『それ』が軽い妬みだと、俺はまだ、気づかない。





Butterfly Effect、6





マグルの少女――を見失って、十数分後。
苛々と焦燥がピークを過ぎ、投げやり気味にもう少女のことは捨て置くかという気持ちが起こっていた。
夜の闇ノクターン横丁の連中からは助けてやったし、一応保護もしてやったのだ。
よちよち歩きの子どもでもあるまいし、 そこから逃げ出して、彼女になにかあったとしても、それは自業自得という奴だろう。


「チッ」


しかし、そうは思っても、残る後味の悪さに、眉間の皺が解れることはない。
と、そこで俺は途中巻き込んだリーマスにも、もう探すのは止めて良いと伝える必要があることに気付いた。
奴のことなので、そう言ったところで捜索を続けそうなものだが、言わない訳にもいかないだろう。

俺は気持ちを切り替えて、今度は鳶色の頭を探すことにした。
とりあえず、周囲に走る物音やら、奴の声はしないのでもしかしたら表の通りから探しているのかもしれない。
路地に飛び込んでいった俺に裏は任せるなど、いかにもあの秀才がやりそうなことだ。

ということで、路地裏から日の当たる表通りに出た俺だったが、 リーマスを探し始めて幾らも経たない内に、見つけたくもない物を見つけてしまい、 ただでさえよくなかった機嫌が一気に急下降した。
そう、それはダイアゴン横丁などより、よほど夜の闇ノクターン横丁の方が似合う黒。
見るからに陰険そうで、辛気臭く、一目でお近づきにはなりたくないと思う男――セブルス=スネイプだった。
前世でなにかあったんじゃないか、という位、学生時代から見事にそりが合わない奴だ。
なにを間違ったのかコイツは俺たちの母校で教師になんてなっているので、 おそらくはこの休暇を使って、魔法薬の材料やら道具やらを物色しに出てきたのだろう。
その手には、薬草など入れておく籠が布を被った状態でぶら下がっていた。

と、条件反射のように唸り声を上げる俺に、向こうも気づいたらしい。
分かりやすく表情を顰め、これ見よがしに舌打ちをしてくる。
が、舌打ちをしたいのはこっちも同じだ。
よりによって、失態とも言える物を犯している状態でこんな奴に会うなんて、今日は厄日かなにかに違いない。
これで、リーマスが「はどこに行った?」などと話しかけてきたらと思うと、 一刻も早くコイツと離れなければ、と思う。

だが、お互いに踵を返すのは尻尾を巻いて逃げるようでできず、 結果、俺たちはそれは険悪なムードで対峙することとなった。


「珍しいじゃないか、スニベリー。 いい加減、キノコでも生えて除菌しに出てきたのか?」
「はっ。無知もここまで来ると憐みさえ浮かんでくるな、ブラック。 ましてや、無知なだけでなく、物覚えさえ悪いとは救われない……。 一体何十年経ったら、人の名前をきちんと覚えられるのかね?」
「悪いが、俺はまともな人間の名前以外に脳を働かせる気はないんでね」
「嗚呼、なにしろ君の脳味噌の貴重な容量だからな。 なるほど、吾輩の名前でそれを潰すのは確かに忍びない」


お互い、息つく間もない応酬である。
嫌味と毒舌と皮肉を塗した言葉の数々に、道行く人々が驚いたように離れていくが、 まぁ、いつもの光景なので無視する。
問題は、どのようにしてこの場を去るか、だ。
理想は言葉で目の前の男をやり込めることだが、敵もさるもので、そう簡単に事はいかない。
だが、いつもならできる実力行使を、今するのは論外だった。
騒ぎを大きくして、リーマスがやってきてしまっては本末転倒なのだ。

そして、途切れることなく言葉を続けていた俺たちだったが、そこでふと、妙な違和感を奴に覚えた。
どう言葉にして良いか、いまいち難しいが、 敢えて言葉にするとすれば、攻撃の気配がない、といったところだろうか?
お互いに、いつもなら隙があれば攻撃してやる、という心持ちでいるので、 杖を構えたり相手の出方を窺ったり、殺気に似た気配がしたりと、 それなりの何かがあるものなのだが、今は不思議とそれを感じない。
自分がそうなのは当たり前なのだが、向こうからもそれがないというのは実に不気味だった。

もしかすると、この後になにか予定でもつかえているのだろうか?
正直、それ以外の理由なんて浮かばなかったが、それならそれで、僥倖だ。
そこを突けば、膠着状態を打開できる!
少しばかり気分が浮き立つのを感じながら、俺は目の前の男を挑発するように口を開いた。


「それにしても、スニベルス。今日は随分とそわそわしてるじゃないか? もしや吸血鬼の女とでもデートするのか?」
「顔だけでなく、頭まで色惚けているらしいな。 寄ると触ると色恋に繋げるなど、見識ある闇払いにはとても見えまい。 だが、確かにこの後、人と会う約束があるのでね。 君に構ってやっている余裕など、吾輩にはないのだよ」


と、相手もこちらの意図に気づいているのかいないのか、さっさと会話を切り上げにかかる。
いつもならもう一悶着位あるものなのだが、やはり向こうもなにか事情があるらしい。
そして、最後まで油断なく構え、隣を奴がすり抜けようとしたその時、 奴の籠がこそっと動いた。


「?」


なにか引っかかる物があり、奴の背中と共にその籠を凝視する。
材料の蛇かなにかか?蠍だったりすると、奴はともかく他の人間に危険が及ぶ。
いっそ、取り締まり対象の希少生物だったりすると面白いな、と現状を忘れて思っていると、 被せてあった布の間から一瞬だけひょこっと白い鼻面が覗いた。


「!?」


それは、大きさから言って子犬か子猫といった小さな動物で。
スネイプと小さな動物、というミスマッチな組み合わせに、ぐるぐると頭が回転する。
まさか。
まさか魔法薬の……材料?

…………。
……………………。

俺に動物愛護の精神なんて物は決してないのだが、 それが釜茹でになる様を思い浮かべてしまったため、 あまりにぞっとしない想像に思わず踵を返す。
そして、俺の足音に気づいたスネイプがこちらに振り返る瞬間、


がっ


「なっ!?」


俺は奴の籠を力づくで奪っていた。
で、布を取り去って見れば、案の定、黒と白の綺麗な毛並みの可愛らしい子猫が、 どこか怯えを含んだこげ茶色の瞳でこちらを見上げている。
と、思わず呻いてしまった俺に対し、当然スネイプから凄まじい怒気が噴出した。


「なにをするっ!!?」
「お前……っ猫好きの友達がいるくせに、こんな物をっ」


思い出したのは、さっきも頭にいた、妙な女友達。
いつも黒猫のお供を連れ歩いていたアイツが。
マクゴナガル(猫.ver)さえ、撫でまくっては相好を崩していたが、こんなことを知ったら!

いや、コイツが猫で魔法薬を作ろうとしていた点は、別に俺には関係ないが、 見逃してしまうと「お前それ見てなにしてたんだ!?」と奴がブチ切れることは請け合いである。
がしかし、俺の危惧していることがさっぱり伝わっていないらしく、 スネイプは目を吊り上げてこちらを睨みつけ、杖を取り出していた。


「なにを訳の分からんことを……っ。返さんか!」
「渡したら死ぬのが分かっていて、みすみす渡せるか!」


俺たちの怒号にビクビクしている、こんな幼気な動物を!

子猫は緊迫した雰囲気を感じ取っているのだろう。
目を大きく見開いて、こっちを伺うようにじっと見つめていた。
その足は今にも籠の外に飛び出して行きそうなほど張りつめていて……。



――あり、がとう……ございます。



何故か、さっきまで連れていた少女を、思い出させた。
自分の思考に驚きながら、応戦するべく杖を手に、スネイプと距離を取る。
なにしろ籠で片手が塞がっているので、普通に戦うとなると不利も甚だしい。
じりじり後退していると、不意にスネイプが声を張り上げた。


「〜〜〜来い!」
「「!」」


と、途端に子猫は籠から飛び降りた。
逃げる華奢な体が。
遠ざかる怯えた眼差しが。
衝動を駆り立てる。



俺は、ほとんど無意識に。
その子猫に対して、杖を向けていた。



一直線に眩しい閃光が走り、狙い違わず子猫に当たる。
と、次の瞬間、ほんの僅かな時間子猫は光ったかと思うと、 まるで植物が急成長を遂げるように、するするとその体が変化していった。


「きゃっ!」


がつっ


「「!!」」


そして、そこに先ほどまで探し求めていた少女が倒れていた。
恐らく、突然変わった体についていけなかったのだろう、は地面に躓いてしまったようだ。


「〜〜〜〜〜っ!」


あまりの出来事に、自分でやったことながら反応ができない。
と、恐らく誰よりも早く立ち直ったらしいスネイプは、 今世紀最大という位に苦々しげな表情をしながら、倒れた少女を背中に隠した。


「ちっ!無駄に鼻の利く駄犬がっ」


子猫が突然、人間の少女になったのだ。
驚いても良いところなのに、少しもそんな素振りの見えないスネイプの姿に、 を魔法で変えていたのはこの男だと直感した。


「どういうことだ、スネイプ!?ソイツと知り合いなのか!」


だとすれば、俺は知らずにコイツの連れを助けたことになるため、 詰問する口調には自然と怒りが混ざる。
と、そんな俺を嘲笑するように、スネイプの口元に歪んだ笑みが浮かんだ。


「おやおや。だとしたら、こんな回りくどい方法で連れ歩く訳がないだろう?
少しは頭を使ったらどうだ?ブラック」
「っ!だとしたら、マグルの女を連れてどうするつもりだった!?
姿を変えるだなんて、機密保持法に違反していることは分かってるだろうな!」


言うが早いか、俺は犯罪者を拘束すべく、魔法を繰り出す。
と、しかし、空中から出現した縄を魔法で切断し、 スネイプはを連れて近くの露店の陰に飛び込んだ。
魔法は直線的な物なので、荒野で戦う時以外は身を潜めるのが定石だ。
ましてや、向こうはという足手まといがいるので、なおさらだった。

そして、俺が同じように店の立て看板の裏に隠れると、さっきまで俺のいた場所に赤い閃光が直撃していた。
周囲で俺たちを遠巻きに見ていた連中も、とばっちりはごめん、とばかりに散っていく。


「…………」


何故、がスネイプといるのか。
何故、スネイプはを隠そうとしたのか。


考えるべきことはあるものの、そんなものは考えても無駄なことも確かだった。
それよりも、目の前の男を叩きのめして聞き出す方が、遥かに早いし確実だ。
俺は、あちらにマグルがいることも忘れて、容赦なく魔法を繰り出す。
と、その合間に、スネイプの奴の低い声が朗々と響いた。


「確かに、なにも知らないマグルの少女の姿を変えれば、違反でしょうなぁ!
だが、この少女の連れは魔法使いなのでね。違反と言うなら、そっちが先だろう!!」
「!お前、その連れを知ってるのか!?」
「ふん!鈍い男だな!!」


奴の言葉に気を取られた隙に、スネイプは露店の陰から飛び出し、 魔法を放ちながら反対の露店へ移動する。
は連れていなかったので、恐らくお荷物と離れたかったのだろう。
虚を突かれたので、残念ながら俺の魔法は奴に当たらなかった。

選択肢としては、このままスネイプに攻撃を加え続けるか、 のところまで行って、あの少女を捕まえる、という物があるが、 俺は迷うことなく前者を選んだ。

なにしろ、少女のところへ行くにはスネイプが監視するであろう道を横断する必要がある上、 のところに辿り着いても、彼女がこちらの指示に従うとは限らない。
というか、寧ろ全力で抵抗しそうな気もする。

スネイプの指示に従った子猫を思い出し、ぎりっと奥歯を噛みしめた。


助けてやったのは、俺だ。
それなのに、スネイプの奴に従う?
そんな人を馬鹿にした話があるか?


先ほど目にした少女の様子に改めて怒りの焔を燃やしながら、 俺はスネイプが隠れている屋台の上に狙いを付けた。


爆発せよコンフリンゴ!」
「!」


恐らく、色々な鬱憤が混ざっていたせいだろう。
その魔法は酷く強い光を放ちながら屋台の上部を破壊し、 バランス悪く積みあがっていた品物や屋台の破片が容赦なくスネイプの上に降りかかる。

狙い通り、たまらず陰から出てきた黒ずくめの姿に、口角が上がった。


麻痺せよステューピファイ!」


慌てずそれに杖を向け、全力で失神呪文を放つ。
そこからはまるでスローモーション。
目を見開いたスネイプの顔面に、人を殺しかねない勢いの閃光が迫り。


「  っ!」


細い体が、それを遮るように飛び込んでいった。


!?」


もちろん、光の速さに人間が敵うはずもないので、間に合うはずもないが。
その行動には、冷や汗が噴き出てくる。

そして、もはや放たれた魔法は戻らない。
止まらない。
止められない。

は必死の形相でスネイプに向かって手を伸ばし。



――バシッ

赤い光はスネイプに当たるその瞬間、なにかに弾かれた。




そのなにかに色はなく。
また、形もない。
ただ、間違いなく当たるはずだった光が、音を立てて拒絶された。
世界に響き渡るほどの、衝撃をもって。

ざわり、と本能が震える。

それはそう、盾の呪文で弾いたかのような音だった。


「!?」「なっ!?」


その光景に、攻撃した俺もスネイプも目を見張る。
お互い、予想外の結末に、気が削がれてしまって杖腕が下りる。
辺りには先ほどとは打って変わった静寂が横たわっていた。

スネイプ、ではない。
間に合うような状態ではなかった。
それに、今の感じでは、まるで――…。

自然、視線はこの場にいるもう一人の人物に集まる。
と、彼女は走る勢いそのままにその場に倒れこんでいた。
足でも縺れたのかとも思ったが、は立ち上がる気配がない。


「ぅ……っ」


見れば少女は頭を抱え、痛みに呻いていた。
そして、見る見る内にその顔色は透き通るように白く、青く、土気色に変わっていく。


「!」


そのただ事でない様子に、慌てて駆け寄る。
と、俺やスネイプが抱き起す前に、少女はごぼり、とその場で嘔吐した。
胃の中にはなにも入っていないらしく、胃酸交じりの唾と空気を苦しげに吐き出している。
胃酸の強烈な匂いが辺りに拡がった。


「ぐぅ!げっ……っ……う……」


こういう場合どうすれば良いのかが分からず、涙で滲むの顔を見つめることしかできない。
だが、スネイプは流石に教師という職業なだけあるのか、 盛大に表情を顰めながらも、の背を摩り、 「大丈夫か」「頭が痛いのか?」などと細々とした声掛けを行っていく。
彼女はそれに対して苦悶の表情ながら、首肯などで答えていた。

と、そこでようやく俺ははたと思い当り、少女の眼前にハンカチを差し出す。


「!」
「使え」


がしかし、俺の言葉に対し、は首を横に振った。
そのことにかっと血が上るが、少女はそのことに気づいたのだろう、 絞り出すような声で訴える。


だーてぃー……(汚いから)」
「「!」」


今にも死にそうな顔色をしているくせに。
そんなことに構っている余裕なんて、ないくせに。
汚すから、と。
そういう、訳の分からない気遣いの仕方をする奴を、俺は一人しか知らない。

日本人の少女の連れ。
それはきっと同じ日本人で。
友達というからには、多少雰囲気も似通うところがあって。
アイツの周りには、年齢関係なく友達がいて。


……?」


小さな呟きは、自分でも聞こえるか聞こえないかという物だったが、 スネイプがそれに、今頃気づいたか、とでも言いたそうに片眉を上げる。

そう、俺は多分、ただ連れの名前を少女に訊けば良かったのだ。
そうすれば、きっと。
こんなことにはならなかった。


「っ」


と、少女は一度吐いて落ち着いたのか、もう嘔吐くことはなくなった。
ので、俺は半ば以上強請するようにハンカチをの手に押し付ける。


「え……」
「良いから使え」


目を白黒させる彼女だったが、俺が頑として引かない様子だったために、 最終的には、それを口元にあてがった。
隠れる間際、


ありがとう、ございます


僅かに見えた口元は弱々しくも柔らかい笑みを刻んでいた。





いつだって、気づいた時には手遅れだった。





......to be continued