ここは誰かの晴れ舞台。 生まれて、死んで、旅立つための場所。 Phantom Magician 後日談 3 『……スティアっ……――ありがとう!』 瞬きの間に本来の姿を取り戻したは、すでに手が届かない場所まで落ちていた。 それでも、声が聞こえる。 ありがとう。 アリガトウ。 あたしだけの案内人。 と。 声なき声が。 鮮やかに。甘やかに。 とん、と温かな彼女の背中を押した感触が、手の平に残る。 それは、精神を蝕む悠久の世界の中で、唯一無二の物で。 ぎゅっと、溶けていくその温度をなくさないように握りしめた。 「……嗚呼」 こうなることは分かっていたし、知っていた。 けれど。 「実際、目の前にしてみるとやるせないものだね」 物憂げな溜め息を一つ吐き、 待ち望んでいた彼女が、無事に狼男のところに辿り着くことを願う。 そう、待ち望んでいた。 ずっとずっと、自分はこの場所で、彼女のことだけを待っていたのだ。 何年も。何年もずっと。 が自分の世界に戻ってから、ずっと。 だから。 『スティア、一緒に行ってくれる、よね?』 「僕は、行けないよ」 自分で自分を掻き抱くようにしながら、生まれて初めて泣き笑う。 我ながら情けない表情だとは思うが、なに、ここには自分以外の誰もいない。 少しくらい、自分をさらけ出しても良いだろう? ぽろぽろと溢れる涙を流れるに任せ、僕は心に響いてきた彼女の言葉を反芻する。 ――君が、君で良かった。 嬉しかった。 本当に、嬉しかったよ、。 自分を捨てて良かったと思えるほどに。 彼女がサラと呼ぶ男と自分で世界の『架け橋』を維持してきたなんて嘘っぱちだ。 その程度のことでこの場所が維持できるのなら、 サラザール=スリザリンはホグワーツを諦めたりなどしなかった。 「でも、君のそういうところ、やっぱり嫌いだ」 どうして、ばれたんだろう? 僕が、君と一緒に行かないことが。 自分のことで手一杯のはずなのに、 君はいつだって、そうやって人が一番隠していることを直感で見つけ出してしまうんだ。 実際は、が自分の世界に帰った後に、気が遠くなるような時間、自分がここを守ってきた。 現在で、過去で、未来の、この場所を。 いつか、狼男の元へ戻っていくのために。 最初に、狼男に出逢おうとしたのために。 そして、なによりも、生まれたばかりの『自分』のために。 「こういうのをタイムパラドックスって言うんだよね」 そうだ。 こうなることは分かっていたし、知っていた。 だって、僕は生まれてすぐ、未来の自分からそれを聞いていたのだから。 このなにもない世界で、独り佇むことを。 「そう、僕はずっと、知っていた」 彼女とくだらない話をしている時も。 ヴォルデモートと命のやり取りをしていた時でさえ、前提にこの終着地点があった。 本当はだから、こうなる未来を変えようと思えば変えられたのかもしれない。 辛くて、苦しくて、泣きたくなるこの未来を。 でも。 どれだけ辛くて、苦しくて、泣きたくなっても。 やっぱり僕はこういう結末を選んだ気もする。 全てはそう、彼女に名前を呼ばれた瞬間に決まっていたのだ。 スティア、と呼ばれた、あの時に。 「…………」 ゆっくりと目を閉じ、つかの間の暗闇に身を委ねながら、 僕はそっと、生まれたばかりの頃を思い出す。 この世界に生を受けた時、僕は『僕』でなく。 かといって、サラザール=スリザリンでも、蛇野サラでもなかった。 ただ、漠然とした存在で。 気がついたら、その真白の世界にいたのだった。 + + + + ぱちり、とその世界を見たことで『それ』は自分という存在を知り、 ゆっくりと首を傾げた。 「ここはどこ?」 思わず漏れた声に、自分で驚く。 これが、自分の声。 知っている?いや、知らない? よく分からない。 ただ、自分で発した問いへの答えは、自分で持っていた。 知っている。 ここは『世界の架け橋』だ。 「世界?架け橋?」 数多ある人々の共通意識の中にあるコミュニティー。 全ての始まりであり終わりである場所。 あらゆる可能性へ至る道程。 疑問に対し、自身の内側ですぐさま答えがはじき出される。 それは、バラバラな『僕』という要素を一つひとつ確認して統合するような作業だった。 「どうして、ここにいる?」 『彼女』の為に。 「彼女?」 。 サラザール=スリザリンの世界を変えた者。 『僕』の生まれた意味。 「サラザール……っ?」 自分の前身である男の名前を呟いた途端、頭の中に男の記憶がなだれ込んでくる。 それは、酷く滑稽で、苦痛に満ち、それでいながら不思議なほどの温かさがあった。 幽鬼のように彷徨っていた子ども時代。 かけがえのない親友。 彼らと生み出した美しい箱庭。 そこを去る決意。 置いてきた者。 手に入れた奇跡。 一緒にいたいと望んだ少女。 自分の記憶のようで。 どこまでもスクリーンを隔てたように遠い記憶。 その膨大さに、僕の意識は気が付けばまどろみの中を漂っていた。 + + + + 一体、どれほど経ってからだろうか。 不意に、僕の意識は浮上した。 「…………」 おはようと言ってくれる誰かがいた訳でもないけれど。 ぱちぱちと、寝起きのように瞬きを繰り返す。 おまけにあくびまでしてしまい、目の端には涙が浮かんだ。 と、それを拭おうとして、その手が黒い毛皮で覆われていることに気付いた。 「これは……僕の手?」 『僕』。 それは自分を指す言葉。 では、『自分』とは『僕』とはなんだ? サラザールであって、サラザールではない存在。 そう、『僕』には、サラザール以外の誰かの記憶があった。 『わー、可愛いー!』 サラザールの物のように鮮明ではない。 『えっと、なにか食べ物持ってたっけ?』 『食べ物あげちゃ駄目なんじゃなかったっけ?』 『まぁ、そうだけど。お前、親はどうしたの?はぐれたの?』 サラザールの物のように膨大でもない。 『こんな小さい内にはぐれたら死んじゃうよ』 『怖いこと言わないでよ、ぐりの馬鹿!』 『いや、だってさー……』 でも、ほんの僅かでも。 『安心しろ。あっちで母親が様子見している』 『あ、本当だ!あんまり似てないねぇ』 大切な。 大切な記憶。 『これ食べる?さきいかならいけるんじゃない??』 『いや、やっぱり猫用の買ってきた方が――……』 『牛乳ならその辺に――……』 優しい手の感触。 かけられた言葉のぬくもり。 あの時、母を探しに出なければ、きっと、全ては違っていた。 痛くて。 苦しくて。 辛い、生。 それが、自分の一度目の命。 ほとんど全てが『空腹』に占められていたけれど。 他のことなんて、覚えていないくらいだったけれど。 ほんの僅かな邂逅が、忘れられなくて。 『 』 命が火が消えかけた刹那、自分は確かにあの手を求めた。 そして。 『生きたいか?』 かけられた、悪魔の誘い。 銀色のそれは、死にゆく自分の前に膝を着いて、そう問うた。 それは求めていた手ではなかったけれど、 でも、その手を取ることを、自分は選んだ。 たとえ、そのために、魂を売ることになろうとも。 『生きたい』 それが、もうひとりの『自分』がただ一つ願ったこと。 「僕は……」 生きるために、目的を与えられた。 の心を、体を、守る盾。 彼女の望みを叶え、彼女を決して裏切らない駒。 たったそれだけのためにこの体は、魔力は、与えられた。 もちろん、そこに制約はない。 如何に生みの親とはいえ、別離した時点でサラザール――いや、蛇野サラと自分は別物だ。 その行動を監視することくらいならできても、何かを強制することはできない。 「僕は、どうしたいんだろう」 ただ、この時点で、自分にはやりたいことはなかった。 やるべきことは、前身に与えられていたけれど、それはやりたいことではない。 やりたくないことですらない。 記憶はあっても、思い出のない自分には、なにもなかった。 そして、半ば以上途方にくれていた自分の前に、突然『それ』は現れた。 「おはよう。セレスティア=スリザリン」 『それ』は金糸のような髪に、漆黒の瞳の人間だった。 顔立ちはサラザールのそれよりも柔和だが、 どこか皮肉げな笑みが、サラザールによく似ている……。 間違いなく初めて見る顔なのに、しかし、自分はそれを瞬時に理解した。 これは、サラザールでも『自分』でもない、『僕』自身の姿だと。 変わろうと思えば、いつでもその姿になれる自分に、僕はこの時初めて気が付いた。 僕には二つの姿があるのだ。 己が二人いるという奇妙な現象に首を傾げたものの、 しかし、自分が口に出したのは別の疑問だった。 「せれす……てぃあ?」 それが、僕の名前? 「そう。僕たちの名前だ」 「…………」 「なにか言いたそうだね?」 「……『神々しい』とか、ご大層な名前だね」 「全く同感だ」 うんうん、とどこかコミカルに頷く『僕』。 それは、今の自分と同じようでも、なにか違う仕草だった。 僕らは同じはずなのに、一体なにが違うというのか。 考えてみるが、まるで分からない。 「難しい表情をしているね。まぁ、それはきっと後で分かるさ」 「後で?」 「そう、ずっとずっと後で」 『僕』はにこり、と、笑っているくせに、今にも泣きそうな表情だった。 そして、彼は、その悲しい瞳のまま、僕に『これから』を語る。 この後、僕はここでと出会い、リーマスーJ=ルーピンと共に暮らし、 やがて、過去の世界でサラザールの子孫であるヴォルデモート卿を倒す、という『これから』を。 「一応、忠告しておくけれど。できることなら『鏡』は見せないで欲しいかな」 「鏡?鏡って……なんの鏡?」 「みぞの鏡だよ。それを見たらは、自分でヴォルデモートを倒しに行ってしまうから」 「?でも、それが未来なんだろう?」 「そうだよ。でも、僕は違う未来がよかったんだ」 彼女が鏡を見なければ、歴史は成り立たなかった。 でも、もしかしたら、見なくても、成り立ったかもしれない。 相反する言葉を、『僕』は口にする。 「思い出はあげられないけれど、『君』に僕の持つ知識をあげよう。 『僕』は『君』だけど、『君』が『僕』になる必然はないんだから」 「?」 ぽん、と気軽に杖を手渡され、同時に頭の中に言葉の羅列が踊りこむ。 「っ」 映像も感情も伴わないそれは、未来の情報だった。 一度に、さまざまなことを詰め込まれたために、視界が一瞬、ホワイトアウトする。 「じゃあ、彼女を頼むよ」 そして、その瞬間を狙いすましたかのように、もう一人の『僕』はそう言って、跡形もなくいなくなってしまった。 その意図するところが、同じはずなのに、今の自分には理解できない。 そんなことが、あるはずがないのに。 「頼むって言われても……」 彼は、感情という動機を、自分には与えてくれなかった。 守る者も手段もあるけど、守る気がない自分。 やることも手段も分かっているのに、目的がない自分。 なんて滑稽で憐れな存在か。 「それじゃあ、人形となにも変わらないじゃない」 思考は格段に成長したものの、求めていたものが得られず、僕は地団太を踏む。 いっそ、ここさえ出たら、とかいう子を見捨てて、第二の人生を歩むのも手かもしれない。 (流石に、本人も知らぬ間に送り込まれたようなので、ここに見捨てて行くのは酷だろう) となれば、善は急げとばかりに、僕はを探すことにした。 といっても、周囲をぐるっと見回した位のものだ。 真白のここは、異物があればすぐに分かる。 と、何回目か首を巡らした時、ふっと視界になにかが映りこむ。 「あ……」 それは、少女だった。 事前に知っていたことだが、実年齢よりは大分幼い。 小さな彼女は、ぼんやり座り込んでいたかと思えばおもむろに立ち上がり、どうやら現状の把握に努めているようだ。 がしかし、彼女は前方ばかり見回したために、どうやら背後にいる自分にはまるで気づいていないようで、 ここになにもないことを知ると、途端にぐでん、とその場に寝っ転がった。 「!」 この、床だか何だかよく分からない空間に横になるその神経に、開いた口が塞がらない。 普通もっとパニックになるなり、現状を打破しようとするなり、なにかしらやるだろう!? なんで寝るんだ!?そんな無防備に!! 一体なにを考えているんだろう、と、意識をこらしてその心を覗き込む。 最初こそ、チャンネルの合わないラジオのようにノイズだらけだったそれは、 ふっと、ある一点でとても綺麗な声になった。 (嗚呼、マジあのお局どっか異動にならないかな……。 おかげで最近寝不足なんですけど。 もう良い。こうなったら土日全部寝て過ごしてやる……!) 「…………」 内容はとても綺麗なものではなかったが。 ええーと、職場のストレス溜まってる……のかな?? いや、でもここで寝られちゃうと、僕もどうして良いか分からないっていうか。 とにかく、僕だってこんなところにずっといるの嫌なんだけど! 無理に起こすのも可哀想かと思って数分待ってみたが、 彼女はまるで起きる気配がなく、寧ろ本格的に寝始めそうな感じだった。 なので、すぅっと大きく息を吸うと、生まれて初めて大声を上げる。 「寝るなーっ!」 その後、どうにかこうにか起こしたは、 いきなりグーパンしてくるわ、テンション低いわ、現金だわで、 初対面の印象としては、最悪に近いものだった。 どう考えても、僕が献身的に守ってあげるようなヒロインタイプの子ではない。 サラザールはの心が読めなかったものだから、この子がここまで阿呆とは思っていなかっただろう。 一途なところはあるが、見目の良い人間にころっと引っかかりそうだし。 夢見がちなのかと思いきや、案外に世知辛いし。 なら、薄情かというと、変なところお人好しで。 何故だか放っておけなくて。 どうしてだろう、傍にいればいるほどに、僕の中でという存在が大きくなっていった。 だから、彼女を守るのは、僕の意志だ。 誰に言われたからでもない、僕の自由意志。 恋愛感情かと問われれば、よく分からないというのが本音だが。 「僕が、君を守るよ」 主人のために駆け抜けた黒猫のように。 君の心を、僕は守ろう。 それは、僕がした唯一の誓い。 その先に待つのが彼女との別離でも、そうでなくても。 僕は、ただ君と共に往こう。 今の僕にはただの牢獄に見えるとしても。 ......to be continued
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