いけない、いけない あなたは静寂の価を量らなければいけない さもなければ 非常な覚悟をしてかからなければいけない Phantom Magician、130 ひんやりと冷たい夜の気配が周囲を満たしていた。 自分好みの常闇とは違い、月が明るすぎるくらいだったが、 しかし、今現在に限っては、灯りのいらないほどの照度に、口元がつり上がる。 本当に、良い眺めだ。 そう思う。 鮮血に彩られた細い青年の姿が、月明かりにはよく映えていた。 シリウス=ブラックとかいう男を利用して、セブルスを嵌めたのも、全てはこのため。 邪魔なリーマス共々、この化け物をホグワーツから排除するための一手だった。 本当のところは、セブルスを痛めつけることで化け物を間接的に傷つけるつもりだったのだが。 直接、化け物を切り裂けるなど、なんという僥倖だろうか。 時折、羽虫かなにかのように奴が痙攣するのを見て、ようやく溜飲も下がろうというものだ。 と、脂汗に塗れる化け物を優越感と共に見下ろしていると、 不意に、その視線を体で遮られた。 「……ふーん?」 化け物ほどとはいかないが血を流し続ける腕を、男を庇うように広げ、 少女は震えながらもこちらを見据えてくる。 怯えを含んでいるくせに、輝きを失わないその瞳が、いやに気に障った。 =。 僕の本体の持ち主にして、異端の少女。 ただの間抜けかと思えば、まさかこの僕の正体を見破っていたなど、 晴天の霹靂も良いところだろう。 こうして化け物が守ろうとする様を見てさえも、なにかの間違いじゃないのかと首を捻りたくなる。 見た目はそこそこ整っているが、絶世というわけではなく。 頭も良いはずなのに愚鈍で。 とてもではないが、化け物が入れ込む理由が見つからない少女。 だが、現実に彼女は僕に相対していた。 必死に退くまいとするその姿に、僕は目を細める。 「自分が引き裂かれることを選ぶんだね、君は」 「っ」 僕の言葉に、ただでさえ血の気を失っていたその精悍な顔が、青白くなる。 そこに、日だまりのような笑みはない。 さきほどまでの、悟りすましたような表情もない。 あるのは、ただの死への恐怖。 生き物が持つ、絶対的な感情。 この僕でさえ、無くすことのできなかった根源的な恐れ。 彼女は、時間稼ぎのためだろうか、そこでようやくか細い声を漏らした。 「な、んで……こんな、ことするの?」 「なんで?」 「そうだよっ。こんな、酷いこと……っ」 がしかし、その問いは酷く滑稽だった。 敵を排除することは普通だし、容赦しないことだって別に酷いことなんかじゃないはずだ。 化け物相手に情けはいらない。 不意を打つことも戦略なのだから、卑怯でもなんでもない。 それなのに、は僕に対して酷い、と告げた。 寧ろ、 「そういう君の方が余程酷いじゃないか」 「え?」 「僕の正体を知っていたくせに、素知らぬ顔で騙してきたんだろう? 君に取り入ろうとする僕を影で嘲笑っていたわけだ」 「っ!」 僕の指摘に、は沈黙でもって応える。 否定などできようはずもない。 彼女に万が一そのつもりがなかったとしても、客観的には人を馬鹿にした行為だ。 それ以外のなにものでもない。 そのことに新たな怒りがこみ上げるけれど、心優しい僕は彼女を許してあげることにした。 どうせもう。 殺す相手だ。 と、僕の表情から、もしくは殺気からその考えを悟ったのだろう、 は更に震えを大きくした。 「あたしたちを……殺すつもりなの?」 「もちろん。僕に逆らった時点でそうなることくらい分かっていただろう?」 の肩越しに、化け物を見る。 すると、奴は奴で霞む目を必死に開いて、僕を睨み付けようとしていた。 「ふぅ……苦しめ」 「っ っっ つぅぁっっ!」 「っ!止めてっ!!」 びくん、と大きく体をしならせる男に、は悲鳴を上げる。 がしかし、その言葉に従う義務など僕にはない。 男の杖が最初の魔法で遠くに転がったのを見ていれば尚更だった。 「まったく。しぶといな」 常人であればとっくの昔に発狂するくらいの頻度で磔の呪文を加えているというのに。 男は、最初の呪い以外では、大した呻きも漏らさなかった。 そのことが、無性に腹立たしく、つまらない。 こいつが無様に泣き叫び、命乞いする姿を見たかったのに。 もっとも、自分が相手の立場であれば、そんなこと死んでもしないだろうけれど。 肉体的なダメージが大して意味のないことなら仕方がない。 僕は、標的を彼女に移すことにした。 ただし、下手に傷つけて死なれても困る。 は僕の大事な大事な命の素だし、また化け物が庇うかもしれないしね。 「さぁ、」 「!」 「僕の手のひらで上手に踊って?」 一つの可能性を示唆して、僕は笑う。 それは勝者が、自身の揺るぎない勝ちを確信した時のそれだった。 大した魔力を注いでいないとはいっても、彼女は僕の日記帳を使用した。 すなわち、彼女と僕の間には、繋がりがあるということだ。 不可視のそれは、例え切ろうとしても、切ることのできないもの。 溢れる魔力でその繋がりを無理矢理押し広げ、僕の魂の一部をくれてやろう。 そうして。 彼女の心を、命を掌握する。 今の僕にとって、杖を向ける必要もないくらい、それは簡単なことだった。 「…………」 嗚呼、まずは自身の手で、化け物にとどめを刺させよう。 僕の可愛い可愛い操り人形。 魔法よりもそうだな。ナイフかなにかを使わせようか。 白い肌を化け物の紅が彩る様はきっと、それは美しい光景だろう。 「…………」 そして、その次はリーマスだ。 愛する化け物をその手で殺すだなんて、悲劇じみていて面白いに違いない。 リーマスが事切れる寸前に、彼女の意識をそっと戻してやろう。 きっと、最高の断末魔が聞こえるはずだ。 「…………」 その光景を思い浮かべると、この上なく幸福な気持ちになった。 真っ赤な世界で、一人の少女が泣いている。 その腕にもう動かない化け物を抱えながら、彼女の瞳に映るものはなにもない。 きっと、自分が泣いていることも、その手にナイフを握りしめていることにも気づかないだろう。 もしかしたら、壊れたように笑っているかもしれない。 だから、僕は最後に、発狂するに手を差し伸べてあげるのだ。 絶望しかないこの世界から、僕のもとへと来るように。 僕にその身を捧げるように。 そうすれば、の素性も、その目的も。 真実は全て、僕の物だ。 恍惚とした表情で、その時のことを想像しながら、僕は彼女との繋がりに手を伸ばした。 その、瞬間。 化け物っ 愛してる 死んでしまえ よくもヨクモ! どうして 気持ち悪い なんと素晴らしい 殺してやる あの女さえいなければ 憐れだな 無理だ 大好きだよ 困った人ね ドウヤッタラ 怖い 教えて下さいっ 酷い また駄目だった 見てみて! 馬鹿じゃねぇの ありえない 一緒に 無茶しないで 殺さないで 嫌だ 嬉しいっ 止めて 君は? やろうよ 凄いなあ シニタイ 苦しい 何故です 寂しい 探しに行く? 泣かないで 欲しい 壊れてしまえば良いのに 大発見だ! まだ分からないのかい?憐れ 帰りたい 痛い 笑って 手を ウソツキ 嗚呼 幸せって奴? 助けてくれ なんで 困ったな 楽しいでしょ? 綺麗 雨が なんで生きてるの 「っ!!!?」 脳髄に、何百人という人間の思考が逆流する。 視界に、美しい山河が、ネオンの町並みが、無垢な幼子の笑みが、血の海が、幾重にも重なって見えた。 潮風の匂い、艶めかしい女の匂い、花の匂いに雨の匂い。 笑い声、鳴き声、喘ぎ声、呼吸音、機械音と耳鳴り。 ごぼり、と胃からなにかがせり上がってくる。 気持ち悪い。きもちわるい。キモチワルイッ!! 思わず耳を塞いだが、何の意味もなさなかった。 それは、まるで腹が空いてもいないのに、無理矢理、胃に食べ物を流し込まれたような感覚に似ていた。 口も動かしていないのに、どんどんどんどんなにかが押し寄せてきて。 そう、思う間に、嫌な感覚は――肉の味、酸味、胃液の苦さ、甘ったるい蜜の味――拡がって。 たまらず、僕は閉心術でとの繋がりを狭める。 「う、げ……っぐぅ……ごほっ」 あたりは、しん、と静まりかえっていた。 心地よい暗闇と清浄な空気に満ち、そこに僕を脅かすものは何ひとつとしてない。 「り、リドル……?」 唐突に吐いた僕に、は驚きを顔に貼り付けていた。 だが、それ以上に僕はきっと、驚愕していた。 今のは……なんだ!? の心を開いたのだ。今のは彼女の心、もしくは記憶に他ならない。 そのはずだが、そんなことはありえないのだ。 あんな。 あんな混沌。 一人の人間が抱え込めるような代物ではない。 触れたのは、おそらくほんの一瞬の出来事だ。 それなのに、その一瞬だけで、死んだ方がマシだと思うには十分だった。 心を閉ざした今でさえ、その残響に冷や汗が止まらない。 知らず知らずの内に、じりと足が後ろに下がる。 この女……。 本当に、何なんだっ!? そこで倒れている化け物以上に得体の知れない生き物に、心臓が激しく脈打っていた。 と、そんな僕に対して。 「……ふふっ。くっはは。自らパンドラの箱を開ける、か」 もはや虫の息だったはずの男が笑った。 「なにが可笑しいっ!!?」 恐怖と腹立たしさで波打つ感情のまま、男に杖を向ける。 しかし、そいつは至極愉快そうに口の端を曲げたままだった。 「なにがって……全てさ。トム=リドル。貴様に良いことを教えてやろう」 「なに?」 お前との心が繋がっていたことなど、一瞬たりともない。 「っ!?」 それは一体、どういう意味だ、と再度問いかけようとしたその時だった。 僕の足に、凄まじい衝撃が訪れたのは。 「っぐぁっ!?」 ざっくり、と足に何かが突き刺さっている。 とっさに目を向けて、僕は自分の目が見開かれたのを自覚した。 「ぐるるるぅうぅううぅるるぅ」 「黒妖犬!?」 いや、違う。 「シリウスっ!」 の、光明を見いだしたかのような声が、静かな夜に響いた。 それは、巨大な黒犬だった。 がっちりとした顎は力強く、僕の足を咬みちぎらんと牙を食い込ませる。 実際にこの目にするのは初めてだったが、ピーターとかいう奴の思考で。 こいつ自身の思考で、その姿を僕は知っていた。 「っグリフィンドールの分際でっ!!武器よ去れ!」 「ぎゃんっ!!」 至近距離からの武装解除呪文に、黒犬が吹き飛ぶ。 そして、僕は続けざまに磔の呪文を発しようとしたが、流石に獣の足は早く、 狙いが上手く付けられなかった。 「チィッ!」 本来、許されざる呪文は乱発できるような類の物ではないのだ。 確実に当てられない状態で使うなど愚の骨頂。 ただの魔力の無駄遣いである。 「麻痺せよ!裂けよ!妨害せよ!爆破!!」 「がぁっ!」 続けざまに魔法を放つが、黒犬は先ほど吹き飛ばされたとも思えない身のこなしを見せる。 一発たりとも、当たらない。 周囲の芝生ばかりが、無駄に破壊されていく。 対する自分は、ほぼ完全に実体化していたがために足をやられ、動きに精彩を欠いていた。 くっそ、なんて鬱陶しい! これだから、ケダモノなんて嫌いなんだ!! と、 「……ケダモノ?」 そこで、自分の言葉に、閃くものがあった。 嗚呼、そうだ。 ケダモノの相手は、ケダモノにさせれば良い。 丁度そこに、体よく転がっている生き物がいるじゃないか。 思うが早いか、僕は実体化を解きながら、背後の人狼に向けて魔法を放った。 「活きよ!』 「なっ!?」 濃厚な血の匂いに、傷ついた獲物。 僕が実体化を解きさえすれば、奴の向かうところなど決まったようなものだった。 本体に戻ることこそしないが、ぎりぎり目に映る程度に体を固定する。 なにかに触ることもできないが、同時に、なににも触られることがないゴーストのように。 僕は、安全な場所から、この最高のショーを見学することにした。 『さぁ、高見の見物としゃれ込もうか』 もつれ合うのは、漆黒の大狗と灰色の狼。 狼の顎が砕けているせいで、血飛沫の上がる戦いとはならないが、 その人間ほどもある体躯がぶつかる様は中々に見応えがあった。 骨のへしゃげる音がする。 汗が、口角から飛んだ泡が、月明かりを反射する。 これは、人ならざるものの織り成す宴だった。 「シリウスっ!リーマス!!」 BGMは、少女の悲鳴。 存分に恐怖し、泣き叫べば良い。 手に入れられないのなら、いっそどこまでもどこまでも傷つけて。 最後に僕自ら壊してやろう。 と、しばらく、互角の戦いを繰り広げたケダモノたちだったが、 流石に疲労したのか、人狼ががっくりと膝を落とす。 すると、その隙を狙って、黒犬の牙が狼の首筋に伸び…… 「縛れ!」 「「「「!?」」」」 不意に、初めて聞く声が、空から降ってきた。 『チッ!新手か!!』 とっさに上を向く。 月を背に、箒を手にした誰かが、真っ直ぐケダモノたちに杖を向けていた。 その杖から飛び出した縄は、犬も狼も、まるで関係なく全てを捕らえる。 これ以上の邪魔はなるものかと、僕はそいつに向かって杖を振り上げ、 「!」 己を縛る、声を聞いた。 『っっ!?っぁっグァっ!??』 ばっ、と声のする方を見れば、なにかに手を当て、魔力を注ぎ込んでいる化け物の姿があった。 なにか――それは、僕の本体。 そこに血文字で防御のルーンが刻まれていた。 ぶつり、と魔力の流れが断ち切られる。 元々大した力を込めていなかった体が、一気に霞と消えていく。 『貴っ様!』 杖を向けようとして、実体のない自分はすでに杖を手放していたことに気づく。 そんな僕を、赤目の化け物と、それを支える少女が見つめていた。 彼らはすでに血を流していなかった。 そして。 そして、少女の手には、彼女の髪と同じ漆黒の杖。 僕がケダモノたちに気を取られている間に、は化け物を癒していた。 化け物ならまだしも、僕に使われるだけの、虫けらが。 僕の行く手を、阻んでいた。 そのことに、世界が真紅に染まる。 『……ってやるっ』 呪ってやる! 未来永劫、いついつまでも! 日記の中に封じられるその瞬間まで、僕の怨嗟の声は少女ただ一人に向けられていた。 その一個の石の起す波動は あなたを襲つてあなたをその渦中に捲き込むかもしれない ......to be continued
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