見慣れていたはずのものが、少しの変化で大きく違って見える。 Butterfly Effect、35 「…………」 「…………」 「…………」 ……まずい。 なにがまずいって、この状況のなにもかもが、まずいのだが。 「……なに、やってるの?」 可愛い親友の子供が、自分を屑野郎のように見てくる視線が一番まずい! 城の外、芝生の上で、形容しがたい表情のハリーと自分、 そして、自分と共にいたが、ハリーの質問を機に、重苦しい雰囲気に包まれていた。 なにがどうしてこうなったのかと言えば、 いつも通りに、の空き時間に犬の姿で彼女と戯れていて。 そこにハリーがやって来た……というのがすべてだ。 言葉にすればなんてことはないようにも思える。 第三者が見ても、犬と遊ぶ可愛らしい少女と、知り合いの少年の心温まる邂逅、にしか見えないはすだ。 がしかし。 ハリーはこの黒犬がシリウス=ブラックであると知っている、となれば話は変わるだろう。 つまりは。 自分の名付け親が。 妙齢の女性(見た目は少女だが、中身はそうだ)に対して。 犬の姿でちょっかいをかけている、と。 まぁ、そういうことになる。 それは「何やってるんだ?」と言いたくなるだろうし、 未だかつて浮かべたこともない表情も浮かべることだろう。 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 もちろん、犬の自分に答えられるはずもないが。 ひたすら、虚無を抱えた瞳でこちらを睥睨してくるハリー。 内心冷や汗だらだらで、さっきまでの頬を舐めていた舌も、 思わず口の中に引っ込むくらい喉が渇き、尻尾が丸まる。 犬の状態では、複雑な思考は難しいので、 今の俺には、どうやったらこの窮地を乗り越えられるか、さっぱりわからなかった。 「えっと、ハリー?どうしたの??」 だが、ハリーの蔑みに満ちた視線は、も見慣れないものだったらしく、 どこか戸惑いがちに声がかけられる。 すると、ハリーはなんともいえない表情をしながらも、 黒犬――つまり自分を指さしながら口を開いた。 「いや……は、さ?それと仲が良い、の?」 「え?ああ、ええと……はい。仲良し、かな?」 「……それ、『何』だか分かってる?」 「え?犬、だよね?」 可愛がってた子供に『それ』扱いされたことにかなり凹む。 が、続くの返答に対するハリーの態度ほどじゃなかった。 「(あ、ひょっとして、シリウスさんだって知らないのかな??) あの確かに真っ黒で大きいけど、黒妖犬じゃないよ? なんだったら、ルーピン先生に聞いてもらっても良いし」 「……そう、なんだ」 その時のハリーは、なんていうかこの世の終わりを覗いてしまったような、 大人に対して絶望したような、そんな悲壮な表情を浮かべていた。 間違っても子供が浮かべる物ではない表情に、がぎょっとして、 立ち上がろうとしたが、ハリーはそれよりも早く、俺の首根っこを掴むと、 箒にまたがって、森へと一直線に低空飛行を開始した。 「っ!?ハリー!」 「ごめん、!ちょっと待ってて!!」 普段穏やかな少年の姿はそこにはなく。 「……えぇ〜?」 呆然と残されるだけが、荒ぶる箒の行方を見ていた。 「……シリウス」 「……はい」 で、まぁ、から見えないところまで森に入ったところで、 ハリーは俺を地面に(叩きつけるように)下ろし、腕を組んで仁王立ちになった。 結果、すぐさま人間の姿に戻り、昔取った杵柄で、セーザという究極の反省ポーズをしてみる。 霜の降りた地面が凄まじく冷たい上に服が濡れるが、それは無視だ。 「で、結局何をしていたの?」 目の前にいるのはよく見知った少年であるはずなのに、 とてもではないがその雰囲気が恐ろしくて目が合わせられない。 リーマスのどこかおどろおどろしいそれと違って、 ハリーの気配はひたすらに冷たかった。 「いや……その、だな?」 とりあえず、黙っているのはまずいだろうと、苦心して口を開くが、 ハリーは言い訳を聞くつもりはないようで、淡々と俺の言葉を遮る。 囁くように小さいのに、それは不思議とよく通る声だった。 「が最近、黒妖犬に取り憑かれている、とかいう噂が気になって来てみれば。 まさかとは思ったけど、本当にシリウスだなんて」 どうやら、元々黒くてデカい犬にピンと来るものがあった上に、 クィディッチの練習帰りに、こんな人気のないところへ向かうを見つけ、 今のような状況を目撃してしまった、とのことのようだった。 顔以外はジェームズにあまり似ていない、と思っていたが、行動力なんかは受け継いでしまったらしい。 で、リリー譲りの正義感と共に、ハリーは俺に指を突き付けた。 「しかも、はそのこと知らないみたいだよね? 普通の犬として接してたってことだよね?」 「あー…まぁ……」 歯切れ悪い返答に、ハリーの眼鏡がきらりと光った。 「何も知らない女の人を? いくら子供の姿だからって犬になって押し倒して? 挙句に嘗め回して? しかも、リーマスまでグル?」 「……幻滅したよ。シリウス」 その冴え冴えとした言葉も声も、 それはもう、リリーによく似ていた。瞳と同じに。 嗚呼、そう。 これはが学校に来るまでのリリーによく向けられた、嫌悪感。 見下げ果てた、とその目は語っていた。 「〜〜〜〜っ」 オイ、ジェームズ! やっぱりどこをどう取っても、こんな視線向けられて『嬉しい』とかねぇぞ!? なんでお前はこれにときめいてたんだ!?マゾか!?マゾなのか?? 少なくとも、俺は結構なダメージを喰らってるんだが!!? あのハリーが!俺の後をひな鳥みたいにくっついて歩いてたハリーがっ! 未だかつてこんな淀んだ瞳で俺を見たことがあっただろうか!?いや、ない!! ハリーのあり得ない視線と親友の変態度合いに、鳥肌が止まらない。 と、そんな風に、あまり宜しくない顔色をしていたであろう俺に、 ハリーは海より深いため息をつきながら、やれやれと首を横に振った。 「今だったら、僕、自首するのに付き合うよ。 は優しいから……多分、許してくれると思う。僕はどうかと思うけど」 どうやら、それこそ優しいハリーは、株が大暴落した名付け親に、 それでも歩み寄りを見せてくれるらしい。 まるで俺に触ると穢れる、とでもいうように、 決して肩に手を置いたり、腕を取ったりはしてくれないが、 それでも身振りで置いてきた少女の方へ促すハリーに、 「待て。ハリー」 俺は片手を突き出して、待ったをかけた。 俺の中で、直感が告げている。 この、ハリーの誤解は今、すぐ、即!解消しておかなければならないと! でないと、一生、ゴミ虫を見るような目で見られ、 最終的には口もきいてくれなくなるに違いないと! と、俺の声にただならぬ気配を感じたのだろう、ハリーから若干嫌悪が薄れ、 少しだけ幼気な疑問符に満ちた表情になる。 「なに?」 「確かに、俺はと犬の姿で交流していた。それは事実だ。 その時にスキンシップが多かったことも認める。だが……」 「だが?」 潔く、己の所業を認める俺に、 ハリーの瞳に少し、希望の光が灯る。 それは、さっきまでの嫌悪感を、俺の言葉が打ち消してくれるのではないか、という希望だ。 なので、俺は重々しく頷いて、こう言った。 「それのなにが悪いんだ?」 「…………っ」 その瞬間、ハリーは崩れ落ちたが。 ぐしゃっ!と、なにか重いものが潰されたかのような幻聴が聞こえるくらい、 勢いよく地面に蹲るハリー。 両手を地面について、ぶるぶると震えるほどのオーバーリアクションである。 ?うん??なにもおかしなことは言ってないぞ??どうした? 「いいか?ハリー。犬の姿になったからには、犬になりきらないといけないんだ」 衝撃と落胆のあまり言葉を発することもできないでいるハリーを他所に、 懇々と、俺は動物もどきとしての心得を語る。 まぁ、もちろん俺もジェームズもハリーを無登録の動物もどきなんて犯罪者にする気はないので、 あくまでも参考程度だが。 「目の前に、良い匂いの子がいて。無邪気な笑顔で撫でてくるんだぞ? それは飛びついて顔だって舐めるだろう(きぱっ)」 犬としては当然の行動だ。 つまり、俺は何一つ間違っていないし、何一つ悪くない! なにより、そう。 普段のシリウスの時には決して見れない、どこか無防備で可愛らしい笑み。 少し力の抜けた、柔らかい口調に、声。 それは、黒犬にしか彼女が見せない、素の姿だ。 それを見たいと思うのは、なにも悪いことじゃない。 そう力説すると、最初こそ稀代の変質者を見るような目をしていたハリーは、 どこか気恥ずかしそうに、頬を染めながら、俺を見上げてきた。 「ええと……あの、シリウスは、その……のこと、好き、なの?」 「………は?」 動物もどきの心得を話していたはずなのに、何故そんな話に!? が、突然の言葉に俺が固まっている間にも、ハリーはなにがしか納得したらしく、 「そうだよね。、美人だったし、優しいし……」と嬉しそうにうなづく。 そして、さっきまでの態度が嘘のように、一転して穏やかな(というか、生暖かい)目をすると、 「僕に任せて!」とにこやかに請け負った。 …………。 …………………………。 ……いや、なにを請け負ったのか分からないんだが? どこからどう見ても、純度100%の善意の塊にしか見えないハリーの姿に、 しかし、妙な胸騒ぎを覚え、引き留めようとした俺だったが、 ハリーは箒に乗って、さっさとの方へと戻って行ってしまった。 慌てて犬の姿に戻って後を追いかけると、 ハリーが少女に何事か頼んでいるところだった。 「――ってことでね?前の姿になってくれると、具体的にどのくらいか分かると思うんだよ」 「確かに、ハリー大きくなったからね。うーん、まぁ、他に誰も見てないし、良いかな?」 と、彼女は俺が近づくまでの間に、自身の指に手をかけて、 そこから輝く指輪を抜き放った。 「「!」」 途端、まるで若木が成長するかのように、するすると幼い少女の腕が、足が伸びていく。 何故、彼女がいつもあんなにぶかぶかのローブを着ていたかが疑問だったが、 どうやら、成長分を見越しての丈だったらしい。 と、気持ち短めではあるが、少なくともさっきよりもローブを着こなした状態になったところで、 の体が変化を止めた。 「うわぁ!こうして見ると面白いね!!」 「一気に視点が変わるから、本人も結構面白いよ?」 珍しい光景に歓声を上げるハリーに悪戯っぽく微笑む。 元々整った顔立ちだとは思っていた。 だが、自分の気持ちを自覚してから、本来の彼女を見るのは初めてで。 しかも、可愛らしく笑っていて。 「〜〜〜〜っ」 全身の血が沸騰したかと思うくらい、体が熱い。 視界の隅で、ハリーがどこか得意そうに俺を見てくるが。 正直、俺はそれどころではなかった。 多分、ハリーは良かれと思って、に元の姿になってもらったのだろう。 なにしろ、彼女が元の姿になることなど、校内にいれば、ほとんどないのだから。 だが、俺が彼女に寄って行くことができたのは、幼女の姿だったからだ、 と今回、改めて分かってしまった。 「あれ?」 途中で急停止し、一向に近寄ってこない俺の姿に、 ハリーとが揃って首を傾げる。 今日はなにもまとめていないの焦げ茶色の髪が、 サラリと、肩から滑り落ちて。 「どうしたの?」 そっとかがんでが優しく視線を合わせてきたその瞬間、 もう……駄目だと思った。 「えっ!?」 ぐるっと勢いよく方向転換をすると、 俺は過去最高の速度で、その場を脱兎のごとく逃げ出す。 心の中を占めるのは、ただ一つのことだけだ。 無理だ無理!むり無理ムリ無理!! 可愛いカワイイかわいいカワイイ可愛いCawaii! なんだこれ何だコレ!?こんなあいつ可愛かったか!? いや、可愛かったんだけど!ここまでか!!? 初対面でキス出来たとか、あの時の俺凄すぎじゃないか!? これ以上近づくとか、心臓が死ぬ! むり無理ムリ無理むり無理ムリ無理! 動物もどきの状態になると、複雑な思考はできなくなる。 だから、この場を取り繕うだとかいう頭はこれっぽっちもなかった。 ただ、本能のままに飛びつきたくなって。 心臓のあまりの拍動にそれを止めた、それだけのこと。 あとは、体が勝手に動きだしていたのだ。 ひたすらに森の奥へ奥へと、足が進んでいく。 途中、藪の小枝に体を何度も引っかかれたが、構うことはない。 結局、それから森の中をぐるぐると意味もなく走り回り、 野生の魔法生物に遭遇したりしなかったりしながら、 数十分程経って、ようやく俺は落ち着きを取り戻すのだった。 そして、尻尾を限界まで振っているにも関わらずいなくなった俺に、 とハリーが戸惑いまくっていたのなんか、知る由もない。 「えっと……いきなり大きくなってビックリさせちゃった、のかな?(多分違うけど)」 「えっ!?あ、うん、そう、かな……?(多分違うけど)」 「うん。そういうことにしておこうか」 悪い変化ではない……はず。 ......to be continued
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