空っぽの心には、なにも響かない。 Phantom Magician、203 目を開ける。 世界に、色がつく。 耳を澄ませる。 世界の、音が聞こえる。 息を吸えば、世界の匂いを感じて。 今、ここに自分がいることを実感する。 その、はずなのに。 「…………」 変だ。 世界が、変な膜を隔てたみたいに、遠い。 なにをする気も起こらないし。 自分の体が、自分の物じゃないみたいに、重苦しい。 ごろん、とベッドに体を横たえて。 胎児みたいに体を丸めて。 軋む心臓を抱えてる。 「分かってた。……分かってたよ」 ふと、誰にともなく声が漏れる。 謝りはしなかった。 そうする権利は、もう、あの世界に全て置いてきてしまったのだから。 どれだけ、泣きたくても。 涙を流すことができないように。 心は渇いて。ひび割れて。 「壊れたみたい」 人を殺すと。殺そうとすると。 魂が壊れるのも、分かる気がする。 だって、ただ大好きな場所から。 大好きな人達から断絶されただけで、こんなにも辛い。 でも、それでもしぶといこの体は、生きたいと訴える。 何をする気も起こらないのに、お腹は空くし、喉は渇く。 トイレだって行きたくなるし、体が汗でべとつくのは気持ちが悪い。 それはきっと、ここがあたしの居場所だから。 あたしがあるべき、姿だからだ。 「あたし、間違ってないよね」 どれだけ薄情だと言われても。 「あたし、頑張ったよね」 捨ててきた風景が、瞼の裏に映っても。 「だ、から……」 あたしは、ここで生きていく。 君に恥じないように、生きていかなきゃ、ならないんだ。 例え、二度とその腕に抱かれることがなかったとしても。 「だから……っ」 君の幸せに、あたしは居なくても。 「忘れなくても、いい、よね……っ」 今はもう呼べない、唯一人の名前を、虚空に呟いた。 やがて、空が墨色に変わる頃。 あたしはけたたましいチャイムの音で、目を覚ました。 どうやら、寝転がっている内に、そのまま眠ってしまったらしい。 しかし、起き上がるのも面倒で、このまま居留守を決め込むかとも思う。 どうせ、宅急便かなにかの勧誘だろう。 放っておいても害はないと判断し、再度目を閉ざそうとしたその瞬間、 今度は、枕元の携帯がそうはさせじと震えだした。 長いバイブは、電話だ。 ほとんど無意識にそれに手を伸ばし、その着信相手を見て。 「……もしもし?」 遠かった世界が、実はあたしの傍にあることを知った。 ピ、という電子音の後、自分より高い声が、電話口から柔らかく聞こえてくる。 『もしもし?さん?』 「っ」 あまりの懐かしさに、涙が出そうになる。 いつも通りの口調に、いつも通りの声。 彼女にとっては、なんでもないその『いつもの』ことが、 深く深くあたしの心に染み渡る。 がしかし、不自然な間に彼女が訝し気になる気配がして、 あたしは必死にこみ上げる激情を抑え込んだ。 「う、ん。あたし。……どうしたの?ぐり」 『どうしたのって……さんこそ。今どこ?家じゃないの?実家??』 「……家だよ?」 久しぶりに聞く声だった。 あちらで何度となく思い出した、こっちの世界の象徴とも言うべき友人のそれに、 少しずつ心が潤いを取り戻していく。 あたしの罪深さを知らない、綺麗な綺麗な友人。 彼女と話すだけで、殺伐としていた最後の日が遠ざかっていくような心地さえした。 泣いて。笑って。傷ついて。 それでも、愛おしかった昨日。 もう、戻らない、明日。 そして、あたしがその声に癒されているとも知らない友人―― は。 少しの間押し黙った後、「ぴんぽーん」と口頭でチャイムを鳴らした。 『さん家のさんにデリバリーサービスです。 辛いかもしれないけど、とりあえず……開けてくれません?』 がさがさ、と電話の奥でビニール袋と思しき物が、雑音を奏でた。 それでも、君の声がする。 ......to be continued
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