迷子の迷子のこねこさん。 貴女のお家はどこですか? Butterfly Effect、5 「さて……、出てきたまえ」 「っ!」 ひゅっと。 息をのむ、音がする。 けれど、それ以外は静かなものだ。 何本か通りを入るだけで、この狭い路地裏は別世界のよう。 喧騒は聞こえるが、遠く。 嫌でもお互いへと意識が集中する。 闇の奥に縮こまる少女は、大層小さく、華奢で、頼りなく感じた。 あるいはそれは、少女が男物のローブを被っていたからかもしれないし、 こんな呆れるほど狭い場所に身を潜めているからかもしれない。 路地の一角に積み上げられた木箱と建物の間。 明るい場所から見れば、なにも見えないと言っても過言ではない暗いそこで、少女は震えていた。 おそらく、見えはしないが、こちらを見るその瞳には怯えや恐怖といったものが覗いていることだろう。 それは、如何に自分が辛気くさいだの陰気だの不気味だのと言われていようとも、私個人に対する物、ではないはずだ。 「出てきたまえ。そこでは話も出来ん」 「っ」 再度、根気強く声をかける。 嗚呼、これでは傷ついた子猫を捕まえようとしているかのようだ。 こちらにそんなつもりはないのに、子猫は警戒して手当もさせない。 やっかいだと思いはするものの、しかし、このくらいはなんでもない。 あのブラックに吠え面をかかせるためなら、な。 「……あれは」 その少女を見かけたのはほんの十数分かそこら前のことだった。 魔法薬の材料を買い出しに来ていて、さあほとんど終わったな、と思った時のことである。 視界に、それはいけすかない男の姿がうっかりと入り込んできたのだ。 無造作を気取っている服装と髪に切れ長の目。 確かに整ってはいるものの、柄の悪さがにじみ出ている剣呑な表情。 天地がひっくり返っても気が合うはずなどない天敵――シリウス=ブラックだ。 もちろん、その姿を認識するや否や、自分でも拍手したくなるほどの機敏さで物陰に身を潜めたため、 奴は自分には気づいていなかったが。 (後ろ暗いところがないなら何故逃げただのなんだのと思う向きもあることと思うが、 奴はなにしろ、人を見ただけで攻撃を仕掛けてくるようなケダモノである。 そこが往来だとかなんとかはおそらくあまり関係なく、だ。 それなら、面倒ごとなど避けるに限るだろう。) 闇払いのくせに何故こんな昼日中にこんなところを歩いているのか知らないが、 奴は至極面倒くさそうな様子で、ダイアゴン横町を闊歩し私の横を通り過ぎていった。 隣に、素足の少女というなんとも奇妙な連れを伴って、だ。 年の頃は十代前半だろうか、この辺りでは珍しい東洋系の少女だった。 東洋系、というと、どうしてもどこかの馬鹿とか馬鹿とか馬鹿とかが浮かんでくるものの、 顔立ち自体はさほど友人には似ていない。 子猫を思わせるくりっとした吊り上がり気味の瞳に、血の気のない白い肌。 華奢な手足と、極めつきの無表情。 生き生きとした瞳が印象的なあいつとは、まるで真逆である。 だがしかし、何故だろう。 真逆であるが故に、その少女のことは目についた。 彼女は、その体に合わないぶかぶかのローブを羽織り、強ばった顔で必死にブラックの横を歩いていた。 正直、あれは人さらいか何かか?と思った自分は正常だと思う。 ブラックが闇払いであることを知らない人間がいたとするならば、通報することもやぶさかではなかっただろう。 その位、見るからに犯罪臭いツーショットだった。 無遠慮に少女の細い腕を掴んでいるのも、見ていて気持ちの良いものではない。 がしかし、あの男は腐っても名門一族の人間で、しかも闇払いなんていう花形の仕事についている。 道行く人の視線は、寧ろ少女に対して厳しかった。 おそらくはあんな姿でも犯罪に関わっているだとかなんとか、そんな風に考えられているのだろう。 でなければ、わざわざ闇払いがああして拘束なんぞするはずもない。 ……その闇払いがブラックでなければ私もそう思ったことだろう。 がしかし、賭けても良い。 あれは、今現在、闇払いではなく、シリウス=ブラックなのだ、と。 長年嫌々ながらもどういう訳だか顔を合わせる機会のある男だ。 まとう雰囲気が仕事中と明らかに違うことくらい、自分にも分かる。 そして、その証拠とでもいうように、奴は道の先でルーピンと立ち話を始めていた。 多少気になりはしたものの、まぁ、自分には関わり合いのないことだ。 さっさと別の道を通り、私はほとんどの買い物を済ませた。 残る買い物は一つだったので、帰りは漏れ鍋でフル―パウダーでも使うか、と店を出た瞬間。 「!」 獣のような怒鳴り声がした。 すさまじく聞き苦しい声である。 自分以外にも、通行人が何事かと声のする方へ顔を向けて。 「っ」 そして、がむしゃらに走り去る少女の姿を目撃した。 「……なんだ、あれは?」 一瞬過ぎて、顔などはまるで分からなかったが、素足という点であれは先ほどの少女であると推察される。 おまけに、少女が脇道に入るや否や、鬼のような形相で後を追うブラックがついてきたとなれば完璧だった。 「…………」 これは、ブラックたちから少女が逃げ出した、ということだろうか。 ブラックだけならまだしも、ルーピンからも逃げるとなると穏やかではない。 あれは、なにしろ大体の人間からは一見人当たりよく見える男である。 それからも逃げるとなると、少女はやはり闇の界隈の人間だった、ということか? しかし、それならば、さっきのブラックの態度が解せない。 怒気があろうとも、殺気はなかったはず。 それに、それならばこんな大通りを通るはずもルーピンに会わせるはずもない。 ならば、何故? あの少女は、なんだ? 「『』?」 その名前にも、わずかなひっかかりを覚えた。 自分はいつかどこかで、その名前を聞いたことがなかったか? それは、おそらくは好奇心。 自身に透明呪文をかけた後、ぶわり、と体をかすみのように変えて、空へと飛び上がる。 入り組んだ町ならば、上から見た方が遙かに分かりやすいからだ。 「…………」 そして、適当な建物の上から目を皿のようにして見て、数十秒後、私は一際喧噪に満ちた路地を見つけた。 少女はどうやら、ブラックから逃れることを目的としているらしく、路地から路地へ飛び込んでいた。 目的地に向かう場合は甚だ効率が悪いが、そうであればなるほど理にかなっている。 彼女が魔法を使う気配は、ない。 「……杖がないのか?いや、それとも、マグル?」 先ほどの、まるで体格に合っていないローブ姿をなんとはなしに思い浮かべる。 そして、隣にいたブラックの姿を。 奴はローブを着ていなかった。 まるで、隣の少女にそれを譲ったかのように。 今時、ローブも着ずにふらふら出歩く者もいなければ、わざわざ人に貸す者もいない。 そうしなければいけない理由でも無い限り。 となれば、可能性が高いのは……後者。 杖もローブも持たない魔法使いよりも、現実味のある推測だ。 良くも悪くもマグルがふらついていると目立ちすぎるため、奴は少女にローブを着せたのだろう。 (正直、効果があったのか疑わしいほど、悪目立ちしていたが) と、そうこうしている内に天は少女に味方をしたのか、 ブラックはその辺の通行人に盛大にぶつかってタイムロスをしていた。 (往来の邪魔をしているのはブラックなのだが、おそらくは凄まじく理不尽な言いがかりをつけていることだろう) と、少女はそのタイムロスを好機と見て、そこで足を止め、なにか作業をしだした。 上からではいまいちなにをしているか分からないが、積み上がった木箱に細工をしている、のか? それでブラックの足止めをしようというのだろうか? いや、しかし、それでもその作業時間のロスを考えればそれは無意味どころか逆効果に違いない。 「くそっ!」 と、彼女の行動を分析していたところで、ブラックが再度吠える。 血眼で追い掛け回すなど、少女相手に大人げないとは思わないのだろうか。 ……思わないのだろう。なにしろ奴自身大人とは言い難い。 そして、そんな風にブラックに気を取られた次の瞬間、私は予想外の光景を目にした。 「なに?」 少女が消えたのだ。 路地はおろか、その先の道にもその影は見えない。 一瞬、姿くらましか?と思いかけたが、しかし、それにしては様子がおかしい。 今、自分の目が確かなら。 肌色の何かが木箱の中に入っていかなかったか? しかし、ブラックはその木箱にはまるで注意を払う様子もなく、その横をすり抜けて別の路地へと入っていった。 「…………」 木箱からは目を離さないまま、ブラックの動向にも意識を傾ける。 すると、どうやら奴は少女を見失ったことに気づいたらしく、キョロキョロと見当違いの場所を見ていた。 やがて、ブラックが十分木箱から離れたところで、私はふわりと地上に降りる。 縦、横、幅、ともにそれぞれ1m程度だろうか、同じ大きさの木箱が雑然とそこには積み上げられていた。 激しく通行の邪魔だが、元々通る人間も多くはないのだろう、 薄汚れたそれは、そこに置かれてからしばらく雨ざらしになったような色合いをしている。 がしかし、だ。 その色合いも、均等なそれではない。 大方は、雨で痛んだような色合いになっているが、外と接触のない部分は元の木の色に近い。 そして、今、自分の目の前にある木箱は何故だか、その元の色が露出しているものがあった。 つまりは、この木箱はつい最近動かされた、ということ。 十中八九、少女がいることを確信し、それをブラックの奴に引き渡す瞬間を夢想する。 奴は恐らく、最高に嫌そうな苦虫を百匹は噛みつぶすような表情をするに違いない。 奴の仕事の邪魔をすることは簡単だが、後々のリスクを考えるならば止めた方が賢明だ。 それよりも寧ろ、恩を売ったふりをする方がよほど良い。 日頃、自分のことを毛嫌いしている男のことだ。 自分が私に手助けを受けた、などという事実は最悪の記憶となって奴自身を攻撃することだろう。 がしかし、そうした思惑を胸に木箱をどかそうと杖を向けた先から、 「ふっ……うっ……」 押し殺した泣き声が聞こえて、一旦手が止まる。 そして、その止まった瞬間をまるで狙い澄ましたかのように、聞き慣れた名前が耳朶を打った。 「……さ……さんっ!」 「!」 、だと? それは、さっきも頭をよぎった悪友のそれ。 東洋系であり。 奴の名前を呼ぶ少女? その意味するところに、私は杖を一度下ろし、少女がいるであろう隙間に向かって呼びかける。 「さて……、出てきたまえ」 「っ!」 がしかし、少女はまさか素直に出てきたりなどしない(当然だ) まず間違いなく怯えているであろう彼女に魔法を向ければ、恐らく二度と懐柔はできまい。 そう思い、仕方がないのでとりあえず少女の自由意志に任せることにする。 自分の予想が正しければ、この少女はの知り合いだ。 名前に聞き覚えがあったのも道理。 奴が口にしたのをなんとはなしに覚えていたからだろう。 「出てきたまえ。そこでは話も出来ん」 「っ」 となれば、奴が少女を追いかけている理由はともかくとして、保護するに越したことはない。 「安心したまえ。私はの知り合いだ。学校の教員でもある。 無闇に野蛮人に君を突き出すことはないと約束しよう」 「……きょう、いん?」 そして、辛抱強く少女の反応を待っていたことが効を奏したのか、 か細い声が木箱の影から返ってきた。 と違って英語ができないのか、なにを話しているかは分からない。 それでも、反応があったことから、言葉の選択は間違えていなかったようだ。 「先ほど、ブラックが君の名前を叫んでいたのが聞こえた。 以前が君の話をしていたのを覚えていたのでね。私でよければ力になろう」 できるだけ少女を刺激しないようにと意識しながら、再度姿を現すように促してみる。 すると、ゆっくりとだが木箱が動き、 その本当に狭い隙間から、声と同様か細い少女が不安そうに出て来た。 「…………」 と、あまりの格好に、自分の眉根が寄るのが分かる。 「っ」 少女がその形相に出て来たことを後悔するような表情を浮かべたが、 しかし、それが分かっていても、眉を顰めるほど酷い姿だった。 柔らかそうな手足はすっかり擦りむけ、血と砂で汚れている。 ローブで隠れているが、おそらくは見えない部分もそれは同様だろう。 頬もどこかで擦ったのか不自然に赤く染まっているし、髪はすっかり振り乱れている。 元々の細さも相まって、かなり悲惨だ。 本当に形振り構わずブラックから逃亡したのがよく分かる。 事情は分からないものの、その一点ですでに少女への悪感情はなくなっていた。 「……まずは、手当が必要だな」 「!」 手持ちの薬とナイフを懐から取り出し、私は少女が怯える前に自分の手の平を浅く切りつける。 そして、ぎょっとしたように目を丸くする少女に見せつけるように、薬を使ってみせた。 「なんで!?」 「意味が通じるかは分からんが、良いかね? これは傷薬だ。こうして傷に塗れば――たちまち塞がる」 「!まさか……実演、するために?」 みるみる塞がる傷に、少女が何事か呟く。 毒味と同じで、言葉が通じずとも意図は伝わったらしい。 少女の肩から一気に力が抜け、半ば崩れ落ちるように木箱の隅に座り込んだ。 その様子に手当ができそうだと判断し、私は杖をふるって少女を清めた後、 その痛々しい傷口に薬をすり込んでいく。 「沁みるかもしれんが、我慢したまえ」 「…………」 手当の間中、少女の視線を感じたが、余計なことを言ってもやっても警戒されるのがオチだろう。 少々不愉快だったが、好きにさせることにした。 そして、少女は大人しく手当を受けていたが、やがて包帯を巻き終わると、小さく口を開いた。 「……みすたー すねいぷ(スネイプ先生)?」 「!私を知っているのかね?」 「いえす(はい)」 こっくりと頷く仕草はどこか幼い。 しかし、まだ名乗ってもいない自分の名前を言い当てたということは、 私の特徴から推察を行った、ということ。 「から私のことを?」 「いえす(はい)」 その洞察力は、決して幼子のそれではない。 手当も終わり、すっかり様変わりした少女は、打って変わって理知的な瞳を私に向ける。 よりも淡い色彩と細い体はいっそ儚げですらあるが、 その静かな眼は、驚くほど硬質だった。 とはまるで違う個性に内心驚きながら、本題に入ろうとまずは少女の名前を尋ねる。 「私はセブルス=スネイプだ。ホグワーツで教員をしている。 君の名前は……で合っているかね?」 「いえす。まい ねーむ いず =(はい。私は です) いず まい ふれんど(さんは私の友達です)」 「そうか。ミス 。君は英語が話せるか?」 「あいきゃん すぴーく いんぐりっしゅ あ りとぉ(すこしだけ)」 どこか辿々しく聞き取りにくかったが、全く話が通じないよりは余程マシだろう。 そして、歯がゆいやり取りをしばらくした所によると、少女はとはぐれたとのことだった。 確かあの馬鹿は、ルーピンの束縛に嫌気が差して家出した、とかいう話だった気がするのだが。 ふむ。実家に戻って、ついでにマグルの友人をこちらに連れてきた、ということか? それで、無責任にも見失った、と。 一気に少女に同情する気持ちが起こるが、それは一旦横に置いておく。 今現在、問題とすべきはそんな少女をブラックが追っている、というその一点だ。 友人の友人を保護する、にしてはあまりに剣呑な表情だったが……。 と、ふと疑問が起こり、少女にひたと視線を向ける。 「……ブラックは、君がの友人だと知っているのか?」 「のー(いいえ)」 すると、ミス の表情は分かりやすく曇った。 明らかに後悔を覗かせるそれに、得心がいく。 つまり、ブラックはこの少女をただのマグルだと思っているのである。 なにしろ、ただ人種が同じというだけで、見た目も、おそらく中身もとは結びつかないし、 年齢だって、自分たちと同輩であると比べてしまうと、かなり離れているだろう。 自分だって、その口からあいつの名前が出て来なければ、気づかなかった可能性がある。 マグルが魔法界に紛れ込んでくることは、かなり珍しいもののなくもない。 そして、その場合は然るべき処置を受けさせ、適当な場所に放り出すのが常だ。 ブラックは当然それを行おうとし。 少女はそのことを察して逃げ出した、とそういうことなのだろう。 恐らくはからそういうことがあると事前に聞いていたに違いない。 (全く。あの馬鹿は機密保持法をまるで理解していないらしいな) つまり、先ほどまでの鬼ごっこはの友人だと言っていれば回避できた事態だった。 もっとも、見知らぬ異国で迂闊に人の名前を出すなど愚の骨頂ではあるが。 こうなれば、ここにが現れるのがなにより手っ取り早い解決法だが、 ミス によると、は完全に行方が分からないようだった。 「……はぁ。なにをやっているんだ?あの馬鹿は」 「…………」 思わずぼやきたくなるのは仕方がないだろう。 すると、少女は眉間を揉む私になんとも言えない視線を向けてくる。 と、互いに妙なシンパシーを感じた次の瞬間、 「出てこいっ!!」 「っ!」 その雰囲気を壊すように。 どうやらこちらに戻ってきたらしい、ブラックの声が遠くこだました。 すると、少女から一気に余裕がはぎ取られ、その顔色は傍目にも分かりやすいくらい悪くなる。 それを見た瞬間に、奴に少女を引き渡すという選択肢が消え失せた。 本当は、「少女はの友人であり、貴様が血眼で探そうとしているのはまるで意味のないことだ」と、 ブラックを嘲笑して奴らに少女を引き渡す展開もなくはなかった。 がしかし、である。 陰険だのなんだのと言われ続けてきた身ではあるが、 これほど怯える少女を更に鞭打つ趣味はない。 仕方がなしに、静かな声で少女に呼びかける。 「ミス 」 「!」 「私が信じられるかね?」 杖を向けた私に、少女はほとんど迷うことなく頷いた。 名前を聞いたら、すぐ分かった。 ......to be continued
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