「口は災いの素」「沈黙は金」 その通りだと、切に思う。 Butterfly Effect、9 よりにもよって、スネイプ先生に姫抱っこをされるという、 人生恥ずかし死にランキングTOP3に入る出来事を経験した私に怖いものなどなにもない! ……そう言えたらどれだけ良いだろう。 がしかし、残念ながら今の私は恥ずかし死によりも、 乗り物酔いで死ぬ方がよっぽど身近な恐怖だったりする。 「……ぅっ」 口の中に胃の中の物が思いっきり逆流したのを、精神力で飲み下しながら、 私は今すぐ床に転がりたい気分だった。 吐く吐く吐く吐く吐くっ がしかし、今、吐こうものなら、地獄絵図になることは必至なので、ひたすら耐える。 そう、現在地を考えれば理由は簡単だ。 「……大丈夫かね?」 すなわち、スネイプ先生の腕の中。 事を荒立てることしかしないシリウスさんを制し、 先生は精神的に多大なストレスを与えてくれる場から救出してくださったのだ。 で、それは良いのだが。 諸々の事情から姫抱きをされている現状、リバースしようものなら、乗り物こと先生のお召し物が大惨事である。 多大な迷惑をかけっぱなしの人にそんなことをやる程、私は人生捨てていない。 私は無言でスネイプ先生を見つめ、アイコンタクトで返答する。 もちろん「大丈夫な訳がない」だ。 「…………」 すると、意思疎通が図れたらしく、スネイプ先生は極力振動を減らしつつ、 部屋を急いで目指すという離れ業を無言で敢行した。 その姿は真っ黒な見た目も相まって、さんなら「忍者だ忍者!すり足!!」と快哉を叫んだだろう。 生憎、ここにいるのは臨界点到達寸前の病人と、 その病人をダッシュでベッドに押し込もうとしているただの常識人だけなのだが。 そして、限界ギリギリのところで、どうにか部屋に辿り着いた私たちは、なにはともあれ水道へ直行した。 先生の意図を悟り、嫌で嫌で仕方がなかったが、結局私はそこに嘔吐する。 (すでに1度見られているのだから、2度も3度も変わらないだろう。変わらないことにしておく) 「……ぉぇっ、げっ……ぐぅっ」 大して物も入っていなかった胃は、ピンク色に染まった胃酸を吐き出し続ける。 元々、割と吐きやすい体質なので慣れっこなのだが、やっぱりこの胃がひっくり返る感じは最悪だった。 嗚呼、胃だか食道だかがやられてる……。 胃酸に血が混じっているのをげんなりと見ながら、どこか冷静な部分が嘆いていると、 少ししたら、その発作のような吐き気が収まってきた。 吐くだけ吐いて多分落ち着いたのだろう。 と、そんな私の様子を見て取ったスネイプ先生は無言でタオルを差し出してきた。 「ありがとう、ございます……」 口をすすいで、それを受け取ると、洗剤のいい匂いがしてきた。 なんだか、こんなふわふわの素敵なタオルに申し訳ない。 が、まさか顔を濡らしたまま布団に入る訳にもいかないので、腹をくくることにする。 「落ち着いたかね?」 「はい……じゃなかった、イエス(はい)」 正直、気分は最悪で頭痛はクライマックスだが、吐き気がなくなった分、さっきよりは落ち着いたと言えるだろう。 お礼を言いながら、私はまっすぐにベッドに向かう。 気遣い溢れるスネイプ先生のことだ。 こうして無事に部屋まで送ってくださったのだから、もうすぐいなくなってくれるだろう。 そうしたら、思う存分、この頭を木魚のように叩いて痛みを紛らわせようと計画していると、 しかし、先生は予想に反して、ずいっとベッドに座った私の目の前になにかのアンプルを差し出してきた。 「?」 痛みのせいで働きの悪い頭に、クエスチョンマークが浮かぶ。 スネイプ先生といえば魔法薬なのだが、さっき調合云々と言っていたから、これをまさか飲む訳ではないだろう。 となるとなに?塗るの??どこに? と、私が間抜けのようにぽけっとしているのを見て、先生は噛んで含めるように「飲みたまえ」と言った。 「…………」 ……そのまさか、だった。 で、胃を刺激したくなかった私が躊躇していると、スネイプ先生の眉間の皺が大変なことになった。 「飲みたまえ。少しはマシになる」 ええと、つまりこれは間に合わせで飲んでおけというご厚意なのだろうか。 ということはやっぱりこれは魔法薬? ……色がショッキングピンクだけど。 しかも、シロップのように透き通っていない、ポスターカラーのような濃さの。 ……飲みたくない。 はっきり言って、人の飲み物に見えない。 中は理科実験で出来たスライムと言われた方が納得する。 がしかし、無言の圧力に、私は色んな意味で震える手でその薬?を受け取った。 「…………」 苦い薬は苦手というか飲めないのだが、まさかここでそれを言う訳にもいかない。 怒られるに決まっている。 「…………」 しかも、英語でそれを伝えるスキルもない。 「…………」 っていうか、これ本当に飲んでも死なないよね? 見た目が本気でヤバイんですけど。 さんに勧められても全力で拒否するレベルなんですけど。 無言で見つめること数十秒。 踏ん切りが全くつかない私の様子に、スネイプ先生が地獄の底から漏れたような重い溜息をつき、 しかし、容赦なく同じ言葉を繰り返す。 「飲 み た ま え」 「!」 ええい。女は度胸だよね!? 最悪また吐くことになることを覚悟して、私はぐっとその液体を飲み干した。 「…………っ」 味は、意外なことにもそこまで酷くなかった。 サラッとしていて、これなら青汁の方がよっぽどだ。 ……とか思っていた私だったが、やはりそうは問屋が卸さないというか、 案の定、酷い後味に顔を顰める。 「なんかこう……酸性の土を食べたらこんな感じ?」 「不味いかね?」 「まぁ、美味しくはないです」 反射的にスネイプ先生の言葉に頷いてしまい、 慌てて、取り繕うように引き攣った笑みを浮かべる。 スマイル0円はとても大事だと思います、ええ。 で、私がとりあえず薬も飲んで落ち着いたのを確認したのだろう、 今度は手足を見せるようにと指示が出る。 と、そこで私は全体的にボロボロになった自分の体を思い出した。 どうやら、スネイプ先生は一度ならず二度までも怪我の手当てをしてくださるということらしい。 ……親切すぎるっていうか、世話焼きすぎるスネイプ先生とか違和感たっぷりなんだけど、 やはり原作とは色々違うということなのだろうか。 「そーりー(ごめんなさい)」 「悪いと思うのなら、怪我などしないでくれると有難いのだがね」 「……そーりー(ごめんなさい)」 駄目だ。 ただでさえ頭痛で回転の鈍った状態では、気の利いた謝り文句なんてなに一つ浮かばないっ さっきから自分の英語力には絶望してばかりの私。 がしかし、そのスピーキング能力の底が見えているであろうスネイプ先生は、 そんなことお構いなしとばかりに口を開いた。 「……何故、庇った?」 「え?」 ただ、それは決して軽い口ではなかったけれど。 庇う? 誰を?誰が? 思い出すのは、雪崩れるように降り注いだ荷物の山。 そして、それから逃れようとした人に向けられた杖。 赤い閃光に、届かなかった手。 十中八九、先生はそのことを言っているのだろう。 でも。 スネイプ先生を?私が? そんなこと…… 「……できたら良かったんですけどね」 庇おうとした、それは事実。 でも、できなかった。 その前に、力尽きた。 できるはずもないことをやろうとするなんて、愚の骨頂。 ただ、反射的に、手が、足が、動いただけの話だ。 そんなもの、なんの自慢にもなりはしない。 だから、私は先生の問いに、ただ首を横に振った。 胸中の様々な想いを、その動作に込めて。 「…………」 すると、なにかを察してくれたのか、スネイプ先生はそれ以上はなにも問いかけず、 黙々と手当てに戻る。 しん、とした気詰まりな沈黙だった。 「…………」 そして数分後、ぼんやりと、ただ手当の様子を見ている内に、 私の思考は取り留めのない方向へつらつらと流れていた。 嗚呼、体の節々が痛い、とか。 さんは今頃どうしてるだろう?とか。 流石に二度目ともなると、薬が沁みるのにも慣れてきて、 そこそこの心の余裕というものがあったせいだろう。 やがて、私はスネイプ先生の骨ばった手ばかりを見つめていた。 ……男と女じゃ骨からして造りが違うんだな。 というか、男の人に手だの足だのを触られる、だなんて、病院くらいだし。 微妙に気恥ずかしい……。 しかも、スネイプ先生の手つきが丁寧だから、余計に。 「――った」 思えば、キャミソール一枚と短パンでドタバタしてたとか、 一体なんの罰ゲームなんだろう……。 ぶかぶかのローブとか、コスプレ? そんなものは、スタイル抜群の美人さんがやってれば良いんだよ、さんみたいな。 私がやっても、残念以外の言葉が浮かんでこないって。 「……」 ああもう、帰りたい。 心の底から、今すぐ家に帰りたい。 さんでもサラでも、どっちでも良いから一刻も早く迎えに来て……っ と、自己嫌悪やらなにやらで一杯になっていたその時、 「ミス !」 「はいっ!?」 不意に大きな声で名前を呼ばれ、体がびくっと飛び跳ねる。 もちろん、その声は素敵なバリトンボイスことスネイプ先生だ。 慌てて顔を上げると、気難しいお顔がこちらを凝視していた。 「手当てが終わった、と言ったのだが?聞こえるかね」 「は、はい!すみませんっ」 「なにを言っているのかはよく分からんが、まぁ聞こえているなら良い」 「!そーりー。さんきゅー べりー まっち(すみません。本当にありがとうございました)」 ぺこぺこと、さながら起き上りこぼしのように何度も頭を下げる。 スネイプ先生の言葉を聞き流すなんて、なんて恐ろしいことを! これが学校で、私が生徒だとしたら減点確実な所業である。 元々、怒鳴られたり、怒られたりが苦手なので、どうにかそのお怒りを鎮めようと、 こっちは、それはもう必死だ。 と、そんな姿を先生は目を細めて見つめる。 「日本人は、そうして頭を何度も下げるのが文化なのかね?」 「へ?」 「も……よくそうしていた……」 懐かしそうな、表情と声。 優しい、眼差し。 そこに紛れもない厚意を感じ取り、なんだか少し不思議な感じがした。 ちょっと嬉しくて。 ちょっと残念。 今の表情、さんに見せてあげたかったなぁ。 そして、気付けば私もつられて微笑んでいた。 「いっつ あ はびっと(それが癖なんです)」 「!……そうか。君はと付き合いが長いのかね?」 「うぃ はぶ びぃーん ふれんず のうん いっち あざー ふぉあ ろんぐ たいむ。 (私たちは長い付き合いです)」 「よく付き合えるな……」 「はい?」 「いや、なんでもない」 一瞬不穏な気配があったものの、さんのおかげで奇跡的に先生と会話が続く。 これはもう全力で乗るしかないだろう、と、私は少ない語彙力を駆使して、 さんについて話すことにした。 「しーいず きゅーと。あとらくてぃぶ(彼女は可愛くて魅力的ですよね)」 「……可愛い?」 「ぜあー あー すぃんぐす ざっと しー げっつ いーずぃりぃー なーばす あばうと。 ばっと しー いず わいず あんど あ はーど わーかー。 (彼女は緊張しやすいところがありますが、賢いし、頑張り屋さんだし)」 「緊張しやすい?賢い??頑張り屋???」 「あい るっく あっぷとぅ はー(彼女のことは尊敬してるんですよ、私)」 「!」 拙い英語ではあったが、大まかなことは伝えられたであろう、とにこにこしていた私。 ところが、話が終わった途端、スネイプ先生は至極真面目というか、真剣な表情で、 私の肩をがっと乱暴に掴んだ。 「っ!?」 唐突に間近に迫った顔に、ぎょっとする。 こんなの。 この間も。 あったような――…… そして、私は思考する間もなく反射的に自分の顔――主に口を、手で覆った。 がしかし、だ。 もちろん、スネイプ先生が突然口に噛みついてくる、だなんてことは起こらず。 先生はわなわなとふるえながらも、心の底からであろう労わりと友愛の籠った声で、こう言った。 「目を覚ましたまえ」と。 「はい?」 さっぱり意味が分からなかったけれど。 「確かに、奴がそこそこ優秀であったことは認めよう。 だがしかし!君まで奴のようになったら目も当てられん。 悪いことは言わない。に憧れたり、あまつさえ目指したりなんてことは絶対に止めたまえ」 いや、あの、私、別に「さんみたいになりたい」とは言ってないんですが。 先生の中でさんは一体どういう位置にいるんだろう、と俄かに恐ろしくなりながらも、 どうも承知しないと放して貰えなさそうな気配を感じ、とりあえずコクコクと頷く。 で、私の反応に気を取り直したのか、ようやく先生は肩から手をどかしてくれた。 よ、よかった……。びっくりした……。 と、私が安堵している様子に、先生は少し罰が悪そうな表情を浮かべて謝罪してくれる。 「驚かしてすまなかった。つい、耳を疑うような言動があったもので」 「いえ……えっと、どん うぉーりー(大丈夫です)」 耳を疑う言動をした覚えは全くないけれど、寧ろこっちが驚かせてしまってすみません。 言葉にはできなくても、身振り手振りで、そんな気持ちを伝えてみた。 すると、先生は病人がジタバタすることがお気に召さなかったようで、 適当な話をして落ち着かせようとでもしたのか、話をそらすように口を開く。 がしかし。 「なにをされると思ったのかね?」 「はい?」 「急に口を抑えたから、吐き気でも出たのかと思ったが、そうでもないようだ」 「〜〜〜〜それは、そのっ」 それは、不意打ち気味の追及と同じだった。 一気に、かぁーっと自分の顔に血が上ったのが分かる。 言えないっ。 言える訳がないっ! キスされるかと思って身構えた、だなんて! どんな自意識過剰女!? 「いや、でも、あれは、脈絡なくしてきたシリウスさんが悪いというか……」 どうせ日本語なんだから分かるまい、と、 私はぶつぶつ小声で、不平不満を言い募る。 が、どうやら日本語でも、人名は拾えたらしく、天敵の名前を聞いたスネイプ先生の表情が大層怖いことになった。 「……ブラックが、どうかしたのかね」 「!!!いや、なんでもないです!」 急に良くなった血色が悪くなるくらいの勢いで、それはもう必死に首を振る。 あれは、うん!犬に噛まれただけだから! なんでもない、なんでもない! 「のー ぷろぶれむ!!(なんでもないんです!!)」 いや、どう見てもなんでもなくなんか、ないんだが。 そんな先生の心の声がうっかり聞こえてきそうだったが、私はもう全力で無視することにした。 そして、私がこれ以上奇怪な動きをして、体調が悪化したら困るとでも思ったのか、 スネイプ先生は言葉を切り、今度は懐から取り出した水を差し出してきた。 落ち着けということだろうか、と私は深く考えないままにそれを受け取り、 ぐいっと、一気に飲み干す。 「っ……まずっ!」 もっとも、それはどうやら水ではなかったようだけれど。 なんというか、経口補水液にピーマンの汁を加えたような味だった。 しかもぬるい。 さっきとは別の意味で吐きそう……まずい……。 がしかし。 一息に飲み干してまだ良かったな、だなんて、安堵する間もなく。 ぐらり、と頭が傾く。 「!?」 そう、それは意味の分からない話を、薄暗い大会議室で、パワーポイントと共に聞いている時のようなそれ。 つまり、抗いがたい異常な眠気だ。 そんなこと日常でないから分からないが、睡眠薬を盛られた人間はきっとこんな感じになるのだろう。 頭が地震でも起きているように揺れ、瞼が急激に重くなる。 「っ」 がしかし、まさか人前で眠る訳にもいかない。 それに、そこは悲しい日本人体質とでもいうか、土足(スリッパだけど)で眠れる訳がなかった。 「……なっ!?」 体全体が泥のようにベッドに沈もうとしている。 がしかし、まだ眠れない。 半分以上意識を持っていかれながらも、しかし、私はスリッパを床に並べ、 スネイプ先生にぺこりと頭を下げる。 無言で願うのは今すぐ即!の先生の退室だけだ。 「……馬鹿な。即効性のはず……」 薬を盛ったにも関わらずまるで悪びれた様子のない先生だったが、しかし、 私がてこでも寝る気配がないことを悟ったのだろう、目が覚める頃にまた来ると言い渡して部屋を出て行く。 ガチャリ、と鍵が閉まる音に、私はようやく体を横たえ、意識を手放した。 余計なことを言わなければ、 こんなに不味い物、飲まないで済んだのに! ......to be continued
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