君は優しくて優しくて。 Phantom Magician 後日談 2 瀟洒なレストラン。 本来であれば和やかな談笑が響くはずのそこに、しかし横たわっていたのは重苦しい沈黙だけだった。 自分がサラザール=スリザリンであること。 強すぎた『力』が制御できずに苦しみ、この世界にやってきたこと。 それを救ってくれたのがであること。 かいつまんで己の境遇を話し終えた後、は無言だった。 彼女の胸中はかなり複雑なのだろうと思う。 自身の友人が、二次元と思っていた場所からきたなどと、現実に起これば笑い事どころではない。 ただただ、困惑するだけだ。 けれど。 彼女は私の話を黙って聞き続けてくれた。 どれだけその話を胡散臭く感じようと、信じられなかろうと。 真摯な表情で、聞いてくれたのだ。 それだけで、どれほど私は救われるのだろう。 「信じられないとは思うが……。私はこの世界の人間ではない」 「…………」 「今まで黙っていて、本当にすまないとは思っている。 どうしても、自分でも言葉が見つからなかったんだ……」 正直、「異世界から来ました」なんて自分で言っていて馬鹿馬鹿しいのだ。 他人から言われたらと思うと、想像するべくもない。 と、私の心からの言葉に、そこでようやくが顔を上げた。 その表情は、なんというか、酷く面倒臭そうというか、かったるそうというか。 強いて、どうでもよさそうな調子を作っているかのような、それだった。 「いや、うん。正直、それはそうだと思うけど」 不意に、私は奇妙な恐怖が突きあげてくるのを感じた。 自分は、という人間を知っている。 彼女は気づいていないが、その心の内を、誰よりも。 不可抗力とはいえ、ずっと傍らにあったその心を、自分は見続けていたのだから。 けれど。 けれど、今この瞬間、彼女の心を私は覗いていない。 と出会って、力の制御を手に入れた後は、 彼女を含め、誰の心も覗かないと、私は決めたのだ。 ならば、彼女が私という存在を否定することがないとは言い切れなかった。 そんなこともあるだろうとは思っていたし、覚悟もしていたつもりだ。 けれど、実際には。 そんな言葉を聞きたくなどない。 心の内に転がり込んできた氷塊に、表情が一瞬だけ強張った。 その表情には目を留めたが、気にすることなく口を開く。 そして、続けられた言葉に、私の思考は停止した。 「正直、『そうなんだー』以外の言葉が見つからないんだけど。 でも、うん。別に謝る必要はないよね?」 なに……? 「ようは出身地を秘密にしてたってだけでしょう? まぁ、そりゃあビックリはしてるし、半信半疑って言えば半信半疑なんだけど」 なにを……。 「寧ろ、あれだよ。そんなことわざわざ言ってくれて嬉しいっていうか。 サラにしてみれば、一大決心で言ってくれたっぽいし。反応薄くて悪いんだけど。 ええと、とにかく――……」 ――私とサラは友達ってことで良いんだよね? 目線を外した状態で、彼女はそう言った。 傍から見ればぶっきらぼうにも思える声色だったが、私には分かる。 「……」 「っていうか、この場合サラって呼んで良いのかな……。 でも、今更『僕の本名サラザールです!』って言われても急に変えられないし。 うん。略してサラってことで。これからもそう呼ぶからそのつもりで。良い?良いよね?」 「…………」 少し、早口で言い募る彼女はただ、照れ隠しをしているだけなのだと。 嗚呼、だから。 こんな彼女だからこそ、私は。 「やっぱり、私はのことがスキだ」 彼女と共にありたいと、願うのだ。 がしかし、心からの言葉に対するの反応はやはり薄かった。 「ああ、うん。知ってるよ。 そもそも、サラが嫌いな人間とこんな風に一緒にいるとか、まずないでしょ」 「……確かに、その通りだな」 あまりに淡々と、なんでもないことのように流されてしまい、 もう少し照れるだとか驚くだとか、もう少し潤いのある反応はなかったのだろうか?と首を傾げたくなる。 思わず苦笑さえ浮かぶが、それによって私の強張っていたはずの表情筋は見事に緩んでいた。 それとともに、空気までふっと和らぎ、ようやくにも笑顔が戻ってくる。 「で、その話がさんとどう関係するの?」 「……ああ、それはだな」 私は、ようやくそこで、恩返しのつもりでをホグワーツへ行かせ、 そこで彼女はハリー=ポッターに成り代わって世界を救ったという経緯を聞かせた。 細かい部分は分からないが、これでもセレスティアの目を通して成り行きを見守ってはいたのだ。 大方の話の流れは承知している。 驚くほどの長話になってしまったが、 しかし、元々読書好きなは要点を掴むのも早く、大体のことをすぐさま飲み込んでくれた。 「――…ということで、今はあちらの世界に戻って行ったところだな」 「そんなにポンポンと異世界とかいうところに行けちゃうの?」 「ポンポンという程気軽にではないがな。『道』さえ維持できれば比較的楽に行ける」 そう、維持さえできるならば。 含む所のある物言いに、は一瞬なにか言いかけたが、すぐに気を取り直して、 話の中核へと切りこんでくる。 「まぁ、とにかく、さんはルーピン先生にまた会えるんだよね?」 「ああ。そのはずだ」 穏やかに微笑みながらそう告げれば、彼女はほっと安堵の息を漏らすが、 しかし、同時に私の言葉を思い出したのか、不安そうに表情を曇らせた。 「だったら良かった……けど」 「けど?」 「……さんは自分の手で分霊箱を4つ壊したんだよね?」 「ああ」 ヘルガのカップにロウェナの髪飾り。 私のロケットとゴーントの指輪。 「それで、ヴォルデモートを倒した?」 「そうなる」 「でも、4階の廊下にはフラッフィーがいる?」 「いるな」 「じゃあ――……」 ナギニはあのハロウィンの晩にはまだ分霊箱ではないから除くとしても。 「ヴォルデモートは、まだ生きているね」 疑問ではなく、確信に満ちた言葉。 論理的に組み上げられたその解答に、私は口の端を歪めることで応えた。 「その通り。ダンブルドアはすでにそのことを察している節もあるしな」 「ただ、さんは気づいてない?」 「まぁ、気づいてないだろう」 自身、疑問に思ったことはあるだろうが、日々の忙しさで恐らく忘却の彼方だろう。 だが、考えてみれば、別に難しいことはなにもない。 何故、4階に禁じられた廊下が存在しているのか? 賢者の石を狙う存在があるからだ。 何故、それなのにハリー=ポッターの箒が呪われなかったのか? ハリ=ポッターが闇の帝王を退けた『生き残った男の子』ではないからだ。 「の言う『ハリポタ世界』で、ハリー=ポッターは英雄ではない。 幾ら闇の帝王を打倒すると言われようが、現時点ではただの子どもだ。 自分を退けた存在より優先してまで殺そうとはしないさ」 「……だよね。ただ、そうなると……」 目線だけで、彼女の言いたいことが分かり、先回りするように言葉を紡ぐ。 「『ヴォルデモートはを襲うんじゃないか?』」 「うん……。とりあえず今までは大丈夫だったみたいだけど……」 揺れるように彷徨う瞳には、友人を気遣う心と、恐怖が浮かんでいた。 なので、殊更安心させるように笑みを浮かべたまま、一応のフォローを試みる。 「そこのところは難しいな。 なにしろ、基本的にあの世界の人間はを覚えていないようだから」 「!……だけど、ヴォルデモートには忘却術をかける暇なんてなかったでしょう?」 「それはそうだ。まさか倒した相手、それも雲散霧消した相手に忘却術はかけられない」 「だったらっ」 「が、それは忘却術をかけていれば、だな」 「え?」 私の口ぶりのせいか、それともセレスティアの黒幕体質のせいか、 はどうやら、同様、セレスティアが忘却術をかけて回った、とでも思っているようだが。 私の考えでは、そうではない。 ので、記憶も記録も残さず消すような、そんな魔法は千年前も聞いたことがない、と私は告げた。 「そんなことができたら、それはもう人間ではないさ」 「でも……。じゃあ、どうして?」 「簡単な話だ。人間には不可能なことなら、人間以外の仕業と考えれば良い」 「!」 宇宙意思でも、神の見えざる手でも、表現はなんでも良い。 世界には、人間の思惑などまるで斟酌しない、 けれど明らかになんらかの意図を持った大きな力がある。 「はあの世界に存在を許された異邦人だ。 だから、滞在中はなんの制限も受けることがない。 予定通り現れて、予定通りいなくなった。 がしかし、なにしろ世界に与えた影響が大きすぎたんだな。 がいなくなったことで動かなくなった『歯車』が幾つもあったんだ」 「!」 世界としては、動くべきものが動かなくなってしまえば、崩壊すら招きかねない。 「その『歯車』――人間達にとっては必要不可欠なものになってしまっていた。 そこで世界がどうしたかというと、という人間の重要度を徐々に下げることにしたんだ」 まずは名前を消して。 次には記録を消して。 記憶の拠り所を、全部奪ってしまえば、後は曖昧になるばかり。 全ては時の流れにさらされて、風化して、なくなってしまう。 「自分の記憶ほど信用できないものもないもんね」 打てば響くような相槌は、なんとも教え甲斐のある生徒のようだった。 「あれ?でも待って。確か、ダンブルドアのところにさんからの手紙があったんじゃなかった? あれも立派な記録じゃないの?」 「もちろんだ。だが、言っただろう?徐々に存在を消す、と。 ――闇の帝王を倒した存在の、唯一の証拠がその手紙だ。 それがなくなってしまうと、『徐々に』ではなくなってしまうんだ」 「いなくなった事実はあるんだから、手紙はなくても良い気がするけど?」 「それだと、闇の帝王が身を隠した可能性が残ってしまう。 手紙は闇の帝王がいなくなった事実、の証拠でもあるのさ」 おそらく、闇の帝王がいなくなったと確証できるほどの時間、 まぁ何十年も経った頃になれば、手紙自体が何故か紛失して、 スケールの大きな隠蔽工作は終わる、というところではないだろうか。 ある程度話を聞き終わったは、 「……はぁ。分かるような分からないような話だね」 と、首を傾げた。 無理もない。 魔法やら不思議やらと慣れ親しんでいる自分も、 なんとなくそうであろうという推測を、無理やり言語化して口にしているにすぎないのだから。 (もしかしたら、全く見当外れの理由なのかもしれない) ちっぽけな人間風情にできるのは、その程度なのだ。 「でも、それならさんは安全なんじゃない? どうして、はっきりそう言えないの?」 「そう、恐らくヴォルデモートにの記憶はなかったはずだ。 とりあえず、これまでは、だが」 「え?」 恐らくハリーが入学した段階でヴォルデモートはが分からなかったはずだ。 一番最初に、がハリー=ポッターのいる時代に舞い降りた時は、 周囲が彼女を『“名もなき魔法使い”の娘』として認識していたから。 本人にも『名もなき魔法使い』としての自覚などなかったため、問題は起こらない。 と、名もなき魔法使いは矛盾なく同じ空間に存在できた。 リーマス=ルーピンでさえ、の細かい記憶がなかったほどなのだ。 自分を打ち負かした??という怒涛の印象が残る人間であっても、 ヴォルデモートがの詳細を覚えていられるとは思えない。 (寧ろ、クマのぬいぐるみやらセレスティアのことの方が忘れられないだろう) が、しかし。 がとしてまたあの世界に戻るとなれば話は別だ。 名もなき魔法使いという存在が。 替えのきかない存在が、目の前にいるのに分からないはずがない。 そうなると、存在の重複を避ける為に、よく言えば一途に(悪く言えばしつこく)、 のことを断片でも覚えていた人間は、彼女のことを思い出す可能性がある。 そうなれば、は危険だった。 「だから、万が一の保険のために、トム=リドルを復活させようかと思う」 「え??なんでそういう話になるの??」 「いつまでも奴に分霊箱でいられると、こっちが困る。 だが、野放しにして良い存在かというと、それは違うだろう? なら、奴にはの護衛になってもらおうかと思って、な」 最後にして最初の分霊箱。 それさえ破壊できていれば、ヴォルデモートは完全に死んでしまっていたことだろう。 けれど、はそれを破壊できなかった。 そして、セレスティアが破壊したかどうかの確認を怠った。 それが、ヴォルデモートの明暗を分けた、一つの失敗。 なら、自分は精々同じ轍を踏まぬよう、準備をするだけだ。 「……そう簡単に味方になってくれる性格だと思えないけど」 『護衛』という言葉に、怪訝そうな視線が留まるところをしらないだった。 まぁ、自分としてもこれは賭けになる。 なにしろ、自分では逢ったことのない相手なのだ。 自分を封じる原因となった少女を護れ、と言って素直に聞いてくれるとは思えない。 だが、を守る人間は必要だ。 自分はもちろん全力を尽くすつもりがあるが、 それでも、セレスティアのように万全の護りが敷けるかというと難しい。 セレスティアの力がまるで使えない現状、少しでも切り札は多い方が良いだろう。 「そもそも、リドルの日記は今どうなっているの?」 「実際に確認してみなければなんとも言えないが、 今は『必要の部屋』と呼ばれている場所にあるだろう。 身動きもできない、かといって眠ることもできないような状態で」 他の人間が操られたり魔力を奪われたりしないように、予防策も幾つか張り巡らせていることだろう。 そうなれば、トム=リドルは手も足も出すことができず、ただ時間が過ぎるのを待つばかり。 それは正しく、生き地獄と呼ばれるのが相応しい孤独。 罪の重さがどの程度かは分からないが、 それでも、奴の過ごした時の残酷さには、思うところがないでもない。 がしかし、トム=リドルをそうして生かすことによって、 ヴォルデモートの存命が確定することを承知していたは、理解できないとでも言うように眉を顰めた。 「どうして、そんなことを?」 「それは本人に訊くしかないな。ただ、推測はできる。 表向きの理由としては、ハリー=ポッターのいる時代でフラッフィーがいたことから、 セレスティアは未来を変えることを避けた、というのが有力だな」 現在と未来というのは、非常に危うい均衡で成り立つ物だ。 未来で生きているはずのヴォルデモートを殺すことによって、 一体どんな歪が生まれてしまうのか、人間如きには想像もしえない。 それで、に対しての不利益が出ることを、彼は嫌った。 「じゃあ、裏向きの理由は?表があるなら、裏もあるんでしょう?」 「……セレスティアは、惜しんだんだろう」 己と同じ自我を持った分霊箱を。 化け物が改心できるかもしれないという可能性を。 セレスティアは、以外の人間に対して優しくもなければ、愚かでもない。 けれど、それでも情けを持たない訳では決してない。 まして、相手は一歩間違った自分自身とも言うべき相手だ。 「私には、それを間違いだったとは、口が裂けても言えない。 だが、セレスティアを生み出したのは私だ。 その責任は取らなければならないだろう」 だから、私もホグワーツへ行く。 ようやく、そう核心を告げると、は酷く静かな瞳でこちらを見つめていた。 冷たくもなく。 熱いわけでもない。 ただ、そこには硬質な光があるだけだった。 「それは……ヴォルデモートを倒しにって解釈して良いのかな?」 「ああ。賢者の石を狙って奴が動いている時点で、現在と過去は繋がった。 その後に、私がヴォルデモートを倒せばなんの齟齬も生まれない」 物理的になんの障害もない。 がしかし、そんな私の言葉に、彼女はしかし、酷く悲しげな表情をしていた。 「自分の子孫なのに?」 そこに、言いようのない情愛を感じ取り、私は彼女を安心させるために微笑みを浮かべる。 「!」 「……自分の子孫だから、だ」 本当だったら、血の繋がりがあろうが、千年も後の子孫なんてどうでも良い。 身近とも思えないし、それよりも自分の友の方が遥かに大切だ。 けれど、ヴォルデモートだけは自分の手でケリを付けなければいけない存在だった。 自分が純血を奨励したせいで、残虐性と魔法力ばかり高めた末の子。 自分がホグワーツを去ったせいで生まれた確執から、歪んだ純血主義に行きついてしまった自寮の少年。 自分がバジリスクに子どものことを託してしまったせいで、人を殺してしまった闇の帝王。 その所業の罪は、もちろん本人の物だ。 けれど、サラザール=スリザリンがなにも悪くないなどということはない。 自分のやったことが積み重なって、子孫が行き着くところに行き着いてしまったのだ。 ならば、あと自分ができることといえば、そんな彼を倒してやることだけ。 他ならぬ、彼が憧れたサラザール=スリザリンが、全力を持って殺してみせよう。 「それが、せめてもの手向けというものだろう」 「…………」 私の決意が固いことを見て取ると、は痛ましげに目を伏せるだけだった。 「私に手伝えることは……なさそうだね」 「……ああ」 肯定を返しながらも、内心では彼女の言葉を否定する。 本音を言えば、そうではない。 彼女が手伝ってくれるのならば、自分への危険度は格段に落ちることだろう。 自身は気づいていないし、この魔力の薄い世界にいる限り、気づくこともないのだろうが。 その身に宿る魔力は甚大。 あちらの世界にあれば、全盛期の自分にさえ匹敵するかもしれないほどの。 素晴らしい才能を、目の前の彼女―― は持っていた。 ただ、この世界では、過ぎた力は災いでしかなく。 無意識に封じ込めることで、彼女はその身を守っていた。 魔法は、自分の魔力で自然の魔力に働きかけるものだ。 しかし、この世界は魔力が満ちていない。 自分でさえも、何日も魔力を溜めて、ようやくまともな魔法が使える程度の場所なのだ。 そんな中、魔法の構造も分からない人間がそれを使おうとすれば、 心身共に大きな負荷がかかったことだろう。 そんな彼女があの世界に行って魔法を覚えれば、大きな戦力となってくれるのは間違いがない。 けれど、それは私の立場からの物言いで。 彼女の立場からしてみれば、嫌いな争い事に巻き込まれるのは必至。 しかも、世界が違うせいで質の違う魔力は、下手をすると力のある者の関心を引きかねないという、 危険極まりないものなのだ。 彼女の性格上、そんな危険なことは承諾しないことだろうが、 それでも、断ることに罪悪感を抱きかねない。 ならば、そんなもの、最初からしないに限る。 「言っては悪いが、足手まといになりかねないな」 「だよねぇ。じゃあ、私は大人しく留守番をしているよ」 だから、さんをよろしくね? 少し寂しそうに、やる瀬なさそうにそう言った彼女に、 私は頷きを一つ返した。 決して連れてなど行けない旅路だったんだ。 ......to be continued
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