世の中を渡る上で、暗黙の了解というものがある。 Butterfly Effect、19 ガタンゴトン ガタンゴトン 規則正しく、レールの上を真紅の列車が駆けていく。 飛ぶように流れている景色からすると、結構な速度が出ているようだが、客室には大した振動が来ない。 蒸気機関車になど乗るのは久しぶりだが、その乗り心地は案外に悪くなかった。 まぁ、もっとも。 それがイコールで、この場の居心地の良さを保証するものでは、全くないが。 「…………」 若干以上、うんざりした気持ちで、正面に座る少年の姿を見る。 自分と同じく、11歳の姿をした、その銀髪の少年は、 それはそれは穏やかな瞳で、隣の座る少女を見つめていた。 尊敬する、純血主義の創始者であり。 自分に新しい体と名前をくれた恩人?である、男の仮の姿――ヘビノ。 一度そうだと認めてしまった手前、その少女への態度を見ても即座に強烈な反発は起こらないが。 あまりの甲斐甲斐しさに、裏切られた感がするのはどうしようもない。 「――で、困るのが食事なんだよね。 やっぱり西洋の脂っこい食事は合わないっていうか、和食が食べたくなるっていうか……」 「それって、厨房の屋敷しもべ妖精に『和食作って☆』って言えないの?」 「どうだろ?でも、和食って調味料がまず違うじゃん?醤油も味噌もないし」 「和食食べるためだったら、サラに調達してきてもらえばいいんじゃないかな?」 「ぐりさん天才!」 「ああ。そのくらいお安い御用だ。あと、なにか欲しい物はあるか?」 「とりあえず、食事がなんとかなれば、それで満足だよ。ねぇ?」 「だね!あ、それならあとはレシピ本も欲しいよね!やっぱり、作り方もレクチャーしないと!! 嗚呼、ホグワーツで和食が出るなら、あたしの胃痛が減るかもっ」 個人的な事情で学校の献立をジャックしようとする連中が目の前にいた。 (なんてことだ。僕だって、在学中にそんなことはしなかったというのに) 呆れを多分に含んだ視線を向けるが、正面の少年も、自分の隣の少女もそれに気づいた様子はない。 (いや、正面の男に関しては、気づいていながら無視している可能性が一番高そうだが) が、斜め前に座った少女――だけは、それを感じ取ったらしく、 困ったように眉尻を下げながら、苦笑した。 「…………」 とりあえず、その微笑みには、冷たい眼差しで返答し、 僕はふいっと廊下側の窓に顔を向けた。 ガラス越しに、少女を観察してみる。 少女は、と同じ日本人らしいが、顔の造作自体はあまり彼女と似ていなかった。 嗚呼、いや。黙っている時とそうでない時のギャップの激しさは同じだが。 と違い、少し癖のあるこげ茶の髪と瞳は平凡なそれで。 猫を思わせる釣り気味の目は、黙っている分にはいっそ冷たくも見える。 がしかし、話している様子を見るに、どちらかというとお人好しの部類だろう。 穏やかに笑う姿には、冷たさの欠片もない。 「…………」 そこそこ容姿は整っていると思うものの、それも特出している訳ではなかった。 そのため、自分以外の二人がこの少女をちやほやする理由は、さっぱり分からない。 を紹介されてから、今に至るまでの道程を思うと、苦々しい気持ちにさえなる。 二人のせいでは大変な迷惑を被ったというのは、なんとなく察せられたが。 それにしても、二人でこの女を構いすぎではないだろうか。 今も、ヘビノはの髪を、ごくごく自然に編み込みにしているし、 の視線と会話の相手はに固定されて、動く気配がない。 ……いや、もう本当にお前ら何をやっているんだ? も遠慮すればいいものを、ほとんどなすがままである。 まるで世話を焼かれ慣れている貴族のようだ。 自分一人だけがおかしいかのような、居心地の悪いコンパートメントから脱出したい気も起きるが、 いや、なんで自分が追い出されるような形になるんだ、という意地もあって座り続ける。 がしかし、構われない現状には、苛々し通しだ。 久しぶりの母校に想いを巡らせてみても、結局最終的には、この場にいる人間へと意識が戻ってしまう。 「――でさ、あの帽子マジで酷いんだよ。 まだあたし被ってないっての!」 『うん、まぁ、しょうがないね。過去にあれだけ脅されたらね』 「さん……。私達今からそれを被るんですけど?」 「まったくだ。なにも今、を不安にさせるようなことを言わなくても良いだろう?」 「あー、ゴメン?」 は無駄に元気で、さっきからずっと話し続けている。 ただ、それは前に見たことのある空回った感じではなく、どこかリラックスもしていて。 自分には見せたこともない表情で。 面白くない。 非常に面白くない。 「でも、サラはやっぱりスリザリン決定でしょ?」 「……そうだな。普通に考えればそうだと思うが」 「リドルも多分そうだよねぇ。で、ぐりさんには意地でグリフィンドールに入ってもらうとしても。 二人も寮が違くなっちゃうと、あんまり逢えないかもね」 「それは困っちゃうねぇ」 「困る?」 「うん。だってサラのことアテにしてますし?一緒にご飯も食べられないし」 折角の魔法学校ライフに友達がいなければ、愉しさは半減だ。 そう言外に告げるに、ヘビノはとろけるような笑みを浮かべた。(……うわぁ) 「なら、グリフィンドールになれるよう善処しよう」 それをうっかり見てしまった僕としては、砂を吐きそうな気分に陥った。 自分も、散々その辺の女を誑かしてはきたものの、ここまでの笑みを向けられたことはそう多くない。 「え、そんなことできんの?」 「ああ。基本はできないが、そこはどうとでも脅せば済む話だ」 「あっさり何言ってんだ、コイツ……!」 「普通の魔法使いが脅したくらいでは無理だろうが。 流石に私が魔法をかければ消滅しかねないからな。おそらく言うことも聞くだろう」 「……うん。頑張れ。強く生きるんだ、帽子!」 同じく創始者であるゴドリック=グリフィンドールの、形見の一つともいうべき帽子を脅す気満々の男。 ではないが、そのはっきりした優先順位に、帽子に対して憐れみさえ湧いてくる。 そんなあからさまに向けられる好意だったが、しかし、あろうことかはその笑みを見ていなかった。 ので、全くそれに対してのリアクションがないまま、「勉強追いつけるかな?」と首を傾げている。 その鈍さはの友人だな、という気がした。 思い出すのはそう、と10年ぶりに再会した、数時間前のこと。 10年、と一口で言っても、その間は酷く希薄で。濃密で。 そのままの意味での年月ではなかった。 特に、僕にとっては、彼女はある意味特別で。 9と4分の3番線で、ヘビノから彼女に改めて紹介された時は、どんな表情をして良いか分からなかった。 ――呪ってやる! 未来永劫、いついつまでも! 最後に彼女と会った、あの時に。 自分は彼女を傷つけ、泣き叫ぶ様を嗤い、最後には呪詛を叩きつけた。 この封印されていた10年で、その恨みつらみは大分風化してしまったけれど。 そんなことは彼女にしてみれば、分かるわけがない。 怯えられるだろうか。 嫌悪されるだろうか。 詰られるならともかく、あのお人好しの笑みを向けられないのは、気分が悪くなりそうだ。 がしかし、 「り……どる?」 はそんな僕の躊躇いなど、まるでお構いなしに。 その目を零れんばかりに見開いて。 震える声は、そのままに。 「リドルっ!」 心の底から幸せそうに笑って、僕に抱き着いてきた。 ふわりと。 温かくて。 柔らかい、いつかどこかで感じた感覚。 子供特有の高い体温と、彼女の爽やかな香りに、頭がくらくらしてくる。 彼女が元の体形でないことだけが残念だったが、 僕は、そのふわふわと甘い、綿菓子娘を反射的にぎゅっと抱きしめ返した。 夢でも幻でもない少女は、 僕の腕に確かな存在を知らせてくる。 生まれて初めて心地好いと思ったぬくもりが、そこにはあった。 以前と全く、変わらずに。 「……わぁ。さんってば、大胆」 「ただ単になにも考えていないだけだと思うが」 「罪作りですねぇ」 まるで生き別れの恋人同士のような熱烈な抱擁に、ヘビノと一緒にいた少女は呆れ顔だ。 かくいう僕も、抱きしめ返しながら、同じような表情をしていたが。 いや、だって、そうだろう? 自分を殺そうとした男に満面の笑みで抱き着いてくるとか。 聖人を通り越して、完全なるマゾヒストじゃないか? それとも、そんなことも綺麗さっぱり忘れているんだろうか?この娘は。 いくらなんでも、負の感情に鈍すぎやしないかい?? 一応、警戒されたら、形式的でもなんでも「もうあんなことはしない」と誓うつもりだったのだが。 それすらする必要はなく、全力で信頼されている感がある。 ……色々な面が心配だ。 だからこそ、ヘビノが僕なんて怪しい存在でも、護衛をつけようとしたのかもしれないが。 「……元気そうだね。」 「うんっ!リドルは……元気って聞かれる筋合いないよね。ごめん」 とりあえず、会話を試みてみれば、ようやく脳みそに酸素が行ったのか、 は僕の首から腕を外すと、小さくうなだれた。 まぁ、日記帳に封印されていた間、元気か元気じゃなかったか、と訊かれれば、 発狂しかけていたが元気といえば元気、と答えるしかないのだが。 それを言ったら、更にが小さくなってしまいそうだ。 なので。 「……そのセリフは、僕のだよ」 「!」 僕に返せる精一杯が、これだった。 のように素直に謝罪なんて、やったことがない。 とてもではないけれど、「ごめん」だなんて言えるはずもない。 だから、言外にそれを表す。 心のこもらない、大量の言い訳でもなく。 耳障りの良い釈明でもなく。 僕には似合わない、 ただ、一言で。 すると、実は頭が悪くない彼女は、どうやらその謝意を受け取ったようで。 「……あは」 へにょり、と。 目尻を下げて、破顔した。 そして、「リドルのばーか!」と笑みはそのままに再度抱き着いてきたので、 さっきよりも強い力で抱き留める。 「馬鹿に馬鹿なんて言われる筋合いはないんだけど?」 「へへぇーん!これでも成績優秀ですー!」 「それはホグワーツも勉強の質が落ちたね。これなら、僕がまた学年首位を取るのも簡単そうだ」 「どうかなー?リドルは勉強の鬼ことハー子さんを知らないからなぁ? チート乙なサラもいるし、自信満々で試験を受けた後に順位を見て悔しがる様が見えるようだぜ☆」 きゃっきゃとテンション高めにじゃれついてくる。 あれ、僕らは実は付き合っていたんだろうか? っていうか、リーマスとかいう奴はどうしたんだ?? と、疑問が沸き起こるが、それはそれ。これはこれ。 心情的には誤解も勘違いもウェルカムな気分になってきた僕は、 周囲に見せつけるように、とベタベタ引っ付いてみる。 (特に、近くで愕然とした表情をする赤毛だの黒髪の少年やら、 口笛を吹いて囃し立ててくる連中の顔は目に焼き付けておこう) おそらく、校内新聞の一角を飾ることになるであろうこのシーンに、 しかし鈍いは気づいていないらしく、無邪気に笑う。 この後、いい加減コンパートメントが埋まってしまう、とヘビノが促すまで、 僕はたっぷりと生温い平穏を享受した。 そして、現在。 一通り、僕がもうヴォルデモート卿の分霊箱でなくなったことや、 今後は一応ホグワーツにスリザリンの末裔として在籍することを説明すると、 どうやらの興味関心が他に移ってしまったらしく、 僕はひたすら放置された。 …………。 ……………………。 …………さっきの熱烈な歓迎はなんだったんだっ 思い出せば出すほどに苛々してきてしまった。 封印されている間に大分丸くなったはずだが、 それでも、人間、根本的な部分は中々に変えられないらしい。 まぁ、それでも。 もう猫を被るのは止めようと決めたので、無理に抑え込む必要がなくて楽は楽なのだけれど。 と、僕の内心など知らないは、 そこでトイレかなにか知らないが、席を立った。 ここはトイレの近いコンパートメントではないので、彼女が戻ってくるまでは多少の時間がある。 だからだろう、彼女の姿が見えなくなった途端、 それまでの話を切り上げて、がヘビノの表情を伺うようにのぞき込んだ。 「ところで……大丈夫?サラ」 「うん?何の話だ??」 「えーと……あー……」 自分で言っておきながら、言いづらそうに言いよどむ。 だが、悩んのだのは数瞬のことで、腹をくくったように、ヘビノと視線を合わせる。 「色々、心情的に。さんのこととか」 ……は? 僕がいるせいか、ぼかした言い方に首を捻る。 がしかし、長い付き合いらしいヘビノは彼女の言わんとすることを察したようで、 心の底から何でもないかのように、首を振った。 「……は恐らく、盛大な勘違いをしているようだから、この際はっきり言うが。 私は別に恋愛的な意味でのことを愛してはいないぞ?」 「……え」 「間違いなく特別だ。誰より幸せになって欲しいとも思っている。 がしかし、と付き合いたいだとか、触れ合いたいだとかいう感情は私にはない」 唖然とした表情を浮かべているだが、 寧ろ、その勘違いに対して、僕は唖然としてしまった。 さっきから、散々アピールされているくせに、その想い人を勘違いするだなんて、 この女、馬鹿なのか?? どう考えても、ヘビノが惚れているのはお前だろう。 と、どうやら僕の考えはがっつり表情に出てしまっていたらしく、 思わず口を開きそうになった瞬間、 「…………」 ぞわり、と。 「〜〜〜〜〜っ」 背筋が凍らんばかりの殺気が、ヘビノから寄越された。 今まで、多少ぞんざいな口調で話そうが、生意気な態度で接しようが、 決して向けられなかった負の感情がそこには込められていた。 死にたくなければ、余計なことは言うな、と。 その真紅の瞳は雄弁に語る。 一瞬にして全身に伝った冷や汗に、僕は目の前のこの少女のなにかが、 ヘビノに取ってのアキレス腱であり、逆鱗であることを悟った。 思わず目を伏せて、無言の要求に屈したその時、 「見てみて〜!ぐりさんにお土産!蛙チョコ売ってたー!」 場違いなほど呑気な、の声がして、 僕は心の底から安堵した。 下手な取り扱い厳禁。 ......to be continued
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