自分のことは自分で選べ。 人に流されることを選ぶなら、その結果すらも受け入れろ。 それが嫌なら――…… Phantom Magician、207 ずずず、とぐりが持ってきてくれた春雨スープを飲み干す頃。 「……訊かないの?」 「はい?」 あたしを待つ間中、当たり障りのない会話しかしてこなかった彼女に、 あたしは遂に堪えきれず、そう問いかけていた。 「あたしが、なんで泣いたか」 「…………」 もちろん、あまりに気まずいため、ぐりの表情はとても見れなかった。 心配して来てくれた友達に縋り付いて号泣とか、 まぁ、気分が落ち着いてきてしまえば、黒歴史以外の何物でもない。 もはや、目とか顔とかが熱いのは泣いたせいなのか羞恥のせいなのか……。 いや、でも。 心が弱っている時にぽんっと優しさを寄越されたのだ。 どう考えたって、色々決壊させるには十分だろう。 …………。 ……………………。 ……友情まで決壊したらどうしよう。 「〜〜〜〜〜っごめん、やっぱなんでもない……っ」 完全に鬱一歩手前、というところまで落ち込んだ精神では、 ほんの僅かな沈黙にも堪えられず、発言を一瞬で撤回する。 がしかし、そんな間違いなく面倒な女に対して、 長年の付き合いのある奇特な友人は、「んー」とおっとり首を傾げた。 「とりあえず訊くけど。さんは聞いて欲しいの?訊かないで欲しいの?」 「っ」 まさかの質問返しだった。 だが、その言葉は彼女という人間をそれはそれはよく表しているそれで。 「さんが聞いて欲しいなら訊くし、嫌なら訊かないよ?」 「…………っ」 ぐりは、選択権を相手自身に委ねる。 あたしの選択を尊重すると言えば聞こえは良いが。 それは彼女の優しさでもあるし、同時にどこまでも突き放す厳しさでもあった。 『君が望むならそれを与えよう。ただし、それは君の責任だ』と。 彼女はいつでも、言外にそう潜ませている。 昔から彼女は責任感も義務感も強いのだ。 だから、責任が取れないことには決して手出ししない。 今も、あたしが真剣だからこそ、ぐりは決して自分からは踏み込まない。 そう、結局。 全部が全部あたし次第、ということ。 「……正直、半分も意味分かんないと思うよ?」 「うん」 「しかも、ドン引きな位うじうじすると思う」 「だろうね」 「っていうか、また泣くかも」 「あはは、ドンとこい!」 カラコロ、と彼女は軽快な笑みを浮かべる。 それは、深窓の令嬢然とした容姿とは裏腹に、存外に彼女に似合うそれだった。 「ありがとう」 「うん?」 「ありがとう、ぐり」 でも、まだ、口には出せないや。 「……ごめんね。心配、してくれてるのに」 「別にいいよー。言いたい時に言ってくれれば。だって、私達友達でしょう?」 「っ」 嬉しい。嬉しい。 何気ない言葉が。 その優しさが。 でも。 ア タ シ ガ ホ シ イ ノ ハ コ レ ジ ャ ナ イ 。 そう思う自分が、本当に最低だと思う。 大切な友達だ。 なのに、心が違うと訴えるのだ。 なんて、醜い。 なんて、酷い。 あたしはきっと、この友達に優しくしてもらう資格なんて、持っていないんだ。 「愛してるよ、ぐりさん」 せめてもの罪滅ぼしに、あたしは泣きながら笑って告白をした。 大好きだ。大好きだよ。 ぐりの友達で良かった。 ぐりが友達で良かった。 でも、今逢いたい一番は、君じゃない。 君といるのに、君じゃない人のことを想っている。 こんなあたしを許して下さい。 声に出さずに、懇願する。 と、そんな後ろめたい言葉にも、彼女はそれは嬉しそうに笑みを深めて。 「私も愛してるよ、さん」 全てを知っているかのような、優しい声が耳朶を打つ。 罪悪感で、胸が焼けそうだった。 「……ぐり、何時までいるの?」 「んー、そうだね。さんに追い出されれば今すぐにでも帰るし、泊まってけって言われたら泊まるけど。 なにしろ、明日も仕事だしねぇー。まぁ、最悪天辺くらい?」 「しごと……そっか。仕事、だね」 「さんは明日来るの?それともまだ休んでる??」 どこか心配そうに眉根を寄せたぐりは、じっとあたしを探るように猫のような目を光らせた。 嗚呼、そんなところがアイツに似ているな、なんて懐かしく思う。 本当だったら、彼に似ているのはもう一人の親友であるべきなのに。 不思議と、目の前の彼女とあの案内人の優しさは同じ気がした。 「有休あるんだから、休んでも大丈夫だとは思うよ」 サボりが嫌いなはずの律儀な彼女は、しかし、そう言ってあたしに逃げ道を残した。 正直、凄く凄く魅力的な言葉だったけれど。 ここで逃げても、どうせいつか逃げ切れなくなる時が来るのだ。 それも、ほんの少し先に。 だったら、とあたしはいつの間にか 握っていた拳に力を込めて、顔を上げる。 「行くよ……行く」 「そう?まだ顔色悪いよ?」 「でも、行く。……仕事ミスったらごめんね」 「くす。了解しました。できるだけフォローします」 なにしろ、数年ぶりの仕事だ。 大まかなことはともかく、細かいことなんて覚えていられるはずがない。 幸運にも友人が同じ職場にいてくれる(もっとも部署は別だが)のが、これほど心強いこともないだろう。 ただ、迷惑はかけないようにしなきゃな、と決意と共に、 チキンなあたしは先手を打って彼女に謝罪を入れておく。 まさか、そのせいで彼の名前を聞くことになるなんて、思いもせずに。 「まぁ、サラみたいに上手にはできないですけど」 「!!」 『サラ』。 その名前に、自分の物じゃないみたいに心臓が跳ねる。 もう一人の親友。 全ての始まりの存在。 忘るるな。 「っ!」 そして耳に、こびりつくような低い声音が蘇る。 あれは、そう。 ホグズミードに初めて行った時。 忘るるな 汝がはじまりの男に世界を与えたことを。 細かい部分は覚えていない。 言葉の端々を、時折思い出す程度。 ただ、不吉そうな内容だった、とその時感じた恐怖ばかりが、印象深い。 だからだろうか? 今も、妙に背筋に悪寒が残る。 まだ、なにも終わっていないとでも、いうように。 いや、でも。 ここは現実の世界で。あそこではなくて。 闇の帝王も倒してしまったから。 だから、予言なんてもう意味のない物で……っ ただ、大事な何かを、あたしはまだ忘れている気がした。 ぎゅっと、気づけばあたしは自分の腕を掻き抱いていた。 恐い。 怖い。 得体の知れない恐ろしさが、手招きをしている。 「?さん??」 「!」 と、急にまた黙り込んだあたしのことを、ぐりが呼んだ。 そのことにはっとなって、じんじんしている腕から指を引きはがす。 「サ、ラは……完璧超人だもんね?」 「…………」 そして、笑った。 引きつりそうになる表情筋を叱咤して。 震えそうになる体を押さえ込んで。 ただでさえ、心配を掛け通しなんだ。 もうすぐ帰る彼女に、これ以上心配をかけちゃ駄目だ。 と、その思いが高じたのか、我ながらいつも通り笑えたな、と思ったあたしに対し。 「えぇー?そうかなぁ?超人でもサラは変だよ?」 ぐりもごく普通に笑みを浮かべる。 そして、そのままあたし達は数十分、他愛のない話を続けて。 「あ。もう12時……」 「え?……本当だ。ごめん。こんな遅くまで」 「楽しかったから良いよ良いよ。 さて。じゃあ、さんの睡眠の邪魔しないように帰るかな」 やがて、彼女はあたしにゆっくり休むよう言い置くと、 風のように部屋をあとにした。 後に残ったのは、もちろん名残惜しさ。 でも、彼女が扉を閉めると同時に、安堵の溜め息が漏れてもいた。 本当に、矛盾だらけの心は制御が難しい。 「……寝よう」 ぎゅっと、適当なぬいぐるみを掴んで、あたしはよろよろとベッドを目指す。 そして、そのまま寝入ってしまったあたしは、だから気づかなかった。 「…………」 ぐりが、あたしの部屋を出た後、難しい表情で携帯を取り出したことも。 「……もしもし?」 『……すぐりか?』 彼女が、サラに対して腹を立てていたことも、なにも。 「うん。夜中にごめんね」 『構わない。すぐりのことだから急用だったんだろう?』 「まぁ、ね」 『どうした?』 「……単刀直入に訊くけど。サラ、さんに対してなにかした?」 『…………』 「……したんだね?」 『した、と言えばした。がなにか?』 「元気がない。泣いてる」 『…………』 「説明しろこの野郎」 『口が悪くなっているぞ。……かなり混み入っている。できれば時間のある時が良いんだがな』 「こっちは貫徹する覚悟を持って電話してるんですけど?」 『明日も仕事だろうに。次の土曜日には直接会えるか?』 「あはは、愚問だね。サラ」 「返答によってはぶん殴る」 『……ああ。お手柔らかに』 最初から、自分のやりたいようにやれ。 ......to be continued
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