幸せを望んで止まない、人がいる。





Phantom Magician、137





+ + +


「あたしにとってサラはじゃがいも好きで腹黒でやたらと偉そうで。
そのくせ一人の女の子に絶賛片思い中の、あたしの親友だよ」


――異世界の人間で闇の魔法使い?
嗚呼、奴ならそのくらい言われても仕方ない。だって、腹黒いもん。
なんていうか次元が違うとは常々思ってたんだ。うん。
――ヴォルデモート卿のご先祖様?
なるほど、これで奴がひたすらに蛇を愛でてる謎が解けたわ。
っていうか、『蛇野』って名字そのまますぎだろ。ドン引きだっつの。
――心が読める?
……便利じゃね?



「あたしにとったら、そんなことより……、 奴がバツイチ子持ちの年齢詐称男だってことの方が問題だってーの。
それで、小学生の時から親友ぐりに付きまとってるとか犯罪だろ?」



+ + +


にっこり、ととびきりの笑顔を浮かべてそう断言したの笑顔を瞼の裏に見て。


「……ふっ。くくっ」


一人、住処にしているマンションの一室で私は笑い声を上げた。
今までPCの唸り声しかしていなかった中響いたそれに、端に置かれた水槽内の蛇がキョトン、と首を持ち上げる。
まだ幼いその蛇に対して「すまない」と素直に詫びを入れながら、しかし、一度こみ上げた笑いは中々収まってはくれない。
時間はとうに夜を迎えている時間だが、防音設備はきちんとしているはずなので騒音の苦情がくることもなく。
そう考えてしまうと、なおさらだ。
それに、自分自身でも防音の魔法は駆使していることだし、な。


「くっくっく。そこで、そう来るか……流石は


常にその相手をしている自分の分身はきっと、驚くのを通り越して脱力していることだろう。
そのやり取りを思い浮かべると、酷く愉快で仕方がない。

自分でも通常のテンションではないなと思いはするものの、しかし、彼女が自分を受け入れてくれたのだ。
異世界とか言う馬鹿馬鹿しい場所の登場人物で、良い印象など少しもないであろう、サラザール=スリザリンを。
自分の親友として。悪友として。
これで機嫌を良くするなという方が難しい。
そうして、ひとしきり笑うと、私は不意に思い立ち、ひんやりとしたベランダに出た。
部屋が高所にあるために強い風が吹き、お気に入りの銀の髪を後ろにさらっていく。
少々鬱陶しくてそれを抑えながらも、目の前に開けた溢れるような夜景に、口元が綻ぶ。


「嗚呼……綺麗だ」


感嘆の声は、ごく自然に発せられた。
そこにある灯りは、ただの灯りにすぎない。
そう頭では分かっているものの、しかし、今ではそれを素直に綺麗だ、と思える。
と出逢わなければ、味わうことなどなかった感覚だった。







――サラザール=スリザリンはたちが『ハリポタ世界』と呼ぶそこにいた時、ただただ絶望していた。

理由は簡単だ。
私は生まれたその時から、他人の心が読み取れた。
それは時に声や音、匂いや映像であったりした。
開心術のようなものなのだと思う。
閉心術の遣い手であれば、ある程度情報を遮断することが可能だったのだから。
だが、その力は制御できるようなそれではなく、 私が望む望まないにかかわらず、周囲の人間の意識・思考がなだれ込んできていた。

化け物っ 愛してる 死んでしまえ よくもヨクモ! どうして 気持ち悪い なんと素晴らしい 殺してやる  あの女さえいなければ 憐れだな 無理だ 大好きだよ 困った人ね ドウヤッタラ 怖い 教えて下さいっ  酷い また駄目だった 見てみて! 馬鹿じゃねぇの ありえない 一緒に 無茶しないで 殺さないで 嫌だ  嬉しいっ 止めて 君は? やろうよ 凄いなあ シニタイ 苦しい 何故です 寂しい 探しに行く? 泣かないで  欲しい 壊れてしまえば良いのに 大発見だ! まだ分からないのかい?憐れ 帰りたい 痛い 笑って 手を  ウソツキ 嗚呼 幸せって奴? 助けてくれ なんで 困ったな 楽しいでしょ? 綺麗 雨が なんで生きてるの 
目を開いていても、開かなくても。
美しい山河が、ネオンの町並みが、無垢な幼子の笑みが、血の海が。
自分が本来見ているはずの景色に重なって見えた。
潮風の匂い、艶めかしい女の匂い、花の匂いに雨の匂い。
笑い声、鳴き声、喘ぎ声、呼吸音、機械音と耳鳴り。
口も動かしていないのに、どんどんどんどんなにかが押し寄せてきて。
不快に思う間にも、嫌な感覚は――肉の味、酸味、胃液の苦さ、甘ったるい蜜の味――拡がって。

いつしか、私の感情は摩耗していた。
恐らくは、自分の許容量は他人のそれですでに目一杯だったのだろう。
(その証拠に、初めて逢った時亡者かと思った、と後になってよくある男にからかわれた)
思い出すだけでも気持ちの悪いその感覚に、何故あの時の自分は発狂しなかったのだろうと思う。
もしくは、さっさと自殺してしまわなかったのだろう、と。
ただ。
ただ、時折触れる、星屑のように輝く心に死にきれなかっただけなのだけれど。

周囲の人間からはその力を恐れられ、疎まれ、蔑まれ。
気づけば、私は方々を彷徨っていた。
目的は特になかったように思う。
まるで幽鬼のように、ただ漠然と死に場所を求めていただけで。
だが。


――君が……サラザール?


私はそこで唯一にして無二の、かけがえのない友人を得る。
彼らは心優しく、賢く、それでいて勇敢だった。
私の力を知っても、離れることなく傍にあり続けてくれた。
彼らは知らない。
私が、どれほどそのことを嬉しく思っていたのか。
消えてしまった表情の奥で、どれほどそのことに驚いていたのか。

そして、彼らと出逢ったことで、私は本格的に己の力を制御する術を模索しだした。
幾ら彼らが気にするなと言ってくれても、無視した。
見知らぬ他人の醜い思考を読むことも嫌だったが、
なにより、私には近しい人間の心を知り続けることに耐えられなかったのだ。
彼らは当然のように閉心術を心得ていたが、それでも、完全に私の力を遮るには及ばない。
だから、あらゆる魔術からその術を探した。
だが。
私はあの時、分かっていたのだ。
この力は、自分一人の努力ではどうにもできないものであると。
必要なのはきっかけだった。
一度で良い。
たった一度で良いから、他人の思考が読めない完全な静寂が欲しかった。
だから、求めた。
私が心を読むことのできない『誰か』を。

そして、そんなある日。
唐突にゴドリックが言い出した。
『魔法学校を作ろう』と。
もちろん、その言葉には奴なりの思惑やら何やらがあったのは間違いない。
魔女狩りが進行していたあの時代、魔法が未熟な人間の保護・監視は急務だったのだから。
だが、その一言に私に対する配慮がなかったとは、やはり言えなかった。
『誰か』を闇雲に探しまわるよりも、その『誰か』が自分からこちらにやってくるように。
もしくは、未だ存在しない『誰か』が自分達のひざ元に現れるように。

始め、ロウェナは「無謀だ」と呆れ。
ヘルガは「無理だと思うわ」と困惑し。
私は「馬鹿げている」と一蹴した。
だが、あの無鉄砲と陽気さでできているような男は諦めなかった。
こちらがめげるほどの熱意で私たちを口説き続け、その必要性と有用性を説いて回った。
まず折れたのはヘルガだっただろうか。
続いて、ロウェナが苦笑交じりでその輪に加わり。
やがて。
やがて、私すらも。


『さぁ、残るは君ひとりだ!サラザール』
『ええ。サラザールも一緒に』
『……いい加減観念しろ、サラザール』


三つの手は、私が拒絶することなど考えてもいなかった。
どうして、それを私が拒みきれよう?
どこまでも優しく、心地よいその手を。


『私も大概、馬鹿だな』


すまない。
今はまだ、お前たちに甘えさせてくれ。







魔法学校を創る上で、問題は山積みだった。
マグルに見つからない広大で快適な学び舎の場所を探すことに始まり、 各地に山積している魔法・魔術の保護と確かなカリキュラムの確立。
分野ごとに著名な人物に対する打診と協力の要請。
資金集めはもちろんのこと、魔法族全体の理解も不可欠だった。
太古の魔法道具が埋められていた、霊的エネルギーに溢れていた場所を本拠と定め、 (今ではどうやら「憂いの篩い」と呼ばれているらしい)
4人で奔走し、学校としての体裁をどうにか整えたのは、果たしてどのくらい経ってからだったろう。
楽しかった。
充実感があった。



だが、それでも求める『誰か』は現われなかった。



『誰か』はきっと魔法力に優れた魔法族から現れると思い、純血を奨励し。
それでも見つからない『誰か』に、他人の子では駄目なのかと、 その時、一番血が濃く魔力に優れた娘との間に子も成した。
だが。
どれほど待てど。どれほど探せど。
『誰か』は現われず。
せっかく射したかに見えた光が翳っていく。

そして、ようやく魔法学校が軌道に乗ってきたことを見届けて、私はある決意をした。
例えこの世界を捨てることになろうとも『誰か』を探しに行く、と。
折しも、複雑な魔法陣と呪文を駆使した移動魔法が完成した時のことだった。

そのことを仲間に告げると、ヘルガは泣き崩れ、ロウェナは「馬鹿が」と表情を歪めた。
だが、こんな時いの一番に騒ぐはずの男は、引き留めることもせず「それで良いのか」と問うた。
私が首肯すれば、獅子のように瞳を煌めかせた彼は愛用の剣をすらりと抜き放ち、こう言った。

「では、決闘を」と。

もちろん、これは全く意味のない行動だった。
勝とうが負けようが、私がこの世界をあとにすることには変わりはないのだから。
だが、意味はなくとも必要があった。
私たちがひとつの区切りを入れる為に。
私たちは全霊を賭して戦った。
己の持つ全ての技を、全ての力を出し切ったその決闘は一昼夜に及び。
やがて、勝ったのは私だった。
あくまでも正攻法でくるゴドリックに対し、不意を打つ形で私が攻撃したのだ。
それに対してゴドリックは快活に笑って己が敗北を認めた。
そして、私は自分達で生み出した美しい箱庭を出て行った。
事情を知らぬ人間がそれらを見ていたならば、仲違いしたように見えたかもしれない。
だが、そうではない。
ただ、私たちは道を別けたのだ。
己の信念を貫く、そのためだけに。
その証拠に、彼らは自分達の魔力を使って、私を快く送り出してくれた。
たちがいる、あの世界に。







生まれて初めて辿り着いた異世界は、魔法のない世界だった。
素養を持つ者はいても、その才能が開花するには、圧倒的に魔力の濃度の薄い空間。
その、今まで自分が追い求めたものとは真逆をいく世界に、最初は酷く落胆したものだ。
もしや、移動は失敗だったのかと。
だが、魔法がないというのに、魔法でも難しいことを平然と行う人々を見て、もしやと思った。
魔法がないこの世界だからこそ、自分の追い求めるものがあるのかもしれない、と。

そして。
嗚呼、そして、私はそこで『誰か』と出逢う。
それなりの学力に、そこそこの容姿。
全てにおいて平均よりは上であろうが、特出してなどいない彼女。
嗚呼、だが。
私には彼女が輝ける奇跡にしか見えなかった。
彼女と出逢い。
彼女と私が互いを認識したその瞬間に、世界が変わったのを、確かに覚えている。
あの時の感覚をなんと表現しよう。
あの、泣きたくなるほどに世界がはっきりと輪郭を得た瞬間を。
彼女は。 は。
ただそこのに在るだけで、私を救ったのだ。
そう。彼女に出逢った瞬間、私は己の力の制御を手に入れていた。







それから、私は稚い子どもに戻ったかのように、彼女たちと日々を謳歌した。
それはゴドリックらと過ごしたのとは違う、けれど同じく素晴らしい時間だった。
だから、私はに恩返しがしたかった。
このかけがえのない時間をくれた彼女の願いを叶えたかった。
本当に、それだけだったのだ。

そして、ある日私は、彼女の望みが己のいた世界にあることを知る。


『あー、リーマスどっかにいないかなぁ』


気晴らしにでもなればと思った。
仕事で行き詰っているらしい彼女が、少しでも息抜きができればと。
それは軽いきっかけで、けれど真摯な想い。

そして、彼女のために、己の分身を。
『理想の自分』を与え、送り出した。

彼女に魔力はない。
本当は自分の魔力を分け与えるのが一番だったが、彼女と私の魔力は相性が悪く。
だから、仕方がなしに、私は彼女を決して裏切ることのない存在を生み出した。
自分とどこまでも近くて。
けれど、どこまでも違う分身。
の願いを叶えることを第一に考え、己を偽り続けることのできる理想的な案内役を。
彼女の支えとなり、彼女の代わりに魔法を行使することのできる、存在を。

たとえ私たちの相性が幾ら悪くとも、相手を彼女一人に絞れば、 どうにかコントロールできるようになった力で、心を読み取れるようにできるのが分かっていた。
心さえ読めれば、彼女の望みを分身が・・・魔法で叶えることが出来る。
そして、それは彼女自身が魔法を使えることと同義・・・・・・・・・・・・・・・・となる。
……魔法が使えなければ、リーマスとやらにも逢いに行けないだろうから。
子孫リドルの心を掌握できないのは当然だ。
魔法を使っていたのはあくまでも分身なのだから)

たとえそのために、自分の魂も、魔力の核も、己の持つあらゆる才能を半分失ってでも。
そうしたことに後悔はない。

だが。
彼女は選択してしまった。
その狼男のために、自分がボロボロになる茨の道を。







が今後歩むであろう道のりを思うと、自分の表情が曇ることが分かった。
お人好しと呼んで少しも過言ではない彼女。
そんな彼女がする選択は、恐らく自分の想像の域を出ない。


「山場を越えた以上、物語は加速する……」


ならば、自分も覚悟をする必要があるだろう。
そう独りごちて。
ついさっきと言っても過言でない時にと交わした会話を思い出した。


「嗚呼、がまた怒るな……」


可愛らしい猫目がつり上がる様が目に見えるようで。
すっかり鮮やかになってしまった己の真紅の瞳を細めて、私は小さく苦笑を漏らした。





幸せを望んで止まない、人がいる。
私達にとって、君こそが、そうなんだ。






......to be continued