鏡よ鏡、世界で一番の間抜けは誰だ?




Butterfly Effect、28





『大嫌い』


その、きっぱりとした拒絶の言葉に、 胸の奥が凍える思いがした。

夜の見回り中、生徒のペットと思われるヒキガエルを捕まえ。
確かハリーの友達にヒキガエルを持っている子供がいたはずだと思い出し。
談話室の近くまで行ったところまでは、何の問題もなかった。

けれど、そこで、最近聞き慣れた少女の声が聞こえたから。
思わず、立ち止まって耳をすませてしまったのが、よくなかったのだろう。

普段穏やかで。
犬の時はどこか幼く感じる甘い声が。


「私、何人かで寄ってたかっていじめるのとか、大嫌いなんですよ」


切りつけるような鋭さで、毒を吐いた。

声の調子こそ、どこかおどけていたけれど。
その奥の奥の奥には怒りがあって。

自分が言われたわけではないのに、酷く恐ろしい気分になる。

そう、自分が言われたわけじゃない。
けれど、その言葉は、自分に無関係だと、胸を張って言えるだろうか。


「…………」


大人になってから訪れた母校は、本当に懐かしかった。
お気に入りの木陰に、馬鹿ばっかりやった教室。
大手を振って夜中のホグワーツを歩けるのは、得意気な気分にさえなった。
けれど。
それと同時に、
「ここはこんなに狭かっただろうか」
「自分はあんなに子供っぽかっただろうか」と、当時と感覚の違いも確かに感じて。

特に、思ってしまったのは。
子供同士の喧嘩や嫌がらせが、眉を顰めるくらい、馬鹿馬鹿しいということ。
狭い学校の中で寮同士争うことが、大人になってこんなに滑稽なことに感じるとは、思わなかった。
昔は寮が違うというそれだけで、あんなにおおごとだったというのに。

そして、気づいてしまうのだ。
自分達のやっていたことはもっと醜悪だった、と。

アイツを侮蔑的に呼んだ。
アイツに呪いをかけた。
今この学校にいる子供達なんか及びじゃないくらい、洒落にならない方法で。
それは、なんとも仄暗い、『遊び』だった。

アイツが嫌いで。大嫌いで。
それでも、アイツを蔑むのは、どうしようもなく愉しくて。
多分、あの頃の自分の表情を見たら、醜く歪んでいたことだろうと、そう思う。

なにしろ自分のことだ。
「いや、もっと自分達はマシだった」と弁護する声がある反面、 「そんなはずがない。客観的に考えろ」と言う冷静な声もあった。



いい加減いい歳をした自分は、大人として学校という異空間に居続けることによって、 気が付けば、自分は子供の頃、最低なことをしていた、と認めてしまっていた。



もちろん100%自分が悪かったとは、それでも思えないけれど。
でも、それでも、子供の自分にアイツを裁く権利があったかと、訊かれれば。

そんなものは、なかった。
どこを見ても。
どこを探しても。

そして。


「…………っ」


自分でさえ、最終的に辿り着いてしまうそんな答えに、 こんな黒歴史をあの少女が、が知ったら、と考えたら、もう駄目だった。

面と向かって嫌われるのも、 軽蔑されるのですら、心臓が凍る。
想像しただけで、手足は冷たくなり、脳みそばかりが馬鹿みたいに熱を持っていた。

けれど、過去に戻って、自分を止めることなんてできるはずはなくて。
過ちを取り戻すことなんて、できなくて。

気づけば、幽鬼のようにふらふらと、俺は与えられた自室にたどり着いていた。
一体いつ、ヒキガエルを飼い主に渡したのか、 寧ろ、きちんと渡せたのかも分からない。
そのくらいの、茫然自失。

ぐるぐると、少女の言葉が、 過去の自分が、頭の中でごちゃ混ぜになり。
夜が白んできたその時、俺はようやく、自分の荷物から、 十数年使っていなかった道具を取り出した。

ホグワーツに来ることになったために、懐かしさもあって荷物に忍ばせていたそれを、 まさか使うことになるとは露とも思っていなかったが。


「……ジェームズ」


俺は、その手鏡に、助けを求めた。







幸い、ホグズミード休暇の時にジェームズも時間が作れそうということで、 俺は週末にジェームズとホッグズヘッドで飲むことにした。
(別に、姿現しができるので、漏れ鍋でも良かったのだが、ジェームズの希望である)

三本の箒と違い、薄暗くて汚いバーだが、 あっちではマクゴナガル以下、ホグワーツの教師陣と会ってしまいそうなので、 まぁ、仕方がない。

マダム ロスメルタと違って、不機嫌かつ不愛想な爺さんにバタービールをもらい、 俺はジェームズと薄汚れたカウンター席に座った。


「いやぁ、懐かしいねぇ。バタービールなんて何年ぶりだろ?」
「あー……さぁな。まぁ、成人してからはあんまり飲んでないが」


基本、アルコール入りの飲み物ばかりなので、 こんなところでも、過去の自分と今の自分の違いを感じてしまう。


「くぅーっ!これこれ!この喉に纏わりつく甘さ!!」
「今飲むと、胸やけしそうな味だよな」
「あはは、お互い歳を喰ったんだねぇ!
まぁ、リーマスなら今でもこの位ガブ飲みできそうだけど」


陽気に笑いながら、早くもジョッキを空けそうな勢いのジェームズに苦笑する。
ちなみに、件のリーマスはここには呼んでいない。

もちろん、とイチャついているのを邪魔できない、というのもあるが、 最大の理由として、前々からあのいじめに良い表情をしていなかったリーマスを呼ぶのが、 単純に憚られた、というのがある。
その点、目の前の悪友は一蓮托生で、死なば諸共な存在なので、 ある意味、気軽に相談できる相手だった。


「それで?わざわざ僕と飲みたいって言うからには、なにかあったんだろう?」
「…………」


だからといって、決して、口が軽くなることはなかったが。

流石に直接的に自分の胸中を晒すのには抵抗があったので、 俺はバタービールをちょびちょびと含みながら、口の中の苦さを消そうとする。
もっとも、それは気分の問題だったので、少しも改善などされなかったのだけれど。

少しの時間逡巡して、しかし、観念した俺はぽつり、と問いかけた。


「お前は……お前だったら、取り返しのつかないことをしていたことが、 リリーにバレそうになったら、どうする?」
「うん?取り返しのつかないこと??」


魔法使いにとって、取り返しのつかないこと、だなんて大仰な言葉は、あまり似合わない。
ある程度のことなら後からだって対処可能だからだ。
しかし、もちろん、『ある程度』を超えてしまえば、魔法使いにだってどうにもできないことはある。
今の、俺のように。

すると、ジェームズは、俺の言い回しに盛大に首を傾げた後、 マジマジとこちらを凝視した挙句、


「え、なにシリウス、隠し子でも見つかった?」
「ぶふぉっ!?」


などと、大層的外れかつ失礼なことを言い出した。


「ゲホッ!ジェームズ、手前ぇっっ!」
「ええー?胸倉掴まれるほどのこと言った??
君がやらかす女性問題で取り返しがつかないとか、大方の人はそう考えるよ?」
「誰 が 女 性 問 題 だ と 言 っ た っ!!?」


リーマスといい、ジェームズといい、奴といい、 俺のことを節操なしのスケコマシだと思っていないだろうか。
もちろん、そういう方面で派手なのは否定しないが!


「だって仕事関係なら僕に話を持ってこないだろう?
となるとプライベートの話で、君がそれだけ深刻になる話題って言われると、ねぇ?」
「『ねぇ?』じゃねぇよっ!」


吠えるように、あらぬ疑いを否定していると、 ドン!とグラスを叩き割る位の勢いで、目の前にエールのジョッキが置かれた。
眼光鋭い爺さんに、無言で「これでも飲んで黙れ」と言われたようだ。
まぁ、騒がしくしたいなら別の店に行け!と追い出されなかっただけマシだろう。

ジェームズも軽い調子で店主に詫び、 とんとん、と自分の頭を、しなやかな指で叩き始める。


「ええと、よく分からないけど、 過去のやらかしちゃったことをリリーに知られそうになったらどうするか、だっけ?」
「そうだ」
「ニュアンス的に、赤っ恥とかそういうのじゃなくて、失敗とか犯罪とかそんな感じ??」
「あー……まぁ、そうと言えなくもない」


こんな奴でも過去では学年主席。
しかも、在籍しているクィディッチチームでは作戦を立てたりすることもあると聞く。
だから、なにかいい知恵があるんじゃないかと、期待を込めてその眼鏡の奥の瞳を見る。
すると、ジェームズは無駄に爽やかな笑みを浮かべてこう言い放った。


「まず、僕の場合は知られそうになるって状況にしないね!そもそも」
「……は?」
「そんなヤバイ何かがあったなら、確実に証拠隠滅しておくよ。間違いない。
今からでも隠滅できないのかい?」
「……いやいやいやいや」


証拠隠滅?
それはつまり被害者であるところのスネイプの口封じになってしまうんだが!
流石に闇払いが殺人はまずいだろう、殺人は!
あ、いや、忘却魔法だったら使えなくも……?
……いやいやいやいや、大人しく記憶をいじらせるワケないだろう、奴が!
かといって、言わないでくれと頼むこともできるはずがない。
そんなことしたら、わざわざ、弱みを晒すことに他ならないからだ。

となるとやっぱり、行きつく先はバイオレンスな展開である。
職業倫理的にも、人道的にも許されない解決方法なので、俺はとりあえず却下した。


「流石にそれはない。隠滅は不可能だ」
「えー」
「えー、じゃない!」


不服そうなジェームズはなおも「これが一番の解決策なのに」だの、 「そもそも情報が足りなさすぎるんだけど」だの、 ぶつぶつと不平不満をこぼす。

だが、やがて本当に取り返しがつかないのかを確認した後、 コイツはとんでもない閃きを見せた。


「……事情がさっぱり分からないんだけどね?
ひょっとして、君、学生時代のあれこれを後悔してたりなんかする?」
「…………なっ」


ピンポイントの指摘に、絶句する。
すると、図星を刺したことに気づいたのだろう、ジェームズは少しばかり驚きに目を見張って、 やがて、なんとも言えない表情で苦笑した。


「嗚呼、なんていうか……愛の力は偉大だねぇ」
「!!!!?」


『愛』なんていうパワーワードが聞こえてきたので、思わず息が止まる。

次いで、まだ大して飲んでもいないはずなのに、 全身に勢いよくアルコールが回る感覚がして、舌がもつれそうになった。
体が熱い。
燃えるように。


「ジェームズ、おまっなにを、いきなり……っ!?」
「は?いやだって、今まで散々とかがどうにかしようとしてどうにもならなかった学生時代の悪行を、 若干だろうとなんだろうと後悔してるんだろう?あのシリウスが。
僕もリリーと結ばれるまではどうにもならなかったからねぇ。
これを『愛の力』と言わずに、なんて言うんだい?」
「!!!」


きょとん、とそれは不思議そうに、ジェームズがハシバミ色の目を丸くする。

全然違うっっ!と反射的に返すはずの言葉は、 しかし、喉の奥にからまったように出てこない。
何故か。
それを言えない自分がいて。

どこかが苦しくてたまらないのに、それを訴えることも出来ず、 俺はどこか嬉しそうにしているジェームズの横顔を見ることしかできなかった。
黒髪の友人は、エールを飲みながらうんうんと何度も頷いていた。


「いやぁ、しかし、あのシリウスがねぇ。今までの彼女達とはタイプが違うけど、 まぁ、よく好みと好きになる相手は違うとか聞くよね。
もっとも、僕の好みは未来永劫リリー以外の何者でもないんだけどさ!」
「お、前……誰の話をしてるんだ?」


やがて、出てきたのは、そんな少しずれた言葉。
だが、それは核心でもあった。


「うん?だろう?」
「っ」


少し困ったような、照れたような、そんな表情で笑う少女が、瞼の裏に蘇る。

そうだ。
確かに、に嫌われたら困ると思って、俺はジェームズに相談を持ち掛けた。
彼女に軽蔑されたらと思うだけで、肝を冷やしたから。

嗚呼、でも。
それは何故なのかなんて、考えてもいなくて。
ただ、嫌で。
俺は。


「癖がちょっとありそうだけど、良い子みたいだし。
僕は応援するよ……ってあれ?」


そして、自分の思考に浸っていた俺を、不意にジェームズがマジマジと見た後、 心の底からバツが悪そうに、手で顔を覆って天を仰ぐ。


「うあぁあああぁああぁー。あーもう、嘘だろう?」
「…………」
「もう僕ら30歳過ぎたいい大人だよ?それなのに……」
「…………」



「君、今まで無自覚だったのかい?」



その問いに、応えられなかった。
態度が、顔の赤みが、もはや答えでしかなかったけれど。







その日の夜は、もうヤケ酒を飲む勢いで、ガンガンに酒の空瓶を積み上げた。
ジェームズには「明日も練習なのに……」とぼやくのも無視して、結局は最後まで付き合わせる。

いや、だってよ?
幾ら親友でも、あそこまで見通されるとか、普通に恥ずいだろうが!
飲まないでいられるか!


「君がそんな殊勝なことを考えたきっかけを考えれば、やっぱりホグワーツだろう?
なにしろ、最後に会った時はそんな感じこれっぽっちもなかったからね。
あの後、君の身辺で変わったことと言えば、ホグワーツの警備担当になったくらいだ」
「…………」
「で、ホグワーツで、取り返しがつかないなにかを後悔したとなると……。
女性問題でなければ、あと思い当たるのはスネイプ関連くらいだからねぇ。
はスネイプに勉強を教えてもらっていたみたいだし、寮もスリザリン。
二人が仲良くなればなるほど、それをいじめていた僕らの株は下がるって寸法だ。
そりゃあ、嫌になっちゃうよね」


したり顔で人の胸中を文章化する眼鏡に、殺意が湧きそうだった。

しかも、聞けば、リーマスからそれとなく、 への気持ちを探ってくるようにジェームズも頼まれていたとか言いやがるし。


「その事前情報がなければ、流石の僕でもああも簡単に君の思考は読めなかったかもね」
「リーマスの野郎……っ」
「仕方がないんじゃないかな?なにしろ、自分の愛しい彼女の親友だよ?
それに自分の親友がちょっかいかけてるとか、その本気度を確かめたくはなるじゃないか。
ましてや、相手が他ならぬ君だしね」
「…………」


改めて、自分は親友達に色恋に関して全く信用されていないらしい。
確かに、別れ話で泣かせたり、体だけの関係の女がいたりと、 褒められるような恋愛遍歴ではなかったが。
しかし、別に妊娠もさせていないし、最終的には綺麗に別れたし、 一度に二人以上と付き合ったりもなかったのだ。
もう少し信じてくれてもいい気がする。

……確かに、今までの相手にああいう清楚系はいなかったといえばいなかったのだが。
(パッと見清楚系に見えて実は違うタイプの女なら結構いた)


「まぁ、なんか若干、気色悪くなるくらいに甘酸っぱい感じだし。
うん、これを機に健全な付き合い方をしてみたら良いんじゃないかな?」
「健全……」


個人的には不健全な付き合い方なんてした覚えがないのだが。
(いい歳した大人が、何一つ艶っぽいことをしなかったら、その方が不健全だろ?)

「そうじゃないと、問答無用で見た目犯罪だから」と、至極あっさりと告げられた客観的意見に、 俺は閉口するしかなかった。

その後も、この話題は止めようと何度もしたが、 悪ノリしたジェームズはなにかにつけて話をの方へと持っていこうとするので大変だった。
それは途中、珍しくハグリッドがやって来たので、デカい図体をこっちに呼び寄せても変わらず、 俺はせっかくの休暇だというのに、心身ともに疲れ果てるのだった。


「ジェームズじゃねぇかっ!めっずらしいなー!なにしちょる?こんなとこで」
「いやぁ、シリウスとちょっと飲んでてね。そういうハグリッドは?」
「偶にこっちでも飲んどるんだ。よく知らん奴とも飲んだり賭けたりできるし、 あっちには俺みたいなんがダメな奴が来たりするからな」
「なんだって!?こんな心も身体も大きい君を邪険にするなんて、なんて勿体ないんだ!」
「ははっそんなこと言ってくれんのは、お前さんらくらいのもんだ。
そっちこそ、三本の箒でなくてよかったんか?」
「いやぁ、あっちじゃ、僕の麗しの親友が男女問わず視線を総ナメにしちゃうんでね。
綺麗なお姉さんやらマダム ロスメルタなんかに寄って来られちゃうと、 愛する妻のいる僕も、恋に悩めるシリウスも、あんましよろしくないだろう?」
「なっ!?」「恋!?」
「おっと、いけない☆ハグリッド、ここだけの話にしてくれよ?」
「……ふむ。まぁ、昔っからシリウスはモテとったしなぁ。
わしに言えるとすりゃあ、女を泣かせるのはどんなに顔がよくてもダメだっちゅーことだな」
「素晴らしい!まさに至言だね!」
「…………」


コイツ、資源ゴミに混ぜてぇなーと切に思った。





過ちを認められない君こそが間抜けだよ?





......to be continued