おはよう、って言ったら、おはよう、って言う。 Phantom Magician、133 手元にあるそれで、彼女の目覚めを確認した後、 僕は他の面々に野暮用とだけ告げて、自分の持ち物をまとめ、席を立った。 今が授業中だとかそういうことは、まぁ、無視だ。 一番適しているという時に行動しないなんて、あり得ないだろう? そこは長年の友人達も心得たもので、きっと、適当にスプラウトを誤魔化してくれると信じている。 なんだか、気色の悪い呻き声を上げる薬草と格闘する生徒達の間をすり抜けながら、 そうして、僕は後ろを振り返ることなく、一路医務室を目指した。 普段から喧噪に溢れているホグワーツだが、流石に授業中ともなれば、廊下に静寂が満ちる。 これが、もう少しせせこましい学校であったなら、それぞれの授業の声が漏れ聞こえてくるのだろうが、 ホグワーツは無駄なまでに広大な敷地を持っているため、 よっぽど教室に近づくとか、爆発音だとかでない限り、他に聞こえることはない。 そのかわり、姿現しもできないのも手伝って、行きたい場所に行くのも、こうして時間がかかってしまうが。 防犯上の理由だろうが、歴代の校長やら創設者たちもさぞ面倒だっただろうに。 もっとも、 「……まぁ、考え事しながら歩くのも一興か」 僕の意識はこの後、どのように彼女と話をするか、ということで一杯で、 医務室までの距離なんてまったく気にならないのだった。 先生方やピーブズなど、厄介な連中に見つからないように忍びの地図を駆使しながら、 僕はてくてくと廊下を進み続ける。 「とりあえず、話をする時に邪魔者はいない方が良いよね」 これは考えるまでもなく間違いない。 友人を邪魔者扱いすることに、眉を顰める人間もいそうだが、それでもゆるぎない事実だった。 との話はきっと、込み入ったものになるに違いない。 そんな時に当事者でない人間も、余計な口を挟んでくる人間も、その場にいて欲しくはなかった。 シリウスはいると面倒なことになりそうだし、ピーターに今回の件はあまり関係がなく、 肝心要のリーマスは、絶賛鬱状態で引きこもり中だ。 いても役に立たないこと甚だしい。 まぁ、例えこの場にリーマスがいたとしても、きっと一緒に行きたがらなかったに違いないだろうけれど。 暗い昏い、影のある瞳で部屋に閉じこもる彼の表情を思い出すと、自然と溜息が漏れた。 「……僕だって、怖いと思うよ」 化け物だと、発覚してしまったその後。 今まで掛け値なしの好意を示していた人間が、嫌悪を向けてくる恐怖。 リーマスはそれと向き合えず、結局、一度たりともを見舞うことはなかった。 そんなもの、自分には全くない経験ではあるが、想像するだに嫌な気持ちだから、 全てを投げ出して、逃げたくなる彼の気持ちが分からなくもない。 分かったからといって、それを自分がするとは思えなかったけれど。 はリーマスが人狼だと知っていた、と僕は思う。 でなければ、叫びの屋敷にセブルスが誘い出されたことに、あれほど取り乱したりはしないはずだ。 だから、リーマスの恐怖は的外れだと思っているものの、 でも、リーマスは、そのことに酷く懐疑的だった。 人狼と知って、好意を寄せる人間なんているはずがない。 そう頑なに、信じようとしなかった。 僕がなにを言っても。 誰がなんと言っても。 本人以外に、それを信じさせることができる人間は、いない。 信じたら、裏切られるから。 だから、リーマスは、根本的なところで誰も信じない。 それは彼の愛すべき個性だと普段なら思えるけれど、今はただ、面倒だと思う。 「いるはずがない、なんてこと、あるはずがないのに」 だって、がいた。 人狼であるリーマスを大好きだと公言して、 リーマスが人狼であることを目の当たりにしても、そこに留まった、彼女が。 だから、 「僕はと話をしなくちゃいけないんだよ」 「……はぁ?」 丁度、医務室の扉を塞ぐように立っていた陰険極まりない風貌の男に、 僕はそれは爽やかに宣言した。 「…………」 「…………」 「……勝手に話でもなんでもしたら良いだろう。奴も今起きたところだ」 唐突に。突然に。 姿を現した僕に、不快感を隠そうともしないでスネイプは眉を顰めた。 医務室から出て来たばかりのくせに、なんだか、入院しているはずの以上に顔色が悪そうだった。 今までなにを話をしていたかは知っているけれど、 それがスネイプに一体どんな影響を与える物なのかまでは、第三者の立場では分かるはずもない。 「ふーん。だったら、そんな邪魔なところに突っ立ってないで欲しかったね」 「僕はただ、猫が……」 「猫?」 「……いや、貴様には関係ない」 ただ、とりあえず、そこそこの打撃を与える物だったのだろう。 見れば、こちらに向かってくるそれは、微妙に蹌踉とした足取りである。 いつもであれば、絶対にあり得ないことだが、なんとも無防備に僕の横をすり抜けようとするスネイプ。 痛めつける絶好の機会ではあったものの、僕の側にも不思議といつものような攻撃的な衝動はなかった。 「…………」 このまま、普通にすれ違えば、嫌な人間と一緒にいる、という不愉快な現状が一秒でも早く終わる。 しかし、 僕は、まるで逃げるようにその場から立ち去ろうとするスネイプの背に、呼びかけていた。 「セブルス=スネイプ」 「!?」 「最初で最後、二度と君に言うことはない忠告って奴をしてあげよう」 多分、それはの国で言う仏心、とかいう奴だ。 「君が今ツルんでいる連中、マルシベールやら、エイブリーだけど。 そっちに行けば、を裏切ることになる。 泣いて、悲しんで、君を止めようと傷つくだろう」 きっと、赤毛の素敵な彼女もだけど。 それは癪なので口にしないことにして。 僕は、念押しをするように、言葉を続ける。 「それでも君は良いのかい?」 「!!!!」 すると、振り返ることこそしないけれど、スネイプの背が緊張した。 どくどくと。 体中に血を送り出そうとする心臓の音が聞こえそうなくらいに。 自覚してるのかどうかは知らないが、この男は間違いなくに気を許している。 なにしろ人格的に欠陥大ありの人間なので、大切に思っているかどうか知らないが。 でも、それでも、裏切りたい相手じゃ、ないはずだ。 それなのに、この男は、とりわけタチの悪い連中といつまでも一緒にいる。 あの底抜けにお人好しのとは真逆の、スリザリン生と。 連中が、目の前の男が。 闇の魔術に傾倒し、例のあの人に心酔しているのだ、と聞いたのは一体どのくらい前のことだっただろう。 そして、そのことはきっと、あの子たちを傷つけることにしか繋がらない。 だったら、引き返せるのは『今』だけだった。 に命を救われて。 改心するきっかけは与えられた。 「僕は」 そこで、引き返せないなら、君を絶対に認めない。 後々、世界の英雄と呼ばれる偉業を成し遂げようと、 例のあの人を例えば倒したとしても。 この瞬間、あの子達を裏切るようなら、もう駄目だ。 リリーの幼なじみとしてはもちろん。 の友達だなんて、絶対に認められるはずがない。 自分でも、それを認めたいのか、それとも認めたくないのかもよく分からないまま、 誓いを立てるように、僕はスネイプに言い放つ。 「を傷つけるような人間じゃ、リリーをダンスに誘う資格はないと思うね」 「……は?」 「っていうか、誘おうとしても、持てる全ての力を使って邪魔するから。 もちろん、子々孫々、末代まで呪ってやるから。そのつもりで」 「ポッター、貴様、なにをワケの分からないことを……っ」 言葉通り、さっぱり状況が分かっていないらしいスネイプの横顔が、彼の振り返り様に見えたが、 別にそんなものに興味はこれっぽっちも無かったので、僕は台詞の途中で医務室の扉を閉じた。 じっと息を殺して、数秒待つ。 すると、扉の向こうで、力ない軽そうな足音が遠ざかって行くのが確認できた。 「……ふぅ」 言いたいことは言えたので、後はもうスネイプの自己責任だ。 なんだか、一仕事終えたような達成感溢れる良い笑顔で、僕はくるりと、ベッドの方へ向き直る。 そこにあったのは、 「……とりあえず、セブセブいじめんのもいい加減にしてよー。ジェームズ」 待ち望んだ少女の姿だった。 「嫌だなぁ……」 苦笑めいた物を浮かべているものの、その顔色は良く。 それを見た瞬間、今の今まで、どこかに燻っていた不安が消えたことを知った。 「……いじめだなんて心外だよ。 自分でも呆れるくらい、僕って本当にお人好しだよね。 あのスニベリーなんかに素晴らしいことを教えてあげるなんてさ」 「なんだそりゃ」 痛々しく包帯を巻いているのは確かだ。 表情に出さないだけで、体中痛いのも本人がさっき言っていたので間違いない。 でも、彼女は生きて、そこにいた。 つかつかと、心持ち早足で、僕はベッドの端に直接座り込む。 二人分の体重を受けて、簡素なベッドがぎしっと悲鳴を上げた。 「お前……仮にも女子のベッドに座るとかどうなん?」 「仮にもとか言わないでよ。ムードがないなぁ」 「お前とフラグ立てる気ねぇし」 口では、大層可愛くないことを言いながらも、は柔らかく微笑んだままだった。 その顔にそっと、手を伸ばす。 「…………」 抵抗されることもなく、滑らかな頬が手のひらにすっぽりと収まった。 そして、その頬は……温かい。 「……僕は、怒ってる」 「あはは、うん。だと思った」 「僕だけじゃない。リリーだって、シリウスだって、皆怒ってるんだ」 「うーん、それは怖いなぁ」 本当は、前の時みたいに頬を叩こうと思った。 女の子でも関係ない。 大丈夫だと思ったから、残したのに。 はその信頼を、裏切ったから。 嗚呼、いや、そんなのは言い訳だ。 僕は、ただ、に八つ当たりがしたかっただけ。 だって、彼女を残すことを承諾したのは、僕自身なのだから。 「リーマスは……」 僕がリーマスを攻撃した時点で、気づけば良かったのだ。 傷ついたリーマスを見た、彼女のあの、泣きそうな瞳に。 「部屋に、籠もってるよ」 「そっか。あんなことの後じゃ、しょうがないね」 に、リーマスが傷つけられるはずがなかったのだ、と、僕が気づけば良かった。 そうすれば、があんな怪我をすることもなかったのに。 でも、気づけなくて。 怒りのやり場が、見当たらなくて。 を怒ることで、それに代えようとした僕は卑怯者だ。 けれど、自覚しているからといって、自制ができるワケでもなく。 僕の口は、止まることなく、目の前の彼女に恨み言をぶつける。 「君の、せいだ」 「ん。知ってる」 「君が、怪我なんかするから……」 「うん。おまけにあたしずっと寝てたしね」 ただ、はそれでも、僕の理不尽な言葉を受け入れる。 そして、その笑顔を見た瞬間、自分でもびっくりするくらい気が抜けた。 彼女の頬を包み込んだ手が、今更のように震えを帯びる。 それを抑えるように、僕はもう片方の手も使っての頭を固定し、瞳を合わせた。 「……起きなかったら、許さなかったよ。」 なんだか、泣きたい気分だった。 「うん。おはよう、ジェームズ」 ぽつりとした僕の言葉に、は笑みを深めるでも、瞳を潤ませるでもなく、 それはもう、ごくごく日常の会話をするように返す。 なんだか、とっても『らしい』表情だった。 その後、僕は彼女に詳しく今回の事件のあらましを尋ねた。 予想済みだったのか、彼女も隠し立てすることはないように、 さっきまでスネイプの奴にしていたのと同じ内容を、それは滑らかな口調で説明する。 今回の黒幕らしき、黒髪の少年については、 「例のあの人が生み出した闇の魔術でできた人間もどきだ」と。 何故それがホグワーツにいたのかと聞けば、 「特命を受けた自分が、ホグワーツに持ち込んだ」と。 特命とはなにかを問えば、 「自分は日本から派遣されてきた警視庁特務係の人間で、 例のあの人に関する調査を行っている。金髪の彼は相棒」と答えた。 ……対する僕は絶句だったが。 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「……あー、ジェームズさん?虚しすぎるから反応してくんない?」 中々に貴重な僕のリアクションに、が微妙な表情だった。 重大なカミングアウトだ。 きっと、極秘任務とかそういう系の奴で、絶対に部外者に言ってはならない類の話に違いない。 だから、照れくさそうに頬を掻いているになにか言わなければいけないと思うのに、 残念ながら、僕には上手い言葉が浮かばなかったのである。 とりあえず、彼女が言った言葉を頭の中で咀嚼しながら、念を押すように質問をしてみる。 「つまり、は……日本のなにか重要な役職の人なんだよね?」 「闇払い的な物だと思えば良いよ。うん」 「その歳で?」 「あー……ぶっちゃけ、年齢詐称してる??」 「疑問系なの?」 「せ、精神年齢的には多分間違ってないと思うの、あたし」 「……えっと、ショタコン?」 「死にてぇのか、ストーカー野郎」 殺気立つは置いておいて、話の内容を反芻する。 明らかに他とは違う、実技にばかり長けた転入生。 (学生でないなら、座学が頭から抜けてしまっていても不思議ではない) 出会って間もないのに、リーマスを人狼だと見抜いた観察力に、危機回避能力。 (闇払いであるなら、危険な人狼の特質を理解していることも、 危機に対して常に気を張っていることもおかしくはない) 同世代の中で並ぶ物のなかった自分たちが唯一敵わなかった、魔法使い。 (同世代でない上に実践経験があるなら、勝てるはずもない) そんな風に言われれば今までのことも説明が綺麗に付くような気がするのに。 「なんでだろう。あまりにそれが綺麗すぎて、嘘くさい……」 話に重みがまっったく!感じられなかった。 まるでよくある小説やら漫画やらの設定のようである。 っていうか、年齢詐称ってどういうこと? 話の流れからすると年上としか思えないんだけど。 実はまったく反対の意味で年齢偽ってたりとかしない?? 確かに、奇妙に大人っぽいところがある子だなぁとは思ってたけど。 それでも、君、凄まじく子どもっぽいし、乙女すぎるところがあると思うよ? これで成人なんかしてた日には、僕は日本っていう国の行く末が本気で心配だった。 「?」 がしかし、世の中には嘘のような本当の話もあるというし、判断に困る。 なので、僕はその後も気になったことを尋ねてみるが、いまいち不信感を拭うところまではいかなかった。 このご時世だ。あんまり、他人の話を鵜呑みにしていては、命が幾つあったって足りやしない。 ところが、 「なんで、日本の闇払いがイギリスに来たんだい? 普通、そういうのって、自分の国を護るものだと思うけど」 最後の質問で、僕はようやく、彼女を信じても良い気がした。 例えその言葉が嘘八百でも。 彼女の心は、信じて良い。 というのも、 「ヴォルデモート卿の驚異はワールドワイドなんだよ、馬鹿野郎」 「!」 は、例のあの人を名前で呼んだから。 自分でさえ、自然と呼ぶことを避けていたそれをさらりと発した彼女は、 少なくとも、自分達とは全く違う立ち位置に立っているということが分かったからだ。 「……そっか」 「あ、納得した?」 「うん。納得したふりをしてあげるよ」 「いや、そこは納得しろよ」 「いやいや、できないものはしょうがないじゃないか」 それはきっと、今の僕たちにはまるで考えも着かない、高い場所。 偶に見せる、君の寂しい表情が。 孤独な瞳が。 ようやく、ほんの少し理解できた気がした。 「でも、記憶を消されでもしたら敵わないからね。ちゃんとふりはしておくよ」 いつか、同じ目線に立てれば良い。 「しかし、あれだね。神がかり的なタイミングで来たね、ジェームズ?」 と、空気を切り替えるように、の方からそんな問いかけがあった。 僕としてもそれは望むところだったので、殊更明るく、あるものを取り出す。 「あは!それはこれのおかげさ!」 「!」 それは、小さな四角い鏡だった。 それなりに年代物のはずだが、一応割れたり掛けたりはしていない。 一見するとただ身だしなみを整える為の道具なのだが、 それを見た瞬間、からあらゆる表情が抜け落ちた。 「…………」 そして、彼女の瞳が、すっと部屋の中を見やり、薬棚のところに立てかけられている、 ひっそり、こっそり僕が前に設置していった鏡の片割れを発見する。 「…………」 「これ、僕の家にあった両面鏡って奴でね? 一つはシリウスにあげた奴なんだけど、今借りててさー」 「二つセットで、相手の名前呼ぶとその相手が映るっていう鏡、だよね?」 「そうそう!流石だね!罰則の時の暇つぶしに最適なんだよ」 「……それで、あたしの様子をちょこちょこ覗いてた、と」 へー、ほー、ふーん?監視カメラも真っ青だね? 「……?」 あれ?不穏な気配がする。 主に目の前の警視庁特務係だとかいう少女から。 そして、次の瞬間、彼女は無表情のままで「にこー」と呟いた。 「アバダ……「流石に、校内で許されざる呪文は駄目だと思うよ!!?」 「煩ぇ、地獄に落ちろ、盗撮変態眼鏡!!」 ごめんね、って言ったら、ごめんね、って言う。 こだまでしょうか?いいえ、ともだち。 ......to be continued
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