幸せを望んで止まない、人がいる。





Phantom Magician、136





自分の腕の中に飛び込んできた体を軽く受け止め、くすりと頬が綻ぶのを感じた。
が独占欲に近い感情を自分に抱くだなんて。
彼女と初めて逢った時には思いもしなかったし、 彼女に名前を呼ばれた時には考えもしなかった。

冬を迎えようとするホグワーツの気候は、うららかな午後であっても寒いはずなのに。
僕は心も体も、酷くぬくい陽気に満ちている。

は知らない。
『僕』でも『私』でもない、自分にとって、 初めて感じた、他人の体温が最高に心地よかったことなんて。
ただの聞き間違いでも、『僕』を君だけの名前で呼んでくれて、嬉しかったことなんて。
君は、知らなくても良い。
いや、君だけじゃなく、他の誰も知らなくて良いんだ。

だってそれは、あの男も知らない、僕だけの真実。
『スティア』しか知らない、事実なのだから。

そして、それは、こうしてが自分を好いていているのと同じく、幸せな現実だった。
例え子どもが抱くようなそれでも。
僕は、こんなにも嬉しい。
もちろん、こんな些細なことで喜ぶ自分は、


……馬鹿げている


嗚呼、馬鹿げているとも。
そんなことは、とうの昔に分かっている。

例えば、同じ状況にトム=リドルがいたとすれば、 その程度で喜ぶなんてありえない、そう言うことだろう。
だって、あいつは幸せって物が分からない。
自分の望む物が、分からない。
だから、目の前にあるそれに、手を伸ばすことだってできるのに。
気づかないから、できないんだ。

例えば、同じ状況にあの男がいたとすれば。
馬鹿げているという思想こそが馬鹿げている、とそう言うことだろう。
だって、あいつは幸せって物を知りすぎている。
自分の望みだって、知り尽くしている。
だから、目の前にあるそれを、躊躇無く手に出来る。
知っているからこそ、馬鹿になど、しない。


「…………」


そこまで、一瞬の内に思考し。
僕は。
の肩に手を置き、後ろ髪を引かれる思いを感じながらも体を離した。


「……いつから、君って子は人に抱きつく癖がついたんだい?」


僕は。
馬鹿でも良い。
そう思える自分が、割と嫌いじゃなかった。

そして、そんな大馬鹿者をは楽しげに見上げて。


「……今でしょ!」


人の気も知らぬげに、最高にムカツク、ドヤ顔で再度抱きついてきた。
…………。
……………………。


「あのさ、


ちょっと空気読め、馬鹿女。
な ん で 人が折角離れようとしているのに抱きついてくるんだ。
こっちの男心を少しは察しろ。
某有名盗賊の3世の如く、馬鹿なこと言うんじゃないよ、と言いたかった男心を!

はぁ、と巨大な溜め息が漏れる。


「……僕、あの塾講師好きじゃないんだけど」
「あー、ぶっちゃけあたしも好きじゃない。
塾講師ならテレビ出てないで、受験生導いてろやって思ってるよ。うん。
ただホラ。言うなら今しかないかなって?」
「……別に言う必要なくない?」
「いや、まぁ。ないけど」
「…………」
「…………」
「ふむ。ないけど、僕に抱きつきたかった、と」
「〜〜〜〜〜〜!」


仕方がないので、僕は再度彼女から離れるべく、そう口にする。
ここまで言えば、恥ずかしがり屋ののこと、 いい加減僕を解放してくれるだろうと踏んだのだが。


「っ」
「!」


寧ろ、赤くなった頬を隠すかの如く、いっそう腕に力を込めて抱きついてきた。
……照れ隠しにしても、人に抱きつくだなんて、随分彼女のスキンシップは欧米化されてきたらしい。
そして、抱きつかれたことによって、の心の声がぽわぽわと流れ込んでくる。

(やっべぇ、今の笑顔最っっっっ高に黒かった!
すき好きだいすきアイシテルっ……肉球並に!)


「って、待て」
「うん?」
「今、絶対に同列に並べるべきじゃない物とこの僕を同列にしなかった?」
「え?いやいや。気のせいダヨ☆」
「いやいやいや。この僕に惚けるとか、無理だろ」
「いやいやいやいや。空耳空耳!空耳アワーだよ」


漫画であれば、滝のような汗をだらっだらにかいていそうな形相で、 は、凄絶に笑いながら、そこでようやく僕を解放してくれた。
誤魔化すにしても、もうちょっと取り繕えなかったのか?と訊きたくなる姿である。
と、あまりに白けた僕の眼差しにぴくぴくとの頬が引きつった。
そして、彼女はどうにか話題を別の方向へ放り投げようと、目を彷徨わせながら、口を開く。


「えーとえーと、あ、そういえば!
結局スティアってサラザール=スリザリンのなんなの?
予想で行くと、息子とか直系の子孫とかのゴースト的なあれかなって思うんだけど!」
「…………」


結果は大暴投だった。

…………。
……………………。
ええええええぇぇぇぇぇぇええぇぇぇえぇ!?
今、ここでそれ訊くの!?訊いちゃうの!?君!
それってさ、ヴォルデモート卿がサラザール=スリザリンの子孫だったってくらいの、 重要事項なんじゃないの!?普通!
こんなっ!こんな、話を逸らす為の手段とかでかる〜〜く訊いて良い事柄じゃないよね!?絶対!
どう考えても、さっきまでのシリアスな雰囲気で言う話題でしょ?
昼ドラとかで言うところの、次週に引っ張るくらいのシーンでしょ、これ!
っていうか、


「……ゴースト的なあれってなんだ!?」
「だってゴーストは物触れないけど、スティアは触れるじゃん?
ってことで、スティアはゴースト的なあれかな、って」


にっこにこと満面の笑顔の
しかし、まったくもって意味は不明である。
いっそ絶叫できたら楽だろうか、と思いながら、凄まじく重い溜め息を吐いた。


「だから、ゴースト的なあれってなに……?」
「あれはあれだよ!」
「熟年夫婦じゃあるまいし、こそあど言葉で分かるか!」
「チッ……こんな時こそ心読めよ」


心を読まれることを拒否されることはあっても、読んでみろとは。
間違っても、花も恥じらう乙女の台詞ではない。
がしかし、まぁ、もっともな言葉でもあるので、僕はちょっと真面目に彼女の心を探ってみる。
すると、暗闇に大層ムカツク顔をした小男の姿が……


「…………」


そのことを確認して、僕は気づけば地を這うような声を轟かせていた。


「……
「うん?」
「君、まさかこの僕をピーブズなんかと同類だとか思ってやしないよね?」


あの、傍迷惑かつ、醜悪な、ポルターガイスト野郎と。
この僕を。


「ひっ!!」


一言一言に込められた殺気に気づいたのか、から喉を絞められた鶏のような声が漏れた。
そして、彼女はぶんぶんと音がしそうな程激しく首を振って、僕の言葉を否定する。


「まままままさか!いや、スティアならゴーストはゴーストでも、
物が触れる位レベル高いゴーストなのかなって意味だよ!おキヌちゃんレベルだよ!!」
「いや、日給30円で健気に働く幽霊少女と一緒にされるのも微妙なんだけど」
「ぐっ!!」
「っていうか、GSネタとか古いし。どうせなら、ジバニャンとかに例えようよ。猫繋がりで」
「ここでまさかの妖怪ウォッチ!?フリーダムすぎるだろ、お前!キラか?キラ=ヤマトなのか!?」
「GSだからってガンダムSEEDのキャラ出されても。GSはゴーストスイーパーだよ?」
「知ってるよ!」


いっそここで、ヨ〜でるヨ〜でる♪と踊るのも面白そうだったが、 ケーの姿でやったら、ホラー以外の何物でもないので自重することにした。
……もの凄く今更なんだけど。
こんなに陽気の良い中庭っていう素晴らしいロケーションでなにをやってるんだろう、僕達。







はぁ、と適当感溢れる空気を嘆きつつ、こうなればもったい付けるのも馬鹿馬鹿しいとばかりに、 僕はぞんざいにさっきの質問に答えることにした。


「僕はゴーストじゃないよ。あのさ、本当に気づかないの?
ゴーストじゃなくて。
歳を取ることもない、人間もどき。
君はそれを知っているだろう?殺されかけたんだから」
「…………っ」


と、一息に告げられた言葉に、の顔から一気に血の気が失せる。
流石に、僕がなにを示唆してるのかに気づいたらしい。
と、彼女は困惑したように眉根を寄せながら、恐る恐るといった様子で僕を見た。


「ひょっとして……分霊、箱?」


自分で口にしていながら、全然信じていなさそうな声だった。
がしかし、残念ながら、僕はその言葉をあっさりと肯定する。


「そう。僕は分霊箱ホークラックスだ。
それも子孫なんかじゃなく、サラザール=スリザリンの、ね」
「!!!!!」


サラザール=スリザリン。
このホグワーツの創始者にして、純血主義の代名詞。
マグル生まれの魔法使いを城に迎えようとしたゴドリック=グリフィンドールと衝突し、 無二の友人達と袂を分かつた、敗残者。



――実際のところ、それは真実の半分も表してはいないのだけれど。



そう言われている男が、僕を生み出した。
親友である・・・・・の為だけに。


「サラ、ザール……って、あの?」


呆然と。
心の隅をよぎったものの、すぐに否定した考えが正解だと告げられ、は棒立ちになった。
それを見て、僕としてはなにを今更、と言いたくなる。
僕の名前が分かっていた時点で、 サラザールと僕が大きく関係することは分かっていたはずだろうに……。

と、そこで僕はそういえば、と自身が先ほど抱いた疑問を思い出した。
そういえば、何故、は『ケーがセレスティア=スリザリン』だと気づいたのだろう?

ケーとスティアが同一人物だとする根拠は、さっき自身が話した。
でも、ケーがセレスティア=スリザリンだとする根拠は、そう言えばなかった気がする。

セレスティア=スリザリンという名前を、生まれてこの方、僕はただの一度も名乗っていない。

まぁ、特別ななにかがあるワケではなく、単にその名前が仰々しくて嫌いだからなのだが。
僕がフルネームを名乗ったことがないのは確かだ。
(ダンブルドアは入学者名簿を見ていたので、知っているだろうが)
一体、彼女はどこで僕の名前を知ったのだろう?
忍びの地図で僕がここにいることを知ったという彼女だが、 そもそもの名前を知らなければ、探しようもないことだろう。

流石に気になったので、僕は彼女に頷きを返しながら、その疑問を口にした。


「そうだよ。そのサラザールだ。
ところで、?なんで僕がスリザリンの関係者だって気づいたの?」
「え?」
「地図で僕の居場所を知る前に、僕の名前を知っていたんだろう?
じゃないと、探せないからね」
「ああ、そのことか」


と、はそこで意外な人物の名前を挙げた。


「ピーターの馬鹿に聞いたんだよ」
「ピーターだって?」
「そ。バジリスクとご対面した後なんだけどさ。
スティアがどこぞにいなくなってる間に、あいつらに散々質問責めにされたワケ」


彼女は語る。
悪戯仕掛け人たちに、思いがけないことを告げられた時のことを。


『ところで、お前、ここでなにしてたんだ?誰かに逢ってたんじゃないのか?』
『うぇ!?な、なんで、誰かに逢ってた前提!?』
『忍びの地図に映ってたんだよ。ある人物が君の直前に森に入っていった姿がね。
偶然だろうとなんだろうと、どう考えても、タイミング的に森の中でかち合うだろう?』
『!……いや、まぁ、確かに逢ったけど。ある人物ってか、ケー――『やっぱり!』
『ね?僕の言った通りだろう!?が、スリザリンって人を見ているって!』
『……え?』
『見ているというか、どうやらお近づきになったみたいだね』
『ちょっ、待っ……』
『お近づきだぁ!?、お前やっぱり闇の陣営となにか関わりが……!』

『だから、ちょっと待てってば!!』

『『『『!』』』』
『スリザリンって……どういう意味?』
『?どういうもなにもないよ。君はスリザリンって人と森の中で逢ったんだろう?』
『!!』


があの時、森で逢ったのは、ケーだった。
以前、許されざる呪文を使っていたこともあり、 ケーのファミリーネームがスリザリンであることを、彼女はすんなりと受け入れたらしい。


「流石に戸惑ったからリリーに軽く相談したりもしたけど。
まぁ、あたしになにか悪いことしてくるワケじゃなかったし。
ケーが自分から言ってくるまではしらんぷりしてようかと思ったんだ」


流石に、スティアがケーとなると、そうも言ってらんなかったけどさ。
罰が悪そうに頬を掻く
簡単な説明だったが、なるほど納得できるそれだった。

基本的に僕は彼女がその時考えていることしか分からないのだ。
距離が離れてしまえば、よほど強い思い以外、伝わってもこない。
丁度僕のいない時にされた話だったので、僕にも分からなかったのだろう。


「へぇ。そんなことがあったんだ?
じゃあ、その時大変だったんじゃないの?
スリザリンと密会していた、だなんて、どう考えても闇の魔法使いのすることだもんね」
「ああ、それはなんとかなったよ。
逢ってた相手がスリザリンだって聞いて誰よりあたしがビックリしてたからね。
迂闊にも程があるだろ、とか、そういう子だよね君って、とか勝手に同情されたわっ」
「…………」


その時のことを思い出したのか、は渋面で低い唸り声をあげた。
不満そうな彼女には悪いが、悪戯仕掛け人の気持ちの方が僕にはよく分かる。
なんか、知らない間に事件の渦中にいそうなんだよね、って。
実際はそんなこともないのだが、そう見えるのは確かだった。

と、僕の生暖かい視線を感じたのだろう。
はむすっと口を引き結んだ可愛くない表情で、 「とにかく、スティアはサラザール=スリザリンの分霊箱なんだね?」と念押しした。
胸中複雑なのだろう、苛立たしげに見えるものの、 語尾には僅かな恐れが見え隠れしている……。


「まぁね。ただし、勘違いはしちゃ駄目だよ?
あの男は、不老不死になりたくて、僕を作ったワケじゃない。
僕を作ろうとして、結果的に分霊箱を作るしかなかった・・・・・・・・・・・・・・・・だけなんだ」
「!」


寧ろ、不老不死になんか、なにがあってもなりたくなんかないだろうね。
そう続けると、精悍なはずのの眼がまん丸く見開かれた。


「結果的に??」
「そうだよ。フォローするつもりじゃないけど、そこだけは分かってやって欲しいね」


でないと、あの男はもちろん、僕自身が浮かばれない。



サラザール=スリザリンは。
ただ、 の幸せを願って、僕を生み出したのだから。



「ヴォルデモートなんかとは違うよ。
そんなことは、誰よりも君が知っていることだろう?」
「…………」


その問いかけに、は俯くことで答える。
もしかしたら、その瞼の裏には、あの男の姿が映り込んでいるのかもしれなかった。
彼女にとっては元の世界における親友で。
『蛇野 サラ』と名乗る、かつての同級生の姿が。


「君が『サラ』って呼んでる奴は、君に感謝しているんだ」
「っ!?」


そう、あの男は、ただ恩返しがしたかっただけ。


「だから、君をこの世界に送り込んだ。
僕っていう、案内役を付けて、君が憂い無く過ごせるようにしてまで」
「感謝って……あたし、サラにそんな感謝されるようなこと、なにもしてない」
「そうだね。君はなにもしていない。
ただ、その存在だけで、救われた人間もいるんだよ」


それは、巡り合わせとでも言うものなのかもしれない。
ずっとずっと、サラザールが出逢いたかった奇跡。
己の『力』に絶望していた男が、世界を飛び越えてまで探した・・・・・・・・・・・・・、唯一人の人。
サラザール=スリザリンは、 に出会った瞬間に、救われた。

自身は、確かになにもしていない。
ただ出会って。
友達になって。
一緒にいた、それだけだ。
だから、彼女からすれば、そんな親切の押し売りをされても困惑するだけなのは、分かっている。

それでも、あの男は、の願いを叶えたかった。
リーマス=J=ルーピンに逢いたいという願いを。
信じられないことに、そこに打算はなく。
あの男はそれだけのために、
異世界に人間を送るだなんて荒唐無稽なことをやらかしたのだ。

たとえ、そのために自分の魂を二つに裂こうとも。
己の魔力を半減することになったとしても。
望まない不老不死になりかねないとしても、構わなかった。


「君にとって、『サラ』はどんな存在?」
「…………」


は、その言葉に、答えない。
そのことには構わず、僕はなおも続けた。


「君はね。サラにとって、親友であると同時に。
あらゆる人の心を読めてしまう・・・・・・・・・・・・・・地獄・・を終わらせてくれた、恩人なんだよ」
「!!」


ばっと、が僕を見上げた。
信じられない、とでも言うように。
きっと、彼女は本人から聞きでもしない限り、心底から僕の言葉を信じることはないのだろう。
でも、それでも。
それが、事実だった。

そして、僕は再度問いかける。
君にとって『サラ』は、どんな存在なのか?と。

闇の魔法使いとも言われていて。
リドルの、ヴォルデモート卿の祖先で。
おまけに、人の心も読めてしまう化け物じみた男を。
君は、どう思うのか。

やがて、は長く長く沈黙した後、やがて気の抜けたように、へらりと笑った。


「!」
「あたしにとってサラは――
「…………」
「じゃがいも好きで腹黒でやたらと偉そうで。
そのくせ一人の女の子に絶賛片思い中の、あたしの親友だよ」


それは、あの男がいつも見ていた笑顔そのままだった。





幸せを望んで止まない、人がいる。
僕達にとって、君こそが、そうなんだ。






......to be continued