コミュニケーションの大切さを痛感する一日。





Butterfly Effect、4





少女にはとにかく服をどうにかするとだけ告げて、ダイアゴン横丁へ足を踏み出した。
彼女に知り合いがいるのなら、こうして歩いている間に声を掛けられる可能性もある。
がしかし、やはりというかなんというか、自分達に声をかけてくる人間は一人もいなかった。
それどころか、それは奇異な視線がビシバシと突き刺さってくる。
……まぁ、ダボダボのローブを着た東洋の少女を引っ張っている男なんて、人買いか人攫いか、そんなものにしか見えないだろう。
が、オレは断じてそんなものではないワケで。
不快指数は凄まじい勢いで上昇中だった。
やっぱり歩きで来たのは失敗だったか、と鬼のような形相で考える。
明らかに不機嫌なオレの様子が分かるのだろう、周囲は遠巻きに見るものの、近寄っては来ないようだった。
がしかし、不快ではあるものの、ある意味好都合だったその沈黙を破る男がいた。


「あれ?シリウスじゃないか」
「「!」」
「その子はどうしたんだい?」
シリウス……?


よく耳に馴染んだ声に、ぴたりと足を止めて周りを見回す。
(急な動作に少女はオレの背中に顔をぶつけて目を白黒させていたが、それは無視した)


「ああ、ここだよ。ここ」


ひょっこっと、今まさに通り過ぎた店から出てきたのは、リーマスだった。
相変わらず甘ったるそうな菓子の山を抱えているところをみると、今日は買い出しにでも来ていたらしい。
がいなくなった後、少ししてやってきたリーマスは半狂乱だったのだが、今はまるで別人のように朗らかな態度だ。
どうやら、かなり心を落ち着けたようである。
ジェームズやリリーだけでは飽き足らず、ダンブルドアやらホグワーツの教師陣総出で対処したというのだから、 落ち着いてくれなければ困るのだが。
(ちなみに、俺は仕事があるからと逃げた)

が、にこにこと話しかけられても、オレとしてはそれに応えるほどの余裕はなかった。


「なんだ、お前か……」
「なんだはないじゃないか。随分不機嫌そうだね」
「まぁな」


ちらり、と、その不機嫌の元凶である少女を見やる。
すると、リーマスはなんとはなしに状況を察したらしく、膝を折って少女と目線を合わせた。
(こういう何気ない仕草を見ると、嗚呼、こいつ教師なんだな、と思う)


「はじめまして。可愛らしいお嬢さん?」
……ないすてゅーみーてゅー(よろしく)」


その人好きのする笑顔に騙されたらしく、少女はオレの背中から顔をだし、必死に挨拶をしようとしていた。
カタコトではあるが、かろうじて意味の通じるそれに、リーマスはますますにこにこと笑みを深める。
それは幼児が一生懸命話そうとするのを微笑ましげに見守るようなそれで――……


「って、オイ。お前しゃべれるのか」
「っ!あいきゃん すぴーく いんぐりっしゅ あ りとぉ(すこしだけ)」


おずおずと、自信なさげな態度だった。
が、まぁ、通じないことはない。
だったら、さっさと披露していればいいものをっ!と苛々とした視線を送ると、 少女は怯えたように背中に逆戻りしてしまった。


「ああ、ダメだよ、シリウス。いたいけな女の子をそんな風に睨みつけちゃ」
「睨みつけてなんかいないだろう。コイツが臆病なだけだ」
「君は自分の眼光の鋭さをもっと自覚した方が良いよ。
大丈夫。シリウスはちょっと柄が悪くて女癖も悪いけど、悪い人じゃあないからね」


前半はオレに向けて、後半は少女に向けて。
リーマスがそんな風にとりなすと、少女は未だ怯えたような様子ではあるものの、少し落ち着いたようだった。


「なにかよっぽど怖い目にあったのかな?
そういう時は甘い物でも食べた方が良いよ?あ、丁度そこでクッキーを買ったんだ。食べるかい?」
「……せんきゅー(ありがとう)」


あるかないか分からなかったさっきの笑みとは違い、ぎこちないながらも、少女はぺこりと頭を下げて微笑んだ。
明らかにリーマスに対しては警戒心を緩めている。
オレの時とのあからさまなその態度の違いに納得がいかないものがあった。
が、別にガキに好かれたくもなんともないので、まぁ、良いかと開き直ることにする。

と、そこで、オレは名案を思いついた。
このまま、この少女をリーマスに押し付ける――ごほん、任せるのはどうだろうか。
オレは仕事に戻れるし、少女はオレよりリーマス相手の方が話しやすいしで万々歳だろう。

なんと良い案だろう、と自画自賛していると、好都合なことにリーマスの方から話を振ってきた。


「ところで、本当にこの子どうしたんだい?名前は?」
「さぁな。知らん」
「知らんって……それは流石にどうかと思うのだけれど」


呆れたように言われて、確かに、という気もした。
が、必要がなかったのだから、仕方がないだろう。
それに、さっきまでは英語を少しでもしゃべれることすら知らなかったのだ。
訊く気が起きようはずもない。
ちろりと視線を向けると、急かされたと思ったのだろう、少女はやはり消極的に口を開いた。


まい ねーむ いず (私は と言います)」
「……聞こえんな。もっとデカイ声が出せないのか」
「っ」
「シリウス!すまない。この人はこう見えて耳が少し遠いんだ。「オイっ!?」
、で良いかな?」
いえす(はい)」
「私の名前はリーマス=ルーピンという。これでも学校の先生をしているんだ。
それで、こっちの人はシリウス=ブラック。悪い人を取り締まる仕事をしているんだよ」
「!……なるほど


ようやく、といった感じでお互いの名前が知れたところで、少女は何事かを呟いた。
それは、酷く思慮深げで。
嬉しそうな、でも、苦しそうな。
そんな表情で。


「?」


けれど、瞬きの内に、少女はその複雑な表情を消して、人好きのする笑みをその顔に浮かべていた。
だから、それは気のせいだと、思えた。
名前を名乗って、そんな表情をされる覚えが、オレ達には全くなかったからだ。
リーマスも気にしないことにしたのだろう、気がつけば、会話を最初の地点に戻すように口を開いていた。


「うーん。名前も知らないってことは隠し子じゃあなさそうだね?」
「なっ!」


正直、その戻し方はどうかと思うが。
お前は、オレがこんなでかいガキがいるように見えるのか!?
というか、似てないだろう!懐かれてもいないだろう!!

あまりの言い草に愕然としていると、リーマスはくすくすとひとしきり笑った後、「冗談だよ」と訂正した。


「でも、シリウスの場合ありそうじゃないか。若気の至りとかいう奴で」
「失礼な奴だな!オレが失敗なんてすると思うのか?」
「あはは。寧ろ失敗してない方が驚きなんだけどね」


本気で失礼な奴だった。
確かに、オレの生活態度も悪かったとは思うが、だからといってここまで言われる覚えはない。多分。
にこにこしてはいるものの、不機嫌指数はかなり高めなのだろう。
それもこれも、すべてのせいに違いない。
あの馬鹿が、家出なんかしやがるからだ。
端々に滲む悪意に、八つ当たりは勘弁してくれ、と心から思う。

がしかし、反論すれば間違いなく(オレの)血を見ることになりそうなので、その話は打ち切ることにする。


「コイツは夜の闇ノクターン横丁をふらふらとしていたんで、オレが保護してやったんだ」
「?夜の闇ノクターン横丁を??紛れ込んだのかい?」
「さぁな。とりあえず連れがいるらしいが、どこにいるか知れたもんじゃない。
さっさと着る物を調達してやって、魔法省に連れて行こうと思う・・・・・・・・・・・・・んだが」
「…………」
「……へぇ。つまりアレ・・を?」
「だろうな。迎えが来るならともかく、見逃されはしないだろう・・・・・・・・・・・


頭上で交わされる会話に、少女は目立つ反応をしなかった。
いや、寧ろ驚くほどに反応をしなかった、というべきか。
自分の話をされているのだ、もう少し不思議そうにするなりなんなり反応があっても良かったのに。
少女はこちらをうかがいつつも、会話はまるで聞いていないように無反応だった。
聞いているのかいないのか、どちらかというと、オレとリーマスの動作に気を配っているような印象だ。
だからだろう、オレは次の瞬間、うっかりと口を滑らせた後、彼女がとった行動への反応が遅れた。


「そこでだ。お前、今、時間があるか?
もしあるなら、この後のことを引き受けてくれるとありがたいんだがな。
服屋までなら良いが、なにしろ、まだ仕事中だ。魔法省まで行くのは面倒でな」
「……気はあまり進まないけどしょうがないね。それがこの子のためだし」
「あぁ。記憶がなくなっても・・・・・・・・・適当なところに連れて行ってくれるだろう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。『タイシカン』とか言ったか?」
「ああ、確かそんな名前の……」
――――っ!!


リーマスがそっと差し出した手を最初は取ろうとしていた彼女は、いきなり脱兎のごとくその場から駆け出した。


「な……っ」


さっきまでの、疲れ切っている様子からはとても考えられない機敏な動きに、 思わず目を瞠ってその背を見送ってしまう。
保護対象に逃げられる、なんて普通では考えられない。
一体どうして……と一瞬だけ考え、やがて先程の自分達の失言に気付いた。


『見逃されない』
『気が進まない』
『記憶がなくなっても』


マグルに分かるはずがないと思って言ってしまった、その言葉。
けれど、その不穏な言葉から、少女がなにか恐ろしいことを連想したとしたら?
逃げ出さない、はずがない。


「……チィッ!!」
「シリウス!」
「オレは追いかけてくるっ!お前はアイツが戻ってこないか見ていろ!!」


思わず見送ってしまったせいで、華奢な背中は角に消えるところだった。
それを追いかけて、大股に足を動かす。

これが、少女とオレとの鬼ごっこの始まりだった。





さぁ、マイナスからのスタートだ。





......to be continued