これは多分、リハビリ期間。
君のいない隣に、慣れる時間。






Phantom Magician、205





雑然とはしているもののなんとか人を通せる部屋に、彼女を通す。
勝手知ったるなんとやらで、ぐりはさっさとテーブルの上に差し入れを広げると、 「お湯湧かしますよー?」とポッドの準備をし始めた。


「いや、自分の家なんだからその位あたしするよ」
「いやいやいや。病人は座っててくださいな。変な所はいじらないから」
「そんなことは心配してないけど……」


自分の家なのにお客をもてなさない、ということに変な居心地の悪さがあるが、 まぁ、しかし、彼女とは長い付き合いだ。
現在の自分の体調等を鑑みて、任せるのがここは良いだろう。
まぁ、料理を作らせる訳でもなし、お湯を沸かしてもらうだけだ。
そこまで大きな負担にはならないだろう。

そう、自分を納得させ、彼女が買ってきてくれた差し入れを見るともなしに見る。
どうやら、ドラッグストアにでも寄ってきてくれたらしく、某有名チェーン点のロゴがビニール袋に印刷されていた。
その中には、インスタントのおかゆやらスープやらがいくつかと、プリンに薬。
後はエネルギー補給用のゼリーが何種類か。


「あ、これ……」


あとは……あたしの好きなチョコレートだった。
間違ってもあちらの世界では食べられなかったそれに、相好が崩れる。
いそいそと包み紙を外して、口に放り込むと香ばしい匂いととろりとした甘みが広がった。


「おいし」


美味しい。
美味しい、はずだ。
なのに。

美味しいのに、美味しく、ない。

大好きなそれだ。
昔から食べている、本当にお気に入りの。
でも、駄目だった。


「あたし……」


死ぬほど甘ったるくて。
火傷する位、熱い。


『はい、


「…………っ」



リーマスの、ホットチョコの方が、飲みたい。



ぎしっと、心臓が嫌な軋みを上げる。
胸が痛くて、痛くて、仕方がない。

会いたい。
逢いたいよ、リーマス。
最後に一目、なんて嘘だ。
いつだって傍にいたいし、自分以外が傍にいるのを不公平だと、そう思う。

でも、あたしは『名もなき魔法使い』で。
役目を終えてしまった今、リーマスに逢うことなんて、許されない。
リーマスの幸せだけを願った世界には、いられない。


「……う………うぁ」


大好きだ。
リーマスが、大好きだよ。
泣きたいくらいに、大好き。







さん!?」


と、ほんの僅か席を外しただけなのに、あたしがぼろぼろ泣いているのを見つけたぐりはというと、 それはもう、驚愕に目を真ん丸にして、慌ててこっちに来てくれた。
おろおろと、目の前に箱ティッシュが差し出される。
実を言えば、彼女の前でこんな風に泣いたことはない。
というか、映画でボロ泣き、というのはあっても、 こんな小さな子みたいに、どうしようもない泣き方をしたのは、小学生以来だ。
家族の前でだって、したことはない。


「う、あ、あ………り、……ぐ、りっ!」
「!」


嗚呼、いや。
夢の中をカウントして良いのなら、三度。
目の前の親友と同じくらい優しい人達の腕に縋って、泣いたことがあった。

そう、あの時も。
彼らはその胸を貸してくれて。


「うああああぁああぁあぁぁあぁぁ!」


その手で、そっと、あたしを宥めてくれた。


「…………」


そして、ぐりはあたしの尋常でない様子に、これが唯の体調不良ではないと悟ったのだろう。
伸ばされる腕から逃げることも避けることもなく。
彼女は、ただそこに居てくれた。
余計なことを聞くこともなく、ただ、黙って、受け入れて。

やがて、その細い腕にくっきりと指跡が付く程の時間が経った頃、 あたしはようやく、泣き止んだ。


「………っく……っげほ……ケホ……かはっ」


泣き止みたかった訳ではない。
ただ、声がすっかり嗄れてしまった、というだけの話だ。
と、あたしが咳き込み始めたのを見て取り、 ぐりはするりとそこで立ち上がると、コップに水を入れて持ってきてくれた。


「はい、どうぞ?」


にっこり、と優しく笑って手渡されるそれを、幼子のように受け取る。
多分、見上げたあたしの顔は史上最大級の不細工さだろうが、 彼女の表情からはそんなものはまったく読み取れなかった。
ただただ、その瞳は、温かい。


「……ぬ、るい……」
「うん。冷たすぎると体冷えるからね」
「まず、い、よ……」
「中途半端な温度だからねぇ。まぁ、我慢してください」


醜態を見せたにも関わらず、彼女の態度は拍子抜けする程なにも変わらなかった。
普通に遊びに来た時と同じ、通常運転。
自分が普段とかけ離れている分だけ、そうした態度は、なによりも有り難いものだった。


「お腹は?空いてる?」
「ん……」
「本当はスープ系で体暖めた方が良いんですけどね。咽喉に沁みるかな?」
「たぶん……だいじょぶ」


触れて欲しい。
でも、触れないで欲しい。
ぱっくりと開いた傷口は、まだ癒えない。





頑張らないと、後に響く。





......to be continued