言葉に、はっきりと血みどろ男爵が顔色を変えたという。


『なっ!?』
『【彼】とは友人ですから。色々融通が利くんですよ。
だから、彼女のことも知っています。死因を含め、ね。
もしかしたら、ピーブズの狼藉に、同じゴーストのことを悪し様に言ってしまうかも。

……もちろん、そんなの嫌でしょう?私も嫌なんですよ、そんなの』


そして、少女は畳みかけるように、優しく微笑んだ。


『でも、仕方がありませんね。ストレスの余り、うっかり口が滑ってしまうのは』
『…………っ小娘が!』
『ああ、苦情なら私ではなく彼にどうぞ?』


まるで、次の日の天気について話しているような。
そんな和やかで、ごく当たり前の口調で、彼女はそう言った。
その表情は、あくまでもにこやかだ。
まとう雰囲気は、重くも暗くもない。

だが、口にした言葉が言葉なので、固唾を呑んで見守っていると、 小さく頭を振った血みどろ男爵が、呻きつつも了承の言葉を発した……。







一体、どこの弱者が、ゴーストを的確に脅せるというのか。
一体、どこの臆病者が、セブルスやシリウスなどの、 一癖も二癖もある連中と簡単に仲良くなれるというのか。
そんなこと、ただの善良で弱い一生徒にできるものではない。

闇の帝王を退けた『名もなき魔法使い』の親友が、闇の魔法使いであるとは考えにくい。
考えにくいが、しかし、絶対に違うと言い切れるだろうか。
少なくとも、あの銀の髪の彼は、あの名高き創設者は、清廉潔白とは言い難い。
間違いなく、闇の魔法に片足はどっぷりはまっているだろう。
下手をすると両足かもしれない。
となれば、当然、がそうでないとも言い切れなくなるわけで。


「やはり、確かめる必要がありそうじゃな……」


脳裏に、彼女を危険に晒すことによるメリット、デメリットを思い浮かべ。
(特に、銀髪の創設者の怒りを考えるとうんざりした)
それでも、これは自身の仕事であると判断し、 必要な手を打つ。

ちょうど、禁じられた森の一角獣ユニコーンが、何者かに害されている可能性があると、 ハグリッドから報告があった。
高い魔力を持つ一角獣ユニコーンはそうそう害することなどできないし、 そもそも、あれほど無垢な存在を害するのは簡単なことではない。
よほどの力を持った闇の魔法使いでなければ。
そう、ヴォルデモート卿のような。


「目には目を、か」


自分の持つ手札を俯瞰し、 十全なタイミングで、最適な駒を動かす。
自分はずっとそうやって生きてきたし、これからもそうする予定だ。
ホグワーツの校長として。
未来ある若者を守る、先達者として。

例え、そのことで傷つく少数がいたとしても。
その少数を、できるだけ守る手段さえ講じれば、もうためらわない。
冷静であることが、犠牲を最小にする手段であるが故に。

自分は神様ではない。
なんでもできるわけではないし、教え子のように何でも思い通りにしようとなんてできるはずがないのだ。
けれど。


「……まずは、シリウスからかの」


権力を求めない自分の強さを、自分だけは、理解していた。





闇の魔法使いには、闇の魔法使いを。





......to be continued