魔法使いが杖を選ぶのではなく。
杖が魔法使いを選ぶ。





Butterfly Effect、10





毎日やってくるスネイプ先生の薬を飲んだおかげか、少しずつ頭痛は治まってきた。
そして、気が付けば私がこの世界に来て5日が過ぎようというある日、 ルーピン先生がシリウスさんを伴って部屋にやってきたところから、話は始まった。


「…………」


毎日来てくれるルーピン先生と違い、 こうしてシリウスさんと顔を合わせるのは怒鳴られて以来なので、少し緊張する。
が、妙に不機嫌そうなシリウスさんは少しもこちらに視線を寄越してこないので、 疑問に思いつつも、なんとか平静を保つことには成功した。


「やぁ、。調子はどうだい?」
I'm fine thank you.And you?(私は元気です。先生はどうですか?)」
「おかげ様で僕も大丈夫だよ。
随分顔色もよくなったことだし、買い物でも行かないかい?」
Ok.(良いですよ)」


女子が聞けば飛びつかずにはいられない「お買い物」という言葉に、一も二もなく頷く。
といっても、それは女の子らしく買い物を楽しむ為ではなく、 切実に物を買う必要性があるからである。
――というか、まぁ、ぶっちゃけて言えば生活必需品という奴だ。
歯ブラシなんかはあるし、洗顔などもいざとなればお湯でなんとかなるが、 それでも足りない物というのは、色々あるだろう。色々と。
とりあえず、服などもさんの服をお借りしているのだが、 借り物なのでいまいちサイズが合わなかったりするし。
嗚呼、あと、いつまでもさんのサンダルを借りてる訳にはいかない。
正直、恥を忍んでこちらから申し出なければならないだろうか、と腹を括りかけていたので、 あちらから言い出してもらえたのは非常にありがたかった。

ちなみに、買い物となれば金銭面が問題だが、 その点は事前にさんの口座から出すような形にすでにしてもらっているので、なんとかはなるだろう。
勝手に人様の口座のお金を使うことに関しては抵抗感しかないのだが、非常時に四の五のは言っていられない。
(ごめんね、さん!ちゃんと使った分メモしてるから!ちゃんと後で返すから!!)

で、私があっさりと頷いたことが意外だったのか、ちらり、とシリウスさんがこちらを見る。
嗚呼、そういえばなんかまだまともにお礼もお詫びも言ってないんだよなぁ、なんて思っていると、 その視線を断ち切るかのように、私たちの間にルーピン先生がさっと体を入れてきた。
?な、なんだろう??ちょっと空気が怖い。


「ああ、服に関しては彼が良いお店を知ってるらしいから、教えて貰おうと思ったんだ。
店まで連れて行って貰ったら、後は付いてはこないから安心して良いよ」
「安心?」


安心ってなにに対しての安心??
別にシリウスさんが付いてきても不安に陥ったりはしないのだけれど。

その気遣いの意味がさっぱり分からないので、 小首を傾げるジェスチャーで「なに言ってるのか、ワタシわかりませーん」と表してみる。
すると、ルーピン先生は若干表現を変えて、私の疑問に答えてくれた。


「つまりね?必要以上にシリウスを君に近づけないから、大丈夫ってことだよ」
「???」


え、なに?その猛獣みたいな扱い??
別に噛みついたりしない――……。

と、そんな風に思った瞬間、思い出してはいけないあれこれが頭の中でフラッシュバックした。

噛みつかれたというか、こっちも噛んだというか……。
まさか、それがバレ……?
いや、でも、まさか本人がそんなこと言いふらすはずないし……。

と、そこで思い出したのが、スネイプ先生ともっとも長く話した、あの時のことだ。
次いで、スネイプ先生になにやら勘付かれたような様子だったことも、脳裏を過ぎる。
具体的なことはバレてないと思うけれど、あれは、我ながら挙動不審だったし。

多分、スネイプ先生とルーピン先生の間で、 私とシリウスさんは近づけないに越したことはない、という結論に達したのだろう。
(実際には目の前の張本人が暴露しているのだが、そんなことは私には分からない)


「…………」


正直なところ、私だって許しては全くいないのだけれど……。
ちらり、とシリウスさんの方を見てみれば、苦虫を噛み潰したような表情だった。

思うに、シリウスさんにとってあれは、 本当になんの気なしの行動だったんじゃないかと思う。
色気なんて皆無だったし。
雰囲気すらないし。
ならもうこっちも、犬に噛まれた、と思うのがやっぱり正しいんじゃないんだろうか。

ところが、問題は私にはそういう細かいニュアンスを伝える術がないということだ。
この数日で格段にボディーランゲージを多用するようになった私だったけれど、 やっぱり言葉が通じないというのは、不便でもどかしい。

と、むーっと顎に手を当てて私が考え込んでしまったのが悪かったのだろう、 ルーピン先生は「道案内ですらも、シリウスと一緒にいるのが嫌らしい」と勘違いしたらしく、 それはもう恐ろしい笑顔で「やっぱり躾が必要かな……」などと呟きだした。


「「っ!」」


そのドス黒さには、シリウスさんはもちろん、私もちょっと足が後退する。

がしかし、このままでは、シリウスさんが躾という名の虐待を受けることは必至である。
私は慌ててルーピン先生に向かって首を横に振った。
そんなもの必要ないですから!いや、もう本当に!!
というか、そんなことされたら、ただでさえ嫌われてるのに、もっとシリウスさんに嫌われちゃいますよ!?私。

すると、いつもならば素晴らしい洞察力で、こっちの言いたいことを汲み取ってくれるはずの先生が、 「脅しに従わなくても大丈夫だよ。シリウスのことは私に任せて」と私にだけ優しい笑みを向けてきた。
どうやら、私が拒否をしたのを、シリウスさんの鋭すぎる眼光に怯えてのことだと曲解したらしい。

ので、これはもう仕方がない。
私は、脅されている訳でも嫌がっている訳でもないことを示すために、


たたたたたっきゅっ


「なっ!?」
あい どんと へいと ひむ!(私は嫌ってません!)」


慌てるあまり発音が限りなく怪しくなったが、とりあえず、 しっかりと主張すると共に、その後ろにひっついてみた。
余計嫌われそうとか、ローブに皺付けてすみませんとか、それらは後で言えば良いことだ。
どちらかというと、盾にしている気分にならなくもないが、 今はシリウスさんよりルーピン先生の方がよっぽど怖いので、勘弁してほしい。

すると、私の挙動に一応、怒りの矛を収める気になったらしく、 ルーピン先生は「は良い子だね」と普通の笑顔に戻ってくれた。
是非、ずっとそのままでいて欲しいと願ったのはきっと私だけではないだろう。

こうして、まさかの親世代とショッピングという夢小説のようなお出かけが決定したのである。







頭痛がほとんど抑えられていることも手伝って、足取り軽く、 明るいダイアゴン横丁を歩く。
そんな場合じゃないことは分かっているけれど、魔法界のお店が見れるなんていうのは、 やっぱりどうしたってわくわくしてしまうものだ。
最初に行ったグリンゴッツの銀行では初めてゴブリンにも会えたし、 なんだか、ようやくハリー=ポッターの世界を楽しんでいる感じである。
(もちろん、トロッコは笑顔で辞退した。安全バーのない絶叫なんて怖すぎるし、また吐きかねない)
なにしろ、この間は逃げ回っててそれどころじゃなかったし。

本当は今度こそあちこちの店をのぞき込みたいところなのだが、 まさか小さな子どもでもないのに、そんな勝手な真似はできない。
という訳で、大人しくシリウスさんの後ろにくっついて歩くこと十数分。
私たちは、なんとも古ぼけた……じゃなくて古めかしいこじんまりとしたお店の前に立っていた。


「まずは、この店から入るからね」
「?Ok.(良いですよ)」


ええと、店に掛かっているマークからして、どう見ても杖のお店にしか見えないんだけど。
そして、ダイアゴン横丁で杖の店っていったらオリバンダーさんのところしか思いつかないんだけど。
なんだろう?まずは杖のメンテナンスで預けたりとかするんだろうか??

少なくとも、私の欲する生活必需品はあるはずもなさそうな店だったので、 単純に好奇心を満たすためだけに、私はそこに足を踏み入れた。
そして、そこには案の定、細長い箱、箱、箱……。
大きさも色もまちまちの箱が、所狭しと積み上げられていた。
(せめて、箱のパッケージくらいは統一してくれても良いと思う)

これ全部杖……だよね?
一体何万個あるんだろう……?

霊感なんて物は皆無だけれど、今この部屋には不思議な力が満ちているような気がした。

と、私がその威容に圧倒されていると、奥から小柄なおじいさんが一人現れた。
もちろん、この店の主、オリバンダーさんだろう。
劇中では不気味な描写がされている人だったけれど、私の目にはごく普通のおじいさんにしか見えなかった。
いや、まぁ、ごく普通のおじいさんに、この店の杖から売った人まで覚えていられないとは思うんだけど。
別に、目が彼岸を向いちゃってる訳でもなんでもないし。

なにしろ、最初に接触したのが夜の闇ノクターン横丁の見るからに怖い住人だったため、 私はこの位ではなんとも思わなくなっていた。悲しすぎるオチだ。

で、てっきり用があるのはルーピン先生かシリウスさんだと思ったのだが、 どういう訳だか、私は今現在、杖腕を測られていたりする。
最初、杖腕を聞かれた時には、ちょっとじんとしつつも、苦笑して下がろうとしたのだ。
ところが、背後はばっちりシリウスさんに固められ。
ルーピン先生からは、「君の杖を買いに来たんだよ」などと言われる始末。
「アンタ バカァ!?」と某二号機のパイロット風に言いたくなっても仕方がないだろう。

まぁ、ハリポタ好きなら一度は夢見るシチュエーションですよね。杖選びなんて。
ええ、あの短い瞬間のために、ユニバーサルなスタジオでも並びましたとも。
けれど、そのユニバーサルでさえ、私は杖に選んで貰えなかった人間なんですよ。
それが、どうして本場でまで、その恥をさらさなきゃいけないんですか?
「私マグルです」って何度も言ってますよね?

がしかし、どうやら先生もシリウスさんも、「魔法使い説」が未だ健在らしく、 お試しとは思えない熱心さで杖選びを進めてきたのだった。


「…………」


選ばれれば、それはもう嬉しいんですけどね。
やる前から結果が分かっているようなことをやるって、虚しさ倍増っていうか。

気が付けば、オリバンダーさんがうきうきとカウンターに積み上げだした箱を見て、 なんだかげんなりとしてきた。というか、心持ち頭痛がぶり返してきたような気もする。
がしかし、後ろを振り返れば、にこにこした先生と真剣な表情のシリウスさんがいるときた。
八方塞がりすぎるだろう。

この、見ただけで圧倒される杖を全て振る私……。
考えただけで腱鞘炎が起きそうだ。

と、肩と同時に目線も下の方に向けてしまった私だったが、 そこでふと。


「?」


なにかが目の端にひっかかって、そちらへと目を向けた。
それは、棚と棚の隙間に積まれた箱の中でも、ひときわ下の方に置かれ、 一体いつからそこにあるのかは分からないが、結構な時間売れていないであろう色あせた箱だった。
白木のはずが、もはや茶色である。
多分、私を忘れないで!とばかりになにか訴えかけてきたのだろう。


「…………」


少しばかり悩んだけれど、オリバンダーさんの準備はどうやらまだ終わっていないようなので、 私はこそっと、その可哀相な箱を上手に引っ張り出した。
せめて、上の方にあればまだオリバンダーさんの目にも触れるだろう。多分。

で、大人しく元いた場所に戻った私は2、3本の杖を渡されはしたものの、 振る間もなく、オリバンダーさんはこれでもない、あれでもない、と取り上げてしまった。
まさか、一振りもさせて貰えないとは……っ
これはなんでしょうね、新手のいじめ?

判断が早いのは良いけど、凄くやる瀬ないなぁ、なんてされるがままにしていた私だったが、 流石に、奪い取られる杖が10本を超えたところで、 とりあえず主導権を少しは貰うべく、オリバンダーさんを静止してみる。


Please wait.I want to try it.
(ちょっと待ってください。私、それを試したいんですけど)」
「それとな?どれじゃね?」


それ――もちろん、さっきの茶色い箱である。
折角目につくところに置いたにも関わらず、一顧だにしてもらえない、さっきの。
私が言うのもなんだけど、数がありすぎて、 本当は全部把握できていないんじゃないんだろうか、この人?
もうちょっと、この残念な箱にも目を向けてやって欲しい。

がしかし、私のそんな願いも虚しく、 オリバンダーさんは、何故だか「その杖はあまりお勧めしとらんよ」とそっけなかった。


Why?(どうしてですか?)」
「……この杖はの、素材自体が大変変わっておる。見てみなさい」


そう言って、オリバンダーさんが慎重な手つきで取り出したのは、一本の白い杖だった。
まっすぐなそれではなく、少しくねくねと曲がったフォルム。
とても木とは思えない艶やかな質感は、なんだか杖というよりなにかのアート作品のようだ。
確かに、変わった素材でできていそうだけれど、まず杖自体が珍しい私には、 どうしてこれがお勧めできないのかが分からない。
寧ろ、綺麗な杖だという印象すらあるんだけど?

と、私が少しもピンと来ていない様子に、今度は「触ってみなさい」との指示が出る。

まぁ、呪われた品物ではなさそうなので、私はそっとその表面に指を這わせた。
すると、


「……あったかい?」


絶対に冷たいに違いないであろう見た目とは裏腹に、 その杖はぼんやりと熱を持っていた。
木が持つぬくもりとはまるで違う、あたたかさだった。

と、私が驚いたのが分かったのだろう、
オリバンダーさんはうんうんと頷きながら「冷たいじゃろう?」と言った。
…………。
……………………って、あれ?


いず いっと……こーるど?(冷、たい……んですか?)」
「?冷たいじゃろう?」
I feel hot.(あったかいんですけど)」
「……あたたかい!?」


え、と思う間もなく、そこからのオリバンダーさんの動きは素早かった。
ぼけっとしている私の手に容赦なくその杖を押し付け、 私の手を自分の手で握りこむようにしながら、ひゅっと、杖を横凪ぎにさせる。
と、次の瞬間、その杖の先からは、線香花火を思わせる光が飛び出していた。

きらきらと。
弾けては、増え。
地面に着く前に溶けてなくなる、うたかたの花火。

それは、とてもとてもきれいだけど、同時に酷く儚いものだった。


「なんと……っ」


自分で振らせておきながら、どうやらこの結末が信じられなかったらしいオリバンダーさんは、 ひきつった声を出しながら、私を見つめた。


「……え」


そこにあったのは……同情だ。
哀れな生き物を見るような。
可哀想な子を見つけてしまったような。
そんな、冷たくはなくとも、生ぬるい視線。

何故、そんな表情をされるのか分からず、私まで戸惑ってしまう。
そして。


「貴女は、きっと、闇を引き寄せるでしょう」
「……え?」


そして、不吉な言葉。
その意味を、私が捉える前に、店主はその杖について語り出した。


「この杖は、白珊瑚で作られております。
杖の芯はヴィーラの毛。23cm。
3代前の店主が作った物なのですが、彼の作った物は一風変わった物が多かった……」
「珊瑚だと?」
「ヴィーラの毛も杖にするっていうのは、あまり聞いたことがありませんね」


と、私の杖が決まったことを悟ったのだろう、いつの間にか近づいてきていた二人が、 私の代わりに変わった点を追及してくれる。

私は。
まだ。
そんなところに、気が回らないけれど。

嗚呼、頭が、痛い。


「珊瑚を杖の芯として使うことは稀にあります。なにしろ、動物の一種ですからな。
がしかし、杖そのものとして珊瑚を使うなどというのは、通常あり得ません」
「しかし、これはそうだと?」
「そうです。これを作った店主は、ある日、 ドワーフの間で珊瑚が『石の木』として珍重されていることを知ったのです。
木であるならば、杖の素材として使えないはずはない、とこの杖を作りました。
だが、石とも呼ばれる存在ならば柔軟性はないだろうと、気まぐれなヴィーラの毛を芯に据えたのです」
「……話に聞くだけで、扱い辛そうな杖だな」
「落としただけで割れそうだしね」
「そうかもしれません。しかし、問題はそこではない」



「白珊瑚は、あらゆる邪悪を浄化する力を持ちます」



「それに選ばれたということは、貴女はそれだけの邪悪を引き寄せるということ。
気を付けなさい。抗うことができなければ、砕けるだけなのだから」
「「「!」」」


邪悪。
闇。

自分が、芯から綺麗な人間じゃないことも。
自分の中に、どろどろとした負の感情があることも、私は知っている。
私は、偽善者だ。
けれど、偽物であるからこそ、正しく生きていきたいと願っているのに。
それなのに。


ドクン


手の中で、脈打つように杖が熱を帯びる。
それは、今すぐにでも解き放って欲しい、と訴えかける声なき叫びだ。
痛みで回転の鈍った頭は、ほとんどなにも考えないままに、杖を強く握り直し、 そして、


「それはつまり、コイツが闇の魔法使いに墜ちるっていう意味なのか?」


怒気に満ち溢れた言葉に、ふっと我に返る。
のろのろと視線を上げると、オリバンダーさんの前に立ちふさがるようにして、 シリウスさんが対峙していた。

その背中は広く。
それでいて、頼もしくて。
どうして、それが自分を庇っているのかが、よく分からない。
ただ。
それを認識した瞬間に、すっと自分の肩から力が抜けたことだけを、私は理解した。

すると、店主は少しだけ慌てたように「そうではありません」とその言葉を否定する。


「そうではなく、闇は光に焦がれる物なのです。
もう少し簡潔に言えばそう……闇の深い者ほど、この方に惹かれるということ」
「つまり……闇の魔法使いに好かれる、ってことかい?」
「好かれるのならば良いのですが。好意は簡単に憎悪へと変わります。
どちらかといえば、敵も味方も作りやすい、というところでしょうな。
そもそも、その杖に選ばれた者がどうして闇の界隈に行けましょう?」

「……よく、分からないです」


言葉が耳には入る。
意味も、理解はできる。
でも、それを受け入れられるかはまた別で。

私は杖とは裏腹に指先が冷たくなっていくのを感じながら、 促されるままに店の外に出ていた。





この杖は、私になにを求めているのだろう。





......to be continued