届かない慟哭を、君に。





Phantom Magician、129





「……なにをしてるんだっ」
「え……」


ケーは吹っ飛んだリーマスにはまるで目もくれず、 ただただ一心不乱にあたしに駆け寄って来た。
脳震盪でも起こしたのだろう、リーマスが起き上がってくる様子はない。
そのことに安堵と若干の不安を抱きつつ、 あたしは月明かりに輝くその人が近づいてくるのをぼんやりと見上げていた。

そして、彼は、彼にしては乱雑な仕草であたしを抱き起こしながら、 阿呆のように視線を送るあたしに、苛立ったように詰問する。
掴まれた腕が、傷が、じくじくと痛みを訴えた。


「なにをしてるんだよ、君はっ!?」


あまりの怒りのせいだろうか、語尾が心なし震えた声だ。

そう、彼は怒っていた。
元々白い顔を、更に真白に輝かせて。
ケーがこんな風にあたしに向かって怒るのは初めてのはずなのに。
何度も、見たことがあるから、分かってしまう。


「…………」


けれど、その激情に対するあたしの心は穏やかと言って良いくらい凪いでいて。
気がつけば、あたしはただただ、静かに答えていた。

「なにも……してないよ」と。

そう、なにも。
なにもしていない。
いや、あえて言うなら、「なにもしようとしなかった」かな。
抵抗も、全て。
リーマスに噛まれそうになっても、それを防ぐ努力をする気が、あたしにはなかった。
そして、そのことを。


「君は……っ」


目の前の彼は決して許さない。
ぎりっと、奥歯を噛みしめる音が、密やかに夜闇に響く。


「君はっ犬のことを批難したくせに、それで良かったのか!?
誰かを噛んだ狼男が罪悪感で傷つくのを、見たくなかったんじゃないのか!」
「うん。見たくなかったよ。リーマスが誰かを噛む所なんて」
「だったら……!」
「でも」

でもね?


「思っちゃったんだ。その誰かがあたしなら……まぁ良いかって」
「!!!」


白磁の美貌が、目の前で激しく歪んだ。
そのことが、勿体ないな、と悲しくなる。
嗚呼、でもきっと。
あたしが彼の立場だったら、やっぱりそういう表情を向けるとも思った。
吐き気がするような、嫌悪感のせいで。

リーマスは優しいから。
誰かを自分と同じ立場にしてしまったら、きっと激しく怒り、嘆き、なにより傷つくだろう。
でも。

仄暗い心の奥底で、声がする。
そうなったとしたら、リーマスは。
この先もう満月の夜、独りじゃない。
独りは辛い。
辛くて、苦しくて。
なにより、寂しい。
でも。

でも、二人なら?
それはきっと違う時間。

そしてその相手があたしなら?
それはきっと。
それはきっと。

二人を繋ぐ、絆となるだろう。


「狼人間になっても、悪くないかなって思ったんだよ」
――――っ」


あたしのその言葉の意味するところに。
その思考に。
時折、朱の混じる漆黒の瞳が、見開かれる。
そして彼は、


「嘘……つ、きっ」


夜の闇を切り裂くように、あらん限りの声で持ってあたしを否定した。


 嘘 つ き っ!」


前に言っていたことと違うじゃないか!
他人の人生なんて重いもの、背負いたくないし、背負わせたくもない。
そう言っていたじゃないか……っ!


「…………」


必死になって、否定した。
そうしないと、壊れてしまうかのように。
なにが?
……だれが?

彼は、そしてなおもただ一人、真実を糾弾するかのように声を張り上げ続ける。


「それは裏切りだ!!
君たち二人はそれで良いだろうさ!
でも、君を。 を大切だと思ってる人たちが、それをどう思うと思う!?」


君の両親が。
姉妹が。
友達が。

僕がっ!


「笑って見ていられると、君は本気でそう思ってるのか!?!」
「……ごめんね」


ごめん。
ごめんね。
優しい言葉に、心の底から、謝る。
彼が向けてくれたのは、あたしを案じての嘆きで、喘ぎで、叫びだ。
そのことが不謹慎にも嬉しく。
それ以上に、とても切ない。
だって、その姿はあまりに痛くて。
痛々しくて。

彼は、怒りで震えていたのではなく。
恐怖と悲しみでこそ、その身を震わせていた。

そのことが無性に分かって。
許して欲しいと、謝罪する。
ごめん。
ごめんね。


「それでも、あたしは――……」



きっと同じことをするけれど。



「…………っ」


ごめん。
ごめんね。
許してね。
身勝手が過ぎると知りながら。
願うあたし許して欲しい。
でも。
どんな言葉で誤魔化したところで。
それがあたしの真実だった。
どこまでも、どこまでも。
その身勝手な女が、 だった。

そして、その真実は。


「…………な」


目の前の彼を絶望させる。
その真紅の瞳に映る、静かな表情の――あたしが、そうさせるのだ。

青年の薄い唇が血の気を失って、小刻みに震える。


「……け、るな」


ふざけるな!


それは、もはや悲鳴。
悲しくて、苦い、魂斬る叫び。

そして、彼は激情のままに、あたしのことを引き寄せる。
ぐっと掴まれた襟元が苦しく、息が詰まった。


「っ」
「君の――……」


けれど。
その程度のもの、目の前の彼の苦しみとどうして比べることができるだろう?

彼は悲しくて、泣きたくて、叫びたくても。
本当のところはきっと、言葉にできない。
ずっと、あたしを守ってきてくれた人を、そのあたしが否定したのだから。
嗚呼、なるほど。
これを裏切りと呼ばずになんと呼ぼう?

歪んだ表情で、絞り出すように声を漏らす彼を、あたしはただ見つめる。


――君のそういうところが大嫌いだ どうして ドウシテ どうして そんなことを言うんだ  言えるんだ 僕の気持ちが分かってるくせに 人の気持ちが理解できるくせに なんで ナンデ  嫌いだ きらいだ 大ッキライだ 狼男なんて キミなんてさっさと殺してしまえば良かった  そうすればこんなみじめな想いしなくて済んだのに 苦しまないで良かったのに  君はそうやってきっと何度だって僕の想いなんて平気な表情カオで踏みにじってくんだ  踏みにじっていることを知りながら、それでもそれをヤメナイ やめない 止めないっ!」

「…………」
「お願い、だから――……」


――僕の生きる意義を、奪わないでくれ。


最後はもう、声にならず。


「     ――……」


彼は、その瞳からぼろぼろと大粒の涙をこぼした。

言葉にできない想いが溢れてしまったようなそれを、 あたしは場違いにもなんて綺麗なんだろう、と思う。
月明かりにきらきら。
きらきら。
星屑のように。

そして、その星屑は。
驚くほど、温かく。
あたしの膝を濡らしていった。


「うん……。ごめん。ごめんね」
「うるさい……っ。君なんか嫌いだ。大っきらいだっ
殺したいくらいなのに……っ」


その後。
彼は「嫌いだ」と何度も何度も言って。
あたしは馬鹿みたいにそれに謝って。
幼子のように泣きじゃくる彼の柔らかい髪に手を伸ばし、 あたしはただ、彼があたしへの恨み辛みを吐き出すのを、ずっとずっと、聞き続けた。



苦しめクルーシオ
「っっっっぐ、あああぁっぁぁああぁぁぁっぁぁぁぁぁっぁぁぁぁ!」
「    っ!?」



闇が、彼を蝕む、その時まで。







「驚いたな」
「!」


さくさく、と芝生を踏みしめる音がする。
突然、目の前で声をあげて倒れた人間がいることなど、まるで気にした風もなく、 新たな登場人物はいっそ涼しげと言っても良いくらいの調子で話し始めた。


「てっきりその男の大切にしている相手はセブルスだと思ったのに。
今の様子からすると、君みたいだね。
「……りど、る」


胸を押さえて苦悶する金髪の青年から、ゆっくりと視線を引きはがし、 自分を見下ろす相手を刺激しないように目線を上げる。
そこには、初めて見る表情カオでこちらを嘲笑うリドルがいた。
その紅い瞳に、デジャブ……いや、ジャメビュが起こる。

向けられる敵意。
本能が警鐘を鳴らし、あたしはめまぐるしく頭を回転させながら場を繋ごうと口を開く。
時間が、欲しかった。
考えをまとめるだけの時間が。


「どう、して……ここに?」
「どうして?随分悠長で間の抜けた質問だ。
でもそうだな。可哀想だから、死んでしまう前に教えてあげようか」


何故リドルがここに。
何故、今、彼を攻撃した?
その血色の良い体はなんだ。
なんで、ほとんど完璧な状態で実体化してるんだ。

その答えは、多分全て収束される。
つまりは、この状況を生み出したのが誰かということに。


「そこに転がっている奴は、あろうことかこの僕を侮辱してくれてね。
その報復だよ。これは」
「侮辱……?」
「そう。その通……きっさま!! おっと!」


と、あたしの疑問に、リドルが余裕で応えていたその時、 しゅるり、とあたしの手の中からひんやりとしたなにかがすり抜けていった。
そして、次の瞬間に辺りに響き渡ったのは、 「cock-a-doodle-doo」という、こんな夜には至極相応しくない、時を告げる声。


ぐぅっ!?
「はは。嗚呼、やっぱりそいつに従っていたか。
随分とまぁ、ちんけな姿になったものだね。
こういうこともあろうかと用意していて良かったよ」


リドルは、なにかを持っていた。
あまりに小さなそれがなにかは最初よく分からなかったが、 しばらくして、それが小さな貝殻だということに気づく。
詳しいことはまるで分からないが、あそこから雄鳥の鳴き声は発せられたらしい。

雄鳥。

そのことに、はっと頭を殴られたような心地がした。


「ああ、君も気づいたみたいだね。
残念ながら、本物の鳴き声じゃないから致命的とまではいかないが、 記憶させた声でも、一時的に行動不能にするくらいの力はまだあるんだよ」
「っ!」


愛想良く解説を加えてきたリドルは、自分の思惑通りに事が進んでいることに酷く上機嫌だった。
だがしかし、バジリスクを案じるようにあたしが目を一瞬向けたのを見るやいなや、 貪るような不躾な視線をあたしに注ぎ出す。


……しかし。やはり、バジリスクの存在を知っていたのか。
今もしっかりと手に握り込んでいたみたいだしね



ちらり、とリドルが倒れ伏す青年に目を向ける。
まるで、置物を見るかのように温度のない視線に、ひやりと背筋が凍った。
侮辱されたというわりには、感情の宿らない瞳に、彼がそれを押し殺していることを悟る。
そのことが、怖い。
確かに、ずっと猫を被っていたけれど。
それでも、そこには彼の心があったように思うのに。
少しすつ、張り詰めたなにかが解けていっていた気がしたのに。
今は見えない。分からない。
そのことが、怖くて、なんだか、泣きたくなる。

そして、再度リドルは青年に紅の閃光を放つと、今度はあたしに杖の先端を突きつけた。


「ねぇ、。君は何者だい?」
「っ」
「僕の日記帳の正体に気づいていたんだろう?
けれど、一介の学生風情に容易く看破できるような、 ちゃちな魔法を掛けた覚えは僕にはないんだよ。
しかも、君みたいな魔力が人並み外れて劣っているような子に見破られるなんて、ありえない」


見破ってなんていない。
あたしはただ、知識として知っていたという、それだけだ。
何者もなにも、あたしは異世界から来たというだけの読書好きの一般人である。


「…………」


だがしかし、そんな言葉を今のリドルに言っても無駄だということが、あたしにも分かった。
彼が求めているのは、そんな突飛な正体ではなく、 実は実力を隠していた闇の魔法使いとか、ダンブルドアのスパイだとか、 そういう分かりやすいものなのだ。
きっと、それ以外の答えを返すなら、頭からそれを否定してかかるに違いない。
自身の知らない『愛』について、全否定だったヴォルデモートから、そう推測できた。

そうなると、あたしは下手に嘘もつけず沈黙する他ない。
と、その沈黙をどう捉えたのか、リドルは口の端を釣り上げ、別方向からあたしを切り崩そうとする。


「それとも、そのことはその化け物から訊いたのか?
それなら少し納得だな。君が僕に靡かなかったことも説明が付く。
ただ、僕をどうにかしようとしたのは身の程知らずだけれど」


が、あたしは全然違うことに気を取られてしまった。


「……化け物?」


化け物って……バジリスクやリドルのことじゃなくて?
リドルの視線の先には声もなく苦しみに喘ぐ青年がいた。
天使のようだと思った秀麗な顔が、許されざる呪文のせいで苦痛に歪んでいる。
でも、それでもその姿は化け物にはほど遠く。

戸惑いさえ含んだあたしの声に、リドルは馬鹿にしたような表情カオになった。
彼の中のあたしの評価が如何に低いかということを窺わせる表情だった。


「化け物だろう。どこからどう見ても。
人外の存在だからこそ、君も取り入ったんじゃないか」
「取り入る……?」


しかし、リドルの言葉が、まるで分からない。
意味は分かるのに、少しの理解も不能だ。

あたしが、彼に取り入ったことなんて今まで一度だってなかった。
だって、彼はそんなことをしなくても。
最初から、あたしに手を伸ばしてくれていたから。
最初から、彼の心にあたしの居場所があったから。

そして、リドルもあたしとの間になにか理解しがたい溝があることに気づいたらしい。
怪訝な表情カオを一瞬して、しかし、やがて思い直したのか額に狙いを付けていた杖を斜め下にずらす。


「まぁ、君がこの化け物にとって特別な存在なのは間違いない。
だから、悪いけれど。少しこの化け物に悲鳴を聞かせてやってよ」
「っ!?」


狙われたのは、すでに血の気を失っている傷ついた腕。
と。
とっさに避けることも出来ず、目を見開くあたしに、黒い影が覆い被さった。


裂けよディフィンド

「ぐ、あ……っ!」

「「っ!!」」


一気に、血のにおいがきつくなる。
それの意味するところに、あたしは視界を埋める自分のものでないローブに縋り付いた。
金糸の覆う背中に手を這わせると、べっとりと、手に、血が……


「あ、あ、あ………っ」
「チッ。もう動けたのか……化け物め!」


憎々しげにリドルが唸り、あたしはぐったりとのし掛かってくる青年の重みに戦慄する。

どうし……っ血、血が。
血が、いっぱい、なが……!
あ、ぁあ、ああ……っ
す、てぃあ……。
助け……スティアっ!!
助けて!助けてっ!!
死んじゃうっ!死んじゃうよ……!スティア!!!

心が軋んで、悲鳴を上げる。
けれど、その声に彼の人はなんの反応も示さず、あたしの中で危機感を膨れあがらせていく。
と、恐慌状態に陥りかけたあたしを正気づかせたのは、 皮肉にもリドルがあたしの上から邪魔者を蹴り落とした音だった。


「ふん。よほど、が大切らしい。悪趣味な奴だ」
「っ」


心底見下げ果てたような声。
その声は、恐怖と同時に別の感情をあたしに思い出させる。
別の感情――即ち、怒り。


「サラ、ザールなんか崇拝してる人の方が、よっぽど悪趣味だと思うけどっ」
「!」


とにかく、リドルの気を逸らさなければ。
そう思っての一言だったが、どうやらそれは一番言ってはいけない言葉だったらしい。
リドルは見る者を震え上がらせるような、冷たく残虐な哄笑をあたしに向けた。


「ははははっ!言うじゃないか!麗しいかばい合いの精神とかいう奴かい?
互いに互いの足を引っ張り合って、 馬 鹿 馬 鹿 し い !」


そして、彼はあたしに杖を向ける。


「さて。君をずたずたにしてこいつの前に転がすのと、 君の手でこいつをずたずたにするの、どっちがよりダメージがあるかな?」
「っ!」


だから、手前ぇは悪趣味だってんだよ……!





欲しいのは、救いか、断罪か。





......to be continued