壊れた心の欠片はどこに?





Phantom Magician、209





朝、目覚ましに起こされて。
うがいして、朝ご飯食べて、歯を磨く。
朝ご飯は、適当に冷凍してあったご飯をチンして茶漬けにして。
相変わらず微妙な顔色を誤魔化すために、チークは濃いめ。
久しぶりでどうにも勝手が掴めないから、念のためにスーツに身を包み。


「……いってきます」


あたしは、テレビのお天気お姉さんに向かって、別れを告げた。

数年ぶりではあるものの、同じ部署で場所替えをした時と違って、 一目見ればあたしの席は、きちんと自己主張をしてあたしを出迎えてくれた。
なので、逆浦島太郎なことは誰にも気取られず、ごくごくありふれた日常に回帰する。


「あ、さん。具合大丈夫ですかー?」
「おかげさまでー」
「おはよう、。まだ休んでなくて平気?声ガラガラじゃない」
「いやぁ、これ以上低くなったらやっぱりヤバイですよねぇ」
「や。そこじゃないっしょ、先輩」
「いやいや、女子力低下は死活問題じゃないですか」


職場の人達は、なにも知らずにあたしの体調を心配してくれた。
微妙に離れた所から、お局様の「体調管理ができないなんて社会人として〜」的な視線を感じるが。
まぁ、平和だ。
呆れるほどに。
諦めるほどに。

ここには、あの世界の気配が、なに一つ感じられない。
どこまでも、どこまでも、魔法なんて物とは縁遠い、あたしの居場所。


「ご迷惑おかけしました!今日は残業覚悟で頑張ります!」


にっこり、と、お愛想ついでに笑みを浮かべて、あたしはがむしゃらに机に向かう。
机の端にやることをリストアップしておいた、過去のあたし万歳。

結局、その日は拍子抜けするほどあっさりと、数年前と変わらぬものになっていた。
(コピーに雑用、っていうか、これあたしの仕事じゃなくね?ってのを押しつけられるのも相変わらず、だ。
マジお局なんて滅べばいいって思う)

細かいPCの操作なんか忘れかけているのもあったが、 必死に頭を働かせていたおかげで、得る物もある。
仕事復帰初日、あたしは夢も見ないほど疲れ果て、泥のようにベッドに沈んだ。







次の日も。
その次の日も。
あたしの感情が停滞している間にも、世界は無情に動いていく。
必死にそれに置いていかれまいとあがいていると、気づけば日は沈んで。
それは、なんとも不思議な感覚だ。
リーマスがいないと死んでしまう、そう思ったあたしが、 あの人のいない世界で死にもせず仕事をしている、だなんて。

なら、あの時の気持ちは嘘だったのだろうか?
……いや、そうじゃない。
なら、自分で思う以上に薄情?
それも、少し違う気がする。


「あたしは多分……」


もう、一度死んでしまったのかもしれない。

あの人のことが大好きで。
愛して。愛されて。愛し抜いた結果、死んだのだ。
体も生きているし、思考もするけれど。
でも、確かに一度、 ――は、消えた。

と、給湯室で適当に入れた紅茶を口に含んでいると、 そこにひょっこり、と偶然を装った自然さで、先輩が一人入ってきた。


「多分なに?オタクに違いないとか??」
「……センパーイ。それ周知の事実でーす。そして先輩も同類でーす」


ちなみに、この先輩。
あたしの親友と偶々同じ名前だったり、歳の離れた兄だったり、なんて萌え展開はない。
ごくごく普通に親友のぐりである。
同い年だが、あっちの方が早くここに採用されたので、『先輩』なのだ。
まぁ、一応公私を分けようってことで職場にいる時はそう呼ぶことにしている。
あだ名みたいなものだ。

そして、親友に先輩呼ばわりされた彼女はというと、機嫌よさげに口に菓子を頬張った。


「あはは、私はただの創作物大好き人間ですよ?
ドラえもんからルパンまで愛してるだけですー」
「……ぐりさん。毎度思ってたんだが雑食すぎるだろ、それ。
ジャンル違いすぎ。博愛主義者すぎ」
「だって、良いものは良いもの」


はい、とそんな感じで軽ーく雑談をしたぐりは、 にっこり笑ってあたしの手に一口サイズのチョコを押しつける。
おお、これコンビニ限定の奴だ。


「貰い物のお裾分け。あとちょっと頑張りましょう、さん」
「……先輩大好きー!」


ナチュラルに人を餌付けした友人は、ひらひらと手を振ると、 それはもう颯爽とその場をあとにした。
日頃あまり水分を取らない彼女なので、ここに来た理由は完全に今のお裾分けだけだろう。
昨日と。一昨日と同じで。


「……はぁ、貰い物が三日続けてある訳ないじゃんか。ねぇ?」


嘘つきな親友の優しさは、甘い甘いホワイトチョコみたいな味がした。







その日は、うっかり溜めてしまった仕事もなんとかこなし、 且つ、素敵な花金(花の金曜日の略。詳しくはググれ)でもあることだし、ということで。
あたしは心配し通しのぐりに空元気を見せるべく、飲みに誘った。
飲み放題付き1500円っていうのは、心惹かれる響きだと思うんだ。いや、マジで。

唐突な誘いに、彼女は「うわぁ、もっとマシな格好してくるんだった」とかなんとか慌てていたが、 なんのかんの言いながらも、店舗の場所を検索してくれる辺り流石だと思う。


さん行ったことあるー?」
「ないから、ぐりと行きたいなーって思って。ウチの先輩お勧めだよ?」
「ああ、あの男前の先輩ね?」
「そうそう。そこで彼氏にプロポーズされたらしいわ」
「なら、雰囲気も良さそうだねぇ」


仕事終わりで疲れ果てているはずなのだが、お互いきゃいきゃいと実に楽しげだ。
一緒にアフター5に行ける友達がいるなんて、本当に恵まれていると思う。
道すがらの会話の楽しいこと愉しいこと。
気兼ねしない関係ってのは、本当に楽で良い。
赤毛の素敵なあの子とはオタクな話とか全然できなかったし――……


「…………」
「?さん??」


と、急にふっつりと黙り込んだあたしに、ぐりが視線を向ける気配がした。
嗚呼、胃が痛い。


さん?」
「っや、あの、そういえば、ぐり今日はオールとかできるの?
久々にカラオケとか行きたいなーって思ってて」
「?久々?この間行ったのに??」
「!あ、あれ、そうだっけ?ヤバイ、あたしボケてるかもっ」


咄嗟に誤魔化そうとしても、なんだか逆に墓穴を掘る始末。
すーっと血の気が足に下りていく感覚がして、嗚呼、これはマズイなんて他人事のように思う。
がしかし、幸いというかなんというか、あたしがぶっ倒れる前にあたしたちは目的の店に辿り着いていた。

椅子ではなく、ソファ席に通され、少し薄暗い間接照明にほっと安堵の息が漏れる。
これがファミレスみたいに煌々とした灯りだったりした日には、 間違いなくぐりによって強制送還されること請け合いだ。
確実に悪くなっているであろう顔色を気づかれまいと、ことさら笑顔で店を褒めちぎる。


「当たりっぽいね!この店。できたばっかりだから内装綺麗だし」
「そうだねぇ。あとは料理が美味しければ言うことなしかな?」
「まったくだね。ソファふかふか!なんかもう、あたし寝そう!!」
「寝ちゃ駄目だよー」


あたしのはしゃぎっぷりに、ぐりは釣られたようにくすくすと笑い、 店員さんから渡されたおしぼりで手を拭いてから、メニューを広げた。
あたしが見やすいように大きく広げながら、まずは飲み放題と書かれたラミネートを指差す。


「とりあえず、飲み放題コースで良いんだよね?」
「誘っといてなんだけど、ぐりは良いの?あんまり飲まないでしょ?」
「良いよ良いよ。ここ安いし。元が取れないのなんて慣れてるしねぇ」


と、彼女の細い指が、前から順番にメニューをめくっていく。
コース料理、は高いし好きでもないものが入っているのでパスして。
いつも通りに、単品料理を何個か頼んで分け合うスタイルを取ることにした。


「たこ唐ないかな。たこ唐」
「好きだねぇ、ぐり。あたしはー……」
「あ、見てみて!フィッシュ&チップスとかあるよ、このお店!」
「!!」
「本当に美味しくないのかな?ね、さんはどう思う??」


フィッシュ&チップス。
タラなどの白身魚のフライに、棒状のポテトフライを添えたもの。
伝統的に酢と塩をかけて食べるもので。
イギリスの・・・・・、代表的な料理。


「〜〜〜〜〜〜っ」


痛い。


さん?」


いたい。


さん?どうしたの??」


許されざる呪文を浴びせられたかのように。

胃が。
心臓が。
頭が。手が。足が。指が。肺が。目が。
心が、痛い。

気づけば、あたしは声もなくその場でボロボロと涙を流していた。


「……っ、……ふ」


赤い赤いビネガー入りの瓶が、どこかの誰かの瞳みたいに、そんなあたしを映す。
彼が、今のあたしを見ていたら、きっとあの見下げ果てたという表情をするのだろう。
感傷なんてくだらない、と。
でも、でもね?リドル。
あたしはそんなくだらないことで泣くような、そんな人間なんだよ。


さん……」
「う……ぇ……ったし、やっぱ、駄目だ……っ」


くだらなくたって、なんだって。
それがあたしなんだから、仕方がないじゃないか。
あっちの世界に置いてきた、
でも、それはやっぱりあたしでしかなくて。
風化してなくなるまで、ずっとずっと、こんな風にあたしは苦しみ続けるんだろう。

これはきっと、罰なんだ。
自己満足で世界を変えた、罰。
覚悟もないのに人の手を汚させた罰。
大事な人達を、置いてきた罰。

思い出すのは、ハリー達の時代で出逢った、あたしの友人達の表情カオだった。


『お前は平気だとでも言うつもりか!?』
『君が……かい?……へぇ。可愛いね。思った以上に』
『何故、貴様はここにいる……っ!』
『本当に、貴女を見た時は心臓が止まるかと思ったわ』



『もう、顔も名前も、思い出せないけれど……。
それでも、君に、ふとその人の面影を見るんだ……。
馬鹿な話だろう?もう、随分になるのに』




あの時は分からなかったけれど、今なら分かる。
彼らの瞳にあったのは、どうしようもない、寂しさだ。
中には憤りもあっただろうし、悔しさもあったかもしれない。
でも、なによりも強かったのはそれで。
こんな自分勝手で、我が儘なあたしを、彼らは惜しんでくれていた。

それだけの想いを向けられて、どうして平気な表情カオをしていられる?

これは罰だ。
そんなことは分かっている。
でも。


「……たい」
「…………」
「あい、たいよ……っ」


願う心は、止められない。
ふとした瞬間、目に入る物に君たちの面影を見て。
笑い合った記憶が脳髄を揺さぶる。

嗚呼、もうあたしは戻れないのだ、と。
何度思ったか分からない言葉が、頭の中をいっぱいに埋め尽くした。
戻りたいのが、彼らと出会う前の自分なのか。
それとも彼らと一緒の自分なのか、分からないけれど。


「……そう。逢いたいんだ」


と、気づけば、その存在すら頭から消えていた連れが、小さくそう呟いていた。
その静かな響きに、なにか抗えない物を感じて顔を上げる。


「誰に逢いたいの?さん」


まるで、幼子を相手にするような笑みを浮かべるぐり。
それは彼女からの問いかけのようでありながら、その実、あたしが自分に対してしたようなそれだった。


「あ……」
「どうして、逢いたいの?」
「逢いたい、から」
「どうして、逢わないの?」
「逢えないから……」
「どうして、逢えないの?」
「だって……っいない、んだ」


いない。
いない。いない。
ここには。この世界には、リーマスがいない。
だって、ここはあたしの世界だから。
あの人のいる世界じゃないから。


「ここに、いない……!」


それは、希望なんてないのだという現実に他ならない。
がしかし、絞り出すように苦渋の声を漏らしたあたしから目を背けることなく、 親友はハンカチを差し出しながら、なおも問いかけ続ける。


「いないのなら、逢いには行けないの?」
「っ!!」
「ここにいないのは分かった。すぐ逢いたいのも分かった。
なら、逢いに行っちゃ駄目なの?」
「行け……ないよ!」


不意に、そんな冷静で当たり前のことを言ってくる彼女を引っ叩きたい衝動が湧き起こる。
なにも知らないくせに。
なにも、分からないくせに、知ったようなことを言う彼女が、無性に腹立たしい。
しかし、苛立つあたしの様子に気づかないのか、ぐりは淡々と言葉を続ける。


「どうして、行けないの?」
「行けないものは行けない!そんなの、出来ない!!」
「どうして、出来ないの?それは誰が決めたの?」
「決めたとかじゃなくて……っ駄目、なんだよ。
出来ないし、あわせる顔なんて、ない……」
「あわせる顔?」
「そ、だよ……。酷い、ことしたんだ」
「その人に?」
「その人だけじゃなくて、他の人とかにも……。
それに……」
「それに?」


運命をぐちゃぐちゃにした人間が、平気な表情カオで大切な人達と一緒にいて良いはずがない。


「…………っ」


嗚呼、そうだ。
それこそが、名もなき魔法使いが彼らの前から消えた理由。
平和な国で培われた、倫理と道徳という名の枷。

皆の為だとか、そんな立派なお題目を掲げたって、人殺しは人殺しだ。
絶対に、やっちゃいけない恐ろしいことなのだ。
スティアのおかげで、自分が倒したのか、そうじゃないのか、分からないけれど。
でも、それでも、あたしがヴォルデモートを殺そうとした事実は変わらないし、 変えちゃいけないと、そう思う。

世界を変えた主人公が元の世界に帰るのだって、 きっと世界が許さないとかそれ以前に、そこにいちゃいけないと思うからだ。
そこにいたら、どうしたって自分がやったことと向き合わなくちゃいけなくなる。
良いことばかりなら、それも良いのかもしれない。
でも、きっとそうじゃない。
悪いことだって、誰かの恨みを買うことだってあるだろう。

だから、臆病なあたしみたいな奴は、元の世界に帰るのだ。


「とにかく、逢えない。もう、逢えないよ……っ」


英雄だと称えられることも。
人殺しと蔑まれることも。
大事な人達に、変な色眼鏡で見られることが、あたしには耐え難い。

ぶんぶんと頭を抱えながら振ると、くらくらとさっきの血の気が引いていく感覚が戻ってくる。
これ以上、彼女と会話を続けるのに耐えられない。
もう止めて、とあたし叫ぶその直前、しかし、彼女はそれを遮るようにトドメの一言を発した。


「事情は分からないけど。でも、決めつけちゃ、駄目だよ?
さっきから、さん、なんだか逢えないって自分で言いきかせてるみたい」
「!!」
「一度は、逢えたんでしょう?」


彼女は確信に満ちた眼で、あたしを射貫いていた。
その焦げ茶色の瞳の中で、あたしの表情が驚愕に歪む。
どうして、これだけの会話であたしとその人が逢ったことがあると分かるのか?
どうして、そんな苦い笑みを口元に刻んでいるのか?
分からない。
わからない。

ぐるぐると頭が回って。
胃が軋んで悲鳴を上げるのを感じながら、それでも、目の前の彼女から目がそらせなかった。


「最初は、どうやって逢ったの?」
「どうって……あれは、スティアが……」


スティアと、出逢って。
そのまま、ダンブルドアの所に連れて行かれて。
保護者がいるとかって話になって。
そして。
そして。


「スティア?なに、それ?」
「え、あ、その、人の名前なの……」
「その人がきっかけなの?なら、その人とは、どうやって逢ったの?」


どうやってもなにも。
なにか特別なことをして、逢えた訳じゃあない。
変な空間で。
向こうが急に出てきたんだ。
あたしは、ただ寝ていただけで……。
お膳立てを整えてくれたのは、全部――……


「サラ、が……」
「!サラが?」
「サラが、その、紹介?してくれたんだ、と思う」
「…………」


紹介。
…………。
…………………………。
……あれって、紹介で良いんだろうか?

ぴったりの言葉が思い浮かばず、なんとも微妙な表情になるあたし。

すると、そんなあたしを余さず見ていたぐりは、ぼそりと一言「予定変更」と呟くと、 トイレだと言ってその場から席を立った。
もっとも、トイレに行くのに携帯が必要だとは、とても思えなかったけれど。


「っ……ぐり!?」
「……本当は明日どうにかしてやろうと思ったんだけど。
諸悪の根源っぽいのが判明したから、今すぐ呼び出しかけるね」
「今すぐ!?え、ちょ、待って待って待って!心の準備!心の準備ってものがね!?」
「大丈夫。来るまで流石に10分は掛かるだろうから。
なんなら15分後に来いって指定するし」
「なにが大丈夫なの、それ!?」





あらゆる場所に、心は輝く。





......to be continued