人間、不意に悟る時があるよね。 Phantom Magician、117 「え」 ぽかん、と自分でも意識しないままに口が開く。 というのも、視界にあり得ない物が目に入ったからだが、 慌てて目を凝らすその数瞬の内に、その文字は地図上から姿を消してしまっていた。 目をぱちぱちと瞬かせ、今のは一体なんだったんだろう、と嫌な予感と共に考える。 それくらい、その名前は不吉を連想させるものだった。 と、そんな自分の様子に、観察力に優れた友人は首を傾げた。 「どうしたんだい?ピーター」 「いや、あの……」 しかし、訊かれてもそれにまともな答えを返す自信はない。 頭の良い自分の親友達は、きちんと根拠に基づく推測を話すことができるというのに、 自分はただただなんとなく嫌な感じがするものを見た、としか言えないのだ。 けれど、長年の経験から、僕は知っている。 自分の嫌な予感というのは、なかなかに侮れないということを。 それはきっと、小動物が危険を敏感に察知するようなものだということを。 多分それは人に伝えるべきで。 でも、目の前の彼らは逃げるために与えられた情報を、 間違いなく逆方向へ活用してしまう人間だ。 言ったら、間違いなく厄介事になる。 がしかし、言い淀んで「ななななんでもない」などと告げる自分に、 友達思い(?)の彼らが不審を抱かない、なんてことがあるはずもなく。 「ピーター。その顔色で言われても全く信じられないんだけど」 「うんうん。さっさと言った方が君のためだよ、ピーター」 「っていうか、とっとと吐け」 どこか楽しそうにした悪戯仕掛け人の追求に、僕が抗えるはずもなかった。 「はぁ?スリザリンがいた??」 とりあえず、しどろもどろに説明を終えると、シリウスは素っ頓狂な声を上げて目を丸くした。 忍びの地図に署名をして、色々な魔法をさらに重ねがけして。 でも、他の3人よりもよほど頭の悪い自分には、とてもそれは手伝えることではなく。 広げられた地図を、手持ちぶさたに見つめていた時のことである。 禁断の森近くに、一人の足跡があった。 すたすたとまるで迷いのない足取りで、それは真っ直ぐに森へと進み、 まさか入るんじゃ、などと自分が驚いている内に、あっさりとその人は境界を踏み越え、消えてしまった。 この忍びの地図というものは、ホグワーツの敷地内を網羅するようにできている。 がしかし、その敷地内でも、地図の及ばない場所、というものが少なからずあった。 屋敷しもべ妖精が「あったりなかったり部屋」などと呼ぶ部屋や、禁じられた森などがそれである。 元々、この地図に掛けられている魔法というのは、に助言を貰って、 ホグワーツの城に元々掛かっている探知系の魔法を利用している、らしい。 だから、あまり城から離れると名前が分からなくなってしまう、ということになるのだ。 それに、禁じられた森には元々いるものはもちろん、ハグリッドが持ち込んだ危険生物がうようよいる場所である。 その魔力を読み取っても、あまりに多すぎて地図には反映できない、とそういうことだった。 だから、禁じられた森に入った時点でその人物の足跡も、名前も地図から消える。 そして、その消えた名前こそが、「スリザリン」その人だった。 「別にスリザリンの奴が森に入っても、驚くことじゃねぇんじゃねぇの? あいつら、闇の魔術の練習にあそこ入り浸ってるって専らの話だぜ?」 「あ、ち、違うよ。そうじゃなくて」 「?なにが違うんだい??」 「『スリザリンの奴』が入ったんじゃなくて、『スリザリンって名前の奴』が入ったんだよっっ」 「「「!」」」 思いがけない言葉だったのだろう、ジェームズを筆頭に全員が驚いて息を呑む。 スリザリン、というその言葉に気を取られて、ファーストネームは碌に見ていなかったが、 それでも、サラザールなどという名前でなかったのは確かだ。 だから、それがかの有名な魔法使いのゴースト、なんてこともない。 (そもそも、サラザール=スリザリンのゴーストだなんて見たことも聞いたこともないよね) となれば、その子孫、という線が一番濃厚なのだけれど。 けれど、そんなことはありえないはずなのだ。 なぜなら、スリザリンという家名を持つ人間はもういない。 あるのは、ただその血筋だけ。 それも、それも。 たった一人しか、それを受け継いではいないのだというのが、世間一般の常識だ。 「……ピーター。悪いのは承知で訊くけど、見間違いじゃないだろうね? もし、そんな名前の人がいるとしたら……」 それは、例のあの人と親戚、ってことだよ。 珍しくも、ジェームズの静かな問い。 それはあまりにもゆったりとしていて、僕が抱いた確信を揺るがす。 そう訊かれたら、間違いなく見た!だなんて自分の性格上言えるはずもない。 でも、 「……で、でも。見たんだっ」 確かに、レポートでしゅっちゅう綴りを間違えるし、読み間違いだって日常茶飯事。 だが、それでも、5年間慣れ親しんだ寮の綴りくらいは、僕だって覚えている。 情けなさに泣きそうになりながらも、どうにか声を絞り出す。 すると、それを見ていたシリウスが深刻そうに眉根を寄せて問いかけた。 「……で、どうする?ジェームズ」 「どうするもこうするも……手の打ちようがあんまりないね」 「確かに。森の中に入ってしまえば、もう後はどこに行ったのかも分からないしね。 かといって、先生方に話をしようにも、根拠がない」 「悪戯道具で名前を見ました!ってもなぁ?没収されるのがオチだな」 「かといって放置するのも不味い気がするよね、流石に」 シリウス、ジェームズ、リーマスの順に、難しい表情が並ぶ。 「まさか、名前が偶然同じな訳ねぇし」 「このホグワーツで?それはかなり都合が良い考え方だと思うけど」 「まったくだね。まぁ、ゼロとは言わないまでも、まずそれはないだろう。 となると、うーん。校長あたりにでも明らかに部外者が侵入してました、って言うのが正解かな?」 さくさくと話が進んでいく。 それについて行けず、どこかぽかんとしていると、「ね?ピーター」と榛色の瞳が笑った。 「信じて、くれるの?」 この荒唐無稽の話を。 そう、言外に滲ませた問いに、彼らは揃って目を丸くする。 何故、そんなことを問われるのかが分からないとでも言うように。 「当たり前だろう?なにを言ってるんだい、ピーター」 ぱちぱちと、友達を信じることしか知らない瞳が瞬いていた。 「…………っ」 偶に、いや、本当は頻繁に。 掛け値ない信頼をあっさりと寄越されて、僕はどうして良いか分からなくなる。 上等じゃない僕。 弱い僕。 でも、彼らはそんな僕を除け者にしようとしない。 どうしようもなく温かくて。 居たたまれない場所。 卑屈な自分は、ここにいるべきじゃないんだ、と思うけど。 それでも、あまりに心地よすぎて、離れられない拠り所。 きっと、僕はいつかここを離れるのだけれど。 きっと、僕はいつか自業自得でここを失うに決まっているけれど。 でも、今だけ、ほんのちょっとだけ、と言い訳をして甘えさせて貰うことにした。 「ありがとう」 ほっと安堵を滲ませて笑えば、不思議そうなジェームズとシリウスがいた。 ただ、リーマスだけは僕の葛藤が少し分かるみたいで、優しく微笑する。 それが嬉しくて、僕はそうだ、と思いつきを彼らに披露した。 「あ、じゃ、じゃあ、にも来て貰おうよ」 「は?お前がそんなこと言うなんて珍しいな?? あいつのこと避けてるだろ、基本」 「あ、だって、あの、多分もその人見てると思うんだ。 ちょっと離れてたけど、その人の後に森に入って行ったんだもの。 森の周りをうろうろしてたから、気づいてないかもしれないけど。もしかしたら、さ。 僕らはスリザリンがどんな人かも、し、知らないし。事情を話せばだって……」 「「「…………」」」 僕が言ったら嫌だと断られるかもしれないけど、 他の3人だったら、彼はそんな邪険に扱ったりしないだろう。 それはこの地図作りを手伝ってもらった時の様子を考えても分かることである。 我ながら、なんて良い案だろうと、少しでてきた自信を胸にそう思う。 がしかし、 「「なんでそれを早く言わないっ!!」」 怒りと焦りに満ちた二つの怒号で、それは一瞬にして霧散した。 さっきまでのどこか優しい表情を一変させ、シリウスを先頭に僕らは駆け出した。 訳も分からずついていこうとするが、一心不乱に走る友人達と違い、疑問符だらけの僕の走りには身が入らない。 さっきまで確かに、自分たちには手に負えないから校長先生に言おう、という流れができていたはずだ。 けれど、シリウスもジェームズも校長室なんてまるで目指す気配はなく、 いや、それどころか彼らは今絶対に近寄ってはいけない一郭――禁じられた森へ行こうとしているようだ。 「ちっ、これだからあの馬鹿はっ!」 「言ってもしょうがない。とにかく走るよ!」 「走ってるっての!」 ぎゃあぎゃあ、と怒鳴りながら走る二人の体力には感心を通り越して呆れる。 と、僕と同じ心境だったのだろう、黙々と走っていたリーマスが、 微妙に遅れがちの僕の隣まで下がってきた。 「大丈夫?ピーター」 「だ、だい、じょ、ぶ。でも、いきなり、なんで!?」 「……が心配なんじゃないかな」 「へ!?」 が心配? まぁ、禁じられた森に入るなんて危なくて仕方がないことだとは思うけど。 もう神経を疑うっていうか、自分の命が惜しくないのかなって思うけど。 ジェームズたちはちょこちょこやってるし、その彼らに遅れを取らないが行っても、 そこまでの危険はないように思うのだけれど。 「なん、で!」 「相手は、なにしろ、悪名高いスリザリンだ。 みたいなお人好しが、近づくには危険すぎる、タイプだってことだと思うよ。 例え、それが予定外でも、予定通りでもね」 「?????」 予定外、というのは、まぁうっかり遭遇することだろう。 でも、予定通り……? その言い方だと、まるで、 「が、逢いに行った、かも、しれない、のかい……?」 「さぁ?そこまでは、僕にも分からないけど。 最初の頃、ジェームズもシリウスも彼が、死喰い人のスパイかもしれない、とか軽く疑っていただろう? 性格はともかく、素性の怪しい転入生が、スリザリンの名前を、持つ人間の、近くにわざわざ行った、だなんて、 疑り深い、人間じゃなくたって十分、怪しいって思うよ」 「で、で、で、でも!リーマス、君、今、心配してるって!」 疑うことと心配することとでは、とてもイコールで語れない。 混乱する頭で、必死に話に付いていこうとすると、リーマスはそこでちょっと笑った。 「そう。シリウスも、ジェームズも。疑って、でも、心配してる。 言ったじゃないか。『性格はともかく』って。 が、死喰い人ってタイプに、見えるかい?」 「!」 困ったようなその言葉に、考える。 そして、いい加減全力疾走で酸素のなくなってきた頭で思ったのは、 「見、えない……」 だった。 見えない。全っっっ然、見えない。 基本的に感情を隠そうとするスリザリンの人間と違って、はいつも自分に素直だ。 そりゃあ、ちょっと辛いこととか悲しいこととかを隠そうとする感じだけれど。 でも、多分その根底にあるのは、スリザリン生の見栄とか、意地とかそんなものとはまるで違くて。 どちらかというと、周りのため。 ……そう思う。 と、そんな僕のぽろっと漏れた感想に、リーマスは深く頷いた。 「うん」 「、でも、なんで、森に……」 「それを確かめるためにも、頑張るしか、ないね」 と、気づけば黒髪の頭二つは随分先の方に行ってしまっていた。 僕は、リーマスも遅れさせてしまったことを悪いな、と感じながらも、 最初にそれに気づいた人間の義務感と一緒に、足に力を込める。 ぜぇぜぇと上がる息も、狂ったように鳴る心臓も。 今はもう気にならなかった。 そして、ただただひた走った先の森の中で、 「で、どこなんだよっ!」 「シッ!シリウス煩い……!」 シリウスが苛立たしげに怒鳴った。 慌ててジェームズが叱責するが、聞こえているかはちょっと怪しい。 周りを見回してはいるものの、気を配るつもりはないのか、 がさがさと盛大な音を立てて、シリウスは藪の中に突入していく。 ー!などと呼びかけていないのがもはや奇跡である。 「……馬鹿犬」 「否定はしない、というかできないね」 「どどど、どうしよう……っ」 「うーん。まぁ、ああやって騒いでれば件のスリザリン氏もいなくなってくれるだろうから、 結果オーライってことにしとこうか?」 「うまくいけば、だけどね」 どこか呆れた様子のリーマスとジェームズ。 がしかし。 はっきり言って、そんな呑気にしていられる二人の神経が僕には信じられない。 スリザリンって人が物音で逃げ出してくれる、それは良い。 でも、物音を立てるってことはつまり、危ない生き物にも見つかってしまう、ということで。 「〜〜〜〜〜〜〜っ」 ざっと、自分の顔から血の気が引いていくのが分かった。 一緒になって走り出してしまった、つい十数分前の自分に「馬鹿な真似はよせ!」と叫びたい。 『最初にそれに気づいた義務感』? いや、もうそれ僕のキャラじゃないよね、どう考えても! そういうのは、僕よりシリウスとかジェームズの役目だよ! 嗚呼。 が関わってくると、ちょっと見栄を張りたくなってしまう自分が憎い。 親友達に引っ張られると、それを断れずに背伸びをしてしまう自分が憎い。 かといって、今更一人で学校へ引き返せるかと言われれば、まず無理だと答える。 この危ない森から、僕なんかが無事に出て行ける訳がない。 ……となると、一刻も早くを見つけるのが早く安全に帰る唯一の方法ということで。 「う、ううううぅうぅっ!!どこ!?」 僕はシリウスに便乗して叫ぶことにした。 がっさがっさと騒音をまき散らして、藪をかき分けたり、草の根を分けてみる。 すると、周囲ではジェームズたちも捜索を始めたのか、 バキバキと小枝を踏みつぶすような音が聞こえてきた。 すでに辺りは茜色から徐々に藍色に変わっていて、薄暗くなっている。 早く見つけないと、帰り道がそれはもう怖い。 夜の森の中なんて怖すぎる! 嗚呼、そうこう言ってる内に、雲にでも太陽が隠れたのか、 僕の周りだけ暗くなってきちゃったよ。 もう本当に、は僕になにか恨みでもあるんだろうか。 なんでこう、厄介事引き起こしてくれるのかな……っ! それで、なんで、僕はそれに巻き込まれてるんだ……。 ひょっとして、生まれつき運が悪いとかそういう奴なんだろうか。 ……ホグズミードにいるっていう占いの人に診て貰おうかな。 と、そんな風に内心愚痴っていたその時、 「!!!!!ピーター!!」 シリウスの鋭い叫びが耳朶を打った。 「え?」 そして、反射的に上げた顔の、その目の前、そこに、 「我が主の命により、貴様らに地獄を見せてくれるわ」 巨大な顎がぽっかりと広がっていた。 あ、終わった。 ......to be continued
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