慣れ親しんだ日常なのに、欠けたものがある。
そのことに多くの人は気づけない。






Phantom Magician、202





ルーピン先生の様子が変だ。
そう、噂されるようになったのは、3日程前からだ。
授業にも出ず、学校中を徘徊してなにかを探している、と。


「ほんと、どうかしてるよな。先生も」


魔法史の退屈な授業で、大あくびをしながら僕はハリーへと顔を向けた。
するとハリーは、逆光のせいで眩しいのか僕の方を目を細めて振り返る。
僕と違って眠気はないのか、酷く理知的な瞳が、無言で続きを促していた。

闇の魔術に対する防衛術の授業は、数ある授業の中でも人気のある物だった。
僕だって、いつも楽しみにしていたのだ。
それなのに、もう3日もそれが行われていないなど、文句の一つも言いたくなるところだろう。


「ルーピン先生、やっぱり変な薬でも飲んじゃったんじゃないのか?
もう3日だろう?先生が変なこと口走ってから」
「…………」


変なこと。
ハリーの唇が、音もなく僕の言葉を反芻する。

そう、あれは3日前の朝食の席でのこと。
別になにか変わったことがあった訳でも、変わったメニューが出た訳でもない。
それなのに、いきなり、教員席でルーピン先生はけたたましい音を立てて、椅子を立った。
本当に突然に、唐突に。
気づいてはいけないことにたった今、気づいたかのように。


『…………っ』
『リーマス?一体、どうしたのじゃ??』


大広間にいた人間全部が注目していた訳じゃない。
でも、それでもそれなりの人間が何事かと見つめるそこで、
先生は蒼白な表情で『あの子は・・・・どこに・・・?』とそう呟いたらしい。


『落ち着け、ルーピン。朝から何事だ?』
『そうですよ、ルーピン先生。具合でも悪いのなら、セブルスに薬でも調合してもらったら如何です?』
『何故、我輩が?マダムに診て貰うのが良いだろう』


そして、何人もの先生が心配して声を掛ける中、


『セブルス!あの子の、あの子の名前は!?』
『『?』』


先生は半狂乱で、スネイプに詰め寄っていた。
いつも落ち着いた笑顔を浮かべている先生のあれだけ取り乱した姿というのは、僕はもちろんだが、 親子で交流があるというハリーでさえ、見たことがないと後に語った。


『ルーピン先生、“あの子”とは?』
『あの子はあの子です!クィリナス、君だって知っているはずだ!』
『さて……唐突に“あの子”と言われてもね?』
『っセブルス!君なら分かるだろう!?』
『……ルーピン。まずは我々でも理解できるよう筋道立てた話をしたまえ』
『っ!!』


けれど、それほどの取り乱しようを先生方ですらどうにもできなかった。
ルーピン先生は、そのまま大広間を飛び出し、今でも『あの子』とやらを探しているらしい。


「居もしない人を探すだなんて、気が狂ったと思われたってしょうがないぜ。
早く正気に戻って欲しいよ」
「……そのことなんだけど、ロン」


と、回想を打ち切った僕に、ハリーはそれは複雑そうな表情を向けてきた。
なんだろう、なにか悪い知らせだろうか?
あまり良い予感のしないそれに、自分の表情も曇るのを感じながら「なんだい?」と応じる。
すると、ハリーは少しの逡巡の後、意を決したように口を開いた。


「ロンは、最近なにか変だと思わない?」
「変?変って、なにがさ?」
「……具体的には言えないんだけど。
そう、リーマスが言うみたいに、なにか足りないような気が僕もするんだ」
「えぇ!?君まで変になっちゃったのかい!?」


爆弾発言と言っても良い一言に、思わず素っ頓狂な声が漏れる。
すると、


「ちょっと!今は授業中よ!静かにして頂戴!!」


ハリーの奥の席から、妙に尖った声が飛んできた。


「ごめんよ、ハーマイオニー」


すかさずハリーが謝るが、ふんと彼女は鼻を鳴らすばかり。
最近ちょっとは可愛げが出て来たし、仲良くもなったけれど、 でも彼女のこういうところは未だに苦手だ。
確かに真面目にやっていない僕達が悪いけど、注意するにしても言い方って物があると思う。
まったく。少しは   のことを見習ってほしいよな……。


「って、あれ?」


一瞬、誰かを思い出しかけた自分に、首を捻る。
なんだ?
今、僕、なにを思い浮かべた?

誰かとハーマイオニーを比較したような気もするけれど、 自分を注意してくる女子、だなんてそう多くはない。
というか、ハーマイオニーくらいのものだ。
それなのに、今、誰と?

と、僕が思い悩んでいることに気づいたのだろう、ハリーはなおも「ロンはどう?」と質問を重ねてくる。
がしかし、不思議なことに考えれば考えるほどに、さっきの違和感は平らにならされていって。


「うーん。いや、僕にはよく分かんないや」


気づけば、僕はそう答えていた。
と、どうやらそれはハリーにとっては納得のいく物ではなかったらしく、 ハリーは今度は無謀にもハーマイオニーに同じ質問をぶつけていた。


「ハーマイオニー、君はどうだい?」
「ちょっ!ハリー!?」


授業中に!あのハーマイオニーに!!
授業と全然関係のない話題を振る、だなんて無茶苦茶だ!
間違いなくさっき以上の雷が落ちることを想像し、思わずハリーの腕を掴む。
がしかし、僕が制止する前に、ハーマイオニーは僕達の方へと顔を向けていた。


「どうって?」
「君は最近、なにか変だって思わない?なにか足りないって」
「…………」


どうやら声を潜めての質問だった為に、いきなり怒られることはなかったらしい。
ハーマイオニーはハリーの真剣な表情を一度じっと見つめた後、 驚いたことに、凄く苦しそうな表情カオで頷いた。


「……ええ。すごく、変な感じなの。ハリー、貴方も?」
「!」
「うん。実はそうなんだ。本当になんて言ったら良いんだろう?
なんだか、最近の記憶が虫にでも喰われたみたいに、すっきりしないんだよ」


それに、ルーピン先生が言った『あの子』。
その言葉が、耳にこびりついて離れないんだ、と二人は言う。


「ルーピン先生があれだけおっしゃっていたんですもの。
気になるのは仕方がないと思うわ。でも……」
「それだけじゃない?」
「ええ。私自身、誰かを忘れてしまっているような気がする。
そんなこと、ある訳がないのに。ついこの間まで一緒にいた子がいる気がするのよ」


いっそ気味が悪い物を見るかのように、僕達の視線が、ハーマイオニーの左隣、 何故か・・・空いている席に釘付けになる。
別に、ただ偶々席が空いているだけだ。
それだけの、はずなのに。


「ねぇ、ハーマイオニーの隣って、いつも空いてた?」
「……ええ。そう、その、はず」
「でも、なんでだろう?いっつも空いてたはずなのに、
ハーマイオニーが一人だったって気が、僕あんまりしないよ」


そう、いつも彼女の傍に、誰かがいたような……。
仕方がないな、って表情カオをして。
僕を、ハーマイオニーを、宥めていた人。
ハリーが、いつも目で追っていた、誰か・・


「〜〜〜〜〜〜っ!」


しかし、幾ら思い出そうとしても。
少しも実体を持たないその誰かに、僕は声にならない悲鳴を上げて、会話を打ち切った。


「もう、止めてくれよっ!マグルのホラー小説だとかいう奴みたいに、
見えないクラスメートがもう一人いたみたいじゃないか!!」


そして、次の授業でも。
空席は、埋まることがなかった。







妙な話をしてから数時間、ハリーたちはどうやら本格的に、 『あの子』とかいうのの存在を調べることにしたらしい。
僕が幾ら止めようと言っても、二人は頑として譲ってくれず、周囲に聞き込みを始めたのである。
いや、怖いとかそういうことじゃないんだ。
ただ、さっきまでの僕がそうだったみたいに、 居もしない人間を捜そうとする奴、だなんて気が変になったって言われても仕方がないと思うんだよ。

案の定、僕達が最近変わったことについて質問をすると、大方の生徒は妙な表情カオになった。
どうしてそんなことを訊かれるのか、意味が分からないといった様子だ。
ただ、素直に例の『あの子』について調べている、と言うと、ほとんど皆気の毒そうに答えてくれたけれど。

僕達がルーピン先生と仲が良いっていうのは、グリフィンドール生なら皆知っている。
だから、単純に僕達が変になったルーピン先生の為に動いている、と思ってくれるらしい。
先生には悪いけど、気が変になった人間が4人よりは1人の方がまだマシだってことにして、 僕達はここぞとばかりに聞き込みをした。
もちろん、大した収穫があった訳じゃない。
でも、確かに皆、最近なにか物足りない気がするとか、そういう感覚は持っているみたいだった。

そして、大体の寮生に話を聞いた後、これ以上は収穫が見込めないと思ったところで。
行動力に溢れたハーマイオニーはなんと、とんでもないことを言い出した。


「あとは……先生方に話を聞くっていうのはどうかしら?」
「……ハーマイオニー。分からないことは先生に訊くって癖はどうにかした方が良いんじゃないかい?
先生だって分かることと分からないことがあるだろう?」


授業に関する質問ならまだしも、ほとんど好奇心からくる妄想みたいな物。
それを聞くだなんて、罰則は食らわないまでも、叱責の一つや二つは飛んできそうだ。
冗談じゃない、とばかりにハーマイオニーを止めようと試みたが、 彼女は僕の言葉に酷く気分を害してしまったらしく、きっと目を釣り上げた。


「そのくらい私だって分かっているわ!
でも、先生であるルーピン先生が、誰よりも『あの子』のことを気にかけていらっしゃるのよ?
他の先生がそうである可能性は決して低くないわ」
「えぇ?どうかな……それだったら、もっと最初に反応しても良さそうなものだけど??」
「うーん。でも、聞くだけ聞いてみる価値はありそうだ」


ルーピン先生、は正気とは思えないからとりあえず置いておいて。
グリフィンドールの僕達がなんとなく覚えているんだから、 と僕達はまず寮監のマクゴナガルに話を聞くことにした。

夕食後の自由時間。
消灯まではまだ時間がある、というその時に、僕達はマクゴナガルの部屋を訪ねた。
僕とハリーはマクゴナガルの部屋の場所なんて知らなかったけど、 ハーマイオニーはこれまでに授業のことで何度も質問をしに来ていたらしい。

改めて、彼女のバイタリティーと勉強好きに驚かされながら、僕達は部屋の扉をノックした。


コンコンコン


「すみません。マクゴナガル先生?少しお訊きしたいことが……」


ハーマイオニーが代表して声を掛ける。
すると、その声に反応したのか、がちゃり、と目の前の扉が内側から開かれた。


「生徒がこんな時間に一体何の用です?」
「「「!」」」


がしかし、扉を開けてくれたのは、マクゴナガルじゃなかった。
どうやら、部屋の中には先客がいたらしい。
それも、一人じゃなく、二人も。


「ポッターにウィーズリー?はて、グレンジャーだけならともかく、このメンツとなると……。
授業に関することではなさそうだな」
「そのようですね。一体何事です?」
「あ……いえ。その……」
「っちゃー。なんでクィレルやスネイプまで」


マクゴナガル相手しか想定していなかったので、複数の目に晒されてハーマイオニーが言い淀む。
ハリーはどういう訳だか平気らしいけど、あのスネイプにじっと見られたんだから無理もない。
なんてついてないんだ!と嘆きたくなった僕だったが、どうやら地獄耳らしいスネイプは、 僕の言葉にそれはそれは恐ろしい形相でこっちを見てきた。


「貴様に呼び捨てにされる覚えはないぞ、ウィーズリー。一体なにを企ててここに来たのだ?」
「っ!企てるなんて人聞きの悪いっ!?僕達はただ……!」
「ただ?」


クィレルの色素の薄い瞳が、怪訝そうに先を促す。
その妙な迫力に、語尾がどんどん尻つぼみになっていくのが自分でも分かった。


「いや、だから、その……僕達は……」
「『あの子』について、調べてるんです」
「「「!」」」


と、見るに見かねたのか、ハリーが僕の後を引き継いできっぱりと言い放った。
当然、先生たちは予想もしていなかった言葉に、揃って目を丸くする。
と、それに勢いを得たのか、ハーマイオニーはそこでようやく顔を上げて、 今まで自分達が調べたことととその成果を滔々と披露した。

まず、最近自分達が感じた違和感に始まり、ルーピン先生の妙な態度。
そして、欠落する記憶。


「どう考えても、今のホグワーツはなにかおかしいです」
「先生方はどのようにお考えか、お聞かせ頂けませんか?」


マクゴナガルだけに聞く予定だったが、まとめての方が手っ取り早い。
二人はすでに腹を括ったらしく、絶句する先生方を逃がすまいと真っ直ぐに視線をぶつける。
と、どの位時間が経っただろう?
もう諦めて部屋に帰りたい!と僕が二人に提案をしようというその時に、 はぁ、とそれは大きな溜め息が部屋を満たした。


「……あの時・・・と、同じですね」
「全くだ。やはり、というべきか」
「本当に人を振り回すのが得意な奴だな、あれは。くくっ」


疲れの滲んだ声を出す他の二人とは裏腹に、妙に嬉しそうに喉を鳴らすクィレル……って、


「なんかキャラ違う!?」


あれ!?僕の知ってるクィレルって穏やかーなスネイプと全然違う人だったんだけど!
なんか一瞬、スネイプ以上に癖のありそうな人いなかった!?

ぎょっと目を剥く僕達だったが、しかし、目を凝らす内に、 クィレルは元の人の良さそうな笑みを浮かべる、ちょっと気弱そうな人間になっていた。
……えっと、気のせい、かな?
うん。そう、そう、だよね?変なことばっかり考えてたから、僕達きっと疲れてるんだ。うん。


「……クィレル」
「おっと、いけませんね。つい、素が」
「……かなり今更な質問だが、貴様のそのキャラ作りは一体なんなんだ?
聞く度に背筋に悪寒が走るんだが」
「『やりたいことをするには、もっと狡猾であるべき』ということだ」
「は?」
「なに、ただの受け売りだ。誰かはもう分からない相手・・・・・・・・・・・・の、な」
「!」


そして、僕達が現実逃避している間に、先生達も覚悟を決めたのか、 マクゴナガルがずずいと前に出て来て僕達に対峙した。


「貴女方の疑問はもっともです。ミス グレンジャー。
実は今、我々もそのことについて話し合いを行っていました」
「!本当ですか!?」
「ええ。このまま闇の魔術に対する防衛術の授業に空きが生じることは望ましくありません。
ですから、今ダンブルドア先生が対処法をお考えです。安心なさい」
「「「!」」」


力強いマクゴナガルの言葉に、僕達は顔が明るくなる。
自分達よりよほど色んなことを知っている先生達が対処してくれる。
それも、ダンブルドアも直々に、だ。
その一言のもたらした効果は絶大だった。

そして、僕達は安堵と共にその部屋をあとにした。
ただ。


「あれ?結局『あの子』っていうのは、なんなんだろう?」


先生達がそのことを言及していなかったことを思い出したのは、もっとずっと後のことだけれど。





それでも、僕らは気づいたのだ。





......to be continued