ここは魂を映す鏡。





Phantom Magician、211





気がつけば、あたしは何一つない空間に座り込んでいた。


「……ここ」


とりあえず立ち上がって周りを見回してみる。
うん。何もない。見事にない。真っ白。
人間、何にもないと行動のしようがないんだけど、どれだけ見たってないものはない。


「…………」


明るい靄の中で立ち尽くす自分は、小さな姿も相まって、 なんだか某有名猫型ロボットアニメの主人公みたいだな、と思う。
彼は本人も意識しないままその靄を通り抜けて、楽園のような世界に迷い込むのだ。


「もっとも、あれはピンクの靄だったけどね」


ねぇ、スティア?

絶対にそこにいるであろう相手に、声に出さずに呼びかける。
そして、あたしは、目を閉じて、一度大きく深呼吸をした。
すると、心得たもので、目を開けた瞬間には、そこに彼が立っていた。
相変わらず、金の髪はきらきら光っていて、そっと持ち上げられた唇は芸術品のようだ。
黒猫の時は闇の中で浮かび上がっていたように、ケーの姿の時は光の中でその姿が浮かび上がっている。
そして、花のような口元が柔らかく綻んだ。


「寝ないでよ?
「寝ないよ。そんなもったいない」


釣られて微笑みながら、手を伸ばす。
あたしよりずっと高い位置にある彼の顔は、触れればとても温かかった。
幻などではありえない。
白昼夢としても、あまりにできすぎた温度だった。

そして、夢の世界の住人は僅かにかがみながら、あたしの手をそっと自身のそれで包み込む。


「待ってたよ。君が呼んでくれるのを」
「…………」
「君が苦しんでいるのは、分かりきってた。
でも、僕はここを維持するためにもここに居なきゃいけなかったから。
だから、待ってたんだ。君が僕を必要とするのを。
世界を繋げることのできる一瞬を」


スティアは語る。
ここは世界の『架け橋』なのだ、と。
無限にある世界の中で、あたしの世界とあの人の世界を繋げる唯一の場所。

サラザール=スリザリンが最初に作った『架け橋』は、維持ができずになくなってしまった。
でも、それと同じにしてしまうと、あたしはもう自分の故郷に帰れなくなってしまう。
だから、サラはスティアと魂を繋げることで、その『架け橋』を細々と守ってきた。
あたしが帰って来れるように。
常に一定の魔力を注ぎ込んで。

あたしが元の世界に戻った後は、スティアがここに残って。
あたしの為に、選択肢を残していてくれた。


「早めに来てくれて良かった。
あんまり遅いと、向こうでは何十年も経過しちゃう所だったからね」
「あー……浦島太郎的な?」
「そう。あっちの世界と君の世界じゃ時間の流れ方が違うんだ。
僕とあの男で繋げてた時はことある毎に調整してたけど、一方向からじゃ難しいからね」


その言葉に、そう、自分の世界に戻った時、 あちらの世界で6年の月日が、たった3日半程度にしかなっていなかった事を思い出す。



「……ってことは、更に3日半経った今は、えっと、ハリーが7歳位ってことなのかな?」
「残念、不正解。ここはね、君が思うほど安定している訳じゃないんだ。
だから、同じように6年経っているのか、それ以上なのか、以下なのかは分からない」
「!」


相変わらず、人の不安を煽るのが上手い奴だ。
でも、あたしが眉根を寄せたことに気づいたのだろう、そこで奴はふわりと、優しくあたしを抱きしめた。
とん、とん、と落ち着かせるように背中を彼の手が叩く。


「大丈夫だよ。君、悪運だけは強いんだから」
「でも……っ」
「あそこは、君が望んだ世界だ。君がこうであれと望み、願った世界。
そして、そんな君の願いを叶えることのできた、唯一の世界だ」


無限にある世界――それは平行世界も含まれる。
だから、原作通りにのいないハリポタの世界ももちろん存在するし、 全然違う、君の知らない誰かが登場する世界もあるんだろうね。

そう、スティアは口にした。


「あの世界だけが、君を受け入れた。
知っているかな、。運命はね、決まっているんだよ。
絶対に改竄を許すことのない物、それが運命だ。
そして、あの世界の運命には君という存在が不可欠だった。
君は、『物語の歯車を狂わせた』とか思ってるかもしれないけど、それは違う。
物語の運命には、『君』という歯車が最初から必要だったんだ。
あの世界は、の行動一つひとつがなければ、そもそも成り立たない物だったんだよ」
「〜〜〜〜〜っ」


まるで大前提を語るかのように、訥々とスティアはあたしに語る。
いつも通りに、小難しいふりをしながら、あたしが納得できるように。
春に降る雨粒のように、それはあたしに染み込んでいった。


「だから、大丈夫。今度もきっと、世界は君を望むように受け入れる」
「……わ、かんないよ?今度こそ、拒否されるかも。
リーマス達、しわくちゃのおじいちゃんになってるかもだし」
「拒否される位なら、そもそもここにいないと思うよ?
それと、あいつらが老け込んでたら、そこはそれ」


「若返りの薬とか使えば良いじゃないか?」と、あっさり言い放つスティアに、 あたしは思わず吹き出してしまう。


「ぷっ……あっはっはっは!なにそれ?身も蓋もねぇー!!」
「散々、老け薬とか使ってた君に言われる筋合いないけどねぇ。
大体、こんな時に魔法に頼らないでいつ頼るのさ?」
「ははっ!そうだけど!!」


と、あたしが耳元で大ウケしていることで煩かったのだろう、 スティアは一度、ぎゅっとあたしを抱きしめると、どこか名残惜しそうにあたしを腕の中から解放した。
そう、もうあたしには、慰めはいらない。

欲しいのはただ、果てのない旅路への道連れだけだ。






あたしは、優しい瞳をした彼を、今度は導くかのように手を差し出した。
すると、スティアは一瞬驚いたように目を丸くしたけれど、 その意図を察して、眩しそうに目を細めながらあたしと手の平を重ねる。


「じゃあ、行こうか?。もうすぐ9と4分の3番線から列車が出ちゃうよ?」
「あはは、嘘だね。ここはキングズ・クロス駅じゃないもの」
「なら、ここはなんだい?君の晴れ舞台は」
「え?……うーん」


楽しげに言われて、改めて辺りを見回す。
なに、と改めて聞かれると困るが、気がついてみれば、ここはただの真白の空間ではないことが分かる。
いや、白いのは白いのだが、なにもない靄などではなく、れっきとした部屋だった。
ただし、壁や置いてある調度などがひたすらに白い。
背後には、妙に高く据えられたテーブルと椅子が。
目の前には、長い通路と、それを形成する長テーブルが。
上を見れば、そこには白い空を切り取った大きなガラスがあって。

答えは、ぱっとまるで降ってきたかのように口から転がり出てきた。


「大広間?」
「へぇ?」
「や、それより大分広い気がするんだけどさ。
ここ、組み分け帽子を脱いだ後に見た景色に似てる」


そして、その言葉で、空間自体がその自覚を持ったのか、 さっきまで地平線もないくらいだった先に、真っ白な扉が現れた。
あたし達は、それに惹かれるように長テーブルの間を手を繋いで歩く。
不思議と、あそこがゴールだと言われた気がした。


「…………」
「…………」
「…………」
「…………」


そして、二人無言のまま、しばらく歩き続ける。
けれど、この沈黙は少しも辛い物ではなくて。
時間の経過もよく分からないこの場所で、自分の規則的な心臓の音だけが聞こえていた。
そして、どれぐらい歩いただろう。
疲労感は少しもないものの、かなりの距離を歩いた、と思ったその時、 スティアに手を放された。


「え?」
「扉を開けるのは、君だよ。


言われて、気づく。
まだまだ先にあると思っていた扉が、手の届く場所にそびえ立っていることに。
それは、驚くほど清潔で、白くて。
そっと手を伸ばしてみると、確かな手応えのはずなのに、見た目よりずっと軽かった。
扉を引く。
すると。


びゅおぉぉおおぉおぉおお


と、風が吹き込む感覚がした。
それは、外の気配だ。
先が続いていることを示す、空気の流れ。

あたしは、我知らず歓喜に顔を歪めながら、先に向かって目を凝らす。
その先は、さっきと同じ明るく輝く靄のようで、なにも分からなかったけれど。
この先に、あの人がいる。
それが、分かる。

そして、そのまま足を踏み出そうとして。


「スティア?」


なんだろう?よく分からない変な感覚を感じて、後ろを振り返る。


「うん?なんだい」
「ここで、良いの?」
「うん。良いはずだよ。ドアを開ければ望む先にいけるはずだ」


なんだ?
いつもと変わらないはずなのに、スティアがどこか遠く感じる。
少し考えて、小さな姿の自分がケーの姿の彼と一緒に歩くのは、そういえばほとんどなかったな、と思う。
だからだろうか?彼と、目が合わない。

妙な居心地の悪さに、足は躊躇を見せ始める。


「怖いのかい?」
「え、や、違う、んだけど……あれ?」


と、そこで、あたしは違和感の正体に突き当たる。


「スティア……目、赤い」
「……嗚呼、ここの魔力に反応してるんじゃない?」


分霊箱ホークラックスを作る代償と、分霊箱ホークラックス自身である事象を表す、赤い瞳。
普通の人だって、体調や気分によって瞳の色が変わる、と聞いたことがある。
そして、尋常じゃない魔法と接した彼らの瞳は、それがとても顕著で。
ケーの姿だと、基本は漆黒で、なにかあると赤く染まっていた。

確かに、今いるのは不思議空間だけど。
だけど、そのあっさりとした言葉が、なにかひっかかる。
なんか、変。


「スティア?」
「なに?」


がしかし、あたしの疑問を、目の前の彼は分かっていながら見なかったことにした。


「怖じ気づいたの?ほら、リーマスが待ってるよ」


妙に、透き通るような笑顔は、あたしになにかを伝えようとしているみたいなのに。


「……分かってる、けど。スティア、一緒に行ってくれる、よね?」
「!」


恐る恐る口にした言葉に、スティアは心底驚いた、というように目を丸くして、 大げさな位肩を竦めた。やれやれ、とその仕草が語る。


「それをわざわざ訊くの?君、放っておくとなにしでかすか分からないのに?」
「そう、だよね。うん」


それは、どこまでもいつものスティアで。


「あ、でも、感動の再会を邪魔するほど僕も野暮じゃないよ?少しは時間的猶予をあげる。
ほら、後がつかえてるんだから、さっさと行ってね」


ちょっと、不機嫌そうに、偉そうに言われた言葉に、あたしは頷いていた。
そして、そのまま前を向いて進もうとして。
「嗚呼、でも」と。
今訊かないと、きっとこれから先訊くことのできなくなりそうな疑問が頭をもたげたので、 後ろを再度振り返る。


「ねぇ、スティア。行く前に一つだけ訊いて良いかな?」
「うん?」
「ここは、夢なんだよね?」


何度も、何度も言われた言葉。
にわかには信じがたくて、でも、どこか捨て置けない、彼の主張。

そのことを再度確認すると、スティアはいつも通り、その言葉を肯定する。


「そうだよ」
「……ってことは、やっぱりあたしの頭の中の妄想なの?」


予想通りの返答に、あたしはあらかじめ用意しておいた言葉を口にした。
と、あたしの素朴で、でも切実な問いかけに、 スティアはにっこりと、不思議な笑みを浮かべる。
ようやく、言いたかった一言が言える、とでも言うような晴れやかな表情だった。


「もちろん、君の頭の中で起こっていることだよ、
でも、だからと言って、それが現実じゃないだなんて・・・・・・・・・・・・・誰が決めたんだい・・・・・・・・?」
「!」


そして、あたしが口を開くその前に、いい加減行け、とばかりに背を押される。
とん、と軽い音が響き、前に踏み出した足は空を切った。
その瞬間、体の細胞という細胞が地面に引っ張られる感覚と共に、落ちていく。


「……スティアっ」


張り上げた声は、気が付けば幼子のそれから、本来のあたしの物へ。
一息に成長したあたしは、彼に向かって手を伸ばしながら、今日一番の笑顔を浮かべた。


「ありがとう!」
「っ」


ありがとう。
アリガトウ。
あたしだけの案内人。
君が、君で良かった。

心の声が聞こえる彼に、精一杯の想いを叫ぶ。
生憎、返事までは聞こえなかったが。
でもきっと、意地っ張りでドSな彼は、それみたことかを口の端を歪めているに違いない。
それはとても幸せな予感だった。

そして、落ちる。
真っ白な世界に、落ちていく。
どんどん、金糸の髪が、赤く染まった瞳が、遠ざかっていく。
それは、ふわふわというには早く。
死を思わせるほどの速さではない。






びゅおぉぉおおおぉおぉぉぉぉ


スカートがはためく音。
夜の匂い。
ひんやりと冷たく強い風。
明るすぎる靄を見続けて、思わず溢れた涙の輝き。
全身が、普段感じることのない感覚に。
歓喜に震える。

ここには、上も下も、右も左も。
なにもない。
しかし、全てがあった。

やがて、自分が飛んでいるのか落ちているのかも分からなくなったその時、 向かう先に、漆黒の水面を見つけた。
いや、水面というには、波紋がない。
だが、ノブもないそれはドアとも言えない。
嗚呼、そうだ。例えるなら、それは格子のない窓だ。
豪奢な金の装飾が施された、いつかどこかで見たそれだ。
そして、光もなにもないその暗闇は、あたしが触れられるほど近づいた瞬間に、


「……リーマスっ」


あたしが望む人の姿を、そこに映した。
彼は、どこか憔悴していた瞳を輝かせて、あたしに向かって両手を伸ばす。
そして、その唇が、音もなくあたしを呼んだ。


――


そして、あたしは落ちる勢いそのままに、愛しい人へとダイブする。





鏡よ 鏡よ 鏡さん。
世界で一番美しい夢はなに?






......to be continued