君の気持ちは嬉しいけれど。 Phantom Magician、126 そんなこんなで微妙なやり取りの末。 腰がえらい勢いで低くなったあたしを上から眺めていたクィレルは、 そういえば、とばかりに今更ながらあたしの格好を指し示した。 「ハロウィンの仮装の続き、いや、やり直しか?」 「や。んな訳ないでしょう。それこそクィディッチの試合から逃げてきたんですよ」 「ああ、あれか」 女の子になっているのを、仮装ときたもんだ。 その発想には素直に呆れながらも、あたしは寧ろ、変装なのだと言葉を重ねる。 すると、 「先輩は試合観に行かなかったんですか?まぁ、元々あんまり興味なさそうですけど」 「いや?観に行ったが、お前がいなかったからな。戻ってきてしまった」 「……クィディッチを観に行ったんじゃないんですか」 「がクィディッチをしている姿を観に行ったんだ。いないなら意味がない」 完全に想定外のことを言われた。 怖ぇよ! え、なんでもないことのように言ってるけど、普通にこの人怖くね? あたし、一応この人の認識だと男なんだよね? それこそ、ゲイ?ゲイなの?? あたしにフォーリンラブなの??(うげ、自分で言ってて砂吐きそうっ) でもこの人から、本気でそういう気配感じたことないんだよなー。 ううぅううん? 疑問符だらけだったが、これはあたしが幾ら悩んでも答えの出そうにない問題だった。 なので、これはもう無謀と知りつつも、腹を括って単刀直入に訊いてみることにする。 「あの……毎回本気で疑問なんですけど、先輩、あたしのこと好きじゃないですよね?」 「恋愛的な意味で言っているなら、そうだな」 すると、返ってきたのは案の定の肯定。 「じゃあ、なんだってあたしにそんな興味津々なんですか?」 が、それだとあまりに彼の行動が腑に落ちない。 普通、そんな好きでもない相手のことをそこまで知ろうとするものだろうか? もちろん、反語である。 が、漫画でよくありがちな展開で無意識にあたしを好きかと言えば、そんなこともなく。 彼の態度は寧ろあからさまだった。 無意識に目で追う、なんてものじゃなく、完全に意識して目を向けている。 ……いや、もう、本気で謎すぎるんだけど。 で、あたしがそれなりの決心と共に訊いたその問いに、クィレルの答えはこれだった。 「さぁ?何故だろう」 「は?」 「観ていて面白い。だからもっと観たい。それではいけないのか?」 不思議そうに、クィレルはそう言った。 その菫色の瞳は、驚くほど、熱を感じさせなくて。 確かに恋愛云々とはまるでほど遠いそれ。 そのしげしげと人を見てくる視線は、以前感じたことのあるものとよく似ていた。 「なんていうか、珍獣的な扱い?」 「ふむ。言い得て妙だな」 「……もの凄く微妙な気分になりました」 「こっちとしても女言葉を使われて微妙な気分だからあいこだろう」 「!」 ああ、しまった。 また魔法掛かってないの忘れてたよ。 いつもなら、『あたし』とか言っても、勝手に『僕』とかに変換されてるらしいからなぁ。 正直、男装しているっていう意識が低いのだ。 ので、あたしは下手な言い訳をすることは止め、寧ろ皮肉げに笑った。 「すみませんね。今は女の子なもので」 「妙に似合っているな。さては、初めてじゃないだろう」 「便利なんですよ?性別が違うってだけで反応変わるし、本人だなんてばれませんから」 なんでか、アンタにはばれたがな。 まぁ、これは珍しい例外という奴だろう。 が本当は女、とばれた訳じゃあないので、良しとする他ない。 スティアにはマジで怒られそうだけど。 と、そんなこんなで、さっきまでと比べると和やかな雰囲気で話をしていると、 廊下の向こうから、ざわざわとした喧噪が聞こえてきた。 「あ〜。しまった」 タイムアップだ。 人が戻ってきてしまえば、セブルスとお見舞いどころではない。 クィレルのせいで完全に頭にあった(勝手な)予定が変更となってしまったらしい。 仕方がない。さっさと魔法をかけ直して、寮に戻るか。 「じゃあ、先輩。あたしはもう行きますんで。情報感謝です」 「ああ」 「…………」 「…………」 「……なんだ。行かないのか?」 いや、見返りを要求されるんじゃないかと思って身構えてたんだけど。 なんだ、はこっちの台詞である。 あんた、無償で誰かの役に立とうとか、そういうボランティア精神絶対持ってないだろ。 (というか、そんなもん持ってる奴がスリザリンに入る訳がない) すると、そんなあたしの疑問を察したのか、クィレルはふっと気怠げに笑って踵を返した。 「快気祝いとでも思ってくれれば良い」と、そんな言葉を残して。 「……イミフ」 結局、あの人ってなんなの? 良い人なの?悪い人なの?っていうか、そもそも同じ人間なの??地球外生命体とかじゃなく? が、見返りを求められないのは、ちょっと怖いけど悪いことではないのだろう。 そう、自分を無理矢理納得させて、あたしはくるん、と自分の杖を振るう。 流石に人混みにもみくちゃにされるのは嫌だし、 そもそも試合を逃れてたはずのあたしが群衆に交じってるのは不自然極まりなので、 早足で寮の談話室を目指す。 そんなあたしの横顔を、徐々に沈む夕日が照らしていた。 「えっと、勝ってたら祝勝会で、負けてたら残念会するんだよね、確か」 寮の掲示板に書いてあったことを道中思い浮かべる。 それ、結局は騒ぐんじゃん、と突っ込んだのは記憶に新しい。 しかし、本当にお祭り騒ぎが嫌いな人間はグリフィンドールに入れないだろうな、と思う。 特に今の時代はそうだ。 ことある毎に騒ごうとする悪戯仕掛け人に、マクゴナガル先生が何度雷を落としたことか。 今日もきっとやりすぎて怒られるんじゃないだろうか。 なにしろ、今夜はリーマスがいないのだから。 「もう満月か……早いなぁ」 リーマスのために、悪戯仕掛け人がアニメーガスを披露したのが、ついこの間のようだ。 でも、現実は着々と時計の針を進めていて。 リーマスはもう、叫びの屋敷に着いた頃だろう。 「今日は、夜通し騒ぐだろうし、昼間に抜け出なきゃなのは分かるんだけどさ」 段々と日が短くなってきている、この季節。 あの屋敷は暗くないのだろうか。寒くなどないのだろうか。 今日、ジェームズはクィディッチの選手として、騒ぎの中心にいることだろう。 そうなると、当然、他のシリウスやらなにやらもその輪の中で。 いつもより、遙かに長い時間、あの屋敷で過ごすリーマスは退屈してやしないだろうか。 「リーマス……寂しくないかなぁ」 きっと、今まで独りだった分、この間の満月は酷く。酷く幸せな時間で。 だからこそ、その前までは我慢できていた孤独は。 今いっそう彼を襲っていることだろう。 青い鳥になって飛んでいきたい。そう思う。 でも、幾ら行きたくても、今回は輪の中にきっと引き込まれてしまう。 「どうして試合に出なかったんだ」「どうやって薬を熟成させたんだ」 そう、笑顔の人々に言われながら。 もっとも、それは苦笑かもしれないけれど。 なら、今行ってしまえば良いのか? 引き込まれる前に。なんの柵も、まだない今の内に。 いや、そうなったら、人はあたしを探すだろう。 特に、ジェームズたちはもう忍びの地図を持っているのだ。 あたしの名前を見つけられなかったら、訝しく思うに違いない。 「やっぱ、様子見に行くなら、皆がいなくなった後かなぁ」 少なくとも、ジェームズたちが暴れ柳の下に潜り込むまではダメだろう。 あそこに入れば、きっと安心できるから地図を見たりしないはずだ。 今夜の予定を、そんな感じで算段付ける。 祝勝会でも残念会でもどっちでも良いから、 できれば、なるべく早く終わってくれれば良いと、願いながら。 本当に、どうしてよりによって初試合の日に満月が当たっちゃうんだ。 あたしだって、祝勝会とか、試合とか、楽しみにしてたのに。 後のことをはらはら考えながらじゃ、100%楽しむ、とか難しいじゃないか。 「ま、リリーいないし、結局100%は無理か」 仕方がない。今回の試合はそういうものだったんだ、と諦めよう。 と、そんなこんな考えている内に、あたしは気がつけば太った淑女の前まで来ていた。 いつもは正面の椅子に座っている彼女だが、今日はどうやらお客さんが来ているらしく、 椅子は大分横にずれていて、普段にはないテーブルが出現している。 『――それで、彼は結局どうなりましたの?』 『しばらく気絶していたみたいなのよ』 『まぁ、怖い』 『先ほど決闘を申し込んでいましたわ。恐ろしいこと』 ひそひそひそひそ、と、頬を染めて興奮した女性陣の会話はとても終わりそうにない。 そのことに、ふぅっと溜め息を一つして、あたしは恐る恐る、彼女たちの会話を遮る。 「あのー、レディ?あたし、中に入っても良いかなぁ?」 『まぁ。もうお帰りだったの?ごめんなさいね。気づかなくて』 『お帰りなさい、ミスター 。試合はどうだったの?』 『もちろん、勝たれたのでしょう?』 「あー……」 ぶっちゃけ知りません。 そう思って言い淀んだあたしだったが、どうやら、それは彼女たちを見事に勘違いさせたらしい。 淑女たちは笑顔を微妙に引きつらせて、傍目にも分かるくらいうろたえだした。 『あ、その……気にすることはないですわよ。ね!』 『そうね。初めての試合だったんでしょう?なら仕方がないわ』 『そうですわ!ええ、そうですとも。 ああ、でも負けたといっても、ミスター だけのせいではないのでしょう?』 『そのように追求するなんて……はしたなく思われますわよ』 『貴女だって、興味がお有りだってお顔をしていらっしゃったではありませんの……!』 『口を噤む分別くらい持ち合わせていますわ』 『なんですってっ』 で、どういう訳だか、あたしきっかけで、殺気だつ絵画の中の人々。 さっきまでの親密そうな内緒話をしていた姿が嘘のようである。 え、ちょ、すみません。 絵の中の人の仲裁ってどうしたら良いの、マジで。 つかみ合い、とかにはなってないけど、なんか、視線で生き物殺せそう。 「って、それ、バジリスクじゃん」 「……お呼びですか、小さきお人」 「あ、ごめん。呼んだ訳じゃないんだけど」 と、ひょっこり、件のバジリスク(ミニver)が袖口から顔を覗かせたので、慌てて手を振る。 正直、なにを言ったかは分からないんだけど、多分名前を呼ばれたからだろう。 案の定、あたしの言葉に、バジリスクはこっくり頷くとまた袖口に逆戻りしていった。 禁じられた森で出会ってから、早幾日。 気がつけば、彼の定位置がそこになってしまっていた。 懐いているケーのところにでも行った方が良いんじゃ、と思ったあたしだったが、 スティア曰く、下手げに校内うろつかれて、リドルに利用されたらヤバイとのこと。 そのリドルさん、あたしの部屋の住人なんですけどね。 最近はあたしを口説くのに飽きてきたのか、あんまり顔出さなくなってきたけど。 それでも、こんな近くで大丈夫?って思ったあたしである。 が、そのことをスティアに訴えてみても、 見えないところで手を出されるより、見えるところで出される方がマシ、ということだった。 まぁ、でも利用されないに越したことはないので、バジリスクには窮屈な思いを我慢してもらっているのだが。 今のところ、ばれてはいないらしい。 と、あたしがバジリスクに思いを馳せている間にも、目の前の修羅場は消えてなくならず。 っていうか、寧ろ一触即発なレベルで悪化の一途を辿ってしまったところで、ふと、救世主の声がした。 「あれ?、君そんなところでなにしてるんだい?? あ、ひょっとして、お出迎えとか?」 「ジェームズ!良いところに!!」 なんか、お前ならこの状況を反則技でなんとかしてくれるような気がする!! そんなあたしの期待に満ちあふれた視線に、愛用の箒を引っ掴んだ状態でジェームズは首を傾げた。 「良いところ??」 「あれ、バイオレットたちが喧嘩してる……」 「え、なに?どうしたの?」 「おい、早く入れよー」 すると、どやどやとした喧噪が一拍遅れてやってくる。 どうやら、先に談話室に入って彼らが戻ってくるのを待っている、ということはできなかったようだ。 総勢250名近くなるグリフィンドール寮生の先頭に、クィディッチ寮代表選手が立っていた。 仕方がないので、あたしはかいつまんで事情を説明し、呆れた表情をした監督生が淑女たちを宥めて、 あたしたちはようやく談話室へ入れることとなった。 (多分、皆が観てるよ、の一言が効いたんだと思う。喧嘩してる醜い姿晒したくないよね、普通) 残念ながら、グリフィンドール寮へは冒険心をくすぐる穴をよじ登らないと入れないので、 そりゃあもう、素晴らしい混雑っぷりだった。 ひとりずつしか入れないし、男子が先に行かないと、女子としてはいやんwな展開になってフルボッコだし。 もうちょっと入りやすい入り口にはならなかったものか。 ここをダンブルドアとかマクゴナガル先生がよじ上るとか面白すぎるんですけど。 幸いにして、しばらく待ってたあたしは優先的に穴に上らせてもらえたので、 軽く埃を叩き落としながら、他の面々が談話室に入ってくるのを見る。 馬鹿騒ぎ……にはなってないけど、悲壮感があるでもなし。 ぶっちゃけ、試合はどうなったんだろう。 と、あたしの物問いたげな視線に気づいたのか、ジェームズがにっこりと笑顔をこちらに向けてきた。 「気になるかい?」 「そりゃあ、ならない訳がないでしょうよ」 「まぁね。なにしろ、いきなり練習に参加できなかったシーカーが復帰しちゃうし。 シーカー代理は顔も見せないでいなくなっちゃうし?」 「う……」 あたしとしては、最善を尽くしたつもりだったが、微妙に感じる棘に嫌な予感がする。 気がつけば、しん、と辺りは静まりかえっていた。 横目で確認してみれば、結構な数の人が談話室に戻ってきているくせに、 空気を察したのか、神妙な表情でこっちを見つめていた。 「…………っ」 さーっと、音を立てて血の気が引いていく。 これって、そういうあれですか? 「負け、た……の?」 「…………」 「あたしの、せい……?」 「…………」 このグリフィンドール寮にはまるで似合わない沈黙。 その意味するところに、泣きたくなる。 どうしようどうしよう。 あたしが出ても負けは決定だと思うけど。 あたしが出たらもっと悪い結果になったと思うのに。 でも、今とは違う結果になったのは確実で。 どうしよう。 負けた、なんて。 と、段々視界と共に思考が暗くなってきたそのタイミングで。 「…………ぷっ」 「「「「あはははははは!」」」 「……は?」 それを吹き飛ばすような、寮生全員での大爆笑。 …………。 …………………………。 「あははははは!嘘だよ、嘘うそ!僕らが負けるはずないだろう?」 「…………」 「まぁ、確かに、普段より苦戦したのは確かだったけどね。 ちゃーんと僕らがスニッチを取ってきたよ」 「…………」 「ただ、皆でちょっとね。を驚かせようと思って!びっくりしただろう?」 「…………」 「……?」 「…………ろ」 「え?」 びっくりとかそういう問題じゃねぇだろぉおぉおおおぉおぉおー!! 「「「「っ!」」」」 マジありえない!マジねぇわ!! 一人をよってたかって無言で責めて挙げ句に笑うだと!? お前ら知ってるか、そういうのをいじめっていうんだぞ!? いじめで自殺する人間だって世の中にはいるんだからな! 今あたしがどんだけ心の中で不毛な葛藤繰り広げたと思ってんだ、この色ボケ眼鏡!! 「色ボケ眼鏡は流石に酷くない!?」 「煩ぇ!もう金輪際お前なんぞ、リリーに近づけさせん!地獄に堕ちろ!」 「えぇ、そこまで言うこと!?」 流石にショックだったのか、ジェームズも顔色を変えた。 がしかし、そんなもんはもう知らん。 だって、こうして叫んでないと、あたし、ほっとして。泣きそうで。 嗚呼、もう良い。 こいつ一回ぶん殴ろう。 そう決意と拳を固める。 がしかし、あたしが微妙に拳を振り上げたところで、それを制止する腕があった。 「煩ぇな。なんだヨ、この騒ぎは」 「放せ、シリウスっ」 「いや、普通止めるダロ」 「本当に君は出所を抑えてる男だねぇ」 おかげで助かった、と茶目っ気たっぷりの笑顔を浮かべるジェームズ。 それに毒気を抜かれて、ついでに肩の力も抜かれて。 はぁっと、大きな溜め息で腕を下ろした。 もちろん、恨みがましい視線は、その顔にぴったりと貼り付けたままだったが。 「……ちっ。いつか絶対殴ってやる」 「怖いなぁ、は」 「で、こレはなんの騒ぎなんだよ?」 呆れたような表情でシリウスは自分の相棒を見た。 不機嫌一直線のあたしに聞くより、よっぽどまともな話が聞けるだろうという判断だと思うが。 なんだろう。ほんの少し、違和感が。 「…………?」 合わない視線に首を傾げる。 そして、ほんの少し考えて、その違和感の正体に気がついた。 すなわち、何故シリウスはこの騒ぎを知らないのか、ということ。 まるでどこぞの双子のようにどこに行くにも、なにをするにも一緒の二人だ。 当然、このいじめ紛いのことも、一口噛んでいるはずだと思ったのに。 どうして、知らない? ジェームズは「皆でちょっとね」、と言った。 そして、今のところ、談話室から続々入ってくる寮生の中で、 あたしたちがぎゃーぎゃー騒いでいるのに疑問を持っているような人はいない。 ある人は苦笑し。 ある人ははやし立てている。 中には、興味を失ったのか、自分たちで勝手に騒ぎ出している人だっていた。 その、意味するところは。 「シリウス……試合に行かなかったとか?」 「…………」 「え、やっぱりそうなのかい?道理で見かけないと思ったんだ」 二人分の疑問の眼差しを注がれても、無言のシリウス。 その能面のような表情に、心臓が嫌な音を立てる。 「シリウス……?」 最初は、急ぎの課題なんてないよなぁ?彼女でもできたのか? とか思っていた呑気な思考が、その表情に、霧散する。 不機嫌そうな表情は見た。 不愉快そうな表情も見た。 でも、いまだかつて、こんな表情を見たことがあっただろうか。 と、あたし以上にシリウスを知るジェームズは、あたしよりも強い違和感を感じたらしく、 ことさらおどけて、シリウスをなじった。 「二人共ひっどいなぁー!じゃあ、僕がやったあの超絶ゴール観なかったのかい? 一生物の損失だよ、それは!」 「あア……悪いナ」 「まったく。君が僕の試合を見逃すなんて初じゃないのかい? 一体、何をしていたのさ?」 「ナに……?」 くつり、と。 その質問に、シリウスは笑った。 その口元を見た瞬間、ぞわり、と体中のうぶ毛が逆立つ。 「良イことさ……すげェ、イイこト」 にんまり、と三日月のように唇を歪めたシリウスに、流石のジェームズも眉を顰める。 無意識だろうか、彼はあたしを庇うように一歩前に出て、シリウスの顔を覗き込んだ。 「どうした?パッドフット。そんな顔が崩れるくらいの良いことって何だい?」 「お前モ喜ぶことサ……」 「僕も喜ぶこと?リリー関連ならすぐ思いつくんだけどなぁ」 シリウスは、いつもなら応じるジェームズの軽口にさえ、反応しない。 異常だった。 熱があるとか、そういうものじゃない。 そういう、簡単な理由付けが出来るものじゃない、異常だった。 そして、そんな彼は、くつくつと至極機嫌良く嘲笑い続ける。 「あいツをな、誘っテヤッタんだよ」 あいつ? 「あいつって誰だい?勿体ぶらないで教えてくれよ」 「あいつはアイツさ。お前も大好きナ、スニべりーの奴だよ」 「ええ?君が、あいつを、かい?一体なにに……」 「決闘サ」 「けっとう……?」 日常では決して聞き慣れない言葉に、どろりと不吉な気配がまとわりつく。 それは、今のシリウスから発せられているものと同質のものだった。 小刻みに震え始めるあたしを見て、彼の笑みが深まる。 「あア。今夜、誰にモ、邪魔サレない場所への行き方を教えテやって、ナ」 「!!!!!!!!」 セブルス。 シリウス。 誰にも邪魔されない場所。 そして、満月の夜。 それらのキーワードが揃って、連想することは一つしかない。 「お前……まさ、かっ!」 「?」 頭が真っ白になった。 壊れたシリウスの瞳に、あたしが映る。 そして、彼は言った。 「アイつはもウ……叫びの屋敷だ!」 その声に。 言葉に。 全身の血液が沸騰する。 ばきっ! 「っ!?」 「……まえっ――……」 あたしを構成する全ての要素が、わなないた。 なんで、どうして、ふざけるな、と激しい怒りが喉の奥から溢れる。 「……お前、自分がなにしたのか分かってんのっっ!!?」 気づけば、握り込んだ拳が、痛かった。 悲鳴のように絞り出した声で、喉が張り裂けそうだった。 目が熱い。 頭が酸欠でぐらぐらする。 「そんな、ことして……っ」 手足は震えて、自分の居場所すら、分からない。 でも。 それでも。 これだけは、言わせて欲しい。 「どのツラ下げてリーマスに逢うつもりなんだよ、お前っ!!」 そして、あたしは目を丸くしている寮生を押し退け、一直線に窓へと向かう。 隅っこの方に残った理性がそれを止めるけど、衝動は溢れたまま。 「粉々ォッ!!」 あたしは、天高いグリフィンドール塔から、その身を躍らせた。 びゅおぉぉおおおぉおぉぉぉぉ ローブがはためく音。 夜の匂い。 ひんやりと冷たく強い風。 明るすぎる月明かりを受けて、一緒に落ちていくガラス片の輝き。 全身が、普段感じることのない感覚に。 死への恐怖に震える。 だが、それも一瞬のことだ。 あたしは思考もせずに、ほんの僅かな時間で、近づいてくる黒い芝生に杖を向ける。 「 ――……!」 例えば、大口径の銃を撃ったとしたら、慣れない人はどうなるだろう。 答えは、『反動で、後ろにひっくり返る』 なら、それが真下に向かって放たれたものであったとするならば? 答えは――…… 「馬鹿っ!!!」 「っ!」 と、魔法による反動で僅かに空中に制止したあたしの腰に、力強い腕が回る。 ぐっと息が詰まるくらい、それは容赦のない力だった。 がしかし、そいつはまるでそれに構うことなく、無理矢理にあたしを自身の箒まで引っ張り上げる。 びきっと、その筋が痛む音が聞こえた気がした。 そして、気がつけば、下ろされていた、地上。 芝生からのろのろと視線を上げると、ぴしゃり、と渇いた音がした。 圧迫された腹部が、叩かれた頬が、熱い。 「……痛い」 「痛い、じゃない!君、馬鹿じゃないのか!?塔から飛び降りるだなんて……!」 いつになく声を荒げる青年――ジェームズは、本気で怒っていた。 榛色の瞳が、これ以上ないってほど、つり上がっている。 肩で息をしているのは、怒鳴ったせいだけじゃない。 あたしの後を追いかけて、塔から飛び降りたせいだ。 一歩間違えば、自分だってどうなるか分からないほど危険なことを、あたしがしたからだ。 ずり下がる眼鏡を直しながら、ジェームズは声を荒げ続ける。 「ああ、もう!もうちょっとで潰れた蛙みたいになるところだったんだよ!? 分かってるのかい!?!!」 「じぇ……むず……」 そして、彼があたしの腕を掴んで。 その暖かさが伝わった瞬間、もうダメだった。 「ジェー……ムズ!」 ぼろぼろ、と両目から、涙が零れる。 「どう、しよう……。セブルス、セブルスが……死んじゃうっ!」 知らなかった。今日が、その日だなんて、あたし、知らなかったんだ!! セブルスが、ジェームズを決定的に憎む日。 シリウスがセブルスを誘い込んで、リーマスに襲わせようとした、運命の日。 もうとっぷり、日は暮れて。 頭上には、満月が輝く。 リーマスが人目に付かない時に叫びの屋敷に向かったとしたら、 セブルスがそれを目撃したのは、いつだ。 それは。 それは。 クィディッチの試合中になるんじゃ、ないのか。 「もう、何時間も経ってる……!どう、しよう、ジェームズ!!」 「!」 どうしよう。どうしたら? どうしたらも、なにも、助けるしか、ないじゃないか。 あたしは、逸る心のままに、夜の闇に足を伸ばそうとして。 そして、 「落ち着いて、!」 掴まれたままの腕にかかる力に、目を見開く。 振り返れば、そこにあったのは、生気を宿した輝く瞳だ。 「ジェ……ムズ…」 「状況は、なんとなく分かった。 なら、僕たちがするのは、ただ一つ。一刻も早くスネイプを連れ戻すことだ。そうだね?」 「う……ん…」 「幸い、叫びの屋敷までは距離がある。 スネイプは元々体力がある方じゃないから、そこまで早く屋敷に着けるはずがない。 僕らでさえ、あそこまで行くのにどんなに急いでいても一時間以上歩くんだ」 パニックを起こしているあたしと違って、ジェームズは冷静に今を見ていた。 その力強い言葉に、あたしは一縷の望みをかけて縋るような目を向ける。 そして、その視線を受けて、ジェームズは頷きを返すと、ぴっと真っ直ぐに人差し指を立てた。 「そして、なによりここが肝心なんだが。 恐らく、スネイプが屋敷に向かったのは、何時間も前のことじゃない」 「どうして、そんなこと……」 「写真サークルの部長が帰り道で言ってたんだ。 シリウスは試合の終わる直前に遅刻してきて、を探してすぐにいなくなったって。 やっぱり様子がおかしかったらしくて、どうしたんだろうって気にしてた。 分かるかい?セブルスを焚きつけたにしては、君を捜したり、ウロウロ歩き回るだなんて行動がおかしいだろう?」 確かに、自分に置き換えると、ジェームズの言葉には説得力があった。 殺したいほど嫌な相手を窮地に追いやって、うろたえるのなら分かる。 でも、その相手の友達を探したりするだろうか。 わざわざその友達――あたしに絶望を与えるため? でも、早く教えてしまっては、それは阻止されてしまうだろう。 それに、寮の談話室でのあたしに対する態度は、探し人を見つけたって感じじゃ、少しもなかった。 なら、どうしてあたしを探した? 「きっと、遅刻してきた時に、スネイプに関するなにかがあったんだ。 恐らく、あまり良くないことが。 それで、シリウスは君を捜した。スネイプの友人である君をね。 なにを君に求めていたのかは知らないけれど。情報とか、そういう類かな?」 「でも、あたしは見つからなかった……?」 「君がシリウスと逢っていないなら、そうだろう。 でも、シリウスはその後、君を捜すことを止めた。 それは何故か?これは推測だけど、その必要がなくなったから、じゃないかな」 と、そこまで澱みのなかったジェームズが、そこで一旦言葉を区切る。 僅かに泳いだ視線。 まるで逡巡するかのようなその間に堪えられず、あたしはジェームズの腕を掴んだ。 「よく、分かんないよ……っ勿体ぶらないで、教えてよ!!」 「……君に話を聞かなくても、スネイプを排除できる方法に気づいたんだよ。 自分の手は汚さずに、しかも、今日確実に実行できる方法にね」 「っ!」 もしかしたら、競技場から帰る途中ででも、暴れ柳が目に入ったのかもしれない。 あの木は丁度、競技場と城とを繋ぐ線上にある。 でも、今となっては、それはどうでも良いことだ。 本当にシリウスがセブルスの話をあたしから聞こうとしたかどうかさえも、今は関係ない。 「スネイプが自分の寮以外の試合を率先して見るとも思えないから、 いるとしたら、城だ。 そして、試合が終わる直前に競技場を出たシリウスが、城にいるスネイプに接触できる時間なんて、 ほんの3、40分前くらいでしかない」 「じゃあ……!」 「今から追いかければ、余裕で間に合う。僕には、これもあるしね」 ぽん、とジェームズは自分の愛用の箒を叩いた。 「ジェームズ……!」 「任せてよ。正直、スネイプはどうでも良いけど。 なんだか錯乱してるらしいシリウスに後悔させるのも寝覚めが悪いし。 リーマスを人殺しになんて、させないから」 言うが早いか、彼はひらりと、箒にまたがる。 分かってる。 彼に任せれば、原作通りセブルスを助けてくれるのだろう。 でも、でも! 気がつけば、手が箒の枝を掴んでいた。 「!!?」 「連れて行って、お願い!!」 よぎったのは、今のジェームズの言葉。 『錯乱』 確かに、そうだ。 「ダメだ!こんな危ないこと、君にさせられない!!」 さっきのシリウスは明らかにおかしかった。 まるで。 まるで、錯乱の呪文でもかけられているみたいに。 でも。 一体誰が、シリウスにそんなものをかける? そこにあるのは、誰の悪意だ? 「そんなの、ジェームズだって一緒だ!!」 原作では、シリウスは自分の意志でセブルスを陥れたと言っていた。 けど、今日のは自分の意志なんかじゃ、絶対無い。 それに、シリウスはリーマスを嗅ぎ回るセブルスを唆したはずじゃなかったのか。 それなのに「決闘をしよう」と嘘を吐いた、と彼は言う。 些細、と切り捨てられない差異。 原作と違うなにか。 そんなもの、あたし以外になにがある……! 「連れて行ってよ!」 必死に、あたしはジェームズに懇願した。 これが杞憂なら良い。 でも、そうじゃなかったら。 ジェームズも無事に戻ってこられるとは、限らないじゃないかっ! そして、そんなあたしの姿に、ジェームズは一瞬泣きそうなくらい顔を歪めて、腹の底から叫んだ。 「一緒じゃない!!だって、君は……っ」 女の子じゃないか! 「え……」 思いがけない言葉だった。 ぽかん、と箒を掴んだ間抜けのような格好で、自分よりずっと上にある顔を見つめる。 その表情は、普段の彼からは考えられないくらい苦悩に満ちていた。 「どう……して…?」 「ごめん……。最近、気づいたんだ。君は女の子だろう?」 「あたし、は……」 「君が女の子でも、僕の友達だ。 でも、友達でも、女の子ならここから先には連れて行けない」 そっと、まるで壊れ物に触るように、ジェームズはあたしの頬を撫でた。 「女の子がケガをするのも、泣くのも。見たくないんだ」 「!」 涙の跡を辿るように、優しく、優しく。 クィディッチの練習でがさついた手が、想いを伝える。 泣かないで。 泣かないで、と。 グリフィンドール生として相応しいほどの、騎士道精神で。 あたしは、だから。 「男も女も関係あるか……!」 その手を、逆に引き寄せて、握りしめる。 「!」 お前がここであたしを置いていくなら、一生分の涙をここで使ってやる。 お前がここにあたしを置いていくなら、暴れて傷だらけにだってなってやる。 「あたしを泣かせたくないのなら、連れてけっつってんだよ!」 怪我させたくないってんなら、根性出して守りやがれ! 傲慢で不遜で。 なにより常軌を逸するほど、自分勝手な言葉。 それを衒いもなくはき出せる自分が、どうかとも思うけど。 でも。 「……はぁ、。君って奴は」 君は、そんなあたしを、許してくれるから。 「……分かった」 あたしは、安心して我が儘を言えるのです。 「時間が惜しい。乗って!」 ジェームズはそう言うが早いか、箒をすでに空へ向けていた。 慌ててそれに便乗し、あたしはジェームズのたくましい背中に体を預ける。 そして、箒が、夜空を駆けた。 無駄な気遣いは大きなお世話なんだよ! ......to be continued
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