神様、神様。模範解答はどこですか? Phantom Magician、144 「――ってことなんだよっマジで、ありえなくない?」 「お前は……馬鹿だろう」 「うぐっ!」 ひたすらにぐだぐだと聞かされたの愚痴を、僕はそう言ってにべもなく切り捨てた。 「だってさー」だのなんだのと、なおも男は呟いているが、 それに付き合わされる方の身にもなってみろ、というところだ。 というか、一体なにをどう罷り間違ったら、 女装したクィレルがダンスのパートナーになるというんだろう、コイツは? 「で?そのせいで、補習の時間が減る、と? わ ざ わ ざ この僕がリリーと時間を割いてやっているというのに?」 「うっわ、刺々しい……。だって、しょうがないじゃんかー」 「しょうがなくないだろう!どうしてお前はいつもそう考えなしなんだ!!」 「いや、だから……馬鹿だから?」 「……お前に言った僕が悪かった」 はぁ、とため息を吐きながらも、が細切れにすべき薬草をぶつ切りにしだしたので頭を叩く。 そう、目の前には大鍋にフラスコ、試験官にビーカー。 僕は今、大幅に遅れに遅れたの魔法薬学を見てやっていた。 「もっと細かくしろ。それじゃ間違いなく失敗する」 「うぁーい」 適当なの返事に脱力を禁じ得ない。 嗚呼、どうして僕がこんなことを……。 と、力の限り恨みがましい溜息を吐いて、本人に見せつける。 どう考えても、同じ寮でもなんでもない僕がの補習に付き合っているのはおかしい。間違っている。 それなのに、どうして自分はこの失礼な輩と一緒に地下牢になんぞいるのだろう。 いや、まぁ、これはある意味、謝罪と感謝の形にはなる。 つい先日、自分が大した傷もなく生還できたのは、間違いなくコイツのおかげなのだから。 例えそうは見えなくても! 如何に相手をするのが面倒でも!! コイツが医務室で過ごした分の勉強は見てやろうと思ったのも確かだ。 他の教科はリリーやら教師やらが補完しているようだが、 セイウチ然とした教授は、どうやらそれも面倒だと感じたらしく、 結局、授業に出れなかった分は所定の魔法薬の提出で良くしたとのことだった。 だが、急場はそれで凌げても、今年はなにしろO.W.L試験だ。 ポイントも分からないまま教科書通りに作るよりも、逐一解説があった方が良いのは当たり前である。 ということで、リリーとも相談した結果、 一人で作れと言われていないことを逆手に取り、僕監修の下で薬を作ることにしたのだった。 ただ。 「ふぁ〜あ……ねむ……」 「…………」 肝心の本人があまり真剣に作業しているように見えないのだけれど! 本当だったら読みたい本もまとめたいレポートもあったというのに、 それより優先させて勉強を見てやっている人間の目の前で欠伸をするだなんて、 どういう神経してるんだ、お前は!? 嗚呼、殴りたい。 なにはともあれ、殴りたい。 ひたすらグーで、殴りたい。 サンドバックを殴るように、殴りたいっ 忍耐を心に強いて、ひたすら作業に集中しようとする僕。 ところが、はしゃべっている方が落ち着くのか、 人の気も知らないで、調合している間もその口が止まることはない。 「っていうか、セブセブはどうなの?……うわ、キモっ」 「なにがだ。……いいから零すなよ」 「だからさー、ダンスパーティー。……これってコガネムシから抉ってんの?一個一個?」 「だから、なにがだ。……目玉だからな。抉るしかないだろう」 「リリー誘った?」 「っっっ!!」 危うく、薬草を刻むナイフで自分の手を切るところだった。 バンっと、机にナイフを叩きつけて、平気な表情をしているを凝視する。 「なっ……んで、僕がリリーを誘うんだ」 内心の動揺を気取られまいと、わざと平坦な口調をしてみるが、 対するは、なんというか……可哀想な人間を見るかのようだった。 「……それでよくバレてないって思えるね。ホント」 「っっ〜〜〜〜〜うるさいっ」 「……いや、まぁ、付き合ってあげるけどね? セブセブの数少ない女の子の知り合いでしょ?リリーは。 普通、特定の相手がいない場合って、そういう子に頼むもんでしょうが」 「……それは、まぁ、そうかもしれないが」 確かに、スリザリンで話す女子もいなくはないが、ダンスに誘うなど論外だ。 多少の好意もない相手と踊るなど、どう考えても互いにとって苦行である。 だが、それならリリーを誘うかと言えば、答えは……否。 「お前こそ、リリーと踊るだろうと思っていた」 「そりゃあ踊りたいよ!でもさー、たった4回しかない機会を僕なんかが奪っちゃ駄目でしょー?」 「…………」 ふいっと視線を正面に戻して発せられた、ふてくされたような言葉に、眉根が寄る。 それこそ、特定の女がいないのだ。誘ったとしても悪くはないだろうに。 は、誰かを慮るような口調で、そんなことを言う。 それがリリーなのか、踊る相手なのかは分からないけれど。 「ってことで、リリーのこと誘った?」 「!戻るなっ」 「だって話まだ終わってないじゃーん。まぁ、その様子だと誘ってなさげだけど。 リリー才色兼備だから、早くしないと変な虫つくよー?」 「っ」 教科書を睨み付けながら、は実にあっさりとそう言った。 確かに、それは純然たる事実である。 ポッター以外の男共にとっても、リリーは羨望の的だ。 輝く赤銅色の髪に、綺麗に微笑むアーモンド形の瞳。 理知的で、それでいながら情熱的な彼女を魅力的だと思わない男はいない。 それこそ、目の前の馬鹿のように、告白やらダンスの申込みやらが殺到していることだろう。 今のところは誰とも約束していなさそうだが、 ダンスパーティー自体は楽しみにしているようだった彼女を思い出す。 誰かとパートナーになるのも時間の問題だった。 だから、ぼやぼやするな、とコイツはコイツなりに親切で話しているのだろう。 だが、しかし。 「僕は、ダンスパーティーには行かない」 「……はぁ?」 それでも、リリーを誘うことには抵抗があった。 と、僕の厳かな宣言が余程意外だったのか、ようやくが教科書から顔を上げる。 怪訝そうな表情は、こちらを非難するかのようだった。 「いや、なんでそうなるの?良いから YOU 誘っちゃいなYO☆」 「嫌だ」 「なに?クリスマスパーティーなんてキャッキャうふふなイベントが気に入らないの?」 「別にそういう訳じゃない」 「んじゃ、自分にはそういうの似合わないーとか?」 「否定はしないが、それが理由でもないな」 「はぁああぁ?」 どんどん険しくなる表情。 デカデカと書かれた「お前正気か?」という言葉は非常に心外だが、 詳しく話す気もないので、今度は僕が材料に目を落とした。 「もう少し刻んだ方が良いな。……オイ、そろそろ火を入れろ」 「なにナチュラルに調合再開してんだよ、お前!」 「煩い。材料が悪くなるだろう、早くしろ。 誰の補習だと思ってるんだ?お前は」 「ちっ」 人の親切に対して舌打ちをするだった。 と、しかし、奴は次の瞬間にはなにかに気が付いたように顔色を変え、 「あ、そっかー?」 にんまり、とそれは性格が悪そうな笑みを浮かべていた。 「……なんだ」 「いやぁ?セブセブがダンスに誘わない理由って奴が分かっちゃった!なんて言わないよ?」 「表情が思いっきり言ってるだろうが。しかも、大層不愉快な理由思いついたな、お前」 絶対に的外れなことを考えていそうな様子に、自分の顔が歪むのが分かる。 はっきり言って、いますぐこの馬鹿から距離を取りたい。 作りかけの魔法薬を放り出して、さっさと寮に戻りたいっ しかし、一度引き受けたことを投げ出すのも業腹だ。 気が付けば、苦虫を噛み潰したような嫌な思いをしながらも、僕は律儀に鍋をかき回していた。 で、そんな身動きの取れない僕に、はこそっと近づき、内緒話でもするように声を潜める。 「セブセブさー、踊れないんでしょ?」 「…………」 その嬉々とした姿に、嗚呼、コイツやっぱり面倒臭いな、と思った。 してやったり、みたいな表情が殊の外むかつく。 恩人だとかそういう諸々を差し引いても殴りたい。 と、僕が無言でいるためにそれを肯定と受け取ったのか、 は「そうかそうか。うん、スキな子の足踏んじゃったらマズイもんねぇ」と一人納得している。 相手をするのも疲れるので、僕はもうそんな面倒な物体を放っておくことにした。 隣でにやにや笑っているのもこの際は無視だ。 「しかも、リリーのことだから、パーティードレスなんて着ちゃった日にはもうね? 天使通り越してもはや女神だよね!ビーナスだよね! ただでさえヤバいのに、うっかり見惚れちゃうに決まってる!」 「…………」 「いや、もしかしたらセブセブのことだから、目も合わせられないかも? で、気の利いたセリフの一つも言えないでいる内に、他の奴に掻っ攫われちゃうんだよ。 いやぁ、良いね!青春だね!!青い春!!」 「…………」 うきうきと話すは、まるで人の恋愛事情に身を乗り出す女生徒そのものだった。 自分のことでもないのに、どうしてこんなに楽しそうなのか理解に苦しむ。 (というか、コイツは人の応援をしているのか、それとも邪魔したいのかどっちなんだ?) が、相手にしないことに僕は決めたのだ。 僕はゴチャゴチャと騒いでいるを無視し、さっさと次の手順に進むことにした。 「。そろそろトカゲの干物を入れろ」 「はいはーい。……仕方がない。ここはこのさまがひと肌脱いでやろう☆」 「止めろ余計なことはするな頼むからっ」 「遠慮しなくて良いよ!セブセブ!!」 「遠慮じゃない。熟慮だ」 「大丈夫!僕に任せて!」 「任せてたまるかっ」 着々と出来上がっていく魔法薬と比例して、僕の不安は増大していった。 そして、最初の材料を入れて煮込むこと30分。 徐々に魔法薬の匂いが立ち込めてきた地下牢教室の一郭で、 魔法薬は僕の心情を反映してかドス黒いマーブル模様を描き出していた。 「うわぁ、飲みたくないねー。コレ。失敗じゃないの?」 「効果を試すには飲むのが一番じゃありませんか?ミスター 」 「あっはっは。絶っ対ぇ嫌☆」 軽口をたたき合いながら、ポンポンと残りの材料を鍋に投入していく。 その度に上がるジュッとした音やら、変わる色味に、は興味津々だった。 「で、ナゲキタケのみじん切りを入れた後は、弱火で10分だ」 「オッケー。まずはこっちの茸からね。 でも、なんでナゲキタケっていうんだろ?食べると泣くとか?ワライタケ的な?」 「教科書に書いてあるだろうが」 「え、そう?」 僕の話を頷きながら聞いていたは、そこで傘が大きく乳白色の茸を取り出した。 切り刻んだ直後に入れなければいけないものなので、いまだ原型を留めたそれ。 僕は、早速ゴーグルを取り出し、に手渡してやろうとしたのだが、 「なっ!?!!」 「え?なーにー……?いっ!?いたたたたたたたた!!」 は教科書を読まなかったらしく、ゴーグルなしでみじん切りを敢行し、 ぼったぼたと大量の涙を流していた。 それは風呂桶の水が一杯になってしまい、溢れて止まらないのとよく似ていた。 突如自分の身に降りかかった出来事に、は仰天して痛みを訴える。 「痛い痛い痛い!超沁みるっ!?なにこれ!」 「……はぁ。ナゲキタケは玉ねぎの百倍の刺激があるんだ。 だから、ゴーグルをわざわざ用意してあったのに」 「うあぁぁぁああぁっそういうことは先に言ってよぉおおぉお!」 粘膜を刺激する形容しがたい苦痛に、もはや手元が見えているかも怪しい。 というか、普通に視界は涙でぼやけているだろうに、コイツはそれでもナイフを動かし続けていた。 手を切りそうで嫌なのだが、しかし、失敗も大切な経験の一つである。 僕はそれはもう断腸の思いながらも、温かく見守ってやることにした。 「ほら、まだ荒みじんにしかなってないぞ。もっと細かくしろ……ぷっ」 「うわぁあぁあぁん!鬼!悪魔!! 見えなくたって笑ってる気配くらい分かるんだかんな!セブセブリンの馬鹿!」 刺激が強すぎるのか、もはやの目は充血して真っ赤だった。 (よりによって、茸を切った手で目元をぬぐっていたので、回復するはずもない。馬鹿め) 一通りその姿を堪能した後、「痛い痛い」と煩いに目を洗ってくるよう指示し、 僕が代わって茸を鍋に流し込む。 おかげで薬はすぐさま綺麗な緑色に変わり、後は煮詰めるだけ、という状態になった。 教科書の手順通りの操作をした後、半回転右にゆっくりとヘラを動かす。 これは所謂裏ワザ、というか、僕の試行錯誤によるこの薬の正しい作り方だ。 こうすると、更に薬効が高まるので、まぁ、ここまで付き合ったことだし、サービスという奴である。 その出来栄えに満足して、いつの間にやら隣にいたに視線を戻すと、 ばっちりとこちらを見つめている漆黒と、目が合った。 「っ!?」 「ううぅっ……っ……酷いよ」 いつもと違う、弱々しい声に物腰。 うるうる、とまるで可憐な少女がするように瞳を潤ませている姿に、妙な背徳感を覚える。 おそらく、泣いたことで紅潮した頬やらなにやらが原因だとは思うのだが。 その顔にじっと見つめられると、背中からなにかざわざわと這い上がってくるような気がして、 酷く居た堪れない…… 「っ……さっさと顔を拭けっ!」 ばふっ 「ぶっ!」 結局、僕はそれに耐え切れず、私物のタオルの一つを奴の顔面に叩きつけた。 それに対して、は「セブセブの愛が痛い」とかなんとかまた訳の分からないことを言っていたので、 こちらが見えないのを良いことに、頭を小突く。 と、が文句を言わなくなるまでそんなやり取りを繰り返している内に、 気が付けば、薬作りももはや終盤に差し掛かっているのだった。 後は、じっくりかき混ぜながら色が深い緑色になった後、イモムシを加えれば完成だ。 「火加減に注意しろよ」 「注意ってどんな感じに?」 「強すぎず弱すぎず5分加熱の後は、最後まで強火だ」 「強すぎず弱すぎずって曖昧すぎるだろ。具体的には?」 「目で見て確認しろ。それ以外は言いようがない」 「うえー?」 もうそろそろ本人に任せても良いだろうと判断した僕は、 に木べらを手渡し、一番重要なポイントについて確認する。 なにしろ杖でつける火なので、気を抜くとすぐ温度が下がってしまうのだ。 掻き混ぜるのと火加減と、二つ同時に行う作業は無駄口を禁止する。 すると、流石のも、時折火の大きさについて僕に訊いてくる他は、 無言のまま、じっと真剣な瞳で鍋を睨み付けていた。 残る僕の役目としては、本人の動きやら効率やらをみて、悪いところを指摘すれば終了だ。 今の所、大きな失敗もしていないので、及第点位は貰える出来になるだろう。 やれやれ、と肩の荷がおりるような心持で、ぼんやりとの手元を見つめる。 今は特にスピードを要求される場面でもないので、 その手の動きは緩慢だ。 もっとも、滑らか、とまではいかなくても、別段問題のある動きではない。 「…………」 口を閉ざして黙々と作業するは、まるで別人のようだった。 こうして真面目にしていれば、少なくとも見た目では馬鹿だと思われないだろう。 いや、実は頭が悪い訳でもないようなのだけれど。 今までにも何度か勉強をみたり、話をしたりがあったが、 普通の話をしている分には、頭の回転も速いし、意志の汲み取りも十分できていた。 だから、コイツの馬鹿さ加減というのは、知識量とか、そういう一般的な物では測れない物なのだと思う。 まぁ、一言で言えば……性格とかか? 馬鹿は死んでも治らない、とかそういう感じの物だろう。 けれど、コイツがこれで、馬鹿じゃなかったら自分はこうして隣にいなかった訳で。 振り回されることが迷惑である反面、その性格を否定できない自分がいる。 「」 そして、僕は呆けた頭のまま、何気なくコイツを呼んで。 「……?」 返されない言葉に、眉根を寄せる。 は失礼にも呼びかける僕を見ていなかった。 奴の視線は目の前の薬の材料に固定されており、ちらりとも動かない。 それが集中してのことであればまだ救いようがあるが、そうではない。 こちらが溜息を吐いた瞬間からは動きを止め、材料を摘まんでいたピンセットは宙に浮いたままだ。 あまりに不自然な停止は、僕の様子を伺っているようにしか見えない。 なんて奴だ……っ もう、怒りにまかせて怒鳴りつけてやろうかと、の肩を掴む。 「オイっ!」 がしかし、その顔色を見た瞬間、自分の怒りが見当はずれだったことを悟る。 「っっっっっっっ」 「ど、どうしたっ」 は蒼白だった。 脂汗さえ浮かべかねない必死の形相で、目をピンセットから離すまいとしている。 それが、あまりにも凄まじい表情だったので、不思議になってピンセットの先を見る。 それは、今から使おうと思っていた薬の材料であるイモムシで……。 「ん?」 動いていた。 うにうにうにうにうにうにうにうにうにうに、と動いていた。 本来であれば、死んだものが瓶には詰められているはずだったが、 どうも運よくそれを逃れたものが数匹いたらしい。 そして、それらは、突然瓶の中に侵入してきたピンセットに、これ幸いと必死にくっついてきたのだろう。 見る見る内に上――つまりはの手を目指して這い上って行く。 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!?」 そして、僕の声でフリーズが解けたのか、 はたまた、忍び寄る危機に反応したのか、は声にならない叫びをあげていた。 (……コイツ、ひょっとしてイモムシが苦手なのか?) さて、この後どうするつもりなのだろう、とほんの少し興味を引かれて傍観していると、 は今にも倒れそうな表情のまま、あろうことか、力の限りそのピンセットをぶん投げた。 「寄るなぁあぁあぁあぁー!!」 「!!」 がしかし。 それはあまりにも愚かな振る舞いだった。 なぜならば、が放り投げたピンセットに大部分のイモムシはついていたが。 「!!!ぎゃあぁあぁあぁあぁ!!やだやだやだやだ!取って取ってぇっ」 その勢いについていけなかったものが数匹、のローブにしっかりと落ちてきてしまったのだから。 頭の上やら肌に直接でないだけまだマシかもしれないが、それでも、それは随分にダメージを与えたらしい。 奴は、ほとんど半狂乱になって僕に詰め寄った。 「セブセブセブセブっ!取ってぇー!!取って取って取ってー!!」 自分で摘まんで取ることはどうやらできないらしい。 できる限り遠くに虫を離そうと、自身のローブを引きちぎる勢いで前に引っ張り続けた。 男のくせにだらしない、という一言はそのあまりにも恐怖に慄く姿にうっかり口に出せない。 端正だと言えなくもない顔は、すでに蒼白を通り越して土気色。 目は、今にも零れおちんばかりに見開かれて、涙が盛り上がり。 とてもではないが、5年生とは思えないような頼りなさだった。 「ちょっと待て。動くなっ」 「ひぃいいいいぃ!!」 若干以上、本気でウザイ。 放っておいたら何をしでかすか分からないので、 僕は明らかにパニック状態になっているをどうにか宥めようとする。 がしかし、いまいち上手くいかない。 落ち着け、動くなと言っているのに、わたわたと動き続けるせいでイモムシがちっとも取れないのだ。 というか、言葉そのものをちゃんと聞いていない可能性があった。 「……ちっ」 ということで、僕は実力行使に出ることにした。 「石になれ!」 「っ!?」 まさか友人認定した奴にこんな魔法をかけることになろうとは。 自分でも思いがけない展開に驚いたが、魔法をかけられたの驚愕はそれ以上だったらしい。 イモムシを取ってやる間中、奴は涙目だった。 ……あまりの情けなさに溜息が出てくる。 学校に入りたてのマグルの女子でもないだろうに、そこまで嫌がるものだろうか? ぱっぱっと手早く芋虫を払ってやると、 は散々イモムシの有無を確認した後、ぐすぐすと鼻をすすっていた。 「ううぅうぅ。これだから、魔法薬の授業なんて嫌いなんだ」 「そこまでイモムシは使用頻度が高くないだろう」 「違うよ!イモムシもだけど、コオロギとか、ムカデとか、虫一杯出てくるじゃんか!」 「……なんだ、虫全般が駄目なのか?」 「死んでりゃまだ平気だけど、生きてるのは気持ち悪いじゃん! 僕、蝶々も蛾も鱗粉出す時点で大した変わりないと思ってるからね! できるだけ触りたくないっての」 どうやら、ニュアンス的には、『苦手』というより『嫌い』と言いたいようだ。 だが、さっきの様子を見てみると、どう見ても『苦手』『怖い』もしくは『とにかく嫌』が近い気がする。 嫌悪感たっぷりに残るイモムシを見つめる。 そこに嘘はなさそうだが、思いがけない弱点の発覚に、 ふと僕の心に悪戯心が湧き起こる。 さっきから散々苦労をさせられているのだ。 多少の意趣返しくらい許されるような気もする。 ということで、僕は思いつくままに、 の後ろ髪を指差した。 「オイ、。髪の毛にイモムシが……」 「ひっ!!!!?」 がばっ! 「!」 はこれ以上ないというくらい素早かった。 言葉を認識した途端に、奴は怖気に震えるような声を上げて、僕に力の限り抱きついてきたのである。 そのあまりの勢いに、意表を突かれた僕はなす術もなく床へ押し倒される。 したたかに腰を打ち付け、悪戯心なんて物は起こすものじゃないな、と実感した。 そして、思ったより小さな手が、必死に僕の胸元に縋り付く。 「なっ!?」 「と、っと、とっと!取ってっ!!」 動くことも怖いのか、華奢な体と首筋が震えていた。 サラリと零れた髪からは清潔な香りが漂い、圧し掛かってくる体は不思議と柔らかで…… 一気に上昇した体温で頭が沸騰し。 胸の奥で、心臓が大きく鳴る音がした。 「っ!?」 自分の目が、感覚が信じられず、目の前にいる人間の手を引きはがす。 すると、途端に自分を呪いたい気分になった。 呼吸が、酷く怪しい。 息が、できない。 嘘だろう、と声に出せれば、どれだけ楽だっただろう。 「お、まえ……っ」 「取れた?ねぇ、あたしについてるの取れたっ?」 呻く僕に気付かず、よく見慣れた男にそっくりの少女が僕を見つめていた。 状況を整理しよう。 僕はの魔法薬学の補習に付き合って、放課後の教室にいた。 そこで、大体の調合を終えたところで、奴の弱点が発覚。 日頃の鬱憤を晴らすべく、些細な悪戯を仕掛けたところ、効果は絶大。 身も世もない風情ではパニックを起こし、僕に縋り付いてきた……。 で、どうしてこうなった? 「……ああ、取れた、みたいだ」 「『みたい』じゃ困るよっいない!?ねぇ、セブセブってば!もういない!?」 あの馬鹿と同じ漆黒の髪と瞳。 ふざけた呼び方に、馴れ馴れしい態度。 そのどれを取っても、目の前にいるのは、いるはずなのは=なのに。 その体は女の物で。 発せられる声は、ずっと高くて。 「〜〜〜〜〜〜〜っ」 ぐらり、と眩暈がした。 と、僕が驚愕のあまり固まっていると、流石にその様子が奇異に映ったのか、 少女はどこか心配そうに手を伸ばしてきた。 「セブセブ?どうしたの?ひょっとして頭でも打った?」 「っ」 見知らぬ他人のくせに。 僕を案じる瞳は、そのままだった。 そして、その事実に気付いた瞬間に、理屈ではなく本能で納得する。 嗚呼、コイツはだ、と。 馬鹿で、間抜けで、お人好しで。 服装改善やら何やら、頼んではいないことを色々気遣ってくる変な奴。 鬱陶しいと思う反面、いないといないで妙に落ち着かない同級生。 目の前にいるのは、そんな僕の友人だった。 口を開くのに多大な労力を使いながら、僕はひたと少女を見つめた。 「お前が飛びついてきたせいだろう。」 「いや、だってそれはイモムシが……! って、まぁ、それは置いといて、大丈夫?どっか痛かった?」 どこまでも間の抜けた表情をしている彼女。 僕は心の中で信じてもいない十字を切りながら、大きく息を吸い込んだ。 「ああ、そうだな」 「やっぱり!?どこ!?どこが痛いの?」 「頭が痛いな」 「頭!?」 「ああ……女に裸に剥かれて頭を洗われたなんて思うと、頭が痛いわ!!」 「!!?」 僕の怒号に、がした言い訳は、「裸じゃないよ!水着だよ!!」という、 それはそれは的外れな物だった。 神様は言いました。 人間関係に模範解答なんぞありません、と。 ......to be continued
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